【小説 真夜中】
「帰らへん!!!」
愛しの我が家のリビングで、色黒の肌をした深緑色の瞳を持つ男はそう言ってひんやりスライムぬいを抱きしめた。
これが女の子だったら良かったのに。
思わず呟いてしまった一言は「いややー!」と喚く男の耳にまでは入らない。
なぜこうなったのか。
氷を多く含んで溢れそうなコーラともう冷めきってしまったであろうポップコーンを眺めながら、ついさっき呼び鈴に応答したことを深く後悔した。
時は数刻前まで遡る。
任されていたプレゼンテーションの発表が午前中に済み、珍しく何事も問題なく上手くいった金曜日。
週末ということもあって気分が良くなっていた僕は、帰路の途中で寄った某大型スーパーで簡単な買い物と今日の晩酌のためのお酒を購入した。
今日は夜遅くまで呑むのもいいな〜
と上機嫌に買い物カゴをレジまで持っていこうとした時、なんとなしに見たスマホのウェブ広告が目に付いた。
「これって。」
僕が見たかった映画じゃね?
数度目を瞬かせてみたが、変わる様子のない広告に我慢することは叶わず。
気づいた時には自身の手には借りてきたDVDが握られていた。
そんなこんなで帰ってきて早々予定変更で買い直したコーラとレンジで簡単ポップコーンを取り出して映画鑑賞の準備を始めた。
ポップコーンはレンジに突っ込んでおき、あらかじめ作られていた大きな氷を四つほどコップの中へ入れ、買ってきたコーラを開けて注ぐ。
プシュッという軽快な音と注いだ拍子に鳴る氷の音が心地よく、スマホで歌詞も分からないような洋楽をかけてみた。
音楽が加わり、準備まで楽しくなってきた僕は、レンジで作り終わったポップコーンを大皿に移し、リビングの机の上にそれぞれ並べ、DVDを取りだしてデスクトップに入れる。
いざ、映画の世界へ!
とリモコンを操作しようとした時、それは来た。
ピンポーン
普段来客が少ない分鳴らされることのない家のベルの音が部屋にひびき、驚いてリモコンを落としそうになる。来客?と首を傾げて時計を確認すると、既に23時を過ぎた頃だった。
ピンポーン
ピンポーンピンポーン
居留守を使おうかと思案した僕を非難するかのように激しく鳴り始めたベルにものすごく嫌な予感を覚え、警察でも呼んでやろうか…と考えたところでドンドンと強く扉を叩く音まで聞こえてきた。
流石のこれには近所迷惑が考慮されるため、仕方なく
「今開けるよ!」
と玄関に向かって叫んでおく。
ソファに沈めたばかりだった重い腰を上げてペタペタと裸足で廊下を歩き、玄関の鍵に手をかける。
こんなことをするような無礼な人間は一人しかいない。
「遅いで!!!」
扉を開いた目の前には、野菜を手にいっぱい抱えた古くからの友人が立っていた。
「……今真夜中だよね。」
「23時やからまだ深夜。」
「じゃああと一時間で真夜中だよね。帰って。」
「無理や。ルームメイトに追い出されてしもた。」
「……じゃあ野宿して。」
「なんでそないな冷たいこと言うん!?」
とりあえず入れてくれと力ずくで玄関をこじ開けようとし始める友人に対抗して、嫌だと頑なに拒否をしていると
「ここで泣き喚くで。」
ガチトーンで言外に近所迷惑で家追い出されてもいいんだな。という脅迫を受けたため、渋々彼を家にいれることにした。
それがいけなかったのだろう。
24時が過ぎた今、冒頭のやり取りが永遠と続いているのだ。
「帰れ。」
「嫌や。」
「どうせ君が悪いんだろ。謝って部屋入れてもらえよ。」
「ちゃうし!俺悪くあらへん!アイツが変に嫌味っぽいのが悪いんや!」
「はいはい。」
面倒くさくなってついあしらってしまったが、ホントやし。と不貞腐れる友人は見てて面白い。
けれどずっとここにいられてもせっかく借りた映画を満足に見ることも出来ないので、全く悪いとは思わないが早急に追い出したかった。
抱きしめ続けられて胴体が長くなりつつあるひんやりスライムぬいは心做しか元気がなさそうで、彼は体温高いからな。と変な納得の仕方をする。
疲れからか面倒くささからか現実逃避に走り出した脳みそに危機感を覚えた時、先程までキッチンに置きっぱなしだったスマホのバイブ音が耳に届いた。
ルームメイトか!?救世主か!?
急いで駆け込んだキッチンの上にあったスマホ画面を期待を込めて覗き込む。
誰でもいいからコイツを回収出来るやつ!
と思って覗いた画面には、一文。
「悪いがお前の家に行くと言ってアイツが出て行った。俺は寝る。」
なんとも無慈悲で残酷な文。
こうして、僕の過ごすはずだった真夜中の平穏な映画鑑賞会は友人の号泣とポップコーン爆発事件によって掻き乱されて幕を閉じた。
5/18/2024, 1:44:46 AM