与太ガラス

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4/6/2025, 1:53:09 AM

A「トモキって、漫画の『ワンピース』好きだったよね」

B「ああ、好きだよ」

A「どんなところが好きなの?」

B「え?」

A「いまさ、言語化って流行ってるじゃん。好きなものの『どこが』・『なんで』好きなのかを言葉にすると思考が深まったり、整理されて他人に伝わりやすくなるとか」

B「嫌だよ」

A「え?」

B「なんでそんなことしなきゃいけないんだよ」

A「それは、俺だってお前の好きなものについてもっと知りたいし、自分にとってもほら、言語化することで気づいていなかったものに気づけるって言うし」

B「できないよ」

A「なんでよ。考えて言葉にするだけでいいんだよ」

B「言葉にすると嘘が混じる」

A「そんなことないって、一回やってみようよ」

B「……重厚感のあるストーリーをポップな絵柄とキャラクターによって子どもから大人まで楽しく見られる漫画として作られていて」

A「おお、いい感じ」

B「さまざまな場面で伏線を忍ばせることで考察の余地も残して……」

A「うんうん」

B「……いや、違うな」

A「え? どうした」

B「こんなことを言いたいんじゃない! これは僕の『好き』じゃない!」

A「え、お、え? ど、どうした!」

B「それぞれのエピソードのクライマックスで描かれる感動的なシーンが……? 感動的なシーン? 違う! 違う! ワンピースの魅力は、そんな陳腐な『感動的』なんていう言葉では言い表せないんだ!」

A「大丈夫だって。十分伝わるって!」

B「ふざけるな! お前は僕に嘘を言わせようとしたな!」

A「え、なになにこわい! そんなことないって」

B「言葉にできない感情を言葉にしようとすると、思ってもいないことを言ってしまうことがあるんだよ。好きというのは、至極、個人的で、抽象的で、形のない、名前のない、自分の中にしかない特別な……、そういう、ものなんだよ!」

A「ああメンドくさいオタクだった……」

B「そもそも、なんでもかんでも言語化できるなんて思ってる方が浅はかなんだ。感情をはっきりした言葉で言い表すことができるなら、文学なんて必要ないんだ。言葉は全て辞書に載ってるけど、感情は何万ページあったって『好き』っていう言葉すら伝えることができないものなんだよ〜!」

A「いま文学の話してないんだけどな」

B「とにかく『ワンピース』の好きは僕には言語化できない!」

A「わかったわかった。じゃあ食べ物。あれだ、イチゴ! 好きだって言ってたよね」

B「イチゴ……、かじった瞬間に広がる甘さと酸っぱさ。食感に彩りを加える種のつぶつぶ。そして、そして……」

A「おお、おお、それから?」

B「あの、えも言われぬ独特な味わい……」

A「え? な、なんて?」

B「これだよこれ。日本語って素晴らしいね。『えも言われぬ!』だ」

A「つ、つまり?」

B「なんとも言えない!」

A「言語化って難しい!」

4/5/2025, 2:18:34 AM

 出張で訪れたのは、ずいぶんと田舎の町だった。駅の周りには寂れた売店しかない。この町で長期滞在すると思うと心がしぼんだ。スマホを見ると電波はあるようだ。Wi-Fiは検索してもひとつも出てこない。

「唐方さんですよね。ようこそおいでくださいました」

 駅前でキョロキョロしながら佇んでいると、恰幅の良い丸メガネの男性に声をかけられた。ありがたいことに地元の方が車で迎えに来てくれていたのだ。

 駅から町内へ向かう車中から、川沿いに広がる桜並木が見えた。ちょうど開花し始めている頃だった。

「唐方さん、いいときに来ましたね。ここ、地元では有名な桜の名所なんですよ」

 わたしが桜を見ていることに気づいたのか、ハマノと名乗るその男性が運転しながら話しかけてきた。どこまでの範囲を地元と呼ぶのかわからないくらい民家が少ないが、地元の人がそう言うならそうなのだろう。

「そうなんですか」

「そうだ、今週末に町内で花見をするんです。もし良かったらご参加いただけませんか?」

「よそ者のわたしが急に参加してよろしいんですか?」

 田舎のコミュニティの閉鎖性が頭をよぎった。わたしのようなよそ者を受け入れてくれるんだろうか。

「ええ、もちろんです。花見は人数が多いに越したことはありませんから」

 長い滞在になる。付き合いを避けるより町に馴染んでおくべきだろうか。それなら地元の人に顔を覚えてもらうにはいい機会だ。わたしはこの申し出を受けることにした。

「では、よろしくお願いします」

「はは、そうこなくちゃ」

 車は田んぼに囲まれた道を進んでいった。



 仕事は平日のうちにつつがなく片付き、わたしは無事に町内のお花見に参加することができた。会場は最初の日にわたしが見た川沿いの桜並木ではなく、キャンプ場のような山の中のひらけた場所だった。都会のお花見とは違って場所取りの必要はなく、広大な緑の絨毯の上にピクニックシートを広げて楽しんでいる。人の数より桜の木の方が多いぐらいだ。この一週間で桜も満開になっていた。

「すごいですね。この景色を見られて良かったです」

 招待してくれたハマノさんに向かって言った。わたしは一面に広がる桜の園に目を奪われていた。

「喜んでもらえて嬉しいです。じゃあ、一杯やりましょう」

 ハマノさんが差し出したのは、幅広の、これは、えっと、盃(さかずき)だ。底が浅くて裏側に台がついている赤い器。和風の結婚式で見るような大仰な器だ。

「どうかしましたか?」

 無言で固まっているわたしの顔を見てハマノさんが聞いた。

「あ、その、ずいぶん本格的だなと思いまして。缶ビールで乾杯とかを想像していたので……」

「ああ、都会の人はそう思いますかね。この辺りではこの盃で酒を飲むのが一般的でして。特にお花見の時は」

 この辺りの古い風習なのだろうか。周りを見るとお酒も日本酒しか用意されていない。お酒は大好きなのでありがたく頂こう。真っ赤な盃に澄んだお酒が注がれていく。

「いただきます」

 わたしは注がれたお酒をくいっと煽る。ほのかに甘みのある優しい味わいだった。周りを見ると、町の人たちは語らいながらも桜の美しさに目を奪われている。桜は風にそよいでその花びらを宙に漂わせている。

「みなさん、桜を楽しんでいますね。ほらよく、お花見なんて酒を飲むための口実だ、なんて言うじゃないですか。ここの人はちゃんと桜を楽しんでる」

 わたしがそう言うと、ハマノさんはニコリとしながら言ってきた。

「そうなんです。私たちにとってお花見は特別な行事なんです。言ってみれば一年の健康を祈願するようなものです」

「健康祈願? お花見が、ですか?」

 そう言っている間にも桜の花びらはヒラヒラと舞い、私たちの飲んでいる盃の広い水面に何枚も着地している。ハマノさんは花びらの浮いた盃を手に取り、そのままぐいと飲み干した。

「あ、いま、桜の花びらが」

「ふふ、これが健康祈願なんです。少しお話ししましょうか」

 そう言ってハマノさんは語りはじめた。

「日本全国その昔、花見と言えば桜の花びらを食べるのが定番だったんです。桜の花を食べると健康になるなんていう触れ込みで、みんな花びらを食べていた。実際、桜の花びらは食用に作られているものもあります。塩漬けを煮出して桜茶にするとか、おにぎりに混ぜるなんてこともある。この町ではその習慣が残っているだけのことでね」

 習慣と神事が重なった民族伝承のような話だ。あとで調べたら桜の花びらにはビタミンなんとかが含まれていて、薬効もあるらしい。

「でもこの伝統的な花見にはルールがありましてね。『酒を飲むなら桜とともに』というものです」

「桜とともに……」

「酒の注がれた器に、花びらが入っている時だけ飲んでいいんです。それまでは周りの人とおしゃべりを楽しむ」

「それはなかなか難儀ですね」

 酒飲みにとっては堪らない。エサを前にして待てと言われた犬のようだ。

「そう。だからみんなじれったくなって、そんな風習は廃れていったわけです。酒飲みは好きなように飲みたいですから。でも我々はその伝統を守っている。はじめはみんなお猪口で飲んでたんですよ。でもそれじゃあ全然花びらが入らない。そこでしたたかな町の人たちは考えた。口の大きな盃にしたらいい」

 ハマノさんは盃を指差す。トンチみたいな話だが、なるほどなかなか説得力がある。

「あの言葉だってそうですよ」

 ハマノさんはもう一息酒を煽って言った。

「『桜は散り際が美しい』あれは酒飲みが作った言葉だ」

 そうかもしれない。そうに違いない。わたしは自分の盃に花びらが漂っているのを認めて、一口で酒を煽った。

4/4/2025, 2:46:03 AM

 ローテーブルで夕食を済ませた後、私はグレーのカバーでくるんだソファーに体を投げ出した。まだ洗い物もやっていないから、寝落ちするわけにはいかない。それに片付けなきゃいけないミッションも残っている。

 私はスマホを開いて物件探しのアプリを眺めはじめた。この部屋の更新をしないことに決めたのは、家賃の値上げを通告されたからだ。この部屋もこの街も気に入っていないわけではないけど、通勤にすこぶる便利ということもないので、家賃が上がるならそれほど固執することもない。ここより会社に近くて安い物件も探せばあるはずだ。

 ここ数日、部屋探しを続けているが、思うような物件が出てこない。というより何かが頭に引っかかって集中できていない。私は首を動かしてこぢんまりとした部屋をぐるりと眺めた。

 あの日、この部屋を見てカナデは「地味な部屋」と言った。他の人の……女の人の部屋なんて見たことがないから、どの程度地味なのかわからないけど、家具の趣味が女性っぽくないのは自覚している。カナデの部屋はもっと女の子っぽい色をしているんだろうか。

 カナデと一緒に家具を選んだら、どんな部屋になるだろう。

 不意に頭に浮かんだ“もしも”が思考を支配した。話をする時間が長いからだろうか。「わたしならこれがいい」とか「この色もナオに似合いそう」とか、言っているカナデの姿を想像してしまう。家具の絵は想像できてないんだけど。

 今度会ったらカナデに聞いてみよう。住む部屋が決まったら、一緒に家具を見に行かないかって。

 そのことを考えるとジムのことが頭に浮かぶ。カナデと出会ったトレーニングジム。やっぱり私は、あのジムに行くことを自分の生活の重要な一部だと思っているのだろうか。この街を離れることであのジムから離れることになるとわかっているから、部屋を選ぶことをためらっているんだろうか。

 私は部屋探しを諦めて、先に洗い物をすることにした。ソファーから体を起こしてキッチンに向かう。家事は考え事とセットでするのに向いている。何かを考えながら家事をすると、いつの間にか終わっているからだ。

 習慣化された行為は思考と切り離せる。単純作業を繰り返す工場に営業に行くと、仕事中なのにラジオがかかっているのと似ている。それに体が動いているとそれに合わせて思考もめぐるものだ。

 私の中で、あのジムにいる時間が大切になったのはいつからだろう。筋トレ自体にそこまで興味がないのは最初もいまも変わらない。体力のため、健康維持のため。筋力がついて機具を持ち上げるのが楽しいのは事実だ。でもそれ以上に楽しいのは、隣にカナデがいるから__

 あの日、引っ越すことを告げたときのカナデの顔を思い浮かべた。少し困ったように見えたのは、私の思い違いだろうか。

 シンクのレバーを下げて水を止める。気づくと洗い物は終わっていた。私はその日、部屋探しを再開することはなかった。

4/3/2025, 1:20:42 AM

 わたしの住んでいる部屋はいつも暗かった。都会にあるアパートの2階で隣には5階建てのビルが建っていた。わたしは朝、目が覚めるたびに窓を開けては、隣のビルの灰色のタイルとにらめっこしている。

都会は空が少ないと聞いてはいたが、まさか部屋から見える景色に空がないとは。そしてそのことが、こんなにもわたしの日々を蝕んでいくとは。部屋を借りた頃のわたしは考えてもいなかった。

 はじめは慣れるだろうと思っていた。家賃が安いのだから仕方ない。こういう造りの物件なのだから住むのに問題はない。都会に住むのだからそれぐらい我慢しなければと。

 もちろんまったく光が入らないわけではない。隣のビルとの間に隙間はあるし、中天に太陽が来れば灰色のタイルにもいくらは日光は反射する。でも正午にわたしが部屋にいることなど週末しかないし、やはり早朝、起きた時に光が差し込まないのはまったく気分が晴れない。一日がリセットされない。目が覚めない。起きられない。

 だからわたしは決めていた。部屋の契約更新まであと三ヶ月。その更新をしないでわたしはここを出ていく。新居の候補はもう見つけてある。そう思うだけで少しは気持ちが落ち着いた。ようやく地獄の二年間が終わる。そうか、わたしは牢獄に監禁されていた気分だったのだ。これは獄中の手記というわけだ。

 そんな決意を固めていたある週末の朝。わたしは騒々しい機械音とともに目を覚ました。いや、わたしを眠りから起こしたのは音だけではなかった。光だ。二年間暗く封印されていた窓から光が差し込んでいる。わたしは驚いて窓辺に立ち、勢いよく窓を開けた。そこにはもう灰色のタイルはなく、青いビニールシートが日光を反射してきらめいていた。隣のビルの解体工事が始まっていたのだ。

 数日後にビニールシートも外されて、隣の土地はぽっかりと空き地になった。わたしは窓の外に大きな空を手に入れた。不意に訪れた幸運。棚からぼたもち。わたしの監獄生活は突如として終わりを告げた。

 これならば、ここならば、この部屋を出ていく理由はない。都心に近くアクセスは最高で家賃も安い。毎日太陽を拝めるなら、新しく探した物件よりも好条件だ。わたしは期限の二ヶ月前に契約更新の連絡を入れた。



 二ヶ月後。通勤のために家を出た。今日もわたしに太陽をくれるありがた〜い空き地に挨拶していこうと前を通ると、そこには立て看板が掲示されていた。

【建築計画のお知らせ】
「建築物の名称|轟ビルヂング」
「階数|地上30階/地下2階」
「着工予定・・・」

 その日から、太陽のない二年間の服役が確定した。

4/2/2025, 1:23:02 AM

 午後からのアポイントは上司と同席することになっていた。課長を伴ってクライアントをお迎えする。

「唐方(からかた)くん、今日のクライアントはどちらの方かな」

 待っている間に堂島課長から質問された。

「はい。旅行専門のIT企業で、データ分析について当社のリサーチ部門の実績を評価いただいておりまして……」

 わたしは手元の資料をかいつまんで読み上げた。

「ほお。旅行関係ね」

 課長はそう言ってアゴの下を触った。どうせ時間潰しにわたしにしゃべらせただけだろう。何も覚えちゃいない。そうこうしている間にクライアントが姿を現した。

「山岡様、ようこそおいでくださいました。担当の唐方です。はじめまして」

「ああ、はじめまして! 山岡です。よろしくお願いします」

 山岡氏はスラっとして背が高く、スーツの似合う男性だった。

「こちら上司の堂島です」

 流れで課長を紹介する。

「これはこれは。はじめまして。山岡と申します」

 山岡氏はあいさつをして少しかたい笑顔を見せた。

「はじめまして、ですか?」

 堂島課長は笑顔の山岡氏に問いかけた。

「あ、ああ失礼、どこかでお会いしてましたっけ?」

 山岡氏は、バツの悪い表情になって返した。しかし課長は怪訝な表情を浮かべて山岡氏を見つめている。

「わたしが質問しているんですよ。はじめましてですか、と」

 課長は威圧するように言った。

「え、あの、ですから、わたしも思い出せなくて、ですね」

 山岡氏はますます不安な声になっていく。

「わたしも確証が持てないから聞いているんじゃないですか。わたしはあちらこちらと業界を渡り歩いていましてね。もしかしたら以前にどこかでご一緒しているかもしれないんです」

 課長は大きな声で早口で続けた。

「そ、そうでしたか。いや、申し訳ない。わたしは覚えていないので、もしご記憶があるのでしたらお伺いしたいと思いまして」

「わたしが正直に言って下手に出ているのに、とぼけたように質問で返すなんて。はじめから覚えていませんと言えばいいじゃないですか」

「……すみません」

「いえ、こちらこそ声を荒げてすみませんでした。はじめまして、堂島です」

 わたしはこの一連のやりとりを押し黙って見守っていた。ハラハラしていたからではない。見飽きていたからだ。堂島課長のこの作戦は、さしあたり成功したようだ。落ち着いたところで二人を応接室に案内する。

 わたしが繋いだクライアントとのファーストアポイントなんだから、上司の堂島課長と会うのだってはじめましてに決まっている。それでも彼は必ず「はじめまして、ですか?」と相手に聞く。そして今の流れを予定調和のように繰り返し、商談開始時にマウントを取るという常套手段なのだ。もちろん失敗すればクライアントは怒って帰ってしまう。はっきり言ってギャンブルだ。それも会社の評判に関わるほどの悪質なギャンブルだ。

 わたしも他の同僚も内心では辟易としているのだが、社長がこの男をいたく気に入っているため進言することもはばかられる。堂島は目上の人に取り入るのも上手い。その手の人心掌握術に長けていて、それだけで業界を渡り歩いてきたと言っても言い過ぎではないのだ。



「うわー、最悪ですね。その上司」

「でもいるんですよねー、そういう人」

 仕事帰りに入った居酒屋で、わたしは“堂島課長”のエピソードを披露していた。

「ね、いるでしょ。それで驚くのはさ、今日はそれが上手くいって、商談成立しちゃったんだよ」

 笑いと呆れが入り混じったような声で宴席がどっと沸く。

「そういえばこの前、ウチの上司も完全にパワハラやっててさ」

「わたしも飲み会でサイテーなセクハラ発言されました」

 わたしが話し終えた後はたいてい他の人が話し始める。わたしはそれを真剣に聞く。相槌を打ちながら、聞いたことがない展開は頭にメモをしながら。

 そうやって他人のエピソードを収集し再構成して他で話すのが、いつしかわたしの生きる術になっていた。はじめて行く酒場では“堂島課長”が鉄板だ。自分が「はじめまして」で入っていけば、そのままエピソードにつなげられる。でも話す相手には注意をしなくちゃいけない。ちょっと気を抜くと強烈なカウンターを食らうこともあるからだ。

「その話、はじめまして、でしたっけ?」

 ってね。

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