赤になったら、言うつもりだった
高校の通学路にある、ひとつの信号。
毎朝、同じタイミングでその信号に立つ二人——
無口な男子・遥と、明るい女子・紬(つむぎ)。
彼らは言葉を交わすことはない。ただ、信号が赤になると、少しだけ視線を交わす。
それが、二人の“関係”だった。
ある日、紬が言う。
「ねえ、もしこの信号が赤になったら、私、言うね。ずっと言えなかったこと」
遥はうなずく。
でもその日、信号はなぜか、青のまま変わらなかった。
次の日も、その次の日も、信号は赤にならない。
紬は姿を見せなくなり、遥は初めて彼女の名前を検索する。
そして知る——紬は事故に遭い、入院していた。
事故現場は、あの信号のすぐそばだった。
遥は病院に向かう。
そして、彼女の病室の窓から見える信号が、赤に変わる瞬間——
彼は、言えなかった言葉を口にする。
「俺も、ずっと言いたかった。……好きです」
言い出せなかった「好きです」
第一章 午後四時の図書室
放課後の図書室は、いつも静かだった。
窓際の席に座ると、陽が差し込んで、彼女の髪が少しだけ金色に見える。
「今日も来たんだね」
彼女は本から顔を上げずに言った。
僕は頷いて、隣の席に座る。話すことは、特にない。けれど、彼女の隣にいるだけで、心が落ち着いた。
名前は、佐倉澪。
同じクラスだけど、話したことはほとんどない。図書室で偶然隣に座った日から、僕らは毎日ここで過ごすようになった。
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第二章 言葉の距離
「この本、面白かったよ」
澪が差し出した文庫本には、付箋がいくつも貼られていた。
彼女が気に入った言葉が、そこに残されている。
“言葉にしなければ、伝わらない。
でも、言葉にした瞬間、壊れてしまうものもある。”
僕はその一文に、胸がざわついた。
まるで、僕の気持ちを見透かされたようだった。
「……澪さんは、言葉にするの、怖くない?」
彼女は少しだけ笑った。
「怖いよ。でも、言わなかったら、何も始まらないでしょ?」
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第三章 卒業式の前日
図書室は、もう閉まっていた。
僕は校舎の裏で、澪を待っていた。
「どうしたの?」
彼女は制服のポケットに手を入れながら、僕の前に立った。
「……あのさ」
言葉が喉に詰まる。
何度も練習したはずなのに、声にならない。
「言いたいこと、あるんでしょ?」
澪の目は、まっすぐ僕を見ていた。
僕は、ほんの少しだけ笑って、首を振った。
「……ううん。なんでもない」
彼女は、少しだけ寂しそうに笑った。
「そっか。じゃあ、またね」
その言葉が、最後だった。
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春になって、彼女はもういない。
図書室の窓際の席は、今も空いている。
僕は、彼女がくれた文庫本を開く。
最後のページに、付箋が一枚だけ貼られていた。
“言い出せなかった『好きです』
それでも、あなたの隣にいられた時間が、私の宝物。”
僕はその言葉を、何度も読み返した。
そして、ようやく気づいた。
彼女も、言えなかったんだ。
☾ ページをめくる
図書館の静寂の中、彼女は一冊の古い日記を見つけた。ページをめくるたび、知らない誰かの記憶が流れ込んでくる。
笑い声、涙、別れ、そして再会。
最後のページには、こう書かれていた。
「この物語を完結させるのは、あなたです。」
彼女はペンを取り、そっと新しいページをめくった。