燈火

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8/23/2023, 7:40:41 AM


【裏返し】


「飲み会に行ってくるね」言わなくてもいい報告。
わざわざ言う理由は、君の反応を見たいから。
少しぐらい心配してくれたら、と期待している。
いろいろ尋ねられるのは面倒だから嫌だけど。

「そっか、行ってらっしゃい」君の反応は薄い。
まるで気にしていないかのように、穏やかに笑っている。
行ってもいいの、って聞くのはおかしい気がして。
「帰り遅くなったらごめんね」口にしたのは余計な言葉。

サークル内の飲み会とはいえ、メンバーは女友達だけ。
彼氏のいる子が「止められちゃったよ」と笑う。
女の子だけだって言ったら安心してたけどね、だって。
君は男の子がいるかもわからないのに送り出したんだよ。

いいなぁ、なんて心から羨みながらお酒をごくり。
「どうだったの?」と私にも彼氏の話題の矛先が向く。
「私は全然。なんなら快く、行ってらっしゃいって」
今日は飲んでやる、と自棄になる私に友達は笑っていた。

「大丈夫そう?」「ダメだね、よく飲んでたから」
そんな友人たちの会話が聞こえて目を開ける。
「お、起きた」知らぬ間に眠っていたらしい。
「自分で帰れる? 無理そうなら送っていくけど」

「帰る」と言ったのに、呂律が回っていなかったらしい。
一人で帰らせるのは心配だ、と友達が私の手を引く。
「一人で帰れる」「何言ってんの、危ないからダメ」
家に着いたら、出てきた君は泥酔した私に驚いていた。

謝罪と感謝を友達に述べて、君は私を中に連れていく。
「なんで心配してくれないの」酔った勢いで言葉が出た。
じっと目を見つめると、君は「忘れないでよ」と笑う。
「もし男がいても浮気しないでしょ、だからいいの」

8/22/2023, 6:41:47 AM


【鳥のように】


今思えば、なんて意味のないことかもしれないけど。
あなたは形に残るものを嫌がっていたように思う。
何かを買うとき、悩むふりをして渋っていた。
僕は鈍くて、舞い上がっていたから気づけなかった。

たまに手に持って眺めていたのはなぜだろう。
もしかして、どうしたら手放せるか考えていたのか。
僕に気づかれたら面倒だと思っていたのかもしれない。
想像に過ぎないけれど、外れていると嬉しい。

あなたはすべてを置いていってしまった。
揃いのマグカップも、僕からの贈り物もすべて。
あなたは何一つ持っていかなかった。
まるで夢だったかのように、あなたの存在だけがない。

しょせん偽りの生活であることはわかっていた。
でも確かめれば終わると察していて、沈黙を貫く。
その隠し事の内容を、僕はまだ知らない。
きっとこの先も知ることはないし、確かめるすべもない。

知らないとは思うけど、僕は物の場所をよく覚えている。
あなたの温もりが消えた日、朝から家中を探し回った。
あなたの物も無ければ良かったのに、すべて残っていた。
どうして持っていってくれないのか。恨み言も届かない。

写真は撮らせてもらえなかったから、そもそも無い。
個人情報の記載されたものも無くなっている。
別れの言葉も書き置きも無く、合鍵が机に置かれていた。
終わってしまったのだ、と僕は呆然として実感した。

どうせ終わる夢なら聞いておけばよかった。
キーホルダーの外された合鍵を手に、後悔の念を抱く。
飛び去ったあなたが戻ってくることはないかもしれない。
だけど、せめて忘れないように。僕は鍵を壁にかけた。

8/21/2023, 9:16:27 AM


【さよならを言う前に】


幼少期から慕っている歳上の幼なじみが上京するらしい。
噂を耳にして、本人に確かめたから間違いない。
こんな田舎から会いに行くには、時間もお金もかかる。
高校生の身分では決して簡単なことではない。

つまり、しばらくのお別れになるってこと。
寂しさより、裏切られたような気持ちが強い。
「長い休みには戻ってくるから」君が眉を下げる。
信じられないよ。兄もそう言って卒業まで帰らなかった。

バイトしてお金貯めたらいいのよ、とお母さんは言う。
お父さんも、自分で会いに行けるぞって同意する。
でも、違うの。頑張れば会いに行けるのはわかっている。
ただ、私から行って鬱陶しがられないか不安なだけ。

君の家に遊びに行くたび、ダンボールが増えている。
今週末に君は引っ越しをして遠く離れていく。
その事実を実感させられて、やはり寂しさが募る。
このダンボールが消える日が、しばらくのお別れの日。

もう金曜日なのに「行ってらっしゃい」を言えていない。
君は時おり、ぼーっとして思考を飛ばしている。
どんな言葉なら納得させられるか考えているみたい。
結局、君も私も引っ越しの話題には触れなかった。

翌日、君の家の前にはトラックが停まっていた。
君と君のお父さんがダンボールを運んで往復する。
積み終えたトラックを見送り、リュックを背負う君。
もう行ってしまう。この町からいなくなってしまう。

最後のチャンスだ。ベランダに出て、下を見る。
「会いに行くから!」叫ぶと、振り返った君が見上げる。
「忘れないでね」他に伝えるべき言葉があるはずなのに。
こんな自分勝手な言葉で、君は明るい笑顔を見せた。

8/20/2023, 9:07:26 AM


【空模様】


今朝の天気予報では、降水確率20%と言っていたはずだ。
それなのに、このどしゃ降りはなんだ。幻覚か?
まったく、これだから予報は信用ならない。
仕方なく僕は鞄から折りたたみ傘を、……あれ、無いな。

思い返せば最近、雨の日が続いている。
僕の記憶が正しければ、一昨日の夜からずっと雨。
止んだと思えば降り出して、強まったり弱まったり。
そうだ、昨日も帰り際に大雨で使ったのだった。

朝は焦っていて、乾いた傘を持ってくるのを忘れていた。
家を出る時は晴れていたから必要ないと思っていたし。
ああ、運が悪い。僕は会社の前で立ち尽くした。
早く帰りたい気持ちは山々だが、鞄が濡れるのは困る。

雨の弱いタイミングを見計らって走るか。
駅はそう遠くないので、ずぶ濡れにはならないだろう。
僕は覚悟を決めて、止む気配のない雨を眺めた。
「あの、お困りですか?」彼女が話しかけてくるまで。

見覚えのある女性。確か、総務課に属していたような。
「お構いなく。雨が弱まれば帰ります」
端に寄っているのだから邪魔ではない、と思う。
「よければ使ってください」手には折りたたみ傘がある。

「あなたが濡れるでしょう。僕のことはいいですから」
いいえ、と彼女は鞄から折りたたみ傘を出して言った。
「もう一個あるので気にしないでください」
可愛かったのでお昼に買ったんです、と彼女が笑う。

では、と言葉に甘えて無難な柄の傘を借りた。
おかげで、ほとんど濡れずに帰ることができた。
家に着く頃には雨も弱まり、晴れ間すら覗いている。
返しに行かないとな。なんだか心まであたたかい。

8/19/2023, 9:06:38 AM


【鏡】


顔を上げると、あなたに相応しい私と目が合う。
やっぱりメイクって偉大。それに、とっても素敵。
あなたに会う日だけは、誰が見てもきれいな私でいたい。
この気持ち、なにか間違っているのかな。

男の人はよく、無責任な言葉を口にする。
メイクしないほうが良いとか、素顔も絶対に可愛いとか。
口では感謝を述べるけど、心では余計なお世話だと思う。
メイクをするのは私のためで、有象無象のためではない。

あなたはそんな甘い言葉を一度も吐かなかった。
上手だね、よく似合ってるって褒めてくれる。
きっと偽らなくても貶すことはしないだろうけど。
自信を持ってあなたの隣に立つには、魔法が必要なの。

初対面の大学生の時、私は既に素顔を晒していなかった。
だから、あなたは本当の顔を知らない。
キャンバスのように彩られた私しか知らない。
緊張するけど、次の泊まりの日に私は仮面を脱ぐ。

同棲しないか、と何度もされた提案を断ってきた。
空を飛べそうなぐらい嬉しいけど、怖かったから。
だって、あなたはまだ素顔の私を知らないのに。
失望されたら。嫌われたら。想像だけで不安になる。

男の人はたいてい、顔を一番重視するでしょう。
少なくとも、今まで親しくなった人はみんなそうだった。
メイクを知る前の私は、自分ですら好きでなかった。
あなたの入浴している今、あの頃の私に戻る。

メイクは私の戦闘服だから、ないと弱気になってしまう。
お風呂上がりのあなたがキッチンに来て、目が合う。
表情の変化を見たくなくて俯くと、ため息が聞こえた。
「なんだ」安堵だった。「少しは信用してもらえた?」

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