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6/29/2024, 1:40:58 PM

【小説 入道雲】

モクモクと高々となる入道雲を見ると、
夏だなと深く実感する。
それと同時に、湿気を含んだ夏が来るなとも思い出して嫌にもなる。
「夏だねぇ。」
窓の外から見える入道雲に、先生は間延びした声で夏を祝福するように笑った。
「夏は好きですか。」
「あぁ。夏は色々なことを思い出すからね。」
紅茶を片手に口元の髭を整える先生を見やってからおかわりはいりますかと声をかける。
大丈夫だよ。と優しく微笑んだ先生を見て、僕はやっとお湯を沸かそうと用意していたポットを下ろした。
「君はどうだい?夏は好きかな。」
「…そうですね。冬よりは好きです。」
パラパラと窓から流れてきた風で捲られる本を眺めながら、先生の座る向かい側の椅子に腰をかける。
僕のその動作にいつも以上に上機嫌な先生は、楽しそうに目を細めた。
「何か?」
「いやね、君とこうやって話すのは久しぶりだなと思って。」
「そうでしょうか。たったひと月では無いですか。」
「されど、ひと月だ。」
先生の考えていることはいつも分からない。
今僕に微笑みかけている理由も、夏が好きだと笑う理由も。けれど僕は、先生に踏み込むようなことは言わない。踏み込めば最後、僕は彼を恨みきれはしないから。
「先生。入道雲の中には、大きな宝の島があるようなのです。」
「ふむ、それは面白いね。財宝が盛りだくさんだなんて、色々な人があの入道雲へ突入していきそうな話だ。」
「そうですね。」
二人でもう一度入道雲を窓から見上げた。
風で捲られていた本が最後のページにいったのを合図に、先生は小さく呟いた。

「夏が来るよ。」

6/28/2024, 12:59:50 PM

【小説  夏 】

真っ暗闇の海岸沿いに車を停めて、車に乗せてから終始無言だった後輩を振り返る。
助手席には乗らないと頑なだった後輩は深淵を思わせるような暗い海に釘付けで、動く気配がなかった。
「海の音が聞きたいんだったよな。」
俺の問いかけに頷いた後輩の長い髪が耳から落ちていき、一種の絵画のように見える光景に息を呑む。
海を見つめ続ける後輩の瞳に何が映っているのかは皆目見当もつかないが、俺の気は長くは続かなかった。
反応のない後輩にも見飽きて、車の鍵を開けて外に出た。
「うお、さっむ。」
夏といえども夜の海風は流石に肌寒い。
ゴーゴーと低い唸りをあげる海は怒っているように見えて、後輩も海も負の感情を溜め込んでいるのだろうかとらしくもなく思考した。
だとしたら、皆考えすぎだな。
一歩一歩しっかりと地面を踏み込んで、前を歩く。
近づいてくる水の波に足を取られないように。

ふと、昔海に来た時の思い出が蘇った。
まだ俺が幼い頃、両親に連れられて兄と共に海へ遊びに来た時のこと。泳ぎを知らない年齢だった俺に浮き輪をつけて、兄は俺の手を引いてどんどん深いところへ連れていくものだから、ひどく不安で恐ろしかったのを覚えている。
あの時の兄さんは、まだ楽しそうに笑っていたっけ。

「誰も彼も、人のこと考えすぎなんだよな。」

パシャっと水が弾ける音がして、何となしに車へと目を向ければ、中から降りてきた後輩がこちらに歩いてきていた。
「寒くないか。」
薄手の後輩にこの海風は体に障る。白いTシャツの上に羽織っていたパーカーを、歩いてきた彼女にかけようと手を伸ばした時、ドンっと体に衝撃が走った。
衝撃の正体は他でもない後輩で、背中に回された手のひらから伝わる体温が暖かい。強く握られているであろうTシャツにシワができるなとどうでもいいことを考えながら。俺はただ押し寄せる波の冷たさから気を逸らすように震える後輩の頭に手を乗せた。

「ほんっとうに、抱え込みすぎなんだよ。みんな。」


5/18/2024, 1:44:46 AM

【小説 真夜中】

「帰らへん!!!」

愛しの我が家のリビングで、色黒の肌をした深緑色の瞳を持つ男はそう言ってひんやりスライムぬいを抱きしめた。
これが女の子だったら良かったのに。
思わず呟いてしまった一言は「いややー!」と喚く男の耳にまでは入らない。
なぜこうなったのか。
氷を多く含んで溢れそうなコーラともう冷めきってしまったであろうポップコーンを眺めながら、ついさっき呼び鈴に応答したことを深く後悔した。


時は数刻前まで遡る。

任されていたプレゼンテーションの発表が午前中に済み、珍しく何事も問題なく上手くいった金曜日。
週末ということもあって気分が良くなっていた僕は、帰路の途中で寄った某大型スーパーで簡単な買い物と今日の晩酌のためのお酒を購入した。
今日は夜遅くまで呑むのもいいな〜
と上機嫌に買い物カゴをレジまで持っていこうとした時、なんとなしに見たスマホのウェブ広告が目に付いた。
「これって。」
僕が見たかった映画じゃね?
数度目を瞬かせてみたが、変わる様子のない広告に我慢することは叶わず。
気づいた時には自身の手には借りてきたDVDが握られていた。
そんなこんなで帰ってきて早々予定変更で買い直したコーラとレンジで簡単ポップコーンを取り出して映画鑑賞の準備を始めた。
ポップコーンはレンジに突っ込んでおき、あらかじめ作られていた大きな氷を四つほどコップの中へ入れ、買ってきたコーラを開けて注ぐ。
プシュッという軽快な音と注いだ拍子に鳴る氷の音が心地よく、スマホで歌詞も分からないような洋楽をかけてみた。
音楽が加わり、準備まで楽しくなってきた僕は、レンジで作り終わったポップコーンを大皿に移し、リビングの机の上にそれぞれ並べ、DVDを取りだしてデスクトップに入れる。
いざ、映画の世界へ!
とリモコンを操作しようとした時、それは来た。

ピンポーン

普段来客が少ない分鳴らされることのない家のベルの音が部屋にひびき、驚いてリモコンを落としそうになる。来客?と首を傾げて時計を確認すると、既に23時を過ぎた頃だった。

ピンポーン
ピンポーンピンポーン

居留守を使おうかと思案した僕を非難するかのように激しく鳴り始めたベルにものすごく嫌な予感を覚え、警察でも呼んでやろうか…と考えたところでドンドンと強く扉を叩く音まで聞こえてきた。
流石のこれには近所迷惑が考慮されるため、仕方なく
「今開けるよ!」
と玄関に向かって叫んでおく。
ソファに沈めたばかりだった重い腰を上げてペタペタと裸足で廊下を歩き、玄関の鍵に手をかける。
こんなことをするような無礼な人間は一人しかいない。

「遅いで!!!」

扉を開いた目の前には、野菜を手にいっぱい抱えた古くからの友人が立っていた。

「……今真夜中だよね。」
「23時やからまだ深夜。」
「じゃああと一時間で真夜中だよね。帰って。」
「無理や。ルームメイトに追い出されてしもた。」
「……じゃあ野宿して。」
「なんでそないな冷たいこと言うん!?」

とりあえず入れてくれと力ずくで玄関をこじ開けようとし始める友人に対抗して、嫌だと頑なに拒否をしていると
「ここで泣き喚くで。」
ガチトーンで言外に近所迷惑で家追い出されてもいいんだな。という脅迫を受けたため、渋々彼を家にいれることにした。

それがいけなかったのだろう。
24時が過ぎた今、冒頭のやり取りが永遠と続いているのだ。
「帰れ。」
「嫌や。」
「どうせ君が悪いんだろ。謝って部屋入れてもらえよ。」
「ちゃうし!俺悪くあらへん!アイツが変に嫌味っぽいのが悪いんや!」
「はいはい。」
面倒くさくなってついあしらってしまったが、ホントやし。と不貞腐れる友人は見てて面白い。
けれどずっとここにいられてもせっかく借りた映画を満足に見ることも出来ないので、全く悪いとは思わないが早急に追い出したかった。
抱きしめ続けられて胴体が長くなりつつあるひんやりスライムぬいは心做しか元気がなさそうで、彼は体温高いからな。と変な納得の仕方をする。
疲れからか面倒くささからか現実逃避に走り出した脳みそに危機感を覚えた時、先程までキッチンに置きっぱなしだったスマホのバイブ音が耳に届いた。
ルームメイトか!?救世主か!?
急いで駆け込んだキッチンの上にあったスマホ画面を期待を込めて覗き込む。
誰でもいいからコイツを回収出来るやつ!
と思って覗いた画面には、一文。

「悪いがお前の家に行くと言ってアイツが出て行った。俺は寝る。」

なんとも無慈悲で残酷な文。
こうして、僕の過ごすはずだった真夜中の平穏な映画鑑賞会は友人の号泣とポップコーン爆発事件によって掻き乱されて幕を閉じた。

4/27/2024, 3:59:54 PM

【生きる意味 小説】

生きる意味を問われたところで、そんなものは知らない。と答える人間がほとんどだろうと僕は思う。

哲学的観点から言えば、人間は生まれた瞬間から死ぬために道を進んでいるのだ。
その過程で得たものはただの目標やゴールにしているだけで、それは単なる通過点なのである。

なんて、ご高説を垂れる教師は今日も今日とて絶好調だ。
皆の頭がまだ覚醒には至らないような早朝一限目。
運悪く担当教師が休養し、ぺちゃくちゃと余計な事ばかりを話す副担当が教鞭を執っていた。
かれこれ30分はこの状態である。
同じ体制を保つのにも飽き、頬杖をついた状態から少し背筋を伸ばして辺りを見回してみれば、案の定夢の世界へと船を漕いでいる者や退屈そうに欠伸をする者。ノートに何かを書き込む者、隣の席の友人と会話をする者、諦めて机に伏せて沈黙を保っている者など様々だった。

「えらいなぁ。あんな教師の話、まともに聞いとるんや。」

そんな中突如聞こえてきた声の方を向くと、いつもは毎時間眠っているはずの隣席の人間が珍しく起きていた。
僕の記憶では一度も話したことがないはずだが。と、念のため後ろを確認すると「間違うてないで。」と彼はいった。
「起きてたのか。」
「おん。さっきの時間ずっと寝とったからな。」
「一日中寝てるのかと思ってた。」
「そない睡眠欲高くあらへんで。」
そうかと頷いて目線を先生の元に戻す。それ以上話すこともないだろうと思ってのことだが、彼は違った。
「生きる意味、あんたは持っとるん?」
にっこりと唇を弧に描いて、目を細める。表情こそ笑っているが、細まった目の奥はひどく冷め切っている気がした。
初対面という訳ではないが、初めて話す相手にする質問にしては難易度が高すぎないか。
こいつ失礼だな。と感じながらも、そのまま会話を中断させるのは些か気分が悪い。
「生きる意味…。」言葉を復唱して考えてみることにした。
僕の生きる意味とは何か。

 そこでふと思い出したのは、いつかに聞いた妹の言葉だった。
「人生はエンターテイメント。」
退屈そうに本の中の活字を目で追っていた妹は、独り言のように呟いていた。
「私が読んでいる本のように、人生は苦痛と娯楽で溢れてる。それはもしかしたら誰かに描かれた物語かもしれないし、気まぐれに出来上がったゲームの中なのかもしれない。」
本のページを捲る音が嫌に大きく聞こえたのが印象に残っている。普段はふざけた態度が目立つ妹の、無感情な表情が怖かった。
「読者が退屈に思わないように、私たちは物語を紡がなければいけない。もしもそうなら、私はとびっきり面白い人生を歩んでやる。それこそが最高のエンターテイナーだよね。」
その言葉は僕には理解不能で奇怪的なアイディア。
明らかに何言ってんだお前。という表情を表したであろう僕を、いつの間にかこちらに向いていた薄墨色の瞳はイタズラを考えている時のような楽しげな色をしていた。

人生はエンターテイメント。もしも本当にそうならば。

「僕の生きる意味は、妹に悪戯の仕返しをするためだな。」

 目の前の深緑の瞳は、僕の答えに目を丸くして何度か瞬いた。
そうして数秒停止したかと思うと、突然頭を机に伏してこ刻みに震え始めた。
抑えきれないほど笑っているというのは、今日初めて対話をした僕でもわかった。
「ふッ……くっ…あ、あんたッ…意外とおもろいんやなあ!」
あまりの衝撃に耐えきれなかったのか、授業中なのも忘れて彼は「あははっ!!」と声をあげて笑いはじめる。
元々彼が天真爛漫な問題児なのもあり、彼は教師に注意されるだけで終わった。
彼の注意で話をする気が無くなったのか、今まで無駄話を繰り広げてた教師が授業に戻る。
教師が黒板に向き直ってもなお笑い続ける彼に半ば呆れていると、彼は笑いすぎて出た生理的な涙を拭いながら。

「俺も、あの教師にどんな悪戯仕掛けてやろうかって考えて生きとるわ!」

と太陽のように明るい顔で笑った。
「ほどほどに。」
 と真顔で言ったつもりだったが、彼の瞳が悪戯っ子のように細められたのを見て、ああ失敗したな。とつい笑ってしまった。

4/12/2024, 4:56:10 PM

【小説 遠くの空へ】

休日というありがたい休みの日。
こういう何も考えなくていいような穏やかな日は、公園のベンチにでも散歩をしにいくに限る。
ああでも、公園の木陰に寝そべって木漏れ日を浴びながら微睡むのもいいかもしれないな。

 そんなことを前日に考えていたはずの僕は、そのあありがたい当日に、何故か全力ダッシュをして街を駆けていた。
「あんのクッッソ野郎!!!」
僕の休日をめちゃくちゃにしやがって!
という怒りを込めながら一歩一歩足を前に出す。
制限時間はあと30分。
春の心地よい暖かさも、今の僕には暑くて鬱陶しい。
視界に入る淡い桃色の花を見て優雅にお茶でも飲みたかったのに。
空港まで全力で走ることになるなんて誰が予想できるか。
汗で張り付く髪をかきあげて、もつれる足を必死に動かす。走りすぎて喉は痛いし、じんわりと血の味もしたが、なりふり構っていられる時間はなかった。

数分しか経っていないが、いつもより猛スピードで駆けたせいで何時間も走っていたような気分になる。
やっとの思いで空港に着いた時、僕のポケットで沈黙を保っていたスマホが音を鳴らした。
「…。」
なんとなく。嫌な予感がした。
空港の入り口、ど真ん中。飛行機乗り場までもう少し。
恐る恐る取り出したスマートフォンの液晶画面は暗いまま、メッセージはまだ見えない。
冷たい画面に指先が触れた。

その瞬間、僕は空港の外に走り出した。

駐車場を勢いよく横切り、建物から視界が開けた場所に到達すると。
今飛び立ったばかりのような飛行機の後ろ姿が見えた。
ビキッと自分の手の中から聞こえてきた何かにヒビが入る音。僕は諦めからの思いため息をつくと、勢いよく息を吸った。

「留学行くなら先に言えやあああああああ!!!!」

遠くに見える飛行機に、それよりももっと向こう側に、精一杯届くように叫ぶ。
覚えてろよという思いを込めて。
割れた液晶画面の中には、一つのメッセージが表示されていた。

『悪い。飛行機一本前だった。』


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