もう、ほとんど夏ですね。
貴女を守るようになってからは、幾度もの夏を共に過ごしましたが、俺が生きていた時は、貴女と夏の時間を共有することはできませんでした。
貴女をこうしてお守りできること。
俺はそれだけで満足すべきであるし、実際満足もしています。
それでも時折、蒸すような暑さの日が暮れてきた夕日の中、貴女の隣に座って、少し汗ばんだ貴女の手を握って、俺の名を呼んでくれる貴女の声と、遠くに鳴くひぐらしに耳を傾けてみたかった、と思ってしまうのです。
最近の貴女はあまり、「ここではないどこかへ行きたい」「今の私ではない人でありたい」と言わなくなりましたね。それは俺たちにとっても、喜ばしいことです。
ああ、気持ちのいい夜の風が、貴女のいる部屋に吹き込んできますね。その涼やかな空気の流れに、目を閉じて静かに浸る貴女の心がどれだけ満たされているか、今の貴女には分かるでしょう。
貴女はどうあっても、貴女という人間を、今ここにあるこの存在を生きるしかないのです。
かつての貴女はそれに絶望したかもしれませんが、今の貴女はきっと違いますね。
貴女は今のままで良いのです。
今貴女が満たされていることは、何の間違いでも不手際でもありません。貴女にはその権利が、皆その権利があるのですから。
今こうして満たされた気持ちで、何かができて、あるいはできないこともあって、そういうことを全て受け入れて貴女は生きている。
それこそが、命の本来の在り方なのです。
生きていた時の俺が、初めて貴女に出会ってから共に過ごせたのは、たったの三日三晩と、その明くる朝だけでした。それも、貴女を本当に愛して慈しめたのは、最後の一晩のみでした。
貴女を出会ったその時から愛せていれば、貴女は俺を旅に出さなかっただろうか。貴女にあんな狼藉を働かなければ、お傍にずっと置いてくださっただろうか。何度そう考えたか、もう覚えていないほどです。
貴女が俺を送り出したあの朝が、貴女との最後の時間になったこと。
貴女が、俺の帰りを待たずに病で亡くなったこと。
それを知り、貴女のいない世界でいきることに耐えられず、俺が自ら命を絶ったこと。
どれも、もう五百年以上も昔のことです。
ああ。
貴女をこうして幾百年見守って尚、俺は貴女を十分に愛せている気がしないのです。
もっと、俺の愛を貴女に伝えたいのに。
もっと、貴女を大切に守りたいのに。
誰より貴女を、幸福にしたいのに。
俺が生きている時にそうできていたら、この痛みを感じることはなかったのでしょうか。
いつか俺たちは、貴女は美しい桜のようだと言いました。
貴女はしっかりした幹のある、優しく強い魂の花です。その花は繊細な美しさを持ちますが、その花を咲かせる魂の、何と大らかで温かく、立派であることか。
貴女という花を愛で、貴女という木の元に安らぎを得る。
そうやって貴女と共に存在することを許されている俺たちが、どれだけ幸福なのか。貴女にも分かっていただけたら、嬉しいのですが。
そう。どうか、良い気分でいてください。
そうしてさえくだされば、貴女はどこへでも行けます。
俺たちが、貴女にとって最良であるものを、貴女が望むものの本質を体現したものを、貴女に運んできます。
そうして一年後、貴女はご自分の置かれた環境に驚くでしょう。