窓を覗き込むと、千々に破れた雲が嵐の中をのたうち回っているようだ。轟音もガラス越しでは小さくくぐもって聴こえる。
朝のコインランドリーに人はまばらだ。かと言ってこの空間をひとりで占拠できるほどではなかった。最近ではコーヒーを出すコインランドリーもあると聞くけど、この町にそんな気の利いた設備があるわけもなく、昔からある洗濯機で回る雲を眺めるぐらいしかやることはない。
1週間分の洗濯物を詰め込んで、自転車の前カゴに入らないから背負ってくる。乾燥が終わるまで待っている必要もないけど、他に時間を潰せる場所もない。
外は澄んだ大空が広がっているだけだ。
雲ひとつない空を見ているくらいなら、嵐の中を蠢く洗濯物を見ていた方が楽しい。規則的な回転の中を不規則に衣類が踊る。その混沌は「f/1ゆらぎ」のようで心地よい。
窓からのぞくドラムの中は胎児の記憶を呼び起こされるようだ。ずっと静かに、この胎動を眺めていたい。
ゴロゴロゴロ…ザ…ザーーー
洗濯が乾燥に切り替わった頃、外の景色が一変した。大空は突如として雲に満たされ、雷鳴が響き始めた。
ああ、自転車で来てる。
乾燥が終わったら、しばらく窓の外を眺めていよう。
カラランカラン…カラランカラン…!!
乾いた寒空にハンドベルの音が響いた。
「おめでとうございます! 4等、100円分の商品券です!おめでとうございまーす!」
年忘れ大福引き大会は、この商店街の年末の風物詩となっている。今年もたくさんの人が列を成し、この福引きを楽しんでいた。
福引き抽選器の後ろには福引券を受け取って案内をする男性、隣にはハンドベルを持った女性が並んでいた。
「あのー、すいません、鳴らさないでもらっていいですか?」
いま福引きを引いたばかりの男が注文をつけた。
「は、はい?」
「ベル、鳴らさないでもらっていいですか?」
「いや、でも、あの4等当たったんで」
「だから4等でベル鳴らさないでください」
「なんでですか、当たりじゃないですか」
「いや4等の賞品、なんて言いました?」
「100円分の商品券です」
「めちゃくちゃハズレやないかい! これ福引券、一枚もらうのに1000円以上の買い物が必要なんですよ、全然損してるじゃないですか」
「そんなこと言われてもなぁ、金券ですからね」
「だから、ベルを鳴らさないでくれたらいいんですよ。あー100円分かぁ、って思うだけだから。これを当たりって言われるといやいや違うでしょ、と」
「宝くじだって300円で当たりですよ」
「300円当たりって言うやつおらんねん! あんなんおもんないおっさんが『オレ宝くじ当たったよ、300円』って言うためだけにある賞やねん、しょうもない」
「でも参加賞が箱ティッシュですよ、これがハズレでしょ」
「なんならそっちの方が嬉しいわ! いま紙も高くなってるからね!」
「いやです」
「え?」
「4等でも鳴らします」
静かにやり取りを聞いていた女性がしゃべり始めた。
「いや、3等からでいいでしょ」
「私、今日これを鳴らしに来たんですよ! これが私の今日の仕事なんです!」
「だから3等から鳴らせばいいじゃないですか」
「いやだ! これ見てください」
そこには福引きの当選本数リストが書かれていた。
「1等 電動自転車 1本。2等 最新オーブンレンジ 2本。3等 空気清浄機 5本…」
3等までで合計8本だ。
「少なすぎるでしょ! こんなに寒い中、一日中ここに立って、仕事8回!? ここの商店街、しょっぱすぎるでしょ!」
「しょうがないのじゃない。みんなこのご時世で商売も大変なんだから」
興奮する女性を男性がなだめる。
「で、4等は?」
「100本」
「多すぎるでしょ! 逆に多すぎるって! あなたずっとベル鳴らしてることになりますよ?」
福引きを引いた男性はリストを見てあることに気づいた。
「え? これ電器屋さんの負担大きすぎませんか? これ全部、電器屋さんの協賛ですよね」
「あ、私がこの町の電器屋です」
福引きを担当していた男性が手を挙げる。
「ああこの人だった! え? あ、でも電動自転車は自転車屋さんか」
「自転車屋さんは昨年潰れました。それもウチで扱っています」
「あ、全部電器屋さんだ!」
「今年はどこも協賛してくれなくて」
「もう電器屋さんの福引き大会になってる! かわいそうになってきた」
「私、この日のためにハンドベルの練習をしてきたんです」
「え?なんですか?」
「ハンドベル教室に通って、猛特訓してこの日に備えてきたんです!」
「どうかしてますって、そんなんやる人いないですよ」
「いまではハンドベルを完全にマスターして、ハンド ベル子の芸名で活動しているんです!」
「意外と安直なネーミングですね」
「だから、1等が出たらこの曲を披露するつもりなんです」
そしてベル子はどこからか8つのハンドベルを取り出すと、たった一人で鮮やかにベートーベンの第九を奏でたのだった。
「もうそれで稼げるって! 全国の福引き会場回ってこい!」
あの子は物精(もののけ)に取り憑かれている可能性があります」
電動キックボードを返却スポットに停めて振り返った先輩は出し抜けに言った。
「はっ、え? あ、、、くはぁ…」
長い距離を走って急に止まったところに予想外の一言を告げられて呼吸ができない。
「そ、そんな、どうして…」
どうしてあの人が取り憑かれていると思ったのか、どうしてあの人が先輩の店に来ていたのか、どうしてあの時…、ああ訊きたいことは山ほどあるのに息ができない。
「そもそも私が何故あの店を開いたかですが…」
僕の次の言葉を待たずに先輩が話し始めた。そこから話してくれるんですね。
「まずここ数年の物精事案にキャラクターグッズが絡むことが多くなっているんですよ」
キャラクターグッズ? ってクリアホルダーとかTシャツとか? あとはアクリルスタンドとか?
「先輩、物精って確かに道具とか偶像とかに宿るものではありますけど、そんな大量生産のプラスチック製品? なんかに取り憑いて、力を持つことなんてできるんですか?」
前を歩く先輩はチラとこちらを振り返り、やれやれといった顔で視線を外した。なんかむかつく。
「物精の力は想いの強さです。仏像、十字架、教会、モスク、このような信仰心を捧げる『場』に想いが集まれば、どんな物でも、どんな精霊でも力は強くなるのです。思念の世界の住人は想いを食べて強くなる、というのは我々除霊師には常識のはずでは?」
…ご教授ありがとうございます。それで先輩は推し活グッズショップを開いて、ん? それで推し活する人を集めて、グッズを売りつけて…
「じゃあ先輩は、あの店で物精の霊媒になるようなグッズを売ってたっていうことですか?」
ノルマを達成するためにわざわざ物精を呼び出す手助けをしてるってこと? マッチポンプ? 自演乙? 悪質な不正だ! 背任行為だ!
「その逆ですよ。私の店の商品には、すべて私の霊力が込めてあります。物精の気配を感知すれば私にすぐに伝わるようにしているのです。霊力を辿れば商品の在処ありかもわかります。推し活グッズに物精が集まるのなら、その元を断てばいいということです」
早とちりの勘違いでした、すみません。要は物精もののけによる被害を未然に防ぐことで組に貢献してるってことか。本当にこの人は頭の回転がお早いことで。
「今回のその子は常連さんなんですよね? 先輩の店のグッズを使ってるのに取り憑かれてしまったんですか?」
もしかして、先輩の霊力破れたり〜ってこと?
「私の店はまだ作品のキャラクターグッズを置くまでの規模とコネがありません。おそらく物精が顕現しているのは別の店で買ったアクリルスタンド。使っているアクスタケースも同時期にウチではない店で買ったものでしょう」
なるほどですね。先輩の店もまだまだ発展途上ってことだ。
「そこまでわかっていたら、あの場で除霊することもできたんじゃないんですか?」
「君が霊力ダダ漏れでレジに近づいたからですよ。それで物精もののけに感づかれて、警戒されてしまったんです」
自分が足を引っ張っていることに逐一気付かされるとさすがにへこんでくる。だったら店の手伝いなんかさせるなよ。
「もっとも、物精が憑いているアクスタケースは肌身離さず持っているでしょうから、あの場で事を起こしたら、あの子に危害が及ぶ恐れもありましたけどね」
「でもよく推し活なんかに目を付けましたね。グッズショップまで開くなんて、やっぱり先見の明があるっていうか」
多少ヨイショしておかないと、この人から見放されかねない。
「私は推しを愛する人に苦しんでほしくないだけです。推し活とは本来、人生を豊かにするもの…。なのに人の寂しさに付け込んで己の霊位を高めようなど、許しがたき所業です」
あ、そういえばこの人、ナチュラルに推し活が好きな人だった。
「着きました。ここに霊力の反応が留まっています」
先輩が立ち止まって目を向ける。そこは【メゾン アルテミス】というプレートが掲げられた、小さなアパートだった。
「やったー!完成!」
カナデがリビングに置かれたこたつの前で手をパチパチ叩いている。
「冬は一緒にこたつに入ろうね」というカナデの言葉を思い出し、ネットでこたつセットを注文していた。ようやく訪れた休日に合わせて到着した品物を、こうして二人で組み立てた。
「これが私からのクリスマスプレゼントってことで」
思ったよりいい値段がして、少しだけ尻込みした。
「あはは、めっちゃ和風のプレゼントだね! ありがとう」
二人で使える生活の品なら高いということもないだろう。カナデは座ってこたつに脚を突っ込んだ。
「私、夢だったんだよねー、こたつに入るの。なんか家族感がマシマシになると思わない?」
確かにこたつを囲んでテレビを見るのは、古き良き日本の姿って感じはする。
「カナデの家には、こたつはなかったんだ?」
私も腰を下ろしてこたつに脚を入れる。中の温度はまだぬるかった。
「なかったよー。この部屋と同じフローリング? で、床暖房がついてて」
「あー、わかるわかる。ウチもそんな感じだった」
こたつの王道といえば畳の部屋だ。
「だからこたつのこの感じ、体験したことなかったから憧れてたんだよねー」
でもそれなら、こたつのある風景にはまだ足りないものがある。
「じゃあ、あれ、買いに行こうか」
夕飯は念願のロールキャベツにした。カナデがコンソメで味付けをして、しっかり煮込んで作った。忙しい日々にゆったりした時間が流れる。
食後、こたつの上に買ってきたみかんを置いて、二人で脚を入れた。
「ナオさっすがー! これだよコレ! こたつにみかん!」
カナデは興奮しながら、みかんにスマホのカメラを向けている。
「やっぱりあったかいな」
私はみかんを剥きながら言った。さっきまで冷たかった脚がぽかぽかしてくる。
「ウチの家族って会話が少なかったんだよね」
カナデがとつとつと語り始めた。
「私とお母さんはよくしゃべってたけど、お兄ちゃんとかお父さんとかは全然話す時間がなくて」
カナデの家庭の話は今まで聞いた事がなかった。
「お父さんはホント忙しくて、一緒にごはん食べることも少なくて、気が付いたらお父さん帰って来なくなってた」
「え?」
「ああ、ウチの両親、その頃、私が中二ぐらいの時かな、離婚してるの」
私は相槌もうまく打てなかった。もっと早く言ってほしかったとは言えない。
「別に暴力とかはなかったよ、だから男の人が怖いとかそういうのは全然なくて」
珍しいことではないし、自分と重ねても特別不幸というわけじゃない。でもそこにある複雑な感情を推し量るのは簡単じゃない。
「いきなりごめんね。なんかさ、ナオと暮らしてて、こういうのんびり話す時間があると、あの時もっと話せてたらなぁとか考えちゃうんだ」
家族で話す時間。それを今の生活で感じてくれているのは嬉しい。
「年末は…、お母さんのところに行かないの?」
そんな話もしていなかった。実家があるなら帰省するのが当たり前だ。
「でも、そうしたらナオが」
カナデが私の顔をまっすぐに見て、寂しそうな顔をする。
「ナオがひとりになっちゃうじゃん」
なんだそんなこと、
「今までも一人暮らしだったんだから、別に大丈夫…」
「じゃあ一緒に行こう? 私の実家、ナオも一緒に行こうよ。私のルームメイト、お母さんに紹介したいし」
急な展開に驚いていた。そんな風に言われたら、断る理由がないじゃないか。
とりとめのない話をとりとめもなく話すのは、ある種の才能だと思う。行きつけのカフェで仕事をしていると近くの席にいつもいつもいる3人組の女性たち。毎日来ていて話が尽きないのかと思う。
家事が一息つくのか、お昼ごろから集まって、カフェのランチを食べたらおしゃべりスタート。日の暮れかかる4時過ぎまでは話している。
長時間このカフェに居座って仕事をしている私がとやかく言える筋合いはないのだが、お店はよく何も言わないなと思ってしまう。
このカフェはBGMが流れておらず、自分のイヤホンで好きな音楽が聴けるところが気に入っていた。耳を塞ぐから彼女たちの声もあまり気にならない。
ある日、たまたま通された席がそのグループの隣だった。彼女たちはすでにおしゃべりを始めていて、私は彼女たちに背を向ける形で座っていた。
「もう信じられない〜と思って、急いで旦那に連絡したの。そしたら仕事だからとか会議だからとかはぐらかしてたんだけど、最終的には『行きました、ごめんなさい』って言ったからね」
1人の女性が言い終わったところでどっと笑いが起きる。どうやら話のオチのタイミングだったようだ。フリを聞けなかったのが悔やまれる…じゃない、仕事をしないと。イヤホンを取り付けようとしたところで会話が耳に入る。
「や〜旦那さんもかわいそう」
「いまどきマッチ箱ってねえ、珍しいんじゃない? 私がその店行きたいくらいよ」
「スナックよね、キャバクラとかじゃなくて。あー面白かった〜」
マッチ箱? 旦那さんのスーツかなんかに入ってたのか? すぐ後ろにいるとやはり会話が気になってしまう。
「えーじゃあ、これ読もうかな。ワンドリのみなさんこんにちは」
「こんにちは!」
え? え? なんだ? 何が始まった? いま挨拶したのか? 後ろを向いて確認したい。
「もうすぐ年末ですが、みなさんは大掃除、どうしてますか? 私はなかなか時間が取れなくて、ついつい後回しになってしまいます。気づいた時には年を越していて、まあいっかって思ってしまうことも…」
なんだ、明らかに文章を読んでいる。さすがに何をしているのか確認しないと仕事が手につかない。
私はトイレに行くフリをして席を立ち、チラッと隣のテーブルを見た。すると1人がスマホの画面を見ながらしゃべっている。他の2人はそれに相槌を打っていた。
これはあれか? なんらかの配信でもしているのか?
「さあ長いこと話してきました『ワンドリンクで3時間』も、まもなくお別れのお時間です〜。生配信してましたけど、アーカイブも残しておきますのでね、途中から聞いたっていう人もさかのぼって聴いていただけたらと思います」
あ、明らかに配信って言った。しかもワンドリンクで3時間とか、最悪の客じゃないか。これは店員さんに言って迷惑行為を伝えなければ。
「あの、すみません、隣のお客さんなんですけど…」
私は手近にいた店員さんに声をかけた。
「あ、はい、ワンドリさんですね、もう少しで配信終わると思いますので」
「はい?」
この店員さん知ってるのか?
「あ、ワンドリのファンの方…じゃない…んですか。あ、すみません」
私と店員さんが噛み合わないやり取りをしていると、ワンドリのみなさんが締めに入る。
「この番組は、スマートFMをキーステーションに、横浜港南区にある喫茶ネクストポートさんからお送りしました」
ここだけ聴いていたら本物のラジオ番組のようだ。
「えっともしかして、許可取ってやってるんですか?」
私は店員さんへの質問を変えた。
「ええ、許可もなにも当店は『音声配信推奨店』ですので、注文さえしていただければ、配信は大歓迎です」
「でもさっき、ワンドリンクで3時間って…」
ここで3人組の声が大きくなる。
「では、本日のお会計を発表します!」
1人が宣言すると、残りの2人が口ドラムロールをし始めた。
「ダラララララララ……ダン!」
「7,480円!」
「おー、結構行ったね〜」
「まあいつも通りって感じかな。でもミッキ新作頼んでたじゃん」
「あ、そうそう、豆乳スペシャルね。美味しかった、オススメですー」
このやり取りに耳を奪われていたら、店員さんが丁寧に教えてくれた。
「ワンドリのみなさんは、いつも新作を飲んで放送で感想を言ってくださるんです。それがお店の宣伝にもなるんです」
そんな商売が始まっていたとは。
「もしかしてBGMがないのも?」
「あ、はい。余計な音源が入り込まないように、当店ではBGMを流しておりません」
そこまで徹底しているのか。
「この番組の制作費はあなたからのおひねりが頼りです!」
「そうです、引き続きこのおしゃべりを聴きたいって人は、ぜひ、あなたにできる範囲で応援の投げ銭をお願いします」
「お便りの採用チャンスも上がるかも?」
この人たちもちゃっかりしている。とりとめのない話がとりとめもなく続けられるだけで、ビジネスが生まれているのか。
「ありがとうございました〜」
どうやら放送が終わったらしい。すると周りの席のあちらこちらから3人に目がけて人が集まってきて、瞬く間にサインを求める列ができた。
「ワンドリのみなさんは本当に売り上げに貢献してくれているんです」
店員さんはそう言って笑った。