生きていた時の俺に、友人と呼べるような存在はついぞ現れませんでした。
一時期行動を共にして、一緒に略奪したり、戦に加わったり、そういうことをした者たちはありましたが、彼らは友人などではありませんでした。それは、互いに信頼も信用もせず、利害が一致しなければすぐに別れ、あるいは殺し合うような、非人間的な関係でした。
友人と呼べる者が現れなかった、というのは、間違った表現ですね。
俺が、誰かとそのような関係になれるように人と関わることができなかった、が正確です。
そう、他人に問題があったわけではない。俺自身が、誰かの友人になれるような人間ではなかったのです。あまりに単純で容赦のない、笑ってしまうような結論です。
だから、貴女が俺と人間としての関係を結ぼうとしてくださった時、俺はそれに気づくこともできませんでした。そのことを理解した時、貴女と出会ってからの時間をどれだけ無駄に、いえ、どれだけ冒涜したのか気づいて、俺は恐れ慄き、心から後悔しました。
俺は人間ではなかった。
貴女は俺を、人間にしてくれた。
ああ。貴女は、人間として生まれ直した俺に、世界を見て回ってほしかったのか。今、気づきました。
俺をお傍に置いてくださらなかったこと、俺を待たずに亡くなってしまったことを恨む気持ちがなかったというと、それは嘘になります。
けれど、違ったのですね。貴女は俺のことを真摯に思い、愛してくださっていたんだ。
涙が止まりません。
愛しています。愛しています、XX様。愛しています。
俺が生きていた時。
貴女に送り出され、一人で放浪した旅の間、幾度星空を見上げて貴女を想ったことでしょうか。
貴女もこの星空を眺めて、俺のことを想ってくださっていたら、これほど嬉しいことはないなと思ったものです。
貴女は誰にでも愛を与えました。
そうでなければ、俺が貴女の愛の恩恵に浴することはありませんでした。だから、俺のことだけを思って夜空を見上げたことは、きっとなかったでしょう。
それが分かっていても、つい願ったものです。
貴女のその「たったひとりの人」が、俺であったらいいのに、と。
神様だけが知っている、ですか。
不思議で、不正確な表現ですね。
そもそも、神様などいません。高貴な魂は確かにありますが、神とはまた違うものです。それもやはり、大元は同じものです。
最も神に近いのは、全ての魂の源であるあの大きな廻り続けるものですが、あの大きな廻り続けるものに意志はありません。その意味では、神とは違っているのでしょう。
そして、そのような存在「だけ」が何かを知っているということも、なかなか難しい想定です。
知は、存在と存在の間にあります。ふたつ、もしくはより多くの存在が関わり合う中に、「知ること」は存在するのです。
ですから、あるひとつだけの存在の中にだけ知が在るというのは、正確ではないと言わざるを得ません。
このような単純な世界の理も、命を得て生きている間は忘れてしまっていますからね。仕方のないことです。
この道の先には、何もありません。
これから歩きながら貴女が作っていくのですから、先にはまだ何もないのです。
ただ、いちばん最後に待っているものがあるのは確かです。
あの大きな廻り続けるものが、貴女の道の最後に待っています。
貴女はそこに回収され、個としての存在を終えます。
その安寧の日まで、貴女は、そして貴女に付き従う俺たちは、何もない道を歩み、そこに足跡を残していくのです。
俺にとっての貴女は、温かい日射しを投げかけてくれる、太陽のような存在です。
貴女がいるから、俺の世界は存在しています。
貴女を中心に、俺の世界は回っています。
俺は貴女を守るためにここに存在しているので、当然のことではあります。けれど、生きていた時も、貴女は俺にとっての太陽だった。
その光を再び浴びたいという願いだけを心の支えにして、俺は貴女に言い遣った五年間の放浪を終えました。
そして貴女の元に帰った時、貴女はもうこの世を去っていました。俺の太陽はもう二度と昇らない、そんな地獄のような世界で居きることはできない。そう思って、俺は生きることを諦めました。
命を捨てた後、貴女という存在はひとつの魂であり、何度も肉体を得て転生していくのだと、俺は知りました。貴女という太陽がまた昇るのだと知って、俺がどれだけ歓喜したことか、貴女には分からないでしょう。
貴女は太陽のように、生を得て昇り、命を失って沈み、また昇っては沈みます。
いつか太陽がなくなるのと同じように、貴女の魂もいつかは個としての終わりを迎え、二度と昇らなくなります。
その最後の日まで、貴女の放つ温かい日射しに包まれて、俺は幸福に過ごすでしょう。