与太ガラス

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 リリリリリリリン・・・!

 電話が鳴っている。スマホではない。部屋の中で、もはや置物とも化石ともなっていた固定電話が音を立てている。出てみればどうせ営業電話か無言電話か謎の外国語かだろう。すべて私宛の着信ではない。でもうるさいから音を止めるために出なければいけない。

 私は書斎を出て電話のあるリビングに向かった。

 ガチャっと受話器をあげると、余韻を残して音が止まる。

「お忙しいところ失礼します。世論調査のお願いです」

 男の声が言った。なんだ結局世論調査じゃないか。やはり私宛の連絡ではなかった。だが電子音声じゃないのは珍しい。男性の肉声だ。

「どういったご質問ですか?」

「実は【えん】についてお聞きしておりまして」

「円? はあ、円安についてですか? 私の商売とは直接関わりはありませんが、ニュースを聞くと困ったものだと…」

 言っている途中で相手が遮った。

「あ、その円ではなくて」

「え? ああ失礼。早とちりでした」

 向こうから勝手にかけてきた電話でなんで私が謝っているんだ。私はイライラして電話機と受話器を繋ぐクルクルの線を指に絡めた。

「えっと、漢字で書くとその円なんですけど、円そのものというか、輪です。輪っか」

「はあ。円ですか。丸い方の。それで?」

 聞いても要領を得ない。どういう質問なんだ?

「円って、なんだと思います?」

「はあ? 円は丸だろう。丸いもの、サークル状のもの」

「具体的には何を思い浮かべますか?」

「車のタイヤ。円だ」

「いいですね。他には?」

「一体何が聞きたいんだ?」

「円と聞いて連想するものです」

「カップやグラスの縁はたいてい円だな」

「そうですね」

「ボール、玉、えーと水晶玉」

「どちらかというと|球《きゅう》ですが、いいでしょう」

 いちいちめんどくさいな。その流れなら

「太陽、月、もちろん地球もか」

「大きく出ましたね。いいですよ」

「リング、そう指輪だ」

 何をさせられているんだ。

「おお、指輪! その通りだ」

 この男の何にヒットしたのかわからない。

「もういいだろう、なんなんだこれは」

「他にも、あなたのご家庭の中に、円はありませんか?」

 私は部屋の中を見渡してみる。

「皿も円だな、缶詰も上から見れば円だ。あとは時計、アナログ時計。ニンジンも輪切りにすれば円だ」

 目に入ったものを言っていく。意外と多いな。

「その調子です。もう少し」

 もう出てこないよ。と思いながら手元にある電話に目をやる。

「ダイヤル…」

 目の前の電話機に目を凝らす。

「はい?」

「ダイヤルの数字に指を入れるところも円だ」

「え、もしかして黒電話使ってます? この令和に?」

「仕方ないだろ。お題がring ringだったんだから。黒電話を使うしかないじゃないか」

「ちょっと何言ってるかわかりません」

 うるさいな。

「あとこの、受話器を繋ぐ線にも円がある」

「あのクルクルになってるやつ? どちらかといえば螺旋では?」

「いちいちうるさいな。リングと螺旋なら同じようなもんだろ」

「鈴木光司のジャパニーズホラー?」

「いいんだよ、そこは掘らないで。じゃなくて、このくるくるも縦に見れば円に見えるだろう」

「いい発想ですね。三次元を二次元にしている」

「もういいだろう」

「じゃあ物体から離れて」

「はあ?」

 物体ではない円? 哲学? 思想?

「輪廻とか? 円環思想?」

「ほら、まだまだ出てくる」

「興味はないが」

「ご家庭にある、そういう、円のような」

 家庭にある? 物ではない円…?

「家庭円満…てこと?」

 なんだこと変な恥ずかしさは。

「ありがとうございます。もう充分でございます」

 コイツ勝手に切り上げたぞ。

「一体なんだったんだ」

「こちらは円と聞いて一番に“幸せ”を連想する人がどれだけいるかの調査でした。残念ながら今回は失敗です」

「じゃあ最初のくだりで終わってたでしょ。大丈夫なんですか? 一個の電話にこれだけ時間かけて。最後、ほとんど【なぞなぞ】でしたし」

「一つだけ聞いて終わりだと失礼ですし、我々もつまらないので」

「じゃあただの暇つぶしじゃないか」

「楽しかったです。ありがとうございました」

 そう言って男は電話を切った。

 まったく、迷惑な着信だ。でも、

「円、リング、球体…」

 少しは頭の体操になったな。

1/9/2025, 12:48:37 AM