「ただの幼馴染」
「恥ずかしいから、もう一緒に学校行くのやめよう」
そう言われたのは、小学四年生の秋。
「変な噂されるから、名前で呼ぶのやめろ」
そう言われたのは、中学一年の五月。
ずっと、私たちふたりきりでいられるのだと思っていた。
彼のそばにいるのは私だけなのだ、と。
だから彼のその言葉と態度に、当時の私は傷ついた。
そう、私は彼が好きだったのだ。
「なんだ、お前も同じ高校かよ」
高校の入学式後、教室で指定された席に座っていたら、彼の方から話しかけてきた。
それまでのことが無かったかのように。
「えー、びっくり。同じクラスなんて偶然だね」
私、女優になれるんじゃないかしらってくらい、自然な口調でいってやった。
でも本当は偶然じゃないよ。
お母さんから聞いて志望校決めたの。
知らないのは、彼だけ。
相変わらず苗字呼びをしてくることに寂しさを感じたけど、数年間避けられていたことを思えば、大したことではなかった。
「ただの幼馴染だよ」
クラスメイト達に私たちのことを揶揄われた時の、彼の言葉。
それが胸に突き刺さって、息すらも出来ない。
逃げるように屋上へと繋がる非常階段を駆け上がった。
誰にも見つからない秘密の場所。
唇を噛む。
雫が落ちていく。
やっぱり、私は彼が好きなのだ。
でも、彼にとっては……
私の名前を呼ぶ声がした。
彼だ。
苗字ではなく、あの頃のように名前を呼び捨てで呼んでいる。
何度も、何度も。
息の弾んだ彼に両肩を掴まれているけど、顔を上げる勇気なんてない。
どうして泣いているのかなんて、そんなこと、言えるわけない。
────涙の理由
「映画どころじゃない」
母のせいで、大変なことに気がついてしまった。
映画の前売り券をたまたま入手したからと、隣の家に住む幼馴染が、一緒に行かないかと誘ってきた。
公開されたら絶対観たいと私が言っていた映画。
前売り券は既に自分でも入手していたけど、推しの女性アイドルの初主演映画なのだから、何度観てもいいではないか。
いよいよ、今日は約束の日。
なぜか映画館の近くで待ち合わせすることになっているから、そろそろ家を出なければ間に合わないのだが、なかなか服が決まらない。
「あら、まだ出かけてなかったの?」
部屋で唸っている私を見て母が驚いている。
「いくら初デートだからって……そんなに気合い入れる必要ないわよ。物心つく前からの付き合いなんだから」
「で、でーと?」
母の発言に思わず手に持っていたハンドバッグを落とす。
「デートでしょうよ。年頃の男女が約束して出かけるのだから」
「ち、ちがう!」
「いーえ、お母さんはデートだと思うわ。そうでもなきゃ、隣に住んでいるのに、わざわざ街の方で待ち合わせしないわよ」
「……ええ……」
「それに、ただの幼馴染と映画行くだけなら、普段着で出かけてるはずよ」
「それは、街に行くから……」
「もう時間ないんでしょ。ブツブツ言ってないで、お母さんが選んであげるから、早く行きなさい」
母が選んだ服は、普段の私が着ているものよりも少しだけシックな雰囲気のワンピースとカーディガン。
今年の誕生日に「そろそろこういう靴もあった方がいいわよ」と母がくれた、低めのヒールの靴。
「うん、可愛い。さ、いってらっしゃい。デートだからって、気負わずにね」
追い出されるように家を出る。
バス停まで駆けるように歩き出す。
これって、デート、なの?
今すぐに確かめたいけど、今それを知ってしまったら、この胸の鼓動が何なのか、認めなくてはならなくなる。
ああ、もう!お母さんのバカ!
映画どころじゃないじゃん!
────ココロオドル
「禁止する旅」
何もかも放り出したくなることって、あるでしょう?
でも、それを実行する人はそれほど多くない。
もぎ取った有給は一日。
貴重な一日だ。どう過ごすかが、問題。
一日中家に閉じ籠もってゴロゴロするのも悪くはないが、ネットで動画見たりSNSをダラダラ眺めて終わってしまう気がしないでもない。
それはもったい無いような気がした。
それに、最近思うところがあり、デジタルデトックスというものをしてみるのもいいかな、と思ったのだ。
有給前日。
退勤後、会社の最寄り駅のロッカーに預けた荷物を取り出し、新宿駅へ向かう。
構内で焼酎ハイボールとじゃがりこを買って、予約していた特急に乗り込んだ。
スマホの電源を落とす。
本当は置いて行きたいけど、万が一のこともあるので持参するけど使わない。
この旅が終わったら、また怒涛の日々だ。
だけど、今からお家に帰るまでは、明後日以降のことは考えない。
スマホ禁止。
仕事のことを考えるの禁止。
あの人との将来に関することも、考えるの禁止。
縛りは多いけど、何も考えない一日を過ごしたいだけ。
ゆっくりと走り出した電車が揺れる。
窓ガラスに映る自分は、疲れと期待が混ざっている顔をしていた。
────束の間の休息
「期待を背負って、決意を背負って」
ボールを追いかける彼を、私がどんな気持ちで見つめているか、彼はきっと知らないだろう。
この辺りでは有名な必勝祈願のお守りを両手で包み込む。
どうか、どうか、あと、一点!
最後の大会を勝利で締めたい、と彼は言っていた。
もしも私に不思議な力があっても、彼は奇跡を望まないだろう。
そんなことわかっているし、私に不思議な力なんて無いけど、祈ってしまうのは仕方がない。
ボールを受け止めた彼が、ゴールに向かって走り出す。
立ち上がりそうになるのを堪える。
昨日、彼とした会話を思い出す。
「優勝したら、話を聞いてほしいんだ」
「それって優勝しないとできない話なの?」
「そうじゃないけど……そうでもしないと言えないっていうか」
期待させる台詞を吐いた彼を恨んでる。
変なフラグ立てないでよ。
話なんて、いつでも、いくらでも、聞くのに。
彼の姿を一瞬でも見逃さないように、唇を噛み締めた。
────力を込めて
「彼女の願いと私の目標」
学校行事の際は、カメラを向けられると逃げていた。
写真に撮られることは苦手だ。
自分が写ったものを見返すこともない。
在学中、すでに『卒業したら同級生とは会わない』と決めていた私。
もう会うことがない人の手元に自分の写真があり続けることが嫌だ、という理由もあった。
「そんな学生時代だったのに、今は写真家なんですね」
インタビュアーの相槌に頷く。
「それが何故、写真を撮るようになられたのですか」
「美術部だったんですけど、林間学校のときに見た風景を文化祭で展示する用の作品として描こうとして……初めてそういう、学校行事の時の写真を買ったんですよ」
「参考資料として?」
「そうです。でも、ああいう写真って人物がメインじゃないですか」
「あー、まあたしかにそうですよね」
「だから、自分で撮り始めたんですよ」
数年は風景を撮っていた。
自分が描きたい風景を探して、撮って、描いて、また撮って……そんな日々。
そんなとき、あの人と出会ったのだ。
「彼女をモデルに撮りたい。私が撮らなければ、って。今から思うと何様だって感じなんですが、そのとき何故か強く思ったんです」
ローカル局からの取材を終え、閉場時間となった会場で息を吐く。
昨日から始まった、私の初めての個展。
彼女が願ったことは、やがて私の目標となった。
あの人の生きている証を残したくて始めたことが、私の世界を広げてくれた。
彼女と出会わなければ、今私はここにいない。
たったひとつの出会いで、それまでの生き方も考え方も変わってしまうものだなんて、学生時代には思いもしなかった。
ひとりきりの会場を歩く。
靴音が響いて、改めて今ここには自分しかいないのだと実感する。取材で昂っていた気持ちがようやく落ち着いてきた。
会場の入口から一番近い写真は、彼女の横顔。
池の前で山を眺めている。
「次の目標は自分で決めないとね」
今はもう空の向こうにいる彼女の声が聞こえた気がした。
────過ぎた日を想う