「故郷を探して」
二年か三年ごとに住む街を変えることにした。
実家が無くなり、同級生たちの多くも都会に出てしまって、その街に住んでいない。
だが、帰る場所がないのなら、これから作っていけば良い。しかも複数作っておけば、安心。
軽い気持ちで始めた生活だが、どうやら私には合っているらしい。
そしてわかったことがある。
「この街は、今の私には早かったな」
荷造りを終えて、部屋を見渡す。
ちょうど二年。
この街から新しい街へ。
この街とは違う気候、違う景色、違う文化の街へ。
「子育てするには良い街なんだろうなぁ……」
次の街は、国立大学のキャンパスがあるから大学生が多いかも。同世代との出会いは期待できないかもね。
まぁ、こんな定期的に引越しを繰り返す女と結婚しようとする男がいるとは思えないけど。
「じゃあ、またいつか」
辛い思いをしたわけではないけど、この街にはもう来ないだろうな。
すっかり荷造りと各手続きはプロ級だ。
記念すべき十回目の引越し。
故郷にするのはどの街でも良いはずなのに、故郷にしたい街はなかなか見つからない。
────理想郷
「初恋リベンジドライブ」
ローカル線が廃線になりバスが運行されていたが、あと半年でそのバス路線も廃止になる。
それを知ったのは、有名な配信者の動画。
高校卒業まで過ごした集落の風景を見ていたら、居ても立っても居られなかった。
あれだけ出て行きたくて仕方がなかったのに。
もう戻らないつもりで出てきたのに。
突発的にもぎ取った有給は三日。
都心から故郷まで、公共の交通機関を使うと移動に一日かかる。しかも時間的に帰りのバスはない。
すでに実家は無いので、今もまだ集落に住んでいる幼馴染に連絡を取ると、車で駅まで迎えにきてくれるという。有難い。
数年ぶりに会った幼馴染とふたりきりの車内で、思い出話に花を咲かせる。
すれ違う車もない細い道をスムーズに運転する彼。こっそりと盗み見る私。
まさかこんな日が来るなんて。子供の頃の私からは想像もつかなかったことだ。
あの頃、顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたから。
それが実は初恋だったことは、ここを離れてから気付いたことだった。
「そういや、どこに泊まるんだ?」
集落の入り口の分かれ道で一時停止した彼は、そう言って私を見つめた。
「あー、実はまだ……急だったし……」
「予約してないのか。うちに泊まればいいよ」
「いやいやいや、そういうわけにも」
彼の提案に慌てて両手を振る。
だって、奥さんとか子供とかいるでしょ。
「いや、俺まだ独身だし。母ちゃんも喜ぶしさ」
そう言って彼は私をじっと見つめてくる。
なんだか居心地が悪い。
私は彼から目を逸らした。
────懐かしく思うこと
「私たちが選ばなかった道」
数年ぶりに都心のど真ん中へ。
用事を済ませ、都会に出たついでにと、住んでいる地域には出店していないカフェでお茶をし、買い物。
東京駅に着いた時には、帰宅ラッシュ直前。
人混みを掻き分けて新幹線乗り場へと向かう。
「え……」
思わず振り返る。
今すれ違った人、あの後ろ姿、もしかして……
目を凝らしてみるものの、人混みに紛れ見失ってしまった。
改札を抜け、エスカレーターで運ばれながら、あの日のことを思い出す。
ここで最後に会ったことを。
それぞれ別の道へ進むと決めたときのことを。
あの人は、私と一緒にいたいと願った。
だけど、私は自分がやりたいことを選んだ。
あの人にも、周りにも、よく考えろと言われたけど、私は自分の意見を曲げなかった。
結果的に、私はそれでよかったと思っている。
遠距離恋愛中と思しきカップルが抱き合っているのを横目に、ホームに停車している新幹線に乗り込む。
結構混んでいる。
予約した席に着いて窓の外を見ると、ホームのカップルはまだ抱き合っていた。
私たちが選ばなかった道── 遠距離恋愛を選択した彼らが、幸せになることをひっそりと願う。
ゆっくりと走り出した車体のスピードが上がると、まるで日常から切り離されたような気分になる。
窓の外の景色を見ようとしても、見えるのは自分の顔。
あれから、もう十年経つ。
あの時から、連絡を取り合っていないから、今どこで何をしているのかわからない。お互いに。
もしもあの時、私の選択が別のものだったなら。
そう思う時は、たまにある。
だが、後悔はしていない。
たとえ時を巻き戻したとしても、私は同じ選択をするだろう。
これだけは、断言できる。
今の私の幸せは、あの人と別の道を選んだ上に成り立っているのだ。
だから、パラレルワールドなんて、もうひとつの物語なんて、考えられない。
ねぇ、あなたは「俺がお前を幸せにするんだ」なんて言っていたね。
あなたがいなくても、私は今、幸せに暮らしているよ。
どうかあなたも他の誰かと幸せに暮らしていますように。
────もう一つの物語
「停電」
「だ、大丈夫かっ?」
「うん、大丈夫っ!」
「いてっ!」
彼女の声が聞こえたと同時に、思いっきり頬を叩かれた。
「あああ、ごめんね、ごめんね!」
思わずうずくまる。
いや、こういう状況の時ってさぁ……
ラブコメとかだと「きゃっ!」とか言って女の子が縋り付いてきたり、つまずいた拍子に互いの体が密着したりするもんじゃねぇの?
俺は叩かれた頬をさすりながら周囲を見渡した。
文化祭前日。
我が文芸部は、明日頒布するコピー本の製本作業が終わらず、こっそりと部室で作業をしていた。
下校時刻も日没時刻も過ぎ、数時間。
お互い言葉を発せず、夢中で作業に取り組んでいた。
すると、突然、電気が消えたのだ。
「やっぱり、これ停電してるよな」
目を凝らしても、何も見えない。
「ああああどうしよー」
「お、落ち着け」
不安そうな声をあげている彼女を抱き寄せ安心させてやりたいが、さっきのように無意識に攻撃されては敵わん。
とりあえず、何か明かりを……
そうだ!
「絶対動くなよ。じっとしてろ」
スマホが置いてあるはずの方向に向かって手を伸ばす。
かつん!
「うおわっ!」
ゴトッ!
どうやら手を滑らせ、机の上から床にスマホを落としてしまったようだ。詰んだ。
「大丈夫?すごい音がしたけど」
「ああ、気にするな。スマホ落としただけだ」
「スマホ……あ!」
暗闇の中、彼女の顔が浮かび上がった。
「ポケットに入れといて良かった〜」
彼女がスマホで周囲を照らす。
俺は自分のスマホを拾い、画面を確認。大丈夫、壊れてないようだ。
「どうする?」
「懐中電灯あったっけ?」
「わかんない」
「とりあえず、片方のスマホで照らして、もう片方のスマホの電源を落としてから探そう」
あーあ。
間に合うのかな、これ……
あと、こんな状況でふたりきりって……
「こういうのって、ワクワクするね!」
さっきまで不安そうにしていたというのに。
明かりを手にした途端、妙に楽しそうになっている彼女に思わず笑ってしまう。
無邪気な笑顔に、邪なことを考えていた自分を恥じる。負けだ、負け。俺の負け。
あぁ、こういうところが好きなんだよなぁ……
────暗がりの中で
「砂糖と一緒に溶かせたらいいのに」
あぁ、この人は私とは生きてきた世界が違うのだ。
そう確信したのは、ふたりで喫茶店に入ったとき。
手渡されたメニューには、初めて目にした紅茶の名前ばかり。
よくわからないものを注文してマズかったら嫌なので、数少ない知っている名前のルイボスティーを注文した。
それに対して彼は、私が聞いたこともない名の紅茶を注文。
「僕は、このお茶の香りが好きなんだ」
目の前に置かれたカップを取り、瞼を閉じる彼。
まるで絵画のよう。
美しくて、眩しくて、息が詰まる。
何度かその店でお茶をしたし、紅茶についてインターネットで調べてみたけど、どうしても名前も味も香りも覚えられない。
「そんなこと、気にしなくていいよ。お茶するたびに僕が教えるから」
彼はそう言うけれど、気遣ってくれているその言葉が辛い。
雨の匂いも雪の匂いもわかるのに、どうして紅茶の種類を嗅ぎ分けることはできないのだろう。
「雪の匂いがわかる方がすごいよ」
そう言って笑う彼に、私はどこまでついていけるだろうか。
砂糖をひとつ、カップに落とす。
この痛みも、不安も、すべてこの砂糖と一緒に溶かせたらいのに。
────紅茶の香り