【お金より大事なもの】
あたしたち以外はいない部室で本に埋もれながら
運動部の声が聞こえてくる窓の方へと視線を向ける。
「お金より大事なものってさぁ、なんだろうね。」
ぼおっと窓から外を見ながらぽつり、と呟けば
かえってきたのは静寂のみだった。
答えてはくれないか、と
問いかけを無かったことにして
はらはらと散っていく桜を眺めていると、
小さなため息が聞こえたのとともに
ずっと聞こえていた頁をめくる音が止まる。
「…急にどうしたの?」
訝しげな声が、探るように発された。
何かあったのだろうか、と興味なさげにしながら
気にしているのが手に取るようにわかる。
ぶっきらぼうに見えながらその実、
誰よりも人の心を気にかけている友人。
いつも話を聞いてもらってるばかりだから
少しはなにか見せてくれないだろうか、と思って
発した問いだけど警戒させるだけで終わってしまった。
失敗したなあ、そう思いながら
何気なくあたしは会話を繋げる。
「ううん、ちょっと思ってさ。
あたしはさぁ、時間だと思うんだよねぇ。」
あたしのその言葉を彼女はただ静かに聞いていた。
その優しい空間がいたたまれなくて早口になる。
「ほら、だってさ、時間は買えないじゃん?
どんなにお金を積んでも時間だけは買えないじゃん。
可愛さとかさ、洋服とか、メイク道具とか、
あとは整形、とかで形を変えて買えるじゃん。
でもさ、」
そんなあたしの言葉にパタン、と
本を閉じる音がかぶさるように鳴らされた。
何か察しちゃったかな、そう思いながら目を伏せる。
そんなあたしの顔を冷たい手がはさんだ。
驚いて目を見開けば彼女の強い眼差しが
あたしを貫いていた。
「あんたが何考えてるかは知らないけどさ。
私はあんたのことだってちゃんと
お金より大事だと思ってるんだけど。」
ほら、ぐだぐだ考えてないでカラオケでも行こ。
声出せばスッキリするでしょ。付き合うから。
そう言って彼女があたしの手を強く引く。
あぁ、ずるいなあ。
彼女にかかれば全てがどうでも良くなってしまう。
家族のことも、友人のことも、自分の身体のことも、
…買えない時間のことすらも。
彼女には大切な人もいるはずなのに
そんな様子を露ほどもみせない。
その代わりに全てを見透かすような
黒曜石みたいな瞳をゆるり、と細めて彼女は笑う。
「いいよ、わかってるから。
…限りある時間なんだから大切にしなきゃ。」
そんな彼女の手をこちらから握り直して一歩前に出た。
水鏡のように歪む視界であたしは前だけを見る。
こんなに優しい想い出があれば、
あたしはもう大丈夫だ。
「ねぇ、さいごまでつきあってよ。」
「当たり前でしょ。」
【月夜】
黒い天幕を微かに照らす冷たい灯り。
しんしんと静寂が降り積もっていくこの夜に
たったふたりで外にいる俺たちを
その冷たい灯りだけが見下ろしていた。
隣をみあげる友人がポツリ、と言葉を落とす。
「…綺麗、だよなあ。」
覗き込めば呑み込まれてしまいそうになるほどに
底のない宇宙のような瞳がこちらを見ていた。
ぞくり、と嫌な鳥肌が立つのを首を振って振り払う。
そして自然に彼の瞳から月へ視線を逸らした。
「あぁ、綺麗だな。」
そう応えれば、また彼の視線の先は月へと戻る。
ちらり、と横目で彼の様子を見やれば
光が届かないその瞳にひとつの光が灯っていた。
「…その方がよっぽどいい。」
「なんか言ったか?」
月を見ながら彼が俺の独り言に答えた。
「いいや、なんでもない。」
そうか?と不思議そうにしながらも
彼の視線は美しい夜空から動くことは無い。
ぱちり、ぱちりと瞬く目からは
きらきらと光が散っているようにも見えた。
そんな彼の目を横から覗き込めば、
ぼんやりと光るひとつの灯だけではなく、
数えきれないほどの小さな灯が瞳に映り込んでいる。
「…また、来ような。」
そう月に見惚れる彼に話しかければ
彼はようやく月から視線を外しこちらを見た。
こちらを見た瞳にも俺の瞳を通して
小さな光が映り込んできらきらと光っている。
「…?……変なやつだな。」
俺の言葉を反芻するように
しばらく不思議そうな顔をしていた友人は
俺の顔を見て珍しくくすり、と笑ってそう言った。