【いつまでも捨てられないもの】
お惣菜の容器を留める輪ゴム。コンビニで買った袋。
溜まる一方だけど、いつか使うかもしれないもの。
君はそういう物を集めるのが好きらしい。
でも、多くなりすぎたらまとめて処分できる潔よさ。
僕には真似できない。あれもこれもって残してしまう。
中学高校のテスト用紙とか、大学のパンフレットとか。
今後、使うことがないとわかっていても置いている。
物には想いが宿る。そんな言葉を信じてはいないけど。
おかげで、僕の部屋は収納が全然足りない。
クローゼットはいくつもの箱で埋まり、服はタンスに。
本棚には使い終わった参考書や教科書が並ぶ。
大切な物でも表に出ていないと忘れそうで不安になる。
部屋に物が溢れる僕だけど、ちゃんと片づけはできる。
部屋を分けるなら、と条件つきで同棲した二十代前半。
君の収集癖、あるいは趣味を知ったのはその時だった。
結婚して家を買った今、君の集めるものは増えた。
朝、君が起きる前に家を出る僕の書き置き。
本の形の箱にしまって棚に並べていることを知っている。
ひとつの箱がいっぱいになったら、また次の箱を並べる。
見返してはいなさそうだけど、眺めては柔らかく微笑む。
「こんな物残してどうするの?」同棲中の君の口癖。
僕はただ、手放せないだけだった。今も執着はない。
だから気になっている。そんな物を残して何になるのか。
そんな紙切れ、潔く処分してもいいはずなのに。
「僕のメモなんて集めてどうするの?」聞いてみた。
「知ってたの?」振り向いた彼女は目を丸くする。
それから「うーん」と呟き、少し恥ずかしそうに言う。
「なんか、さ。あなたと生きてるって感じがするでしょ」
【誇らしさ】
自分の価値は他者の評価で決まるもの。
他の誰かより少しでも優れていないといけない。
才能があるとかないとか、そんなことに振り回される。
褒めそやされて入部した美術部には強敵ばかりいた。
デッサンしかしないけど、立体感を出すのが上手い人。
構図はありきたりだけど、色使いが独特できれいな人。
特別、上手なわけではないけど、不思議と目を引く人。
それらの絵を見るほどに、私は自信を失っていった。
もちろん私の絵を上手だと褒めてくれる人もいる。
何度、賞に応募しても一度も入賞できなかったのに。
私にはもう、自分の絵に価値があるとは思えなかった。
中学卒業と同時に、上手いだけの絵を描くのはやめた。
高校では美術部に入らず、創作部を選んだ。
校則で、一年時は入部が必須らしいのでしかたなく。
選んだ理由は、見るだけの人も歓迎と聞いたから。
自分に描けないものを見るのは変わらず好きで、楽しい。
創作部にも自分の世界をしっかり持った人が多くいる。
そういう作品は、一枚絵でも漫画でも小説でも面白い。
とはいえ、小説の上手さはよくわからない。
だから感想を求められたとき、私は読みやすさで答える。
感想を求めてくる人など、同級生の彼しかいないけど。
彼はいつも、満面の笑みで原稿を持ってくる。
早く読んでほしいと言わんばかりにそわそわして。
美術部にいた頃の私みたいだな、って密かに思う。
原稿を読んでいる途中で「なあ」と彼が遠慮がちに言う。
「絵描くのやめたの?」思わず中断して目を向けた。
「俺、好きなのに」校舎内に飾られていた美術部の絵。
君が大切に思ってくれるなら、また描いてみようかな。
【夜の海】
血の繋がらない父親に嫌われている。
だって、僕のやる事なす事ダメ出しばかり。
口を開けば、甘えるな、迷惑をかけるなと叱られる。
ついに我慢ができなくなって、夜の町に飛び出した。
とにかく遠くへ行きたくて、家から離れるように走る。
ほとんど街灯のない夜道は暗く、少しだけ怖い。
無我夢中で走っていたら波の音が聞こえてきた。
家の近くに海はない。それなりに遠くまで来たみたいだ。
防潮堤に座って、眼下に広がる砂浜と海を眺めた。
どこまでが海で、どこからが空か。境界が曖昧になる。
波の音だけが脳内を支配して、なんだか冷静になれた。
ぼんやり思うのは、帰り道がわからないってこと。
必死に走っていたから、まっすぐ来たことは覚えている。
でも周囲を見る余裕などなくて、正しいか自信がない。
諦めてまた眺める。直後、背後から声をかけられた。
「こんばんは。君も夜ふかしさん?」明らかに年上の人。
「若く見えるけどいくつかな?」彼女が隣に腰を下ろす。
僕は答えない。中学生が夜に出歩くのは良くないこと。
「あんまり遅い時間だと補導されちゃうよ」
その声色は、叱責より心配であるように感じられる。
初対面で名前も知らない彼女に、不思議と気が緩んだ。
「……いい」「うん?」「補導されてもいい、別に」
どうせ今から帰っても父親が怒るのは変わらない。
「じゃあ帰りたくなるまで一緒にお話しようか」
きっとこの世で一番無駄で、だけど楽しい時間だった。
話し疲れた頃、「さて」と彼女は立ち上がって言った。
「そろそろお姉さんは帰るけど、君はどうする?」
まだ話していたいけど。「帰ります」僕も立ち上がった。
【自転車に乗って】
自分の足で漕ぐ、地下鉄で七駅分の距離。
遠いはずなのに、職場を目指す三十分よりも短く感じる。
心が急いても安全運転を第一に。焦る必要はない。
もうすぐ彼に会えるのだから。
信号待ちで時間を確認すると、彼からの連絡に気づいた。
〈駅まで迎えに行くよ。いまどの辺?〉通知は五分前。
〈ごめん、電車使ってない〉すぐに返事がきた。
〈免許持ってたっけ?〉〈いやケッタ〉〈ケッタ?〉
〈ケンタッキーの略?〉全くもって的外れな推測。
でも本来の意味よりそれらしくて笑ってしまう。
〈自転車のこと〉〈言わんて。どこの方言だよ〉
続けて、不満げな表情の柴犬スタンプが送られてきた。
〈ゆっくりでいいから安全に来てよ〉信号が青に変わる。
りょーかいと笑顔で敬礼する男の子スタンプを返した。
また漕ぎ出し、最寄り駅より近くなった彼の家を目指す。
顔を見て話せるまであと少し。
午前中に着く予定だったが、結局着いたのは昼過ぎ。
先に連絡するか、インターホンを押すか。家の前で悩む。
チラッとスマホを確認すると〈二階〉と通知が届く。
見上げれば、窓から顔を出した彼が手を振っていた。
「いらっしゃい。どうぞ」扉を開け、招き入れられる。
いつ来ても、ここは柔らかい匂いで満ちている。
「疲れたでしょう。ちゃんと電車使いなよ」
私の前にお茶を置き、対面に座る彼は呆れ顔で笑う。
それから緊張したような面持ちになって、口を開く。
「あの、さ。もし嫌じゃなかったらなんだけど……」
遠いとたまにしか会えないし、と言い訳みたいに呟いた。
素敵な未来はすぐそこに。
【心の健康】
僕の朝はニュース番組の占いを見ることから始まる。
種類にこだわりはないが、なんとなく見るのは星座占い。
今日は三位だった。まあまあ良い結果ではないだろうか。
しかし『運命の出会いがあるかも』は非現実的すぎる。
占いを見るのは日課だが、当たることは期待していない。
『懐かしい人に会える』『失せ物が見つかる』
そんな結果の日も特別なことは起こらなかった。
必要がなければ外に出ないし、掃除もしない。
今日も同じ。占いで行動を変えたりしない。
朝起きて仕事に行き、コンビニに寄って帰る。
『運命の出会い』なんて平穏な暮らしには必要ない。
そう思っていた。職場の休憩室で彼女を見つけるまでは。
椅子や机のある休憩室にはテレビが置かれている。
そのヒット曲MV特集にいたのだ、初めての元カノが。
思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
『わからずや』は恋をしたときに聞きたい曲、らしい。
夢を追うために別れてほしいと言う彼女を僕は応援した。
すぐに彼女は上京し、そのうち連絡を取らなくなった。
おかげで状況を知らなかったが、見事に夢を叶えたのか。
なんだか自分のことのように嬉しくなる。
『運命』なんて大層なものではないが、良い出会いだ。
一方的にでも成功しているとわかってよかった。
頑張っている彼女に元気づけられ、仕事に力が入る。
今度、連絡してみようか。……いや、今さら迷惑かな。
就業後は早々に帰宅し、彼女の歌う曲を調べた。
せっかくだから『わからずや』を探して聴いてみる。
別れに応じた彼に一緒に叶えてほしかった、という歌。
押してだめなら引くって、わからずやはどっちなのか。