【小説 特別な存在】
特別な女の子。
私が初めて彼女を見た時の第一印象はこれだった。
艶のある黒髪に、薄墨色の瞳を縁取る長いまつ毛。
通った鼻筋に形の良い唇。小さい顔に色白の肌。
まるで一流の彫刻師が作った最高傑作のようだった。
女の私から見ても、惚れてしまうほどの。
誰がみてもわかるほどの特別な存在。
そんな恵まれた容姿を持っているのだから、苦労することなどないだろうと思っていた。
彼女は家柄もいいし、兄妹も友人も当然のように優秀だから、きっと彼女も頭が良くて、なんでもそつなくこなしてしまうのだろうと。
だって彼女は特別なのだから。
勝手に想像して、自分とは住む世界が違うだなんて決めつけた。
だから彼女と初めて関わった時、酷く衝撃を受けたのだ。
誰もいない図書室に一人、本棚の端にいた彼女を見つけた時のことだった。
元々学生寮は同じで三年ほど前から知ってはいたし挨拶を交わしたこともあるが、それ以上でも以下でもない。お互いただの同級生だとしか認識していない、そんな関係。
そうだったのに何故か、その日は無性に話しかけたくなってしまって。彼女が持っていた箱のことについて聞いてみた。
「え?これが何かって?友達に仕掛けるためにわざわざ三徹して作った激辛シュークリーム。」
最初、何を言っているのか全くわからなかった。
というか一瞬にして思考が止まった。
激辛?三徹?シュークリーム?何を言っている?
というか図書室に関係ないものだよね?
「うーん。でもまだ足りないと思うんだよね。あなた、何かいい方法を知らない?」
可愛らしく首を傾げる仕草と共に、彼女の肩にかかっていた髪がさらりと落ちる。
その動作が美しすぎて、何を聞かれているのかもよくわからなかった。
「ねえ。聞いてる?」
いえ、顔が良すぎて何を言っているのかわかりません。口には出さなかったが心の中で答えながら、じっと怪訝そうに見つめてくる彼女を見つめ返す。
やっと声が出せるようになったのは、彼女が私の目の前で手を振り出した頃だった。
「え、っと。誰にあげるの?」
「もちろん、兄妹に決まってるでしょ?」
もちろんってなんだよ。
ガラガラと彼女に対して持っていたイメージが崩れていくのを感じながら、とりあえずシュークリームのクリームの色を赤から違う色にしてはと提案してみた。
今彼女の箱に収められているシュークリームは、一見すると市販で売られているような丁寧な作りだ。
けれどクリームが見えるようになっている場所はうっすらと赤くなっている。
「私もそう思ったんだけど、これ以上白くはならないんだよね。ハバネロの粉がだめなのかなあ?」
平然と狂気的なことを言う彼女は考え込むように目を瞑る。
白がだめなら少し毒々しいが紫やピンクなどとユニークな色にしてはどうかと提案すると、彼女の瞳が輝いた。
「それだー!!!それだよ!あなたって天才!ありがとう!試してみるね!」
随分と些細な提案だったはずなのに、笑って私の手を
握る彼女は楽しそうだった。
そうと決まれば実行だ!
と叫んだ彼女は図書室の司書に睨まれたことを一切気にすることなく私に手を振って図書室を出ていく。
嵐のようにすぎていった出来事に少しの間放心してから、私は思った。
彼女は確かに特別な存在だが。
存外子供らしく、同じ世界の、同じ学校の学生である人間だと言うことを。
ああ。あと、お兄さん。大丈夫かな…。
【小説 勿忘草】
真っ黒なスーツに身を包んで、久しぶりに通る道をゆったりと歩く。
久しぶりに帰ってきた故郷は相変わらず潮の匂いがして、日本からずっと離れたところから吹いてきた風が手に持っていた青い花を揺らしていった。
海風が吹いてきた拍子に目にかかった前髪を払いながら、俺は一人歩みを進める。
そういえば、昔は左側が暖かかったな。
歩くたびに、揺れる花束から数枚の花びらが舞っていく。まるで俺の帰り道を記すように落ちていくそれに、思わず笑ってしまった。
お人よし。
その言葉がよく似合うやつだったか。
ふと、花束を買った時の出来事を思い出した。
美しい長い髪を持つ可愛らしい若い女性の店員さんが、花束を包んでくれた時のことだ。
花屋の前でどの花にしようか悩んでいた俺に、彼女は優しく気に入った花ではどうでしょうかと提案した。
それはいいなと俺は思わず目の前にあった青い花を指さしたのだ。
「あら。勿忘草とは、良い花をお選びになりますね。」
勿忘草を摘み上げた彼女の表情はとても優しくて、何故だろうかと見つめていたら。奥へどうぞと案内された。
少しだけ嬉しそうに、彼女は大きな紙の中に勿忘草を包み込んでゆく。その姿をぼうっと見つめていたら、不意に彼女が口を開いた。
「勿忘草には、三つほど花言葉があるんですよ。ご存知ですか?」
ちらりと向けられた視線に黙って首を横に振る。そうすると店員さんは少しだけ頬を染めて笑った。
「勿忘草の花言葉は、真実の愛、誠の愛。そして…」
私を忘れないで。
「お前からしたら皮肉か?」
辿り着いた目的地で、誰もいない冷たい石に向けて呟いた。当然返事が返ってくるわけもなく、俺はその場にしゃがみ込む。左手に持ち歩いていたココア缶と綺麗に包まれた勿忘草を石の上に置くいて。それからポケットの中身を漁ってしわくちゃになっている一通の手紙を取り出した。
「僕のことは忘れていいよ。だったか?」
赤い印の押された古い手紙を数年ぶりに開いてみれば、擦り切れた薄い文字が目に入る。
「バカだよなあ。」
淡々と書き起こされている言葉の端々に、震えがあることなんて一目みれば簡単にわかることだった。手紙の所々が濃く変色しているのも、何度も書き直したであろう消し跡。どう考えても言葉が本音だとは思えなかった。
「俺、今までお前のいうこと聞いたこと、全くなかったよな。」
問いかけても帰ってくることのない質問は、虚しくあたりに響くだけ。
側から見れば俺はただの頭のおかしな人間だろう。
成人男性が一人、黒いスーツで墓跡の前にしゃがみ込んで独り言。絵面がやばいし通報ものだ。
でも、そう思われてもいいほどに、俺には伝えないといけないことがあった。
「俺、絶っっっっっっっっっったい忘れてやんねーからな!」
大声で、それはもう近隣住民全体に聞こえるような大声量で。俺は叫んだ。勿忘草を選んだのだって、ただ単に気に入ったからではない。最初の理由はそんなくだらないものだったが、店員に教えてもらった花言葉でいいことを思いついたからだ。
「ここに勿忘草を飾っといたら。お前、ここに来る皆に『僕を忘れないでください』って言ってるようなもんだろ。」
そうやってずっと、覚えられてればいいんだよお前なんか。
大声で笑って見せると、なんだか知らぬ間に涙まで出てきて、腹を抱えて地面に膝をついた。
ポタポタと変色していく地面の色が歪んでて、うまく息を吸い込めない。
ばーか。ばーか。ばーーーーか。
途切れ途切れになってしまう俺の言葉は宙に浮かんで消えていくだけ。それがなんだか悔しくて、苦しくて、一際大きくばーか!と笑ってやった。
もしここにいたらお前は。「お前にだけは言われたくない。」だなんて思いっきり顔を歪めたんだろうな。
ああ、嫌だ。
海風が容赦なく体を冷やしていくこの寒空の中、俺はただずっと、目から流れる涙でもなく、風に飛ばされそうになる花束でもなく、寒さで感覚がなくなった手のひらでもなく、ただ一つ。
左側が冷たいことだけが気になっていた。
【小説 君に会いたい】
我ながらバカみたいだ。
お気に入りの服を着て、一番似合う化粧を施して、ラメは多めに、背の高い彼の隣もしっかり歩けるようにいつもより高いブーツを履くの。
髪は朝早くから起きて美容室に行って、綺麗なカラーコンタクトで気分を上げて、貴方はどんな格好でくるのかな。どんな話をしようかな。なんて考えながら電車に揺られるの。
待ち合わせ場所で貴方を見つけて、かっこいい立ち姿に見惚れて、手鏡で自分の容姿を見直してから。
お待たせって精一杯の笑顔で君に駆け寄るの。
そうすれば貴方はいってくれるよね。
「待ってないよ。今日もかわいいね。」
ありがとうって笑って、私たちはいつも通り、『友達として』一緒に過ごすの。
私がどんなオシャレをしても、どんだけ君に話しかけても。周りにバレるほどの好意をあなたにむけていても。貴方は一度だって気づいてくれないよね。
それどころか、私にむけたことがないほどの満面の笑みで振り返って
「これ、あの子に似合うかな?」
なんて聞いてくるよね。うん。似合うと思うよって私は頷いて、貴方はやっぱりって心底愛おしそうにその子に似合いそうなものを大事に抱えて会計に行くの。
その後ろ姿を見つめる私の顔を、貴方はみたことがないでしょうね。
ねえ、バカみたいでしょ。滑稽でしょ。
こんなに無謀な恋を、何年も続けてるの。
もう、嫌になっちゃうよね。
でもね、あの人がたまに私に見せる言動が、いつも私の心を揺さぶるの。
「ねえ!待っててよ!?僕君のこと一番信用してるんだから!」
「あーやっぱりゲームじゃ君には敵わないなあ。」
貴方の言葉で一喜一憂する私を、友達はいつも叱責するんだ。そんな恋やめて、次にいきなよって。
次に行こうって毎回思ってるよ。会うたびに、今回で最後にしよう。どうせ叶わないのならいっそ捨ててしまおうって。
そうなんだけどね、あの人ずるいんだ。
いざもう二度と会いたくないって伝えようとすると、途端に悲しそうな瞳で言うの。
「僕たち、友達でしょ?」
あの人は自分がどれだけ残酷なことを言ってるのかわかってないんだろうね。
でもそんな言葉に当たり前でしょって返してしまう私も大概なのかも。
結局はね、どんなに心を殺しても、傷ついても。あの人に会いたいんだ。あの人の隣で、あの人が語る思い人の話を静かに聞くの。時に明るく、時には悲しそうに、頬を染めたり、照れくさそうだったり、焦ってたり困ってたり。そう言うコロコロと変わるあの人の表情が好きで、同時にそんな表情を引き出してしまうあの子が妬ましい。
ねえ、知ってた?あの人会計を終わらせると、いつも楽しそうに笑って、あの子のリアクションが楽しみだなんて言うんだよ。キラキラと光る瞳が宝石のようで、幸せそうで。
ああ、この人が幸せならいいかもなあなんて、ふざけたことを思ってしまうの。その表情を、隣でずっとみてたいなともね。
でもまあやっぱり、あの人との予定が終わると、泣いてしまうんだけどね。
それでも次の約束を取り付けてしまう私は、きっともう手遅れなんだろうね。
「夢と現実がどっちか分からなくなることってあるじゃん?」
個性豊かな作品が隙間なく飾られる美術室で、僕らは忙しなく動き回る生徒達を眺めながら中身のない話をしていた。
いくら適当な話をしたところで、彼らは僕らに目もくれず、来週発表が待ち構えているであろう美術作品に夢中である。
普通だったら先生に注意されるようなことでも、一ヶ月前にこの学校に来た僕らに何か言う先生は誰一人いなかった。
何故なら他の先生から今から作品を作っても発表に間に合うわけがないので好きなことをしてていいというお許しがでたからである。
まぁ、そんなことがなくても話の内容なんて分かりっこないのだが。
「夢から覚めて早々とかの話じゃなくてか。」
隣で何やら日本語を画用紙に書きながら返事をするのは、僕と同じく留学生である友人。彼とは小学校からの中であり、性格もろもろは置いといて英語に関しては頼りになる男だ。
「夢から覚めてとかじゃなくて、ふとした時にあ、これ夢かもってなること。」
日本語で会話する僕らに、聞き耳を立てている生徒たちは何人かいる。その子たちは現在進行形で日本に関する発表作品を作っている子達だった。留学の方針的には友人とも英語で話した方がいいのだが、やはりずっと聞き耳を立てられると気分は沈むもので。
今では美術室かカルチャーショックを受けたことなどの変な話題のみ日本語を使うことにしている。
「特にない。」
「夢見なそうだしな。」
じっと眉をひそめてこちらを見る友人を無視して、手元にある折り紙で暇を潰す。鶴ってどうやって折るんだったかと思い出しながら折っているため、かなりゆるゆるになっていた。
「夢と現実が分からなくなるなんて、夢遊病か何かだろ。」
「ならさ、正夢はどうよ。夢であったことが本当になるってやつ。僕は結構あるんだ。」
デジャブってやつか、冗談だろ。と鼻で笑われるが、僕は続けた。
「この前も、初めて会った人達に見覚えがあってさ。後々思い出したんだけど、1年くらい前に見た夢に出てきた人達だったんだ。すごい偶然じゃだろ?」
「お前の脳が勘違いで作り出したんじゃなくてか。」
「さっきから失礼だなお前。」
1羽の鶴が完成して、机の上に立たせてからまた一枚手に取る。鶴って誰が考えた折り方なんだろうか。
「ちょっと。ちょっと貴方!」
「よばれてるぞ。」
え、と手元から顔を上げると友人が顎で前を指した。
その先には目を輝かせて今僕が作った鶴をまじまじと見つめる生徒たちがいる。なに。鶴?
疑問に思いながら僕を呼んだであろう先生の方に目を向けると、満面の笑みで頷いた。
「貴方、一年と言わず卒業までこの学校に残りなさい!!とても素晴らしい作品だわ!」
「いや、え!?こ、光栄です!?」
日本なら作れて当たり前の折り鶴を、先生は素晴らしいと褒めたたえ、周りは教えてくれとねだり始める。
やっぱジャパニーズ文化って凄いのかと実感することが出来て嬉しい。
「私にも作って!」
「私にも!」
もはや作品を作ることなど忘れたかのようにはしゃぎまくる生徒を、先生が止める事もせず。
その盛り上がりは授業終わりのチャイムが鳴るまで続いた。
【夢と現実】
下の階から英国特有の紅茶の香りが漂ってきたら、それは朝食ができた合図。
部屋のすぐ側にある階段から駆け上がる音が聞こえて、部屋を二回ノックされる。返事をしてからドアノブを捻って開ければ、満面の笑みの少女がそこにいた。
「朝食食べよう!」
それが、ここ最近の僕の日常。
「おはよう。よく眠れた?」
毎朝聞かれるその質問に、お陰様で。ではなく、うんと返すのが普通になった。
朝食はご飯や味噌汁ではなく、パンになったことも。
何故そんな日常になったかと言うと、僕が語学勉強のために英国へ留学しに来たからである。
なかなか充実している留学なのだが、国が違うというのは、かなり問題が多い。
故に最近の僕の口癖はどうすればいいの?になってきた。心優しいホストファミリーに頼まれることはしっかりやりたいという気持ちはあるのだが、どうにも分からないことが多くてままならない。
例えば、水を作っておいてほしい。というものだ。
日本と違い水道水が飲めないこの国は、機械で飲める水を作るらしい。水道水を機械に入れて適切な操作をするだけなのだが、最初は全くもってわからなかった。そんな僕にホストファザーが丁寧に教えてくれたのは感謝しかない。
「今日から学校だね!貴方にはバディがつくらしいよ。私も知ってる人かなぁ?」
「バディ?初めて聞いた。」
「そっちの先生から聞かなかった?うちの学校は留学生に成績優秀者の子が付くんだよ!」
「そうなんだ。仲良くなれるといいな。」
朝食の席につくと、僕とは違う制服を身にまとった少女が楽しそうに学校の話を始める。話を聞くに彼女は学校が大好きらしい。友達と会えるのが最高だとよく言っていた。
「留学ってすごいことだって先生が言ってたよ。」
「そんなに大したことないよ。その証拠に僕はそれほど英語が上手くない。」
「私と会話出来てるじゃん!」
日本人は謙遜が好きって本当なんだね。と納得したように頷く彼女に失笑する。
僕はただ単に日本から出たかっただけなのだが。
少食の彼女が嫌々ながらヨーグルトのような飲み物を一気に飲み込むのを見ながら、僕も朝食を平らげた。
最後に残されたヨーグルト状の飲み物、ケファを手に取り覚悟する。
「それまずいよね。私好きじゃない。」
「あはは……健康にいいから…。」
拗ねるように頬をふくらませて食器を片付けに行く彼女を横目に、ケファを煽った。舌にピリピリとした感触を受け思わず眉を顰めるが、飲むのは辞めない。この飲み物は一度飲むことを辞めると、次までに時間がかかるのだ。
「うぇ……。」
ホストマザーと少女が二階に上がって行ったタイミングで飲み終えた。口の中に残るヨーグルト特有の酸っぱい味が気持ち悪い。朝食に添えられていたミルクティーを流し込み、口の中の味を変えさせた。
食器を片付けてから上の階に登ると、少女の兄が部屋から起きて出てくるところに遭遇する。
「おはよう。」
「……おはよ。」
眠そうに目を擦りながら軽い挨拶をしてくれる彼は、同い年だが飛び級で一つ上の学年にいる生徒らしい。
今は音楽ができる専門の大学に通っているそうだ。
天才ってのは彼のような人のことかと前に少女に言ったら、兄に言わない方がいいよそれ。と苦笑いで返された。何故かは全くわからない。
「学校行くよー!」
玄関からかかった声に、急いで部屋から鞄を取り出すと階段を降りた。お兄さんが2度目のすれ違いざま元気だね。と呟いていたが、もしや嫌味だろうか。
「ママが送ってくれるって!早く車に乗らなくちゃ!」
ローファーを履いて手招きをする少女と共に家を出れば、丁度いい朝日に照らされて目を瞑る。緑豊かなこの街はとても綺麗に見えた。
友達ができるにはどうすればいいの。なんて英国まで引率してくれた先生に聞いたけど、この景色やホストファミリーとの会話もあってなんとかなる気がしてきた。
中学の頃、先生に言われたことがある。
どうすればいいのなんて聞く前に、自分で考える力を持て。すぐに聞くことは馬鹿のやることだ。
確かに、自分で考える力を持つことは大事だ。僕もそう思う。けれど、やはり必要なのは分からないことは聞くことだと思う。ここに来てからそれをよく実感した。分からないままの方が他人に迷惑かけることが多い。どうすればいいの。は決して恥ずかしいことじゃない。知識をつけるためのものだと。
……まぁ、これを教えてくれたのはホストマザーなんだけどね。
【どうすればいいの?】
留学中にあった出来事を空想上の人物で小説にして記録していこうと思います。
いつもありがとうございます。