お題『時を告げる』
寝坊した。鳴ったはずのアラームが聞こえなかった。
急いでスマホを確認して、目覚ましのスイッチがオンになっていたことに愕然とする。スヌーズ機能はうざいから切っていた。
私は急いで身支度をして学校へ向かう。アラームが聞こえなかったことなんて、言い訳にならない。
だけどそういう時に限って電車は遅れているし、人だって多い。
私は暑さと遅刻した時に廊下に立たされることを想像して、生温いんだか、冷たいんだかの汗をだらだら流す。
さいわいなことに最寄り駅から学校まで電車は一本だ。乗り換えがなくて済む。
学校のある駅に着いて、おしくらまんじゅう状態を押しのけて脱出する。
始業まであと五分。電車の中で急げなかった分、私はけんめいに走った。
走って、走って、学校の門が閉まろうとしているのが見える。
「ちょっとまったぁぁぁぁ!!!!」
私はこんしんの力を振り絞って、締まりつつある門を突破した。それからがむしゃらに教室まで急ぐ。
教室のドアに担任が近づいているのが見えた。
「せんせぇ、おはようございまぁぁぁす!!!」
私は教師を抜き去ると勢いよく教室へと入り、そのタイミングでチャイムが鳴る。
どっと来る疲れと、達成感から自分の席についた瞬間、突っ伏してしまった。
教団に立った担任が呆れたようにため息をつくのが見えたが、間に合ったのだから責められるいわれはないだろう。
私は始まったホームルームを堂々と机に突っ伏しながら聞き続けていた。
お題『貝殻』
小学校の頃、海に遊びに行った日に法螺貝を拾った。法螺貝を耳に当てると海の音がするらしい、ってどこかの雑誌だか、漫画だかの情報を真に受けた私はそれを耳に当てて海の音を聞こうとした。
けれど、波の音なんて聞こえてくるわけがない。
なぁんだと思った私は貝をその場に置いて帰ろうとしたら、
「わたしの声、聞こえてる?」
という女の人の声がして、私は思わずびっくりして腰を抜かし、貝を放り投げてしまった。
しばらく貝を見つめてみる。そこからヤドカリみたいに急に足が出て歩き出したりしないかなと思ったが、そういう様子は見られない。ただ、「もしもし?」とか「誰かいるんでしょ?」という声だけがちいさく、くぐもって聞こえるだけだ。
私は意を決して貝殻を手に取る。
「もしもし」
おそるおそる声を貝に吹き込むと、貝の向こうの声は嬉しそうに笑った。
「わぁ、本当に話せるんだ!」
「え、そっちでも噂みたいなものってあるの?」
「うん! 海底に落ちた法螺貝を拾って耳に当てると、人間たちの声が聞こえるって噂」
「にんげん……、きみは人間じゃないの?」
「わたし、人魚」
「えぇ、人魚ってほんとにいるのぉ?」
「ほんとにいるんだよぉ」
「へぇ。すごーい」
それから私達は親に呼び出されるまでずっと貝殻を通して話していた。海から帰るってなった時に
「また海に来た時、会おうね」
とお互いに約束してその場を去った。私は話し終わった後も法螺貝を持っていて、家に帰った後も貝殻を耳に当ててたんだけど、なにも聞こえてこなかった。
彼女と話せたのはまぼろしだったのかな。
いつしか、その法螺貝は何年も部屋に放置された。
私が法螺貝の存在を思い出したのは、「人魚を題材にした映画に本物の人魚を起用した」というニュースが入ってきたからである。
海の中でインタビューを受けている女性をテレビで見ながら、ふと、その声に聞き覚えがある気がして
「まさかね」
と思って、まだ実家に住み続けてる私は部屋に戻ると法螺貝を見つけて耳に当てた。そうしたら
「もしもーし」
とインタビューで聞いたのと同じ声がして、私は思わず笑みを浮かべた。
お題『きらめき』
むかし、妻は美しかった。
長い髪をなびかせ、きらきらした独特な衣装を身にまといながら、体の柔らかさを生かして優雅に戦う。いわゆる魔法少女だった。それも拳を交えるタイプの。
ぼくは昔、そんな彼女に魔物に襲われているところを救われて惚れて、好きになってもらうために努力して結婚にこぎつけた。
結婚した頃、魔物は出なくなったし、妻はすでに魔法少女をやめていた。それから数年、妻の魔法少女としての面影はないけど、おだやかな気持ちで、まだちいさい娘もいてしあわせを噛みしめている。
そんななか、また魔物が出没するようになる事件が増えてきた。増えていく死傷者数にかつて魔物から妻に助けられるまで凄惨な暴行をくわえられていたぼくは、内心恐怖に震えた。
だけど、そんな姿を妻に見せないように、娘にもさとられないように振る舞った。会社行く道中で子供を普段通り送り迎えした。
しかし、ある日、会社から帰る道すがら子供の手を引いて歩いていると、背後から生温い息遣いを感じ、ながい触手が見えた。
途端、ぼくは背筋が凍った。子供に被害が及んでないのが救いだ。
「逃げて!」
触手に体を絡め取られながら、ぼくは娘に向かって叫ぶ。だが、娘はなにが起きているのか分からず座り込んで「パパー!」と泣くばかりだ。
ぼくはどうなってもいい、でも娘にまで魔の手が伸びませんように。でも、もしまたあんなことが。
そう考えると、フラッシュバックして涙があふれてくる。あんな痛い思いも屈辱も二度と味わいたくないのに。
ぼくの背後でなにかがぶつかって重たい音が聞こえてきた。振り返って思わず目を見開く。
今や短く切った髪をむかしみたいに伸ばして、あの衣装を身にまとった魔法少女が宙に浮いてるじゃないか。
妻はその勢いのまま、ぼくが捕らえられている触手に突進するとそのまま切り裂く。触手がはなれ、宙に浮いたぼくを妻がキャッチして地上に戻る。
「持たせたわね」
お姫様抱っこしながら微笑む妻にぼくは涙が止まらなくなった。むかし、憧れた姿が目の前にいる。またぼくを助けてくれたんだ。そう思うと、言葉ってでない。
そのまま地上におろされると、娘がパパと叫びながら抱きついてくる。
妻は安心したように笑う。
「先帰ってて、ここは私がなんとかするわ」
「いや、ここで君を応援させて欲しい」
ぼくは拳を握りしめて胸の前に持っていく。娘も同じポーズを取る。
妻は笑うとその場から高く飛び上がって、魔物を前に蹴り上げた。
きらめく髪飾りと、ひらひらしたスカートの動きがきれいなのに、魔法少女の背中はこんなにも頼もしい。ぼくはそんな彼女の姿に惚れ直した。
お題『些細なことでも』
小綺麗なスーツに身を包む背筋がピンと伸びた長身の老人が部屋に備え付けられているホテルの電話を手で指し示している。
「なにかありましたら遠慮なく、この電話を使って私にご連絡ください。ただし、この部屋を出る方法については教えられません」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべている老人が部屋を出た。
気がついたらこの部屋にいる。昨日も両親と食事して――食事をしていたら急に睡魔が襲ってきて目が覚めたら、ここだった。
僕はなぜこの部屋にいるのか分からない。冷蔵庫や、電子レンジ、コンロ、テーブル、椅子、ベッド、テレビ、パソコンなど生活に必要なものがなんでもそろっていてここにいても不自由しない。
窓もついていて、外は海岸が見える。人は不自然なくらい誰もいない。
僕はポケットに手を入れると、スマホがないことに気がつく。
さっそく備え付けの電話を手に取ると、老人を呼び出した。スマホを持ってくるように、と伝えて。
彼はすぐに来てくれ、スマホを渡してくれた。
僕はさっそく連絡用のアプリを開く。だが、
「連絡先が全部消されてる……!」
どういうことか困惑して、
「お父さんとお母さんはどこ!?」
と目の前の老人に掴みかかった。老人は変わらぬ様子で
「お二人からは、居場所を伝えないようにと命じられておりますので」
「居場所を伝えないようにって……! いろいろ聞きたいことがあるんだ!」
「えぇ、わかります。私は生活に必要なことはなんでもいたしますが、ご両親から許可されてないことは一切しないようにと」
「じゃ、僕が探す」
「あ、ちょっと……」
老人を押しのけて僕は急いで外へ出る入口を走って探す。ここは、意外と広い施設のようで、あちこちに部屋の番号が書いてある。
僕はそれを無視して走っていくと、ある重苦しいドアに行き着く。ドアの前ではドラマでしか見たことないヘルメットに防弾チョッキ、すね当てなどの黒ずくめの格好をした人たちが外の様子をうかがっている。
手にしている拳銃は、アニメでしか見たことがない形状をしていた。
ふと、扉に窓があったのでそれを見ると空は真っ赤に染まり、あちこちで炎が舞い上がっているのが見える。やはりこっちが本当だったんだ。
部屋で見た不自然なリゾートの風景は嘘だったのだと、よりいっそう両親が心配になる。
僕が膝をついていると、うしろから追ってきた老人に俵持ちされてしまう。
「うわっ!?」
「ここにいれば安全です。貴方に出来ることは、安全なここで命をつなぎながらご両親の帰りを待つこと。それだけです」
老人の言葉が現実味を帯びてきて、僕は人に見せられない顔になっていくのを下を向いてひっしにこえらる。
「それまでは、たのみがありましたらなんでも私に仰せつかってください」
「じゃあ、今日は僕の話し相手になってよ」
そう言うと、すこしの間があいたあと、老人がフッと笑うのが聞こえる。
「わかりました。ついでにホットミルクも作ってさしあげましょう」
「いいって、べつに」
今は一人ではないということだけが救いだ。僕は老人の背中にぎゅっとしがみついた。
お題『心の灯火』
なにも起こらない日常を無気力に生きていた。なにかしらストレスの発散になるものや、趣味とかあればいいのだが、仕事が忙しすぎて帰宅したら眠るだけの生活だからとくになにもする気が起こらなかった。
だが、あるたまたま定時で退勤できた日。とくになにも趣味がないので、とりあえずYoutubeでテキトーに動画を見漁ってた。音楽から人が歌っているものから連鎖的におすすめに出てくる動画をひたすら見ていたらある切り抜きチャンネルに出会った。
そういえば職場の後輩が『最近、Vtuberにはまってるんですよ』と言っていたのを思い出す。こんな歌が上手い女の子がほかにもいろいろ活動してるんだ、と思ってその切り抜き動画をクリックする。
そこは沼の入口だった。
かわいい女の子がホラーゲームをプレイしながら、かわいい声でぷるぷる震えたり、叫び声を上げてるではないか。
その様子がかわいくて彼女自身のチャンネルへ行く。
そこには『ASMR』の文字がずらりと並んでいる。「甘やかしボイス」なるものはさすがにハードルが高すぎたので、「シャンプー」とかいう動画を見ることにする。
「今日もおつかれさま」
そう言って、二次元のかわいい女の子が澄まし顔をしながら、水のはねる音や泡を作っている音をこちらに聞かせてくる。いま、イヤホンをしているから音声が脳に直接語りかけてくる感じがして、なんとも言えない気持ちになった。これは甘やかしボイスを聞くよりも大変なことかもしれない。
気がつくと、俺はタブレットで見ていた動画をスマホに切り替え、タブレットにはお絵かきソフトを立ち上げていた。久々に心の灯火が灯った瞬間だった。
俺は彼女の絵を必死になって描いた。彼女の髪型、瞳の形、体型を目で受け取ってイラストにする。
イラストができたらすぐにXのアカウントを作って絵を投稿する。たしか専用のハッシュタグがあったから、それも添える。
達成感に脱力して、ベッドの上に倒れ込むとXの通知が早速来た。今しがたハマったばかりのVtuberからいいねが来て、Xのアカウントを開いたらリポストまでされていた。ハートマークと一緒に「すき」という言葉まで添えられて。
「しゅき」
あまりの出来事に言葉が舌っ足らずになる。俺はそのポストにいいねを送ると、スマホを置いてベッドの上でひとり、体を転がしながら嬉しさを全身で表現していた。