燈火

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9/2/2023, 9:10:29 AM


【開けないLINE】


既読をつけたら返事をしないといけなくなる。
通知をオンにしているから内容は知っているけど。
返事を考えられないのではなく、考えたくない。
スタンプ一個を返すことすら今はしたくない。

あなたのメッセージに一喜一憂していたのが懐かしい。
今でもしているとはいえ、恋愛初心者の頃ほどではない。
あの頃は返事がくるだけで嬉しかった。
それなのに、未読だ既読だと求められて疲れている。

ピコン。また通知音が鳴った。
〈ごめん、痛かったよね。わざとじゃないんだよ〉
言葉からイメージされるのは、しおらしい態度。
でも、画面の向こうではどんな顔をしているのだろう。

頬がひりひりと痛む。「保冷剤、あったっけ……」
何度目かの謝罪の言葉は、もう響かない。
思い通りにならない現実に彼の態度は日々悪くなる。
私の励ましなんて届かないぐらい追い詰められている。

大丈夫だよ、とか。あなたならできるよ、とか。
そんな無責任な言葉では神経を逆撫でするだけ。
私の頬に手が当たったぐらいで正気に戻れるならいいか。
保冷剤を当てると冷たくて、冷たすぎてじんじん痛む。

〈大丈夫? もう冷静になったから。会いたい〉
素直に信じて、会いに行ったこともある。
確かに怒りは収まっていたけど決して冷静ではなかった。
情緒が不安定で、子供のように泣き喚いていた。

どう返せば責められずに済むかな、って考えている。
〈ねえ、読んでよ〉〈なんで返事してくれないの〉
メッセージが連投されて、通知が次々と更新される。
音が落ち着くまで。私はスマホの電源を切った。

9/1/2023, 9:42:25 AM


【不完全な僕】


僕の苦手や嫌いを知るたび、彼女は「意外」と言う。
なぜか、何でもできる人だと思われているらしい。
学生の頃に生徒会長を務めていたのを知っているせいか。
彼女だけでなく、今まで交際した相手によく言われた。

理想の姿を期待して、現実を知ると離れていく。
とうに慣れてしまった、いつものパターン。
僕に好意を告げた口で「なんか違う」と罵る。
勝手に幻滅したくせに、まるで僕が悪いみたいな。

僕の来る者拒まずな態度は、誰にも期待していないから。
表面だけ見て寄ってくる人間に取り繕うのも馬鹿らしい。
少し見目が良いだけで、勉強も運動も優秀ではないのに。
夢を見たいなら、わざわざ近づいて傷つけないでほしい。

彼女も選ぶ側に立った一人。僕に好意を告げた人。
いつか離れていくのだから、特別扱いなんてしない。
理想と乖離した僕の姿を、どうせ彼女も受け入れない。
そう諦めていたけど、彼女は「意外」と言うばかり。

「期待外れなら、はっきり言っていいんだよ」
今までの相手と違う反応に耐えられなかった。
心の中では何を考えている? 探るように見つめる。
半年も交際が続いたのは彼女が初めてだ。

「別に期待外れなんて思ってないけど、なんで?」
普段と同じ声のトーンで答え、首を傾げる彼女。
口癖のように「意外」と言うのにそれが本心なのか。
素直に信じることはできなくて、まだ疑ってしまう。

「『意外』って言葉、理想と違うって意味でしょ」
「なにそれ、馬鹿にしないでよ」彼女は心外だと憤る。
「新しい君を知ったのに、不快になんて思うわけない」
等身大の姿を見られていなかったのは、僕のほうだった。

8/31/2023, 9:06:45 AM


【香水】


秘密の時間を彩るのは、かすかなオーデコロンの甘さ。
あの人に不満はないけど退屈なのだから仕方ない。
彼と会うのは長くても二時間。香りが消えるまでの約束。
だから、これは浮気なんかではなくただの遊びなの。

「おかえり。今日は遅かったね」あなたが微笑む。
淹れてくれたコーヒーを飲むと、平和だなって思う。
この穏やかな時間を守りたい気持ちは本物。
だけど少し、ほんの少しだけ刺激が足りない。

友達と遊ぶと伝えて出掛けた日、私は彼に会っていた。
オーデコロンを手首に吹きかけ、香りを確かめる。
柑橘系のすっきりとした爽やかさが鼻をくすぐる。
いつもの花の甘さもいいけど柑橘系も悪くないな。

大学生の頃から香りを纏うのが好きだった。
オーデコロンからパルファムまで、いろんな濃度を。
花や果物、ムスクにバニラなど。いろんな甘さを。
彼からのプレゼントが一つ増えても気づかれない。

「なんか、良い匂いがするね。柑橘系って珍しい」
好きな香りだと呟いて、あなたは頬をほころばせる。
他の男が選んだものだと知りもしないで嬉しそう。
「またつけるね」あなたの前ではないかもしれないけど。

永遠よりも時間に限りがあるほうが気持ちは高まる。
あの柑橘系のオーデコロンをつけるたび、彼を思い出す。
つい声を聞きたくなって、電話したのがいけなかった。
廊下で物音がして、部屋を出たらあなたがいた。

穏やかな日々に飽きてしまうのは退屈に思えるから。
そんな退屈を幸せだと思えないのは、私が悪い。
裏切りを知っても手放せないらしい。あなたは沈黙する。
何も知らない顔で、「良い香りだね」って微笑んでいる。

8/30/2023, 7:43:46 AM


【言葉はいらない、ただ・・・】


知らなくていいこと。知らないほうがいいこと。
そういうものは多かれ少なかれ、あると思う。
驚くほど間の悪い僕はそんなことばかり知ってしまう。
無知は罪だと言うけど、知りすぎるのも一種の罪だ。

初めは小さな違和感だけだった。
思い出話で気づく齟齬とか、君の好みが変わったとか。
些細なことばかりだから、そんなものかと軽く考えた。
他の人とも交際したのだから記憶が混じるのも仕方ない。

ブラックしか飲まない君がミルクを入れるようになった。
ミステリーを好んでいたけど恋愛を読むようになった。
迷ったら青を選んでいたのに緑を選ぶようになった。
日々を重ねるごとに、僕の知る君から離れていく。

でも、成長すると好みが変わるのはよくあると聞く。
僕の知る君でなくとも大切に想う気持ちは変わらない。
君の口から聞かない限り、僕は変化に鈍くありたい。
料理の味が薄くなって、見えない相手の存在が濃くなる。

「いや、それはさすがにおかしいですよ」後輩が言う。
「やっぱり?」わかっていても、客観的な言葉は刺さる。
「一年ですよね。本人に聞くべきだと思いますけど」
「気のせいだったら悪いでしょ」後輩はため息をついた。

僕が気づかなければ。気づいていないと君が思えば。
狭い視野で、思考で、楽観的な考えが染みつく。
君の変化に合わせて、知らぬふりで僕も変わればいい。
今度は君が僕に疑惑の目を向ける番だった。

探るような視線を受けて居心地が悪いから、帰りは遅い。
君のためなら苦しくないはずなのに、わからなくなる。
僕の、君への気持ちに名前があるなら今はなんだろう。
恋情だろうか、それとも執着だろうか。

8/29/2023, 6:27:40 AM


【突然の君の訪問。】


仕事から帰れば、家の前に見慣れない男の子がいた。
「あ、おかえりなさい」なぜか私を知っている様子。
「えっと、どちら様?」見た目では高校生か、大学生か。
そんな若い知り合いに心当たりはまったく無いが。

「父さんから聞いてないんですか?」と首を傾げられる。
「お父さんって誰?」知っている人の面影は、ないな。
兄の子供はまだ中学生だし、妹の子供は生まれたばかり。
おかげで私も両親に結婚を急かされて煩わしい。

スマホを確認するが、子供を預かる頼まれ事はない。
記憶を辿っても、口頭や電話で頼まれた覚えはない。
事情は話してあるって言ってたのに、と彼が呟く。
彼の口から出た名前は、幼い頃に親しくした従兄だった。

いつまでも外で話して変な噂が立ったら困る。
ひとまず彼を招き入れ、椅子に座らせてお茶を出す。
「ちょっと待っててもらえる? 確認するから」
従兄に電話をかけながら、私は廊下に出た。

しばらくして繋がる。『久しぶりー』と呑気な声。
『電話なんて珍しいな。どうした、なんかあった?』
「あなたの子供を名乗る男の子が私の家にいるんだけど」
『おー、無事に着いたんだ』それがどうした、みたいな。

「あなたの子供を名乗る男の子が私の家にいるんだよ?」
『うん、聞こえてたけど。無事に着いてよかったな』
「なんで私の家にいるのかな?」圧をかけて問い詰める。
「……言ってなかったっけ」ようやく気づいたらしい。

聞けば、彼の大学は実家から遠いが一人暮らしは心配。
それなら、と大学に近い私の家に預けると決めたと言う。
男の子は安心した様子で笑う。「よろしくお願いします」
私は構わないけど、一応、年頃の男の子だよね。いいの?

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