「ねえパパ、これはなんていうお花?」
これは、きれいなお花が大好きでタンポポの名前をまだ知らない君。
「ねえママ? これ、ごはんに付いてるの、これ、カレーパンマンの色?」
これは、ママが作ったカレーのおいしさをまだ知らない君。
「ねえパパ、あの白いのはなんで空を飛んでいるの?」
これは幼い頃、空をただよう雲をまだ知らない君。
マナは目に付くものをなんでも知りたがる子どもだった。マナが知らないことは、パパとママがなんでも教えてあげた。
いろんなものに興味を持ってほしくて、動物園、水族館、遊園地も、いろんなところに遊びに行ったね。でも君は、近所の公園にいるときだって変わらず笑顔で遊んでいた。
「ねえパパ? きょうはママのおっきい写真がいっぱいお花といっしょにあったけど、ママ楽しかったかな? ママはいつ帰ってくるの? 早くママに会いたい」
その日僕は初めて、マナの質問に答えることができなかった。この世界からいなくなってしまったママが、もう家に帰ってこないことを、まだ知らない君に……、僕はなんて声をかけたらいいんだろう。
「パパ、なんで泣いているの?」
ごめんね、君に伝えるべき言葉がわからなくて、僕は泣くことしかできないんだ。
「パパにね、泣かないでいい方法を、マナが教えてあげるね」
突然の君の言葉に、僕は情けない声を出すことしかできなかった。
「え?」
「あのね、いつも眠るときにね、ママがいないと悲しいんだけどね、目をつむるとね、ママがいるんだよ。目をつむるとママに会えるって、ママが教えてくれたんだよ」
僕はその言葉を聞いたとき、泣きやまなきゃいけないって必死で考えながら、涙を止めることができなかった。
君から何かを教えてもらうのはその時が初めてだったかもしれない。自分の娘がこんなにも成長していたことを、まだ何も知らなかったのは、僕の方だった。
そうだねマナ。二人とも知らないことはまだまだたくさんある。これから二人で知っていこう。ママがいない世界の生き方を……。
うだるような暑さの日が続く。こんな中で外の現場を20日連続で入れるなんて、ウチの会社は何を考えてるんだろう。首に巻いたタオルで汗を拭う。歩道と植え込みの境に開けた穴にポールを差し込んでいく。
「はいOK! 一旦休憩しよう!」
私は作業員たちに声を掛けた。
人が日陰を求めるようになってから、何年が経っただろう。半世紀以上も前から叫ばれていた地球温暖化に画期的な解決策を発見できなかった人類は、世界的な取り決めから大国が離脱していく形で諦めの態度を取り続けている。
今では日本の夏は八ヶ月続くようになり、真夏の直射日光は文字通り凶器と化した。そのおかげで私はこうして公共の仕事にありついている。
私はいま立てたばかりの白い2本のポールを見上げた。
ガサッ
「あー失礼しましたー」
振り向くと日傘を差したカップルが通り過ぎるところだった。私のヘルメットのつばとカップルの男性が持っていた日傘が当たってしまったようだ。
「うわやば、“ひかげもん”じゃん、触れたらやばいって。行こう行こう」
カップルの男が女性に向かって漏らした。私に十分聞こえる声で。
「はーい、危険ですのでお下がりくださーい」
私は気にする素振りも見せずに事務的な言葉を吐いていた。町中に日陰を作る。ただそれだけの職業なのに。
日陰製造業(我々の会社は事業内容をサンシェイドメイキングと謳っている)は「2050年代の新しい仕事ベスト10」に入り、政府からも今後最重要のインフラ事業になると賞賛された。
しかし言葉の持つイメージからか、単純に仕事内容のキツさからか、日陰製造業は大衆からは嫌われる業種となり、就職市場でも避けられていた。そしていつからか、その従事者は“ひかげもん”と揶揄されるようになった。
「よし、次、シェイドの取り付け行くぞー!」
『あーい!』
私の号令で休憩から戻った作業員たちが仕上げに取り掛かる。2本のポールに日除けの天井「シェイド」を取り付ける作業だ。
不浄・不潔なる者への差別意識はこの国の、いや世界的に見ても伝統としてある。こちら側から見れば国民の健康と安全の為にやっている必要不可欠な仕事でも、その身に及ぶ病などへの不安や無理解から遠ざけてしまうのは人間の持つ根源的な防衛本能なのかもしれない。
そしてエッセンシャルワーカーの労働環境が良くないのもこの国の伝統と言えるかもしれない。どう考えても日の入りから開始した方が安全な仕事なのに、日中の勤務が20日も続いている。それを業界団体に進言したところで「夜間シフトもやっている。それでも足りないから昼間も勤務していただいているんです」で終わりだ。
社会インフラとして必要としている人が地域がたくさんある。発注が後を断たない。すでに工事予定日に一ヶ月も遅れが出ている。だから24時間体制で働いてます! それが補助金を貰うための大義名分だ。
もっとも、ウチの社長曰く、
「陰がどれくらいできるかなんて、太陽が出てるときにやってみなきゃわからんだろ」
だそうだ。そんなもん測量とか座標とか、数学でどうにかなるだろう!と反論したいけど、誰も学がないので言い返せない。
「はーい! シェイドの取り付け完了しましたー!」
作業員から完了の合図が出た。
「OK! 遺留物がないか確認してなー! 確認したら次行くぞー、すぐに乗り込めー」
そして私は作業員たちと共に、ポールとシェイドを山盛りに積んだトラックの荷台に乗り込んだ。次の現場へと向かうのだった。荷台に幌を付けることすら、いつからかやらなくなっていた。
街を歩いていて、帽子屋さんの店頭に並ぶセール品のカゴが目に付いた。様々な帽子が無造作に置かれている中に、一風変わった帽子があった。
鍔広のハットで右半分にスパンコールのブルーのラメが輝いていて、左半分はメカっぽさのあるシルバーの光沢がある。未来のパリピが被っていそうなデザインだ。
わー、変わった帽子だなぁ。しかもセール品で安くなってる。これかぶって合コンに行ったらウケるかな。
試着して店内の鏡を見る。いかにも怪しい。
「わぁ、とってもお似合いですよ」
店員さんが話しかけてきた。そんなわけないのに。
「これ、売れ残ってますよね。だからこんなに安いんでしょ?」
店員さんは苦い顔で笑っている。
「決してそのようなことは……」
「いいですよ、これください」
「え、あ、ありがとうございます〜」
550円を払ってお店を出た。
さっそく買ったばかりの帽子をかぶる。昼間っから街中を歩くのも恥ずかしいデザインだ。
『おお、ついにこの帽子の所有者が決まったのか』
ん? なんか聞こえる?
『お、この声が聞こえておるようじゃのぅ』
洞窟の中のようなくぐもった声が頭に反響している。周囲を見渡しても人の気配はない。そもそもこんな帽子を被っている人には寄りつかない。
「もしかして、帽子から声出てます?」
私は声に出して言ってみた。
『おお! その通りじゃ! なかなかすぐに理解できるものじゃないぞ。さすがこの帽子を買うセンスのある者だ』
「それ褒めてないですよ。それよりこれ、どうやって声出してるんですか? 霊的なやつですか?」
『はっはっはっ。心霊現象と思っても無理はないが、そうではない。これは近未来のウェアラブル端末でのぅ。帽子型の高性能サポートアイテムじゃ』
「既に存在してるのに『近未来』なんですね」
『まだ一般向けに実用化されてないから近未来なんじゃ。普通のサラリーマンなんかじゃとても手が出せないような値段だったじゃろう?』
「あ、めちゃくちゃ安かったです。売れ残ってたんで。ワンコインでした。正確にはワンコイン+税でした」
『なんと……資本主義の弊害じゃのぅ』
「そんなことより、コレどうやって声出してるんですか? 脳波に直接語りかけてるとかですか?」
『脳波に直接……!あっはっはっ! さすがにSFの見過ぎじゃ! そんな技術は存在しないわ』
「なんかツボ入ってるみたいですけど、そんくらいのこと起きてますからね」
『これは骨伝導じゃ』
「ええ? 骨伝導ってあのツーカーの?」
『よく覚えてるな。当時は画期的だったのに歴史に埋もれてしまったな』
「へぇ、その技術って生きてたんですね」
『君の耳石に直接語りかけておる』
「なんか脳波よりイヤな表現だな。耳の穴こちょこちょされてる気分になる。ところで、普通に会話してますけど、あなたはどこにいるんですか?」
『どこも何も、帽子に内蔵されておる』
「え? 帽子の中に? だって今しゃべってるのって、その、博士……ですよね」
『これはこの帽子の機能であるサポートAIの音声じゃ』
「え? じゃあなんでそんなに博士口調なんですか?」
『開発者であるわしの声をサンプリングして作られておるからな』
「なんでそんなことするんですか。こんな口調だから霊的な何かだと思われるんでしょ」
『そんなことはどうでもよい。なにかサポートしてほしい事はないか?』
「あー、じゃあ僕、これから合コンに行くんですけど、そこで気の利いたアドバイスもらえませんか?」
『なんじゃそんなことか、お安い御用じゃ。だがなぁ、そもそもこんなハイセンスな帽子を被っていたらそれだけで若者たちはメロメロじゃろうに』
「いやそこはリスクしかないわ〜!」
いまにして思えば、あれは小さな勇気だったのかもしれない。
何かのニュースで見たからか、体感として思っていたからか、そのどちらもだったかわからない。でもその頃、夏の日差しが体に悪いことを意識し始めていた。
僕は友達と街に行くたびに、帽子屋さんの前を通っては、気になる帽子を探していた。僕がいいなと思ったのは、羽根飾りの付いたツバ付きの帽子。ハットって言った方がいいのかな、あ、そう、トイ・ストーリーのウッディが被ってる形の帽子だ。いま気づいた。ウエスタンガンマンの定番衣装と言ってもいい。
でも僕は自分にそんな帽子が似合うとは思えなかった。僕は何度もこのお店の前で立ち止まっては、やはりそのまま通り過ぎるのだった。
小さな勇気を絞り出したのは、どうしようもなく日本の夏が暑いからだ。帽子もせずに外を歩くなんて自殺行為だ。そう思ったからにすぎないと、僕は自分に言い聞かせている。暑さのせいにしてしまえば、あとで後悔してもいいと思った。もちろんそれは言い訳で、僕はその羽根付き帽に心を奪われていたんだ。
そして僕は羽根付き帽子を買ったんだ。レシートを見ると「中折れハット」と書かれていた。調べてみると色々な呼び方があった。ウエスタンハットはちょっと形が違うらしい。
僕を知っている友達は、待ち合わせにいきなり僕がこの帽子を被って現れると、たいてい驚く。「雰囲気変わったね」とか「そのオシャレ帽どうしたの?」とか言ってくる。僕はその度に居心地を悪くして、なんとなく「暑いから帽子買っただけだよ」なんて返していた。
次第に、帽子を被って外に出るたびに、小さな勇気を試されるようになった。すれ違う人からはどんな目で見られてるだろう、また友達からからかわれるんじゃないか、やっぱり僕には似合わなかったんだ……。
「それはアンタが素直じゃないだけでしょ。卑屈すぎんのよ」
久しぶりにサークルの同期と飲んだとき、ど直球のアイリの言葉が飛んできた。乾杯して早々に帽子をイジられたから、僕は「似合ってないよな、コレ」と返したのだ。
「アタシは別にイジってないし、久しぶりに会った男子がオシャレしてたら褒めるでしょ。そこでアンタがシャットアウトしたら会話なんて生まれないのよ?」
僕はその言葉に黙ってしまったが、周りはゲラゲラと笑い出した。
「なんだよソウタ! そんな風に思ってたのか?」「オレもその帽子見て驚いたけどさ、ソウタもセンスあるじゃんって思ったんだぜ」「似合ってるよ。いやむしろ一目置いたよ」
みんなが一斉に僕の事を語り始めた。僕がひねくれていただけで、僕がこの帽子を買った事は間違いじゃなかったんだ。
「ほら自信持ちなさいよ。アンタが選んだ帽子に失礼でしょ」
それから僕は、毎朝羽根付き帽子を被り、小さな勇気をもらっている。
誰から命じられることもなく、自分から行動することには、絶えず小さな勇気が伴うということに。自ら選び取った未来ならば、それは勇気を出した結果なのだと思っていいんだ。
だから私は今日もまた、誰に命じられることもなく、己に課したルールとして、こうして物語を綴っている。
※この物語はフィクションです。
簡素な木製の扉を開いて中に入ると、そこは紙と本であふれるアトリエだった。中央に無垢材のテーブルが置かれ、その上に紺色のカッティングマットが敷かれている。色とりどりの紙を収納する抽斗も完成した本を並べた本棚もすべて木で作られていた。
「素敵な空間ですね。思わず息を呑んでしまいました」
ライフスタイル情報誌「Calm」の取材として、私は今日初めてこの工房を訪れた。カメラマンのクサカさんも同行している。
「ありがとうございます。私にとってはいつもの仕事場になっておるんですがね。たまに訪れた方にそうやって新鮮に驚いてもらえると、甲斐があります」
そう話すのは取材対象のタツミヤ たまてさん。絵本作家だ。65歳になった今でも精力的に作品を出し続けている。今日はこの人の創作の原点を探るためにやってきた。
「少し撮影してよろしいですか?」
クサカさんはカメラのファインダー越しに室内を切り取り始めた。
「ええ、構いませんよ」
タツミヤさんは柔らかい雰囲気で、取材には協力的だ。取材に応じてくれても、こちらの質問に全く反応してくれなかったり、なぜか敵意を表してくるような人もいる。そうでないだけで、取材の半分は成功だ。
「早速ですが、お話うかがってもよろしいですか?」
少し世間話をしたあと、インタビューの開始を切り出した。録音用のICレコーダーの説明も行う。
「ええ、どうぞ」
タツミヤさんは優しく答えた。
>>タツミヤさんが絵本作家になったキッカケを教えてください
私はね、子どもが驚いてる姿を見るのが大好きだったんです。純粋に「わぁ!」って言ってるのを聞くと、心の豊かさを感じるんです。
>>たしかにタツミヤさんの作品は「驚き」を突き詰めているように感じます。
一番の驚きは本を開いたときに目に飛び込んでくるものでしょう? それを最優先で考えたら、今の形になって行ったんです。
>>タツミヤさんの絵本は小さなお子様へのプレゼントとしてたいへん人気でらっしゃいます。
いまの時代はデジタルだとかゲームだとか、そういったものがたくさんある世の中なので、絵本というのは古くさいと思われるかもしれない。でもやっぱり紙の良さというのは、あるって信じていたいですね。物として、実物がある良さ。
それでね、私の作品なんかすぐボロボロになるんですよ。それが思い出になるんです。そう思ってくれてる人が子どもにプレゼントしてくれてるんじゃないですかね。
>>実は私の実家にもタツミヤさんの絵本があったんです。いまそれを思い出しました。
いやぁそれはありがたいですね。物持ちが良い。
>>最後に、65歳を迎えた今でも創作を続けるその原動力を教えてください。
やっぱり子どもの笑顔ですね。それを想像しながら紙を切って、どんな形で飛び出したら、どんな顔で驚くだろうって考えながらやることですね。
「本日はありがとうございました」
インタビューを終えて、私は深々とお辞儀をした。
「いえいえ、こちらこそ。ちゃんと読者が開いたら“わぁ!”と驚くページに仕上げてくださいね」
この人は本当に人が驚く姿が好きらしい。
「ああ、それから、これは私からいうことではないかもしれませんが……」
タツミヤさんは最後に私たちにある提案をしてきた。
【飛び出す絵本作家タツミヤたまて「わぁ!」と驚く65歳アトリエインタビュー】
こんなタイトルで「Calm」3月号に掲載された特集はタツミヤさんの代表作の1ページを開いた写真を大きく載せて、読者に多くの驚きを与えた。
私はこの記事の文末をこう結んだ。
驚いた顔が大好きなタツミヤさん。巻末には読者のみなさんに「わぁ!」っと驚くプレゼントをご用意しました。みなさんの驚いた表情をSNSにアップしていただくと(タツミヤさんが)喜びます。
タツミヤさんの提案で、巻末にはタツミヤたまて書き下ろしの飛び出すグリーティングカードが添えられた。