【鐘の音】
僕が記者でなかったなら、今も一緒にいられただろうか。
あらゆる事柄の真実を客観的に伝えるのが僕の仕事。
自分がどんな立場にあろうと私情を挟んではいけない。
だからこそ、今回扱った記事は鬼門であった。
事の発端は、彼女の会社に関する一件のタレコミ。
記者も人間。つまりは当然、情を持つ生き物だ。
大切な彼女の絡む事案を冷静に見ることなど至難の業。
僕も例外ではなく、信じたいがゆえに思考は乱れた。
しかし彼女は何か、秘密を抱えているように見える。
それが良いか悪いかはさておき、疑わざるをえない。
タレコミのことは話せないが、鋭い目つきで観察した。
僕の異様さに気づいた彼女は落ち着かない様子。
「どうしたの? 最近、変だよ」ついに問われた。
誤魔化すか悩んだが、隠しきれないと観念して話す。
疑惑があって調べていること。彼女を疑っていること。
明らかな動揺。でも信じたい僕の目は曇っていた。
結局、疑惑を肯定するように彼女は姿を消した。
連絡先も繋がらなくなり、完全に消息を絶った。
今さらながら追い詰めていたことに気づき、反省する。
彼女がいなくなって、ようやくまっすぐに向き合えた。
カフェで同僚と休息を取っていると、彼女が偶然現れた。
彼女は僕に気づくなり、さっと踵を返して駆け出す。
同僚に謝罪の言葉を短く告げて、慌てて後を追う。
見失わないように急ぐも、目の前には踏切があった。
彼女が線路内に足を踏み入れた直後、警報が鳴り始めた。
無慈悲にも目の前で下りた遮断機が僕らを分断する。
カンカン音と同時に電車の走る時間がもどかしい。
通り過ぎたあと、もうそこに彼女の姿はなかった。
【つまらないことでも】
思えば、君とはくだらない話ばかりしている気がする。
どこに猫の集会所があるとか、購買の人気商品とか。
すぐに忘れても困らないような、生産性のない話。
君とならどんな内容でも楽しめるのはなぜだろう。
実は私、男子が苦手なの。好きじゃない、が正しいかな。
わざわざからかいに来るし、口を開けば下ネタを言う。
頭の弱いお子さま、って感じで馬鹿みたい。
君もその一人だと思っていたけど、まったく違った。
どこか大人びていて、達観している君はかっこいい。
給食に好物が出るとはしゃぐ、子供っぽい一面もある。
そんなギャップにも好感を持てるほど特別だった。
でも、君だけが特別でないことは中学生になって知った。
冷静な人、客観的な人、もの静かな人も珍しくない。
そのなかでも、長く関わっている君は特に話しやすい。
色恋沙汰に敏感な年頃だったせいか、変な噂が流れた。
囃し立てられても君は変わらないから、私も変えない。
同じ高校に進学したのは偶然で、大学は別々になった。
それでも連絡を取り合い、たまに都合を合わせて遊んだ。
親しい人はたくさんいるけど、気を許せるのは君にだけ。
なんとなく人恋しく感じると君の声が聞きたくなる。
くだらない話ばかりなのは社会人になっても変わらない。
どこのお酒が美味しいとか、仕事や上司の愚痴とか。
覚えている価値のない、風みたいに吹いては消える話。
それが君のことなら、どんな内容でも忘れたくない。
『今度、暇な日ふくろうカフェ行かん?』君からの連絡。
『なんでふくろう?』その日の夕方、返事が来た。
『高校の時、腕に乗せたいって言ってたじゃん』
何年前の話? 些細なことなのに、君もよく覚えている。
【目が覚めるまでに】
初めて話した日、貴女に失望したことをよく覚えている。
公爵令息である僕は、幼い頃より王宮に出入りしていた。
退屈な話やくだらない噂に満ちた場所は居心地が悪い。
護衛の目を盗んで、僕はよく庭園に逃げ隠れた。
その日、茂みには勉強を嫌がる先客がいた。
可憐なドレスを葉っぱまみれにして息を潜める貴女。
自分の命令で誰かが血を流すことを嘆き悲しんでいる。
我が国は他国への侵略によって繁栄してきたというのに。
王位継承権第一位の貴女はいずれ王位を継ぐ。
あんな甘い考えの女王に仕えるなんて、ありえない。
僕は成人もしないうちに祖国を出る準備を始めた。
家は弟に任せよう。優秀だと聞くし、問題ないだろう。
学園の在学中、僕は遊学のていで各国を訪れた。
もちろん歓迎はされなかったが、収穫は大いにあった。
やはり知識だけでなく、実際に見てまわらなくては。
報告のため国に戻った数日後、崩御の知らせを受けた。
謁見の間にある玉座には、女王となった貴女が座する。
僕の知らぬ間に何があったのか。幼き日の面影はない。
粛々と公務をこなし、どんな命令でも躊躇わずに下す。
かつての陛下のような、理想的な統治者になっていた。
本当に同じ人物かと疑いたくなるほどの変わり様。
今の貴女のためならば、僕は喜んで力を振るおう。
騎士や兵士を労りながらも、駒のように扱う冷淡さ。
気高く君臨する貴女は紛れもない悪で、実に美しい。
しかし、それはきっと偽りの姿だ。ある噂が流れている。
貴女の自室から夜な夜なすすり泣く声がする、と。
仮面が剥がれ落ちる前に、もっと繁栄させなければ。
いつか覚める夢だとしても。その日まで、貴女のお側に。
【病室】
消毒液の匂いから逃げるように窓を開けた。
木々の陰から風が吹き込んで部屋を巡る。
髪が煽られ、なんだかとても生きているって感じ。
憂鬱だった気分がほんの少しだけすっきりした。
ここにいると、できることが限られる。
食べて、眠って。テレビを見たり、読書をしたり。
楽だと思っていたけど、終わりない暇はなかなかつらい。
扉を見つめた。早く来て。あなたがいないと退屈だよ。
日の沈む前に、あなたは毎日欠かさず来てくれる。
仕事終わりにはくたびれた背広姿のまま。
休日には差し入れの本を持ったラフな格好で。
あなたがいると白い部屋も華やいで見える。
今日はどんな話をしよう、と考えるだけで楽しい。
「遅くなってごめんな」背広を手に、眉尻を下げて笑う。
あなたはベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろした。
顔を見るだけで、私の頬は自然と緩くなる。
「今日はどうだった?」それは、いつも聞かれる質問。
ほとんど一日中ベッドの上にいては新しい発見もない。
だから話す内容は本のことか、何度目かの繰り返し。
だけど、どんな話でもあなたは楽しそうに相づちを打つ。
私ばかり話してしまうけど退屈していないかな。
たまに不安になる。「疲れてるのにごめんね」
口に出せば、あなたは呆気にとられた様子だった。
「何言ってるの。聞きたいんだから変に遠慮しないでよ」
面会時間が終われば、当然、あなたは帰ってしまう。
部屋は静けさに包まれて、鳥の鳴き声が聞こえる。
また明日も来てくれることを期待して、布団に潜りこむ。
かすかに残るあなたの匂いで、安心して眠れる気がした。
【明日、もし晴れたら】
この街は『雨の降る街』と呼ばれている。
名の通り、僕の知る限り二十年以上は降り続いている。
日照りの強い場所なので、初めは恵みの雨だと喜ばれた。
しかし今ではもう、誰もが降りやむ日を待っている。
街を出る人が多いなか、僕は五年ほど前に越してきた。
仕事の都合もあったけど、なにより雨が好きだから。
出歩く人が少なくて静かで、毎日が読書日和になる。
上から見ると、傘が花のように感じられるところもいい。
この街で生きる人にとって傘は必需品だ。
小雨でも大雨でも、無いと濡れることに違いはない。
それを君は持っていなかった。わざと持たずに外にいた。
座りこむ君に傘を差し出せば、寂しそうな笑顔を見せる。
『雨の降る街』は君の生まれた日に始まったらしい。
神様も祝福している、と両親はとても喜んだとか。
けれど連日続く雨に、君への目は厳しくなっていった。
僕は偶然の一致だと思うが、実際、今日も雨が強い。
本当に自分が原因なのか、確かめようとしたことがある。
君は言う。「街の外に出れば証明できると思いました」
だが、災いを振りまく気か、と周りに叱られたという。
そのせいで、君は雨しか知らない。
僕は君を自宅へ招き、街の外を見せることにした。
いろんな天気の、いろんな場所の写真を机に並べる。
それらを眺める君の目は、終始、輝いていた。
ありふれた日常も、君にとっては素敵なものなのだ。
「なんでこの街に来たんですか?」首を傾げて問われた。
「雨が好きだから」君はくすっと笑った。「変なの」
わずかでも陽が差したなら、君に虹を見せてあげたい。
きっと、世界で一番きれいな景色になる。