3/25 【ところにより雨】
ぽつり、ぽつり。
晴れ渡っている澄んだ青空から
いくつもの雫が落ちてくる。
その雫が少ししょっぱいような気がして
私はじっとしてられなくなって走り出した。
また、あの子がないている。
泣けないあの子の代わりに
空が雫をこぼしているのだ。
どうしてあんなにいじっぱりなのか。
いじっぱりで頑固でもう本当にどうしようもない。
そんなどうしようもない子のために
駆け出してしまう私も私でどうしようもない。
冷たくて頑固なあの子の柔らかいところ
ふぅわり、と柔らかく、優しく、包み込めば
いつもは素直じゃないあの子も少しはほぐれてくる。
「…まったく。今日はどうしたの?」
私の顔を見てあの子の目から
雨の雫が零れ落ちた。
晴れ、時々曇り。
あの子の涙でところにより雨。
【夢が醒める前に】
ゆらり、ゆらり。微睡みに沈んでいく。
意識が浮いたり沈んだり。
緩やかに運んでいく夢の中で君が僕に笑った。
春に芽吹く若葉のような柔らかな色。
穏やかな黄緑の瞳がきらり、と輝いた。
君の口がゆっくりと言葉を紡ぐ。
けれどその声は聞こえない。
「なに?!なんなの、聞こえないよ!」
そう叫ぶ僕を君は仕方ないわね、
と呆れるように優しい瞳を細めて見る。
そうしてゆっくりと踵を返し向こうへと一歩進めた。
「やだ、ま、まだ、いかないで、
ねえ、きみに、きみにつたえたいことばが、」
でも君は僕を振り返らずに霧の中へと消えていく。
は、っと目が覚めて隣を慌てて見れば
すやすやと寝息を立てる君がいた。
「ねえ、____。」
そう耳元で囁けば驚いたように見開かれる君の瞳。
僕を映すその黄緑の艶やかな瞳に
夢の中とは反対に僕が笑いかける。
ねぇ、君。
この現実という穏やかな夢が醒めるまで。
僕の隣で笑っていてね。
【怖がり】
私の妹は怖がりだ。
しかし、臆病ではない。
だからこそ
自分の好奇心の赴くままに動き、
その結果怖がって帰ってくる。
どういうことかわからないだろう?
あぁ。私にも分からない。理解が出来ない。
そろそろ、その猪突猛進ぶりをやめたらどうだ?
と軽く進言してみたが、まあ結果はご覧の通りだ。
私の忠告など聞きはしない。
いや、聞きはする。
咎める度にとてもいい返事がかえってくる。
しかし治ったためしは今のところない。
全く、頭の中が全部筋肉になってしまったせいで
脳みそのスペースがなくなってしまったに違いない。
そこまで鍛えなくていいと私は思うんだがね。
今の言葉では[脳筋]などと言うんだったか。
まあそんなこんなで私は妹の猪突猛進ぶり、
もしくは[脳筋]振りに振り回されてる、という訳だ。
ほらご覧?
今日も今日とて半泣きの妹が帰ってきた。
「えぇええええん!!!
なんでついてきてくれなかったの、
こわかった、こわかったあああああ!」
いや半泣きではないな。号泣だこれは。
全く、思い知ったかね?
いつもはついて行ってやっているが、
今日はついて行かなかった。
いつまでここにいられるか分からないからね。
私のベッドに縋り付いて泣く
妹の頭をペしっ、と軽くはたいた。
「本当にお前ってやつは。
私がついていないとわかっていながら
自分の好奇心の赴くままに動いたね?」
危なっかしくておちおち向こうに行けやしない。
47日過ぎたのにここにいるのは私ぐらいだぞ、妹よ。
いや、確か友人も危なっかしくて離れられないと
嘆いていたな。類は友を呼ぶ、と言うやつか、
朱にいれば朱に染るというやつか。
「いい加減、兄離れしなさい。」
今を生きる妹に、過去の私の声は届かない。
だからここに居る、そう伝えるために
泣きながら私の名前を呼ぶ妹の頬を
いつも慰めていたときのようにぺろりと舐める。
妹は頬を押さえて、目をぱちくり、と瞬かせる。
それからまた目から一筋涙を溢して笑った。
嗚呼、全く手が掛る。
最初はお前の方が姉だったのに。
いつの間にか私たちの立場は逆転していた。
雷を怖がる私を自分も震えながら撫で、
宥めていた姉はいつの間にか外に出て
雷よりも怖いものを覚え、妹になったらしい。
家に帰ってくる度に泣いていた妹を
私は家で待っていることしか出来なかった。
まあだからそうだな。
お前が私以外の心の拠り所を見つけるまでは
仕方ないから、ここに居てやる。
あとは、虹の橋の向こうでお前を待っているよ。
だから、私が安心できるほどに
頼り甲斐がある素敵な人を見つけてくれ。
そのあとは、ゆっくり、ゆっくりして迎えに来いよ。
いいな?いつもの通りに猪突猛進した結果
すぐに迎えに来たらまずはパンチだからな。
そう言いながら、
目からぽろぽろと雫をこぼす妹の横に
伏せして座れば、妹はようやく涙を拭って笑った。
嗚呼、全く。本当に手が掛かる。
そう言いながら揺れ出すしっぽは私よりも雄弁だった。
【平穏な日常】
ピチピチと鳥の鳴く声が聞こえて
外の光はカーテンの隙間からさしこんでくる。
そんな光が私を起こし、
わたしはぐーっ、と伸びをした。
あぁ、今日もとてもいい天気だ。
カーテンをしゃっ、と勢いよくひらけば
爽やかな朝の日差しが私を包み込む。
制服に着替え、自室の扉をひらき、
階段を足音軽くとんとんと下れば
「おはよう。よく寝れたか?」
「おはよう、ご飯できてるよ。」
「ねえね、おはよ!」
愛おしい家族の姿が見え、
それぞれに声をかけられる。
「おはよ、父さん。よく寝れたよ。」
「おはよう、母さん。ありがと食べたら出るね。」
「おはよう、途中まで一緒に行く?」
それぞれの声掛けに言葉を返せば
優しい笑顔が帰ってきた。
平凡で代わり映えがなくて。
退屈とも言える日々なのかもしれないけれど。
私はこの平穏な日常が
たまらなく愛おしく、大切だ。
【過ぎ去った日々】
桜が舞い散りはじめた四月の中旬。
カツカツと石畳をヒールが叩く音で
一人の少女はゆっくりと微睡みから目を覚ました。
「んんん……」
まだ眠いのか今にも落ちそうな瞼をこすりながら
少女は忙しなくあちらこちらへ視線を向けた。
ついに音の出処を見つけた少女は大きく目を見開き
先程の眠そうな様子はどこへやら、駆け出していく。
少女が駆け出した先にいるのは
パンツスーツを格好よく着こなした一人の女性。
その女性は少女の前に辿り着くと少し苦笑して謝った。
「久しぶり。ごめん、だいぶ間空いちゃったね。」
「え〜久しぶりじゃん!
気にしないでよ〜、忙しそうだったし!」
少し暗い女性の表情とは対照的に
少女の表情は明るく声音は弾んでいて楽しげだ。
久しぶりに会えて嬉しいのだろうか。
女性は今度は少女の目の前に日本酒を差し出した。
「あんたが好きかはわかんないけど、
成人したわけだし物は試しってことで持ってきた。」
桜餅に合うらしいよ、そう言いながら日本酒を注ぐ。
少し濁った透明の液体がお猪口の中でとぷんと揺れた。
そのお猪口を興味深げに見ていた少女は差し出されたお猪口に手を伸ばしかけ…景色に目を奪われ手を引く。
ひらり、はらりと桜の花びらがお猪口の上に落ちた。
差し出した女性も目をまん丸くしてそれを見て
…ゆるり、と黒曜石の瞳を細めて笑う。
「花見酒だよ、___。」
「花見酒だね!」
…と女性の瞳から一筋の雫が零れ落ちた。
「あれ……」
「えっえっ、どした、どしたの?!」
わたわたと手を動かし少し慌てた様子の少女は
雫をすくい上げようと女性の頬へ手を伸ばす。
けれど、
その手が雫をすくいあげることはなく
雫はその手をすり抜け地へと落ちた。
「あんたが…いなくなってから、
もう四度も季節がめぐったんだね。」
ぽたりぽたりと涙を溢しながら寂しい、と
あんたに会いたい、そう独りごちた女性を
少し切なげな表情で見た少女は柔らかく笑んだ。
「あたしは幸せだったよ、だからさ」
__しあわせに、なってよ。私が羨むくらい、さ。
それが聞こえたのか女性は涙を拭って前を向く。
滑らかな手触りの石の方を、少女の方を向いて笑った。
「でもあんたがあまりにも早すぎたからすぐに逢えない。
だから、もうちょっとそっちで待ってて。」
女性は全てを見透かすような黒曜石の瞳を
少し意地悪げに細めてさらに言葉を続ける。
「沢山お土産話を持ってくからさ、
あんたはそこで私を見てな。」
その言葉に大きく目を見開いた少女は
意地悪げなその顔を見て心底嬉しそうに微笑んだ。
「うん、うん、待ってる。此処で待ってるよ。」
今度は私がさいごまでつきあうよ。
持ってきたお酒を飲み、
桜餅を食べ終えた女性は立ち上がる。
「じゃあ、また。また来るね。」
「うん、またね。」
ゆっくりと墓石に後ろを向けた女性と、
また微睡みに沈もうと目を閉じた少女は
しばしの別れに言葉を交わした。
「「また、あおう。」」