ある国の地方都市にある美術館。その片隅にその絵は飾られていた。
「こちらが『永遠の花束』です」
案内人の女性が壁にかかった絵を右手で指し示した。簡素な額縁に入れられたそれは、静物画のセオリーに倣った花瓶ではなく、花束として描かれている。
「まさか。これが永遠の……?」
男の声に動揺が混じっている。絵の中の花束に描かれたものは花が落ち、茎も葉も枯れ朽ちて色褪せている。
「紛れもなくエルマンド・ウィレの作品です」
「バカな。私が画集で見たものとは似ても似つかない! 構図はそのままだが、花が! 赤いバラやリシアンサスやカスミソウを散りばめた美しい花束だったはずだ!」
男は声を荒げた。
「その画集は、おそらく1940年代に出版されたものでしょう。当館にもその資料は残っています」
「細かく覚えていないが、それがなんだと言うんです?」
「この絵に関する逸話をご存知ではないですか?」
「逸話?」
「ご存知ないようでしたら教えて差し上げましょう」
「この絵は、エルマンドが恋人のパルマに贈るために描いたものとされています。愛を込めた花束を渡すよりも、自分は画家なのだから絵画として永遠に残る花束を贈ろうと考えたのです」
「その話なら聞いたことがある。病気がちの恋人に、病室に飾る絵を贈ったのだと」
「その通り。それは病に侵され、病室から出ることのできないパルマへのメッセージでもありました。“君は病に打ち勝って、生きながらえることができる。君は枯れることのない花束だ”とエルマンドは伝えたかったのです」
「ですがこの絵を見たとき、パルマはこう伝えたと言います。『あらエルマンド、わかってないわね。花は枯れるから美しいのよ。私だってあなたと一緒にかわいいおばあちゃんになりたいもの』」
案内人は男の反応を待つように言葉を切った。
「その後ほどなくしてパルマはこの世を去りました。絵画に描かれた『永遠の花束』と同じように、永遠にうら若き姿を留めたまま土に葬られたのです。エルマンドは自分の過ちを嘆きました」
「そして毎日この絵の前に座り、この絵を描き直し続けたのです。自身が老いていくのに合わせて、花の色を移ろわせ、ゆっくりと枯れさせていきました。エルマンドが亡くなったときも傍らにこの絵が置かれていたそうです」
「そんな、そんな物語があったんですね」
「ただ」
案内人の女性は絵に向き直り微笑みながらつぶやいた。
「私は長年この館に勤めていますが、この花束、数年前より色褪せているように私には見えるんですよね」
いつの頃からか、物事を俯瞰で見る癖が付いていた。私は両親を事故で亡くして、小学校の途中から施設に入った。環境が一気に変化して、知らない大人の顔色を見ながら過ごす生活が続き、自分がどう見られているかに敏感になったのだ。自分は学校の友達とは違う境遇にいて、そのことで周囲から特別な存在と見做されている。そんな感覚を持つようになった。特別な存在……どちらかというと「異質な存在」か。
だからこそ施設には同じような境遇の子どもたちが集められているんだろうと勝手に解釈している。年齢はバラバラだけど、何らかの理由で親がいない子どもたち。その共通項だけで緩やかな家族を形成している。
でもそれは内側の共同意識を高めはするものの、外側から見れば異質性を強調する装置にもなっていた。
「ナオちゃん、一緒に遊ぼ!」
「今日、ミナポンの家でパーティーするの。ナオちゃんも来て。……お菓子はみんなで用意するから」
外の友達ができなかったわけじゃない。友達のお家にお呼ばれしたこともある。いじめられた記憶もない。だけどみんな私の境遇を知っていて、どこかで気を遣ったり遠慮したりしていた。それはみんなのやさしい配慮だったはずだけど、私にとってそれは、かつてみんなと同じだった私が、いまはみんなと同じではないことの証明だった。
やさしくしないで。
私は心の中で強く叫び、その度にそんなことを感じる自分はやさしくない人間だと自分を傷つけていた。
高校を卒業したら施設を出なければいけない。私はその日が来るずっと前から、大学に入ったら一人で生きていこうと決めていた。小さな商社に就職してからも、とにかく一人で生活を続けていくことだけを考えていた。オシャレへのこだわりもなく、趣味もなく、ただ小説や連続ドラマだけを楽しみに生きていた。無事に生き続けることだけを目指していた。そこには両親への親孝行のような気持ちも少しはあるのかもしれない。
気がついたら30歳になっていた。30代になるとただ生きていくのも難しいと痛感させられる。仕事だけの日々では体力も落ちる年齢だ。私は健康を維持するためにジムに通うようになった。
「はーい、ラスト15回オッケーです。お疲れ様でしたー」
トレーナーに促されてレッグプレスから体を起こす。先週より5キロ重い設定をクリアできた。
「ありがとうございました」
汗を拭きながら更衣室へと向かう。怠けずに取り組み続ければ成果が出る筋力トレーニングは、自分に合っている趣味かもしれない。
「きゃっ!」
更衣室のベンチに腰を下ろしていたら、いきなり後ろから肩のあたりを掴まれた。
「ごめんなさい! 足がふらふらで……。お姉さん大丈夫ですか?」
派手な髪色の女性が私に寄りかかっていた。バランスを崩して倒れ込んだらしい。
「私は大丈夫です。そちらこそ大丈夫ですか?」
私が言うと、彼女は両足を思いっきり投げ出して、ベンチに大の字に寝転んだ。
「もうムリ〜! マシンは全然動かせないし、走ったら心臓バクバクで足も痛いし、せっかくお金払って入ったのに何にもできない! もうやめたい〜!」
彼女は人目も気にせず駄々っ子のように気持ちを叫び始めた。そこまで聞いてないですよと思ったが、同時に自分のダメな部分をここまでさらけ出せるのはすごいなと驚いた。
「ジムに来るの初めてだったんですか?」
「そうです。今日初めて来たんです。でも一番軽いやつでも一回も上がらなくて、なんかトレーナーさんに申し訳ないし恥ずかしいし」
半べその声でまくし立ててくる。
「初めてならそんなもんですよ。続けられればできるようになります」
「本当ですか? お姉さんはどのくらい通ってるの? 最初はどうだった?」
途中から敬語がはがれている。たぶんこれが通常営業なんだろうな。
「もう2ヶ月は経つかな。いまは15キロは上げてますよ」
「本当? 私もできるかな」
彼女の顔がぱあっと明るくなる。なんて表情が豊かな子だろう。
「あ、でも私の場合、最初から5キロは上げられましたけど……」
私がそう言うと彼女は顔が曇って唇を尖らせた。
「ほらー。やっぱりそうじゃん」
今度は勝手にすね始める。
「そうだ! 私、カナデって言います。お姉さんまた来るでしょ。一人じゃ続けられないから。一緒に筋トレやりましょうよ!」
ものすごいスピードで距離を詰められて面食らってしまったが、見事な甘えっぷりに施設のチビたちを思い出した。
「ナオです。でもサボってたら置いてっちゃいますよ」
「やだー。も〜トレーナーさんも厳しいし〜。もっと私にやさしくして〜!」
その子の屈託のない反応に、失礼かなと思いながらも私は声を出して笑ってしまった。「やさしくして」と叫ぶこの女の子のことを、私はもう放っておけなくなっていた。
「警部! 現場の壁に飾られていた絵の裏からこんなものが!」
部屋の中を調べていた捜査員が飛び込んできた。手に封筒を持っている。
「これは……手紙?」
細長い茶封筒はテープで口が留めてある。
「この家に住む何者かが隠した手紙かと」
慎重に封筒に入った手紙を取り出すと、二つ折りの便箋に次のように書かれていた。
いたずらをする子にはおやつ抜きです
「これは……」
書き置きのように見える。
「おか、母親から子どもへの書き置きだな」
警部が言った。
「ごめん、おそくなった」
突然部屋に見知らぬ男が入ってきた。
「こら! 捜査中だ! 部外者は入ってくるな」
捜査員の一人が制止する。
「あ、もう始まってるんだ。ごめんて、自転車の鍵を探してたら遅れちゃって」
男はとぼけたセリフをはいた。
「これはこれは探偵さん。ぜひ私たちの捜査に加わってください」
男は探偵のようだ。
「あ、ぼく探偵役なんだね」
男も探偵と自覚したようだ。
「話を戻そう。僕たちは昨日から刑事ドラマごっこをやっていて、犯人役がテーブルの裏にガムをくっつけたり、額縁の裏に落書きをしたりしたのを見つけ出す遊びをしていた」
警部が状況を説明する。
「それは刑事ドラマじゃなくてただのイタズラじゃないかな」
探偵は鋭い指摘をした。
「そして今日になって事件は起こった。お母さんによって用意されているはずのオヤツが何者かによって盗まれていたんだ」
「えー、最悪じゃーん」
事情を知らなかった探偵は新鮮なリアクションでガッカリした。
「もしかしたらこの手紙に書かれているのは何かの暗号では? おやつ抜きという言葉に何かヒントがあるのかもしれません!」
捜査員の一人がひらめいたとばかりに大声を出した。
「そうか、これは子どもへの書き置きに見せかけた暗号だったのか! 簡単な暗号だ。この文章から『お』と『や』と『つ』を抜けばいいんだ! そこにオヤツは隠されている!」
「ちょっとそれ、ぼくにも見せて」
探偵は手紙を警部から受け取った。
「はあ、これ、暗号なんかじゃなく、言葉どおりの意味だと思うけど?」
探偵の言葉に、警部は顔面蒼白となる。
「なんだって! そうか! やられた!」
「警部!どういうことですか?」
捜査員も慌てふためく。警部は事件の真相を語りはじめた。
「お母さんは僕たちが昨日イタズラをしたと思い込んで、今日も調べるであろう場所に先回りしてこの手紙を隠したんだ」
「まさか、それじゃあこの事件の真実は?」
「今日は本当にオヤツ抜きだー!」
警部たちは自分たちの捜査ミスに涙を流した。
「自業自得だよ」
「ゴホゴホゴホ! ンン〜!」
アキラは喉の不調に悩んでいた。ここのところずっと喉の奥に痛みがあり、咳も出ている。乾燥が続いている影響だとは思うが、風邪かもしれない。しかし仕事が立て込んでいて病院に行く時間もなかった。
「課長、大丈夫ですか?」
職場の部下の相良が心配して話しかけてきた。
「ああ、悪いな。この時期、気になるよな」
アキラはかすれ気味の声で答えた。こんな状態だとオフィスの中でもマスクは欠かせない。
「僕、すっごい効くっていうのど飴の話、聞いたんですよ」
相良は身を乗り出してきて言った。
「おいおい、あんまり近づくなよ。なに? なんていう飴? 試してみるよ」
相良はさらに近づいてきて小声でささやく。
「実はお店では売ってなくて、駅前に出てる露店で売ってるらしくて……」
相良は内緒話をするように詳細をアキラに教えてくれた。普段はキツく当たってしまうけど、コイツ案外いい奴なのかもしれない。
相良の言っていた場所に行くと、その露店はあった。手書きの文字で大きく「バイバイのど飴」と張り紙がされていて、とても古臭く場末っぽい。しかしその不気味さも含めて、なんとも興味をそそる店構えだ。
「いらっしゃい」
白髪頭の男性がアキラの姿を認めて声をかけてきた。
「その、バイバイのど飴が効くと聞いてきたんですが」
「ええ、とても良く効きますよ。一粒なめたら翌日には喉の痛みとバイバイしてるでしょう」
「どんな味がするんですか?」
「そりゃあ、梅干し味ですよ。梅梅って」
「あ、バイバイって梅梅なんですね。それは気づかなかった」
一粒1000円はかなりの値段だが、相良から評判も聞いているし、一粒で痛みがなくなるならとその場で購入した。
「ああ、悪いけど、必ず家に帰ってからなめてくださいよ。すぐに効くから、こんなところで大騒ぎされたらお客さん集まってきて大変だから」
そんなに速効性があるのか? それにお客さんが増えてほしくないとは商売っ気がないな、とアキラは思ったが、店主の言葉に従ってその場を後にした。
自宅に帰ってのど飴をなめる。舌に触れた瞬間に梅の酸っぱさを強く感じ、唾液があふれてくる。酸味は強いが確かに効いている感じはするぞ。
「あ、ああ、ア〜ア〜!」
のど飴が溶け切ると、アキラの喉の痛みは一切消えていた。
「すごい! すごいぞ! 本当に痛みが消えている!」
翌日は一日快適に過ごせた。肩や腰にガタが来ているのはいつも通りだが、久しぶりに喉の不調がないだけで身体が軽くなったように感じる。
仕事が終わると、アキラはまたあの露店の前に来た。
「ありがとうございます! 本当に一粒で嘘のように痛みが消えました!」
アキラが興奮気味に話しかけると、店主は手で制しながら言った。
「そりゃあどうも。ほら、あんまり騒がないで」
「ああ失礼しました。あまりの効果に驚いてしまって」
「そんなに良かったなら、これも試してみるかい?」
店主は別ののど飴を手のひらに載せていた。
「アンタ、身体に痛いところはないかい?」
まさか。
「まあ、肩や腰はもうずっと痛いですよ。デスクワークばかりなんでね」
「こののど飴はね『倍々バイバイのど飴』っていうんだが、喉じゃなくて、身体の痛みがある部分を手で触りながらなめると、痛みが消えるんだ」
「そんな上手い話が……」
と言いかけて、アキラは言葉を止めた。そんな上手い話を昨夜体験したばかりだ。
「一万円だよ」
アキラがお札を手渡すと、店主はイヒヒと笑いながらのど飴を渡してきた。
「すごい! 本当に痛みが消えました! 肩が軽い! こんなに楽になるなんて! もっと早く知っていれば良かった!」
翌日、露店の前に立ったアキラはさらに興奮した声で店主に話しかけていた。
「はいはい。そりゃあ良かったね。もう痛いところもないだろう」
「ああ、そうですね。おかげさまで」
売るものがなくなったらもう客じゃないと言わんばかりに淡白な対応だった。
「でも、感謝だけは伝えたくて」
アキラがそう言ったあと、しばらくの間沈黙が続いた。店主はアキラを品定めするようにじっと見ていた。
「実はもうひとつだけ、売れるものがあるんだが……」
「なんです? どんな効果なんですか?」
「誰にも言うんじゃないぞ」
「はい、もちろん」
「『サヨナラバイバイのど飴』だ」
「これを、顔も見たくない大嫌いな相手になめさせるとな……次の日にはアンタの目の前から姿を消すんだ」
「え、それって……」
「なめたら最後、泡を吹いて気を失う」
「それじゃあただの毒薬じゃないか!」
店主はイヒヒと笑った。
「100万だ。買うかい?」
「冗談はやめてください。失礼します」
「イヒヒ、悪かったね。ああ、これ、口直しに持っていきな」
店主は別ののど飴を取り出してアキラに渡した。
「もうアンタがここに来ることもないだろう。サヨナラだ」
アキラも礼を言ってその場を離れた。
アキラが去ったあと、露店に一人の男が現れた。
「ああ、相良さん。上手くいったよ」
相良は帯のついた札束を店主に渡す。
「イヒヒ、まいどあり」
街に着くと、ちょうど商店が立ち並ぶ通りの始まりのあたりに褪せた緑色の服を着た男が立っていた。話しかけると
「わたしは旅の途中の者です」
とだけ返された。
「奇遇ですね、私も旅をしているんです」
と言ったが、男性は同じ答えしか返してこなかった。何度話しかけてもその調子なので、私はただのNPCかと思って別れを告げ、この街での用事を済ませることにした。あまり大きな仕事にありつくことはできなかったが、多少の路銀を手に入れたところで切り上げて、この街を出ることにした。
次の街に着くと、なんと旅の途中の男がいた。よく考えたら前の街からここまでは一本道で、他に宿場があるわけでもないから、再び出会うのは必然だったかもしれない。でも私は顔を知る人がいて嬉しくなった。
「また会いましたね」
私が笑いかけると、男性は挨拶もなしにこう口にした。
「ここから山が見えるでしょう。あの山で獲れるククルパの実は、フツ肉といっしょに煮込むと絶品なんですよ。この街で一番のグルメです」
これは何かのヒントかもしれないと思い、私はこのセリフを心のメモに書き留めた。
「ありがとうございます。この街での旅の目的に加えてみます」
私はさっそく山に向かった。街の人に聞くと、山にはそこに住む偏屈な木こりがいて、山に入ると難癖を付けてきて困っているのだそうだ。
山に分け入るとすぐに大男に行く手を遮られた。手には斧を持っている。
「この山になにをしにきた! よそ者にここを通すわけにはいかん!」
男が威嚇するので、私は慎重に目的を告げる。
「ククルパの実を探しに来たんです。この街のグルメだと聞いたもので」
これを聞いた大男は鋭い目で私を睨みつけた。
「なぜよそ者がククルパの実を知っている? ふん、いいだろう。だがククルパの木の在処を教える代わりに少し手伝ってもらうぞ」
どうやら私に選択肢はないらしい。私は彼の山小屋に案内された。彼の手伝いとは、山の管理と獣の対策だった。
彼が街の人を山に入れないのは、遭遇すれば死に直結する獰猛なフクツクグマがこの山に生息しているためで、彼はクマが山から出ないよう警戒をしているのだそうだ。
「お前さんならもしかしたら、フクツクを倒せるかもしれんなぁ」
薪割りや狩猟を教え込まれた私は、すっかりこの大男に気に入られたようだ。そしてなぜか猛獣フクツクグマを退治するパーティに入れられていた。
私は彼と共闘してフクツクグマの討伐に成功し、その猛獣から獲れるフツ肉とククルパの実でフツ鍋を振る舞われた。旅の途中の男が言ったとおり、味は絶品で体力がみるみる回復していくのと同時に身体の内に膂力が漲ってくるのがわかった。
その後、私は彼とともに街へ下り、街の人々に事情を伝えた。大男は人々とすっかり打ち解け、山への出入りも自由にできるようになった。私はちょっとだけ有名になり、この街での他の用事を円滑に片付けることができた。
街道を行く道すがら、私はあの旅の途中の男の事を考えていた。もしかしたらあの人は、この旅の案内人なのかもしれない。自覚があるかないかに関わらず、私の運命のカギを握っているのかも……。
次に訪れたのは大きな城のある街だった。そして……やはり街の入り口付近に、あの男は立っていた。
「やや! あのフクツクグマを倒したんですか!? さすがわたしが見込んだ人だ!」
こちらから何の事情も話していないのに、近づいただけで言ってきた。それから細かいエピソードを話そうとしても、同じ反応を繰り返すだけだった。やはりただのNPCなのだろうか。
諦めて街の奥に行こうとしたところで、どこからか全身に鎧兜を纏ったゴツゴツした男たちが周りを取り囲み、トサカのような飾り兜を着けた人物が大音声で宣った。
「貴様が宝物庫の鍵を盗んだ犯人だな! 大人しくお縄につけ!」
なんか世界観に合わないセリフだなと思っているうちに、私は屈強な男たちに捕まってしまった。大立ち回りをしようにも多勢に無勢だし、あんまりお城のある街で印象の悪い行動は取りたくない。
それにしても宝物庫の鍵って何だろう。街に着いていきなり、とんでもない濡れ衣だなぁ。そう思っているうちに、私は牢屋に投獄されてしまった。
こういう時は何か糸口を探さなきゃいけない。牢屋の中のものを物色してみる。と言っても道具になりそうなものはなにもなかった。となれば看守に何かアプローチするか。しかし近くにいる気配がない。これはいよいよ詰んでしまったか?
「こちらが牢獄でございます」
石の壁に男の声がこだました。牢獄に案内? 私に面会か?
鉄格子を隔てた先に現れたのは褪せた緑色の服を着たあの旅の途中の男だった。
「これはこれは、こんなに上手くいくとは思いませんでした」
やっぱりNPCじゃなかったー!
「驚いておいでのようですね。そう、あなたに無実の罪を着せたのはわたしです」
男はやはり勝手にしゃべりはじめた。あれ? 結局NPCなのか?
「なんでそんな事を」
それっぽい反応を返してみる。
「言ったでしょう。わたしは旅の途中だと。あなたと同じようにね」
え? 私と同じ?
「わたしもあなたと同じ、この世界を救うためにプレイをしている主人公なんです」
やっぱりNPCじゃなかったー!
「なんで私を騙すようなマネを?」
男は得意顔で語り始めた。
「この世界にはやらなければいけない『用事』が星の数ほどある。でもすべてをクリアするのには大変な時間と労力がかかります。だから同じプレイヤーのあなたに手伝ってもらったんですよ」
確かに私は新しい街を訪れるたびに、その街で発生する様々な用事をこなしている。それはこの世界を救うために必要なことだ。
「前の街のこと、覚えておいででしょう」
あの街? そういえばあの山に行こうと思ったのは、こいつのセリフを聞いたからだ!
「フクツクグマのイベントは得られるステータスは大きいですが、木こりに気に入られて修行を完了させるのにとても時間がかかる。だからあなたにやっておいてもらったんです」
言われてみれば修行にふた月もかかっていた。
「今後必要になるククルパの実も、このあとで行けば街で買えるようになっていますからね」
私がクマを倒して街の人が山に出入りできるようになったからか!
「じゃあ、この投獄も?」
「もちろん。この街では宝物庫に忍び込んでキーアイテムを確保する必要がある。でも鍵を盗んだことは必ずバレて、捕まるまでがこのイベントの筋書きなんです」
なるほど、またもやこいつにしてやられたわけだ。
「あなたがわたしの代わりに時間を費やしている間に、わたしは旅を続けさせていただきますよ」
「とんだ詐欺師もあったもんだ。あんたに救われる世界に同情するよ」
私は負け惜しみともつかない皮肉を放り投げた。
「なぁに、ただの協力プレイですよ。ほら、宝物庫の鍵は差し上げますから、年季が明けたらすぐにキーアイテムを盗って街を出てください。もっとも、それができるのは3年後ですけどね」
そう言うと男は鉄格子の隙間から鍵を投げ入れた。
「では。お互い旅の途中ですから」
そこまで聞くと、私は笑い声を抑えることができなくなっていた。
「あはははははっ! やはり私の推論は当たっていたわけですね」
「え? なんですって?」
男はキョトンとした顔でこちらを見た。
「あなたは私の運命のカギを握っていると、ずっと思っていたんです」
私は笑顔を作ったまま鉄格子に手を掛けた。
「この街に来る直前に『フツ鍋イベント』がある理由を考えたことがおありですか?」
「な、なにを言っているんです?」
私はフツ鍋を食べて得た膂力をもって鉄格子をねじり曲げ、易々と牢屋から足を踏み出した。
そして旅の男の肩を思い切り掴んで耳元でささやいた。
「これからも一緒に、協力プレイしていきましょうね……」