今世の貴女は、深窓の令嬢という表現がよく合います。
その窓から、何が見えますか。
醜いもの、おぞましいもの、悲しいもの。
そのようなものが、貴女のその窓からは見えないように、俺たちは隠しました。
今の貴女は、そのようなものが自分の人生から排除されていることに気づいて、喜びよりも苦しみを感じていらっしゃいます。
俺たちの選択は、貴女を苦しめてしまったでしょうか。
運命の赤い糸など、俺は信じません。
そんなものはありません。
俺たちは、貴女の持つ縁を可能な限り良いものにしようと、日々努力しています。「運命だから出会うことになっていたんだ」と言われたところで、それが何だと言うのでしょうか。
良い縁は引き寄せ、悪い縁は力ずくで退ける。
それが俺たちのやり方です。
生きていた時の俺は、全く学がありませんでした。
字が読めないのは当然として、知らない言葉も多かった。
夏の夕暮れに聞こえるもの悲しい鳴き声の虫は、ひぐらし。
夏の青空にそびえるように高く立つ雲は、入道雲。
俺にそんなことを教えてくれる人は誰もなく、俺は名前のないものに囲まれた狭い世界で生きていました。
俺が、もっともっと早く貴女に出会えていたら、貴女は俺にたくさんのことを教え、いろいろなことを手ほどきしてくださったでしょうか。
動物や植物や、自然のものの名前。
字の読み方、書き方。
人を思いやること。
人を愛すること。
ああ。
貴女ともっと、同じ時間を生きたかった。
もう、ほとんど夏ですね。
貴女を守るようになってからは、幾度もの夏を共に過ごしましたが、俺が生きていた時は、貴女と夏の時間を共有することはできませんでした。
貴女をこうしてお守りできること。
俺はそれだけで満足すべきであるし、実際満足もしています。
それでも時折、蒸すような暑さの日が暮れてきた夕日の中、貴女の隣に座って、少し汗ばんだ貴女の手を握って、俺の名を呼んでくれる貴女の声と、遠くに鳴くひぐらしに耳を傾けてみたかった、と思ってしまうのです。
最近の貴女はあまり、「ここではないどこかへ行きたい」「今の私ではない人でありたい」と言わなくなりましたね。それは俺たちにとっても、喜ばしいことです。
ああ、気持ちのいい夜の風が、貴女のいる部屋に吹き込んできますね。その涼やかな空気の流れに、目を閉じて静かに浸る貴女の心がどれだけ満たされているか、今の貴女には分かるでしょう。
貴女はどうあっても、貴女という人間を、今ここにあるこの存在を生きるしかないのです。
かつての貴女はそれに絶望したかもしれませんが、今の貴女はきっと違いますね。
貴女は今のままで良いのです。
今貴女が満たされていることは、何の間違いでも不手際でもありません。貴女にはその権利が、皆その権利があるのですから。
今こうして満たされた気持ちで、何かができて、あるいはできないこともあって、そういうことを全て受け入れて貴女は生きている。
それこそが、命の本来の在り方なのです。