与太ガラス

Open App
2/21/2025, 12:58:44 AM

 円い台の上に粘土の塊を載せ、ろくろを回す。回転に合わせて指先から粘土に触れ、造形を整えていく。陶芸を生業として二十年、来る日も来る日も土との対話をし続けた。私の作品は芸術性と実用性を兼ね備えたデザインとして、日本のお茶の間で使われている。

 今では週に二回の陶芸教室も開催し、門弟を指導するまでになった。ありがたいことに結婚して子宝にも恵まれた。充実した陶芸家人生を歩んでいる。

「先生、ここがどうしても上手くいかなくて」

 陶芸教室で生徒たちの様子を眺めていると、カホさんから呼び止められた。この教室に何年も通い続けてくれている生徒さんだ。

「あ、はい。ちょっと見せてください」

 見ると器の壁になる部分がデコボコしている。意欲は高いが不器用なのかなかなか上達しない。いや、そう決めつけてはいけない。私の教え方にも問題があるのだろう。

「じゃあ一緒にやってみましょうか」

「はい、お願いします」

 私はカホさんのてを支えるように持ち、耳元で指示をしながらろくろを回した。

「いいですよ、そう、ゆっくり力を込めて……」

「わぁ! 上手くできました!」

 カホさんが私を振り向き、顔と顔が数センチのところで目が合った。

「おっと」

「あらやだ、失礼しました」

 お互いに目線を逸らす。そのタイミングで教室内を見回したが、他の生徒たちは自分のろくろに集中していてみていないようだった。

「先生、教室が終わった後、少しお時間よろしいですか?」

 目線を外した耳元で、カホさんが小さな声でささやいた__


 教室から生徒たちが帰った後、私は一人で片付けをしていた。すると一旦は外に出たカホさんが足音も立てずに教室に戻ってきた。

「あの、お話というのは……」

 聞きたくないような、聞きたいような、聞いてしまったらもう戻れないような予感がしていた。

 私はずっと疑問に思っていた。なんでカホさんはまったく上達しないのにこの教室に通い続けているのか。なんで毎回同じところでつまづいて、私にサポートを求めてくるのか。そして私がカホさんの手に触れるたびに、なんで私の心臓の脈打つ音が早く大きくなるのか。

 私は知っている。私は既婚者だが、カホさんも既婚者だ。誰もいない教室に二人きりというのもよくない。いやそれはいいだろう。陶芸教室の先生と生徒なら何もやましいことはない。そう思ってしまっている私の方がまずいのか……?

「先生、私、いけないことだとはわかってるんです」

 やめてください、それ以上はいけません。

「でも、どうしても想いを止めることができなくて」

 どうか、どうかその想いは秘めたままに……。

「先生が、何年も何年も真剣に教えてくださるのに、私ったら全然上手くならなくて」

「それは……私の指導が下手なんですよ。こちらこそ申し訳ないです」

「それでも親身になって教えてくださる先生に、私、申し訳なくて……、気づいたら私……」

 これ以上は、私も止められなくなってしまう。

「こんなことをするのは、先生への、もっと言えば、長年一緒に学んできた他の皆さんへも裏切りになるかもしれないんですけど……」

「やめましょう。そんなこと、口に出してはいけない」

 私はついに声に出してカホさんを制止していた。あるいはそれは私自身に向けて言っていたのかもしれない。しかし覚悟を決めたカホさんの口を止めることはできなかった。

「先生には、陶芸以外の別のコトも教えてもらいたいって、思ってしまったんです」

 私は動揺して椅子を蹴ってしまい、部屋中に大きな音が響いた。ダメだ。いけない。これ以上は私の理性が保てない。

「カホさん、それはいけない。私は陶芸しか教えられません」

「わかってるんです。こんなお願い、ルール違反だって。でもほんの少し。ほんの少しでいいんです。そこから先は、自分でもがんばりますから」

 頭の中で理性と本能が死闘を繰り広げていた。そしてついに、私の理性は敗れ去った。

「わかりましたよ。私も覚悟を決めました。もういいです。あいまいな言葉はなしで、はっきりと何を教えてほしいか言ってください」

 私はついに本能をさらけ出した。

「ありがとうございます! 私が教えてほしいのは3Dプリンターです」

 3Dプリンター? カホさんの思わぬ発言に私は呆然としてしまった。

「私、どうしても作りたい理想の器があるんです。頭の中では完璧にデザインが仕上がっていて、これが作れたらこの教室も辞めようと思ってたんですけど」

 カホさんは先ほどまでのもじもじした態度とは打って変わってつらつらと語り始めた。私の感情はぐちゃぐちゃになっていた。

「やっぱり3Dプリンターも難しくて、まだ全然使いこなせないんです。だから」

「だから?」

「先生、工業系の高校出てますよね? 私にCADの使い方、教えてくれませんか?」

 私は混乱の境地に至り、ついに最後の言葉を解き放った。

「今すぐ出て行け〜!」

2/20/2025, 12:52:46 AM

 スタジアムにはたくさんの観客が集まっていた。今日はカバディの最強チームを決める年に一度の大会だ。場外にも出店やグッズショップがオープンし、活況を呈している。

 スタジアムの関係者入口に一人の男が訪れた。黒いTシャツに短パンという出で立ちで、台車に大きな荷物を載せている。

「あ、すみません。ここは関係者以外立入禁止です」

 警備員が男に声をかけた。

「あ、いや、その、関係者です」

 男は間抜けにもただ関係者だと主張した。

「そんな言葉で信用できるか。IDカードとか、何か証拠を見せなさい」

「まいったな。あのー、担当者には顔パスで大丈夫なんで、IDは出しませんって言われてるんですよ」

 男は困った表情をしている。

「失礼ですがあなたは誰ですか?」

 警備員はそう言われても信用するわけにはいかないと態度を崩さない。しかし要人であれば失礼があってはいけないから、慎重に聞いた。

「あ、そのー、中の人です」

「中の人?」

「はい、あの」

 男は台車の荷物を指差して言った。

「なんだその荷物は。中を見せなさい」

 警備員の語気が強くなる。不審物ならもっと警戒しなければいけない。男が荷物を開けると、中からカバの着ぐるみが出てきた。

「ディーカバくんです」

 カバディ協会の公式マスコットである。

「お前、ふざけるんじゃない。超人気キャラクターのディーカバくんの着ぐるみなんか作って!」

「いやこれ本物ですって」

「お前! ディーカバくんに中の人なんかいない!」

「これ被っても?」

 男は持ってきたディーカバくんの頭部をスポッと頭に被った。

「いや違う! お前じゃない! ディーカバくんは被り物とかじゃないんだ!」

 男は困り果てて首の裏をかいている。

「はい、お引き取りください」

 男は台車を引いて関係者入口から去って行った。とりあえずトイレに向かい、個室に入る。男はうなだれた。

(はぁ、今日もここから始めなきゃいけないのか……)


 関係者入口に全身フル装備のカバの着ぐるみが現れた。ディーカバくんである。体中に何人も子どもが張り付いていて離れない。

「あ、おはようございます! 今日もお疲れ様です!」

 先ほどの警備員が満面の笑顔で応対する。当然IDカードなどはぶら下げていない。

 ディーカバくんは、無言で手を上げて応えた。腕にぶら下がっている子どもがぐいっと持ち上げられてキャッキャしている。

「はーい君たち! ここから先はディーカバくんしか入れないからね。体から降りようね〜」

 警備員の手によって子どもたちが剥がされていく。

「さ、ディーカバくんさん! どうぞお通りください」

(毎回やるけど、このシステム本当に嫌なんだよ。早くID発行してくれよ)

2/19/2025, 9:24:46 AM

手紙の行方 保留!

2/17/2025, 11:43:57 PM

 高温で熱せられた肉が煙を上げる店内で、男の顔は不規則に炎に照らされていた。眼光鋭く、肉の色の変化を見つめている。リズミカルに塩を振る手が膝と連動して動いた。

 幾本も並んだ串を手早く裏返していく。焼けた肉が艶やかに姿を現す。もう一度塩を振り、次の串の準備に入る。

 焼き台の前に戻ってきたその瞬間、炎を受けた男の目が輝いた。

 男は串を掴み、焼き台から皿へと移しかえる。

「はいおまちどお! もも一丁!」

2/17/2025, 12:14:51 AM

 沖縄の砂浜に二人腰掛けて、遠く水平線に沈む夕日を眺める。目の前にある大きな天体がゆっくりと、しかしはっきりと、その光を海に吸い込ませているのを見ると、真に時の流れを知らしめるものは、天体の他にないのだと気付いた。

「ずっとこの夕日を見ていたいね」

 君が言った。

 そう思った。

 それでも光は海に溶けていき、エメラルドに輝く水を闇に沈めた。

Next