『三色の約束』
第一章:Red ― 傷と情熱
赤城紬は、真っ赤な絵の具をキャンバスに叩きつけていた。
それは怒りでも、悲しみでもない。ただ、心の奥に溜まった“何か”を吐き出すように。
「また赤か。最近、赤ばっかりだね」
緑川悠が、花の鉢を抱えながら声をかける。
紬は、筆を止めずに答えた。
「赤は、忘れられない色だから。後悔も、情熱も、全部赤に染まる」
悠は何も言わず、そっと鉢植えの“赤いバラ”を紬の机に置いた。
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第二章:Green ― 優しさと嘘
緑川悠は、温室で静かに植物に水をやっていた。
彼の周りには、緑が溢れている。癒しの色。安心の色。
でも、彼の心は、ずっと“本音”を隠していた。
「悠ってさ、いつも優しいけど、怒ったことある?」
青山澪がカメラを構えながら聞いた。
「怒るより、育てる方が好きなんだ。植物も、人も」
澪はシャッターを切る。
その瞬間、悠の瞳に一瞬だけ“濁った緑”が映った。
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第三章:Blue ― 静寂と真実
青山澪は、青い空を背景に写真を撮っていた。
彼にとって“青”は、冷静さと真実の象徴。
感情に流されることを嫌い、いつも距離を置いていた。
「澪って、泣いたことある?」
紬が唐突に聞いた。
「あるよ。誰にも見られない場所で。青い空の下で泣くと、涙が溶ける気がする」
紬は驚いたように澪を見た。
その瞳は、青く澄んでいた。
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最終章:三色の交差点
文化祭の日。美術部、園芸部、写真部が合同展示をすることになった。
紬は、赤・緑・青の三色だけで一枚の絵を描いた。
悠は、三色の花を寄せ植えにした鉢を用意した。
澪は、三人が並んで笑う瞬間を撮った。
「色って、混ざると濁ると思ってた。でも、重なると深くなるんだね」
紬がそう言うと、悠も澪も頷いた。
三人の色は、違う。
でも、だからこそ美しい。
それぞれの“色”が、互いを照らし合っていた。
お題♯red,green,blue
🌙『フィルターの向こう側』
第一章:笑顔の仮面
昼休みの教室。陽菜はいつものように、友達の輪の中心で笑っていた。
「陽菜ってほんと、いつも元気だよね」
「悩みとか、なさそう〜」
陽菜は笑って答える。「悩みなんて、笑ってれば消えるよ」
でも、誰も知らない。
その笑顔が、どれだけの“演技”でできているか。
誰にも頼れない。誰にも見せられない。
それが、陽菜の“生き方”だった。
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第二章:静かな気配
放課後、図書室。陽菜は一人で本を読んでいた。
そこに、藤堂が静かに近づいてきた。
「……無理して笑うの、疲れない?」
陽菜は驚いた。誰にも気づかれたことがなかった。
「……何のこと?」
「君の笑顔、目が笑ってない。ずっと気になってた」
陽菜は、言葉を失った。
藤堂の瞳は、まっすぐだった。
誰にも見抜かれたことのない“フィルター”を、彼は見通していた。
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第三章:頼るという選択
その日、陽菜は初めて誰かに本音を話した。
家のこと。過去のこと。
誰にも言えなかった孤独を、ぽつりぽつりと語った。
藤堂は、黙って聞いていた。
否定も、慰めも、しなかった。
ただ、隣にいてくれた。
「……頼ってもいいんだよ。誰かに全部見せるの、怖いけど」
陽菜は、涙を流した。
それは、フィルターの外に出た“本当の自分”だった。
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最終章:フィルターの向こう側
数日後、陽菜はいつものように笑っていた。
でも、その笑顔は、少しだけ違っていた。
誰かに見せてもいいと思える、柔らかい笑顔だった。
藤堂が隣に立つ。
「今日の笑顔は、ちゃんと目も笑ってる」
陽菜は、少し照れたように笑った。
「うん。もう、フィルターはいらないかも」
夕焼けの光が、二人の影を長く伸ばしていた。
透明な羽根
✿第一章 屋上の風
春の風が、校舎の屋上を静かに撫でていた。
遥はフェンスのそばに立ち、遠くの街並みを見下ろしていた。昼休みの喧騒は、ここまで届かない。教室では誰もが誰かと話し、笑い、騒いでいる。けれど、遥にとってその音は、まるで雑音だった。
彼女には、他人の感情が「色」として見える。嘘をつくと灰色、嫉妬は濁った緑、優しさは淡い金色。だからこそ、誰かと話すたびに、心の裏側が透けて見えてしまう。それが苦しかった。
「またここにいたんだ」
声に振り向くと、陽翔が立っていた。彼もまた、教室では浮いている存在だった。誰とも深く関わらず、けれど誰にも嫌われない。そんな不思議な距離感を持つ少年。
「別に、ここが落ち着くだけ」
遥はそっけなく答える。けれど、陽翔の周りには、色がなかった。無色透明。それが、遥には心地よかった。
「俺さ、君のこと、ちょっとだけ分かる気がする」
遥は眉をひそめた。「何が?」
「仲間になれないって、孤独だよな。でも、無理に輪に入るより、自分の世界を守る方が大事な時もある」
その言葉に、遥の胸が少しだけ揺れた。彼の言葉には、色がなかった。ただ、風のように自然に届いた。
「……あなたも、見えるの?」
「見える? 何が?」
遥は答えず、そっと目を閉じた。陽翔の言葉が、彼女の中の何かをほどいていくのを感じていた。
そして、彼女の背中に、誰にも見えない羽根が広がった。淡い金色の、透明な羽根。
✿第二章 色のない世界
遥は、自分の羽根が広がったことに気づいていた。もちろん、目に見えるものではない。けれど、陽翔の前では、隠す必要がないように思えた。
「ねえ、陽翔くんはさ……人の気持ちって、どうやって分かるの?」
屋上の風が、二人の間を通り抜ける。陽翔は少し考えてから答えた。
「分かんないよ。たぶん、俺は人の気持ちなんて、ほとんど分かってない。でも、分かろうとすることはできる。それって、意味あると思うんだ」
遥はその言葉に、少しだけ笑った。彼の言葉には、色がなかった。けれど、それは空っぽではなく、混じり気のない透明だった。
「私ね、人の気持ちが見えるの。色で」
「……色?」
「うん。嘘は灰色、怒りは赤、優しさは金色。でもね、見えるからこそ、怖いの。みんな、表では笑ってても、心の中は違う色をしてる。だから、仲間になれないの」
陽翔は黙って遥の言葉を聞いていた。彼女の声は、風に溶けるように静かだった。
「でも、君の周りには色がない。透明。だから、少しだけ安心できる」
陽翔は照れくさそうに笑った。「それ、褒められてるのかな」
遥は初めて、心から笑った。その笑顔は、淡い金色に輝いていた。
✿第三章 傷の色
翌週、クラスでちょっとした事件が起きた。
美咲が遥に「もっとみんなと話したら?」と声をかけた。悪気はなかった。けれど、その言葉の裏にある「普通になってほしい」という感情が、遥には濁った紫色に見えた。
「……無理に仲間にならなくていいでしょ」
遥の言葉は冷たく響き、美咲は傷ついた顔をした。教室の空気が一瞬、凍りついた。
昼休み、遥は屋上に行かなかった。代わりに、図書室の隅で膝を抱えていた。
そこに、陽翔が現れた。
「逃げるのも、守るのも、どっちも間違ってないよ」
遥は顔を上げた。陽翔の周りには、やっぱり色がなかった。
「でも、誰かを傷つけたかもしれない。私、また仲間になれなかった」
陽翔は静かに言った。
「仲間って、輪の中に入ることじゃない。誰かの世界を、少しだけ覗いてみることだと思う。君の世界は、俺にとってすごく綺麗だよ」
遥の目に、涙が浮かんだ。それは、淡い水色の感情だった。
✿第四章 羽根の記憶
遥は、図書室の窓から差し込む光を見つめていた。陽翔の言葉が、心の奥に静かに残っている。
「君の世界は、俺にとってすごく綺麗だよ」
その言葉を思い出すたび、遥の中に金色の光が灯る。誰かに「綺麗」と言われたのは、初めてだった。自分の世界が、誰かにとって価値のあるものだと知ることは、こんなにも温かいのか。
放課後、遥は屋上へ向かった。風が少し冷たくなっていた。そこには、陽翔が待っていた。
「来ると思った」
「……なんで?」
「君の羽根が、また広がる気がしたから」
遥は驚いた。陽翔は、見えているのだろうか。彼女の羽根を。
「ねえ、陽翔くん。私、昔は羽根なんてなかった。色も見えなかった。ただ、普通に生きてた。でも、ある日突然、全部が見えるようになったの。友達の嘘、先生の苛立ち、家族の不安。それが怖くて、誰とも話せなくなった」
陽翔は黙って聞いていた。遥は続ける。
「でも、君は違う。君の周りには色がない。だから、私の羽根が広がるの。君の前では、隠さなくていいって思えるの」
陽翔は少しだけ笑った。
「俺も、君といると、自分のことを話したくなる。普段は誰にも言えないことでも、君なら聞いてくれる気がする」
遥は、そっと手を伸ばした。風に揺れる空気の中で、彼の手に触れた瞬間、彼女の羽根が大きく広がった。
それは、淡い金色と水色が混ざった、優しい光の羽根だった。
✿第五章 色を持たない約束
季節は少しずつ夏へ向かっていた。
遥は、少しずつクラスの中でも話すようになっていた。美咲とも、ぎこちないながらも言葉を交わすようになった。色はまだ濁って見えるけれど、それでも、遥は逃げなくなった。
ある日、陽翔が言った。
「俺、転校することになった。父親の仕事の都合で、来月には引っ越す」
遥は言葉を失った。彼がいなくなる。それは、羽根を失うような感覚だった。
「でも、約束する。君の羽根は、誰かに見える。俺じゃなくても、きっと誰かが、君の世界を綺麗だって思ってくれる」
遥は涙をこらえながら、頷いた。
「ありがとう。私、もう仲間になれないって思わない。誰かと違っていても、私の世界は、私だけの色でできてるから」
陽翔は笑った。
「その羽根、ずっと大事にして」
そして、彼は去っていった。
遥は、屋上に立ち、風を感じながら目を閉じた。
彼の言葉が、彼の無色透明な存在が、遥の中に残っていた。
そして、彼女の羽根は、誰にも見えないまま、静かに輝いていた。
✿エピローグ 風の中の色
陽翔が転校してから、遥は屋上に行かなくなった。
あの場所には、彼の気配が残っている気がして、風の音さえも彼の声に聞こえる。けれど、遥はもう逃げないと決めていた。
ある日、美咲が声をかけてきた。
「ねえ、遥ちゃん。最近、ちょっと変わったよね。なんか、話しやすくなったっていうか…」
遥は少しだけ笑った。
「うん。私、誰かと違っていてもいいって思えるようになったの。仲間になれなくても、誰かの世界を覗いてみることはできるって、教えてもらったから」
美咲は不思議そうに首をかしげたが、笑顔で「それ、いいね」と言った。
遥の目には、美咲の感情が淡い桃色に見えた。少し照れくさくて、でも優しい色。
放課後、遥は一人で屋上へ向かった。
風は変わらず吹いていた。空は高く、雲はゆっくり流れている。
遥は目を閉じて、そっと手を広げた。
彼女の背中には、誰にも見えない羽根が広がっていた。金色、水色、桃色、そして透明な光が混ざり合って、風に溶けていく。
「ありがとう、陽翔くん」
遥は心の中でそう呟いた。
彼が残してくれた言葉は、遥の世界に色を与えた。そしてその色は、誰かと分かち合えるものになった。
遥はもう、仲間になれないことを怖れていない。
彼女は、自分の色で羽ばたいていく。
𝑭𝒊𝒏.
お題♯仲間になれなくて
雨の音が君を呼ぶ
雨が降っていた。
窓の外は灰色に染まり、街の喧騒さえも水音に溶けていた。
私は傘を持たずに歩いていた。濡れることに意味はない。ただ、君がいた場所へ向かうために、何かを背負いたかったのかもしれない。
君は、いつも雨の日に現れた。
図書室の隅、校庭のベンチ、駅のホーム。どこにいても、君は静かに微笑んでいた。
「雨、好きなんだね」と私が言ったとき、君は少しだけ首を傾げてこう答えた。
「雨は、全部を洗い流してくれるから。悲しみも、嘘も、僕の声も」
その言葉が、ずっと胸に残っている。
君がいなくなってから、雨の日が増えた気がする。
まるで空が、君の代わりに泣いているみたいに。
今日も、君の声を探して歩く。
濡れたアスファルトに、君の足音が残っている気がして。
そして、角を曲がった先。
そこに、傘もささずに立っている君がいた。
「……君?」
君は、変わらない笑顔で言った。
「雨が、君を連れてきてくれた」
私は、言葉を失ったまま、君の隣に立った。
雨が、二人の沈黙を優しく包んでいた。
お題♯雨と君
放課後、君の席で
高校最後の春、卒業式が終わった午後。誰もいない教室に、ひとり戻ってきた遥(はるか)は、ある“置き手紙”を探していた。
それは、隣の席だった尚人(なおと)が、卒業式の日に「最後に渡したいものがある」と言っていた手紙。だけど、式のあと尚人は姿を消し、連絡も取れなくなっていた。
遥は教室の自分の席に座り、彼との思い出を辿る。雨の日に傘を忘れたこと、文化祭でペアになったこと、何気ない日々の中に芽生えていた恋心。
そして、彼の席の中に見つけた一冊のノート。そこには、尚人の“秘密”と、遥への想いが綴られていた。
最後のページにはこう書かれていた——
「君がこのノートを見つけたら、屋上で待ってる。最後に、ちゃんと伝えたい。」
遥は教室を飛び出す。誰もいないはずの屋上で、春の風がふたりを再会させる。
お題♯誰もいない教室