与太ガラス

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1/10/2025, 12:27:28 AM

 なんとか流星群が地球に近づいていた。星のかけらが地球へと降り注ぐ。人の目には美しい天体現象だが、星のかけらにとっては最期に煌めく一瞬の輝きだ。

 誰かの死に際に願いを捧げるというのは、神や仏に祈るのと同じ風習なのかもしれない。

 流れ星が彗星から剥がれ落ちた星のかけらなら、我々人間もこの地球から生まれた星のかけらだろうか。

 あれはハレー彗星が話題になった頃だったか、その時分に恋仲だった人に

「彗星の別名はほうき星と言ってね、長い光のしっぽを出しながら通り過ぎるだろう? それがほうきの姿に似ているからそう呼ばれているんだ」

 などと高説を垂れたことがある。

「そのほうきの部分は彗星が撒き散らす塵で、流れ星の素なんだよ」

 私は得意になってうんちくを述べた。すると相手は

「ふーん、ほうきなのに塵を集めずに撒き散らすんだ。掃除の時間に遊ぶ悪ガキじゃん」

 と返してきた。

 向こうは変な意図もなく素直な感想を述べたに過ぎないが、私は自分が散らかした能書きを上手く回収された気分になって、屑籠に飛び込みたくなった。


※この物語はフィクションです。事実を元にしたエッセイではありません。

1/9/2025, 12:48:37 AM

 リリリリリリリン・・・!

 電話が鳴っている。スマホではない。部屋の中で、もはや置物とも化石ともなっていた固定電話が音を立てている。出てみればどうせ営業電話か無言電話か謎の外国語かだろう。すべて私宛の着信ではない。でもうるさいから音を止めるために出なければいけない。

 私は書斎を出て電話のあるリビングに向かった。

 ガチャっと受話器をあげると、余韻を残して音が止まる。

「お忙しいところ失礼します。世論調査のお願いです」

 男の声が言った。なんだ結局世論調査じゃないか。やはり私宛の連絡ではなかった。だが電子音声じゃないのは珍しい。男性の肉声だ。

「どういったご質問ですか?」

「実は【えん】についてお聞きしておりまして」

「円? はあ、円安についてですか? 私の商売とは直接関わりはありませんが、ニュースを聞くと困ったものだと…」

 言っている途中で相手が遮った。

「あ、その円ではなくて」

「え? ああ失礼。早とちりでした」

 向こうから勝手にかけてきた電話でなんで私が謝っているんだ。私はイライラして電話機と受話器を繋ぐクルクルの線を指に絡めた。

「えっと、漢字で書くとその円なんですけど、円そのものというか、輪です。輪っか」

「はあ。円ですか。丸い方の。それで?」

 聞いても要領を得ない。どういう質問なんだ?

「円って、なんだと思います?」

「はあ? 円は丸だろう。丸いもの、サークル状のもの」

「具体的には何を思い浮かべますか?」

「車のタイヤ。円だ」

「いいですね。他には?」

「一体何が聞きたいんだ?」

「円と聞いて連想するものです」

「カップやグラスの縁はたいてい円だな」

「そうですね」

「ボール、玉、えーと水晶玉」

「どちらかというと|球《きゅう》ですが、いいでしょう」

 いちいちめんどくさいな。その流れなら

「太陽、月、もちろん地球もか」

「大きく出ましたね。いいですよ」

「リング、そう指輪だ」

 何をさせられているんだ。

「おお、指輪! その通りだ」

 この男の何にヒットしたのかわからない。

「もういいだろう、なんなんだこれは」

「他にも、あなたのご家庭の中に、円はありませんか?」

 私は部屋の中を見渡してみる。

「皿も円だな、缶詰も上から見れば円だ。あとは時計、アナログ時計。ニンジンも輪切りにすれば円だ」

 目に入ったものを言っていく。意外と多いな。

「その調子です。もう少し」

 もう出てこないよ。と思いながら手元にある電話に目をやる。

「ダイヤル…」

 目の前の電話機に目を凝らす。

「はい?」

「ダイヤルの数字に指を入れるところも円だ」

「え、もしかして黒電話使ってます? この令和に?」

「仕方ないだろ。お題がring ringだったんだから。黒電話を使うしかないじゃないか」

「ちょっと何言ってるかわかりません」

 うるさいな。

「あとこの、受話器を繋ぐ線にも円がある」

「あのクルクルになってるやつ? どちらかといえば螺旋では?」

「いちいちうるさいな。リングと螺旋なら同じようなもんだろ」

「鈴木光司のジャパニーズホラー?」

「いいんだよ、そこは掘らないで。じゃなくて、このくるくるも縦に見れば円に見えるだろう」

「いい発想ですね。三次元を二次元にしている」

「もういいだろう」

「じゃあ物体から離れて」

「はあ?」

 物体ではない円? 哲学? 思想?

「輪廻とか? 円環思想?」

「ほら、まだまだ出てくる」

「興味はないが」

「ご家庭にある、そういう、円のような」

 家庭にある? 物ではない円…?

「家庭円満…てこと?」

 なんだこと変な恥ずかしさは。

「ありがとうございます。もう充分でございます」

 コイツ勝手に切り上げたぞ。

「一体なんだったんだ」

「こちらは円と聞いて一番に“幸せ”を連想する人がどれだけいるかの調査でした。残念ながら今回は失敗です」

「じゃあ最初のくだりで終わってたでしょ。大丈夫なんですか? 一個の電話にこれだけ時間かけて。最後、ほとんど【なぞなぞ】でしたし」

「一つだけ聞いて終わりだと失礼ですし、我々もつまらないので」

「じゃあただの暇つぶしじゃないか」

「楽しかったです。ありがとうございました」

 そう言って男は電話を切った。

 まったく、迷惑な着信だ。でも、

「円、リング、球体…」

 少しは頭の体操になったな。

1/7/2025, 11:52:24 PM

 ずっと何かに追われている。

 逃れたくて走り続けているのに、引き離すこともできない。わたしの背後に、ぴったりとくっついて離れない。その感覚だけがある。たまに相手も勢いを緩めたかと思うが、油断をする間もなく迫ってくる。わたしは休むこともできない。

 追われて、追われて、追われ続ける。

 最後に家族で食事をしたのはいつだっただろうか。あの夜はカズキの好きなカレーライスを食べて、お気に入りのゼッケンジャーの服にルーをこぼして大騒ぎだったな。そんな夜を再び迎えることはできるのだろうか。

 昔、誰かに言われた。たぶんおばあちゃんだ。おばあちゃんの知恵というやつだ。

「追われている時は、決して振り向いてはいけないよ。振り向いたら・・・」

 なんだったかな。振り向いたら、その先は・・・。

 だからわたしは振り向くこともできない。何に追われているのか、知ることもできないのだ。

 その間もわたしは、背中と、耳と、鼻とでその存在を認識している。

 こんな時なのに、新作プレゼンの資料のことが気になってしまう。サワキさんはちゃんと46部印刷しただろうか。会議室の延長申請は出していたかな。わたしはそのプレゼンにたどり着くことはできるのか?

 昔、誰かに言われた。おじいちゃんだったかな。

「追われているうちが華だ」と。

 何が華だ。つらいだけだ。でもおじいちゃんは「追われていれば自分の力以上のものが出せる」と言っていた。それはそうだ。追いつかれたら捕まってしまうんだから、追いつかれまいと必死になれば、自分の持っている力以上のものを出すしかないに決まっている。

 そんなことを考えている間にも、わたしは追われている。

 ええい、いっそ・・・

 いっそここいらで、立ち止まってやろうか。

 立ち止まってやったら、きっと向こうもびっくりして、往生するに違いない。

 いいか、やれるのか、本当にその覚悟はあるのか?

 おばあちゃんの言葉はまだ思い出せない。

 でも、それでも、その先に今とは違う景色が見えるのなら・・・

 わたしは思い切って立ち止まった。すると奴は猛烈な勢いで襲いかかってくる。

 わたしはおそるおそる振り返った。

 すると今度は、立っているのもやっとなほど、顔に、目に、耳に、全身に叩きつけ、突き刺し、えぐり、傷つけ、次々に通り過ぎていく。

 その瞬間、おばあちゃんの言葉が降りてきた。

「追われている時は、決して振り向いてはいけないよ。振り向いたら、追い風は向かい風に変わるから」

 追い風の勢いについていけなくなったわたしは、すぐに向かい風と戦う羽目になった。なんだかそれも、楽しいような気がしている。

1/7/2025, 2:07:00 AM

 今日も上司に詰められている。売上が届かない。資料の修正が遅い。企画書の内容が薄い。

「係長なら係長の役職に見合う仕事をしてください。あなたが成長しなければ、会社も成長しませんよ」

「はい、すみません」

 今日も謝ってばかりだ。なんとか解放されて会社を出ると、妻から「醤油買ってきて」というメッセージが入っていた。やることが積もりに積もったまま、帰り道も憂鬱だ。

 あー、いっそ隕石でも降ってきて、全部なくならないかなー。

 空を見上げて叫ぶ。すると空から大きな黒い塊が降ってきて…え、え? え!?

「どーん!」

「ぐはぁ!」

 お腹のあたりに突然大きな衝撃が走った。目を開けるとユウキが私の上に乗っていた。これはあれか、変な夢から覚めるときのパターンか。

 「おとうさん、きょうはあそべるんでしょ! はやくおきて!」

 そうか、今日は休日でユウキと遊ぶ約束をしていた。私にとっても最近の楽しみはこれだけだと言っていい。

 いつの間にかユウキは6歳になっていた。ユウキはスマホよりひと回り大きい子ども向けのゲーム機を取り出した。タッチ操作ができるものだ。

「これ! パズルのゲーム。ぼくがやるから見てて」

 そう言うとユウキはパズルゲームを始めた。自分の子どもの頃との環境の違いにただただ圧倒される。ユウキは器用に細かいピースをつなげていき、あっという間にパズルを完成させた。

「すごいなユウキ! こんなパズルもできるのか!」

 我が子の成長に手放しで喜ぶ。最近はお父さんの方ができないことが多いんじゃないかと思う。

「つぎはおとうさんの番だよ! はいどうぞ!」

 そう言って新しい盤面を渡された。いまいちルールもわからないまま始めたが、画面を見ると制限時間がついている。

 え、うそ、全然わかんない。

 あちこちピースをつなげてみるが、まったく上手くハマらない。いろいろ試行錯誤をしているうちにタイムオーバーになってしまった。画面の中で小さいヒヨコのキャラクターが「ざんねん!もういっかい!」と言いながら泣き顔を作っている。

「おとうさんもまだまだだな」

 顔を上げるとユウキがニコニコ笑っている。私はその大人びた言い方が妙におかしくて笑ってしまった。

 「そうだな、お父さんまだまだだな!」

 私はユウキの顔に手を伸ばし、頭をくしゃくしゃの撫でた。

「よーし! じゃあもう一回やらせて! お父さん今度はがんばるから!」

「もーしょうがないなぁ」

 そうだよな。お父さんも同じだ。まだまだ成長できる。

 お父さんも、君と一緒に成長していこう。

1/6/2025, 3:34:17 AM

 シャッターに貼った年末年始休暇の貼り紙をはがしたら、膝下で踏ん張りながらお店のシャッターを開ける。その奥に出てきた自動ドアも手ずから開けると、1週間こもっていた紙の匂いが私に向かって吹き抜けてくる。

「ふう」

 思わず顔を背けて空を見上げると、たゆたう雲も薄い穏やかな冬晴れの陽気だった。

「今日も力仕事からスタートっスねぇ〜」

 久しぶりに、いつもの独り言を漏らした。

 店内に入り、雑誌の積まれたラックを外に出す。年末に入荷が止まってスカスカとはいえ、本は重たい。三つ目のラックを出して、それぞれを軒下に配置し終えると、店長がのっそりと現れた。

「おはようございます。あ、あけましておめでとうございます」

 年末から会っていないことを思い出して言い直す。

「ああ、おはよう。今年もよろしくね。いつもありがとう」

 足を悪くした店長は、杖をついて歩くことが多くなった。重たいものを動かせないから私が雇われていると言っても間違いではない。雑誌以外の新刊本の発注はすべて店長が行なっている。

「裏に雑誌があるから、並べておいてくれるかな」

「はい、わかりました」

 バックヤードに行くと新刊雑誌が届いている。ここ数年の間に、この店に届く雑誌の部数は減っているという。廃刊で雑誌の種類も減っているし、個々の発行部数も減っている。それでも私には本は重たい。

 たまに思うことがある。足の悪い店長を置いて、私がお金を持って逃げることを、店長は考えたことはないんだろうか。

「俺が面接して採った人間が、そんなことするわけねぇよ。そうだろ?」

 気になったから直接聞いてみた。そしたらこの回答だ。

「でも私の居眠りには気づいてますよね?」

 店長は大口を開けて笑った。

「自分から面と向かって言うかね。この子は。本屋なんてな、それぐらいぼんやりしてた方がいいんだよ。この街では」

 正月明けの初日。駅前商店街もゆっくりと起き出した。まだお休みの人も多いかなと思ったけど、午前中からいつもよりお客さんは多かった。

「手帳を買い忘れてて」とか「お正月番組見てたら、今年の運勢、ちゃんと見ておかなきゃと思って」とか、色々な理由で本屋さんの開店を待ち望んでいた人たちが足を運んでくれた。

 ちょっと先の栄えている駅まで行けば、手帳も処分価格になっているだろうに。この街に生きている人たちには、この本屋への信頼があるんだと感じた。

 そんなことを口にしたら、店長はこんなことを言ってきた。

「立ち読みも万引きも大目に見てやってたからな」

「え?」

「いまのこの街を支えている連中は、ガキの頃にみんなここで立ち読みしてた。万引きしようとしたヤツには、ここで読んでいくなら金は取らねえ、万引きしちまったら警察に伝えるって言ってたんだ」

「それが信頼につながるんですか?」

 いまは立ち読み禁止を掲げる本屋も多いけど、昔はそうでもなかったというのはよく聞く。

「金がないうちは立ち読みでも構わない。本を読まないで大人になるよりずっといい。大人になって金を払えるようになったら、その時に本を買ってくれればいいんだよ。あの子どもたちの内の何人かでもな」

「そういうもんですかねー。ずいぶんお人好しな気もしますけど」

 強かな店長にしては人情じみた話だ。

「それが本屋を長く続けるコツってことだ」

 そう言って店長はニヒルな笑みを浮かべた。

「だから、俺が続けなきゃならねぇんだよ」

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