【私の当たり前】
どこへ行くにも貴方が隣にいた。買い物に行ってきますって家を出ると、俺も行くって追いかけてくる。それだけで胸が温かくなるから、単純だなんて笑った。
一週間、一ヶ月、一年。月日を重ねるごとに煩わしく思えて、声をかけずに出かけることが増えた。貴方がいてもいなくても、私の心は揺れなくなってしまった。
ただいま、と口にするのはいつぶりだろうか。電気の消えた部屋に貴方がいるはずもないのに。隣からタイピングの音が聞こえる。心地よかったそれは、苛立ちを増幅させる。
疑問と怒りは溜まる。勝手に解消されることはないから、いつか溢れてしまうと気づいていた。「最近、遅いよね」投げかければ、貴方は笑った。「そうだっけ」
割れたガラスは戻らない。小さなヒビに気づいていれば、何か違っていたのだろうか。貴方はもうどこにも行かない。私がどこかへ出かけても、貴方がついてくることはない。
「ねえ、終わりにしようか」私と貴方が一緒に生きることに意味はないみたいだから。貴方の瞳が揺れる。こんなにきれいな黒だったんだ。きっと、二度と忘れない。
三日目の夜、ようやく実感した。貴方は戻らない。それなら、私も期待するのはやめる。扉は開かない。ただいまは聞こえない。息遣いも感じられない。静かで、穏やかだ。
「さよなら」ぐらい、言えばよかった。
「ありがとう」って、言い忘れていた。
視界が滲んで、世界がぼやけていく。
まるで日常が溶けていくみたいだった。
7/10/2023, 9:19:08 AM