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【小説  夏 】

真っ暗闇の海岸沿いに車を停めて、車に乗せてから終始無言だった後輩を振り返る。
助手席には乗らないと頑なだった後輩は深淵を思わせるような暗い海に釘付けで、動く気配がなかった。
「海の音が聞きたいんだったよな。」
俺の問いかけに頷いた後輩の長い髪が耳から落ちていき、一種の絵画のように見える光景に息を呑む。
海を見つめ続ける後輩の瞳に何が映っているのかは皆目見当もつかないが、俺の気は長くは続かなかった。
反応のない後輩にも見飽きて、車の鍵を開けて外に出た。
「うお、さっむ。」
夏といえども夜の海風は流石に肌寒い。
ゴーゴーと低い唸りをあげる海は怒っているように見えて、後輩も海も負の感情を溜め込んでいるのだろうかとらしくもなく思考した。
だとしたら、皆考えすぎだな。
一歩一歩しっかりと地面を踏み込んで、前を歩く。
近づいてくる水の波に足を取られないように。

ふと、昔海に来た時の思い出が蘇った。
まだ俺が幼い頃、両親に連れられて兄と共に海へ遊びに来た時のこと。泳ぎを知らない年齢だった俺に浮き輪をつけて、兄は俺の手を引いてどんどん深いところへ連れていくものだから、ひどく不安で恐ろしかったのを覚えている。
あの時の兄さんは、まだ楽しそうに笑っていたっけ。

「誰も彼も、人のこと考えすぎなんだよな。」

パシャっと水が弾ける音がして、何となしに車へと目を向ければ、中から降りてきた後輩がこちらに歩いてきていた。
「寒くないか。」
薄手の後輩にこの海風は体に障る。白いTシャツの上に羽織っていたパーカーを、歩いてきた彼女にかけようと手を伸ばした時、ドンっと体に衝撃が走った。
衝撃の正体は他でもない後輩で、背中に回された手のひらから伝わる体温が暖かい。強く握られているであろうTシャツにシワができるなとどうでもいいことを考えながら。俺はただ押し寄せる波の冷たさから気を逸らすように震える後輩の頭に手を乗せた。

「ほんっとうに、抱え込みすぎなんだよ。みんな。」


6/28/2024, 12:59:50 PM