【優越感、劣等感】
彼は王様。私は彼の、1番目の彼女。
少なくとも3番目まで存在することを知っている。
私は1番目。彼は私を優先してくれる。
他の子との約束があっても、私とデートしてくれる。
2番目の彼女は妬んでいる。
彼の目を盗んで嫌がらせするなんて、心が醜い証拠。
3番目の彼女は平気なふりをしている。
私と親しくしても彼は変わらないのに、必死で可哀想。
彼の持つ『特別』の枠には、彼自身が入っている。
だから、もし都合が悪ければ私の誘いでも断る。
「今度の土曜日デートしようよ」「あー、無理。悪いな」
理由は教えてくれない。知りたいけど、私は聞かない。
土曜日は暇になって、寂しさを紛らわすように街に出た。
服屋を巡り、お昼に選んだ飲食店には彼がいた。
柱で隠れた対面に座る誰かと楽しそうに談笑している。
食事を終えて立った彼の隣に並ぶのは、知らない女の子。
1番目の彼女は私なのに、なんで。
その子は何番目? 私を差し置いて会うほど大事?
思わず追いかけた。二人の姿は街の雑踏に消えていく。
あんな穏やかな笑顔、私の前では見せたことない。
彼の持つ『特別』の枠には、いま誰が入っているの。
彼自身だと思っていたけど、本当はあの子かもしれない。
「ねえ、今度」「ごめん、もう会えない。ごめんな」
理由は聞くまでもなかった。知りたくもなかったよ。
彼は王様で、私は1番目の彼女だった。
1番目だから、物わかりがよくないといけない。
彼の最優先は『特別』。わかっているつもりだったの。
でも。1番目だったから『特別』になれなかったのかな。
【これまでずっと】
何度、見送ってきただろう。
頭痛がするほど歪む視界。涙はとうに枯れてしまった。
全身が心臓のように脈打ち、地面も揺れているみたいだ。
経験ばかり多くなって、いつまでも慣れる気がしない。
見送るたびに他人と生きることを諦めたくなる。
それでも僕は誰かを見初めて、一緒にいたいと願う。
「ありがとう」「ごめんね」「また会えるよ」
相手はいろんな言葉を遺してくれた。
思い出を整理していると写真が僕に笑いかける。
僕を呼ぶ声が聞こえる。おいで、と手招いている。
そっちに行こうとすると、誰かが僕の腕を引く。
「どこ行くの?」少女が首を傾げていた。
「あなたは寂しがりなのよ」と友人が教えてくれる。
失うことに怯えながら、一人では生きられない性質。
可哀想だと口にしても、その目に同情は滲まない。
短い付き合いだけど、彼女は誰よりも僕を理解している。
初めて話したとき、彼女は迷子の子供だった。
わざわざ僕の家の前でうずくまって泣きじゃくる。
すぐに迎えが来て、引き離すように彼女を連れていった。
なのに翌日、彼女は満面の笑みで僕の外出を待っていた。
「あなたは変わらないね」と友人が眉尻を下げる。
女子の愛嬌を残しながら、女性として凛と生きる彼女。
打ち明けなくても、聡明な彼女はきっと察している。
気味が悪いだろうに。彼女は変わっている。
そんな彼女とのティータイムは安らぎを与えてくれる。
彼女は持参の茶葉で紅茶をいれ、僕は洋菓子を用意する。
紅茶に口をつける、と、カップが手から落ちて割れた。
やっぱり彼女は誰よりも、僕よりも僕を理解している。
【1件のLINE】
繋がらなければいいと思いながら〈音声通話〉を押した。
かけてみたものの、言いたいことは特にない。
ただ、確かめたかったのかもしれない。
私にとって、彼にとって。互いが大切な人であると。
はたして電話は切れたのに、耳の奥にまだ音が響く。
それは耳慣れない曲。変わってしまった呼出音。
しばらくの間、スマホを離すことができなかった。
トークルームに〈応答なし〉が残っている。
無かったことにしたいけど、送信取消はできないらしい。
もう一度かける気にはなれなかった。
だって、連続した着信履歴は重いでしょう。
ふと彼が通知をオンにしていたことを思い出した。
〈不在着信〉を見て、彼は何を思うだろう。
心配してくれるかな。それとも、鬱陶しく感じるかな。
考えるほどに思考は悪いほうへ傾く。
用もなく電話をかけるのは初めてではない。
およそ一週間ぶりの電話。繋がらない予感はあった。
かけなければよかったと後悔して〈応答なし〉を消す。
私の記憶からも消えればいいのに。
テレビをつけると、タイミング悪くあの曲が流れた。
いま流行りの。若者に人気。知らない人はいない。
有名なものには興味を持てないって言っていたくせに。
変えるほどの何かがあったと想像するだけで胸が痛む。
しつこいほど確認しないと安心できない、私の悪い癖。
〈明日の夜には帰るね〉そんな嘘を送った。
次は彼氏も連れてきなさいよ、と母が笑う。
予定が合えばね、と適当にあしらって帰路を急いだ。
私にとって大切な、彼にとって私は?
【目が覚めると】
朝のルーティーンに欠かせないものがある。
苦くて嫌いだけど、君の淹れるコーヒーは好き。
ミルクも砂糖も入れないで、ブラックを流し込む。
これを飲みたくて、早起きできるようになった。
「おはよう」と言うと「おはよう」と笑ってくれる。
そんな甘さをコーヒーが中和して、僕は仕事に出る。
君と生きるため、今日も頑張ろうと意気込んで。
たった一杯を飲む時間。僕と君は食卓を囲んで話をする。
昨日はあんな事があって、今日はこんな事をするの。
楽しそうに弾む声と笑顔から、僕は元気をもらっていた。
それでも、目元に浮かぶ隈に気づいてしまったから。
「おはよう」と言うと「うん」と曖昧に笑う。
「コーヒー飲む?」「……もらおうかな」
それはあまりに苦くて、ちっとも美味しくなかった。
コーヒーなんて本当はどうでもいい。
元より飲む習慣など無かったのだから。
ドリップでも、インスタントでも。
君が淹れたものなら、なんでも嬉しい。だけど。
「コーヒー飲む?」「や、今日はいいや」
「そっか」寂しそうに、沈んだ声で君はつぶやいた。
君の負担になるのなら、朝のコーヒーなんていらない。
翌朝から、君は「コーヒー飲む?」と聞かなくなった。
ドリップもインスタントも無くなって、買うこともない。
僕の「おはよう」に言葉を返すこともしなくなった。
あのコーヒーを恋しいと思うのは自分勝手だろうか。
僕より遅くに眠る君は、今日も先に起きている。
「おはよう。コーヒーもらっていい?」
君は嬉しそうに微笑む。「おはよう、いま淹れるね」
【私の当たり前】
どこへ行くにも貴方が隣にいた。買い物に行ってきますって家を出ると、俺も行くって追いかけてくる。それだけで胸が温かくなるから、単純だなんて笑った。
一週間、一ヶ月、一年。月日を重ねるごとに煩わしく思えて、声をかけずに出かけることが増えた。貴方がいてもいなくても、私の心は揺れなくなってしまった。
ただいま、と口にするのはいつぶりだろうか。電気の消えた部屋に貴方がいるはずもないのに。隣からタイピングの音が聞こえる。心地よかったそれは、苛立ちを増幅させる。
疑問と怒りは溜まる。勝手に解消されることはないから、いつか溢れてしまうと気づいていた。「最近、遅いよね」投げかければ、貴方は笑った。「そうだっけ」
割れたガラスは戻らない。小さなヒビに気づいていれば、何か違っていたのだろうか。貴方はもうどこにも行かない。私がどこかへ出かけても、貴方がついてくることはない。
「ねえ、終わりにしようか」私と貴方が一緒に生きることに意味はないみたいだから。貴方の瞳が揺れる。こんなにきれいな黒だったんだ。きっと、二度と忘れない。
三日目の夜、ようやく実感した。貴方は戻らない。それなら、私も期待するのはやめる。扉は開かない。ただいまは聞こえない。息遣いも感じられない。静かで、穏やかだ。
「さよなら」ぐらい、言えばよかった。
「ありがとう」って、言い忘れていた。
視界が滲んで、世界がぼやけていく。
まるで日常が溶けていくみたいだった。