普段から全然モテないのに、時期が来ると猛アタックしてくるヤツがいる。でも俺はそいつに屈するのが嫌で、防壁を作って入り込む隙を与えなかった。
乾燥した季節、気温の低い時期、ヤツは常に俺のそばにいて、隙あらば俺の体を奪おうとする。仲間を連れて来たり、勝手に居座ったりすることで距離を縮めようという作戦だ。
あの日はとても疲れていた。年末の忙しさに忘年会のスケジュールも加わり、帰りが深夜になる日が続いた。そして夜、深酒してそのまま寝入ってしまったんだ。
警戒を解いてしまったと気づいた時にはすでに遅く、ヤツが俺に侵入してきたのがわかった。俺に抵抗する力は残っていなかった。
翌朝、目が覚めるとすでに頭が痛く、咳と鼻水の症状があった。体もだるい。測ってみると発熱もあった。俺は自室に監禁された。
それから二日間、ベッドを出ることも許されず、ヤツに全身を蝕まれた。身悶えする苦しみと忘れがたい悪夢にうなされ続けた。
そして三日目の朝、ヤツは昨日まで体中を弄っていたことを忘れたかのように、不意に俺に興味をなくし、俺の元から去っていった。
決してヤツを追ったわけじゃない。早く外の空気を吸いたかっただけだ。動けるようになった体で部屋のドアを開けると、一陣の風が吹き抜けていった。
「なんなわけ? ただの白いノートやし」
ミスズはサチが取り出した『雪待ちダイアリー』を手に取り、不思議そうに眺めている。
雪待ちダイアリー。雪が降る季節を待つ人たちのための日記帳、というコンセプトで発売された真っ新なノート。本紙には白色度が高く雪原を思わせる真っ白な紙を使用している。
「雪を待つ間の想いをひたすら綴るノートなの。いま色んな人がSNSに上げてて、バズり始めてるんだわけ」
ただの白いノートだが、このコンセプトが知られるようになると徐々に販売数は伸びていった。
冬の寒さが増してきても、降り出さない雪を待つ心情に、会うことのできない人への想いを忍ばせて書くのが「切ない」「深い」と多くのリプライを集めるようになった。
冬の初めが最も売れ行きが上がるシーズンではあるが、雪解けの時期から書き始めても、去ってゆく恋人への想いに重ねる人もいた。
「でもここ沖縄やさー。待ってても雪降らんし」
「そう、そこがいいんやさ。見ててよ」
サチは細長い紙の箱と青いインク瓶を持ってきた。そして箱を開けると、中から鮮やかな模様のあるガラスのペンを取り出した。
「でーじキレイ。なにそれ? ガラスペン?」
「琉球ガラスの職人さんが作ったガラスペンさ。いまから雪ぞめ式をやるわけ」
真っ白な紙に初めてインクを入れることを雪ぞめ式と称する流れもこの商品から始まった。「#雪ぞめ式」で検索するといまでは10万件以上がヒットする。一般的にはボールペンで書く日記だが、映えを意識するユーザーは万年筆やガラスペンにこだわって、最初に雪を染める色にも頭を巡らすようになった。
「これはなに色?」
「琉碧(りゅうせい)。沖縄の海の色」
そしてサチは、ガラスペンにインクをつけ、雪を染めた。決して来ることのない憧れの人を想う詩とともに。
雪待ちダイアリーと琉球ガラスペン。この組み合わせで投稿された画像は、一気に世界を駆け巡った。
イルミネーションを見ると、冬が来たんだなって感じる。街を飾る寒色系の光を見てもそう思うし、家々で楽しんでいる温かい灯りを見てもそう思った。クリスマスに沸く世の中を割とサバサバしながら眺めていた私は、ここの電気代は気にしないんだなとか、冬は電力需給率が低いから何も言われないんだなとか感じてしまう。
もしかしたらそんな感情は、やり込み癖のある自分へのブレーキだったのかもしれないと、パン屋さんのバイトになって思った。
「ヤマノさんが戻ってきてくれて助かったわ。でも病み上がりだからあんまり無理はしないでね」
インフルから戻ってきた私に、店長は優しい言葉をくれた。ですが店長、私をクリスマス飾りの担当に再任命したってことは、そういうことですよね。
商店街のパン屋さん「ブーランジェリー・ジュワユーズ」の簡素なイルミネーションは、私が休んでいる間に飾り付けが終わっていた。その時点ではいつも店長から振られる面倒な仕事を回避できてラッキーぐらいに思っていた。「バイト募集」の貼り紙以来、いつの間にか筆耕係にされていたこともあり、雑用の指令には敏感になっている。
ただ、店のイルミネーションを一目見ただけで、これじゃない感に気づいてしまった。ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ絶句しただけなのに、店長は私のその仕草を見逃してはくれなかった。
「さすがヤマノさん、わかってしまったみたいね」
クリスマスの飾り付けなんて、イルミネーションなんて自ら買って出るような人生じゃないと思ってた。でも自分がいる店が、ダサい外観をしているのがこんなに嫌なものだとは思っていなかった。私と店長はすぐに緊急ミニ会議を開き、問題点を洗い出した。
その矢先の「あんまり無理しないでね」だからあまり説得力はない。
いざやり直すとイルミネーションの奥深さがわかってくる。ライトの配色から付ける角度、ツリーならどれくらい幅を空ければいいか、調整しては離れて確認を繰り返す。やばい、楽しくなってきた。
脚立を使って店内の装飾もやり直すと、冬なのにひと汗かいてしまった。出来上がりを見ると妙な達成感がある。
「やっぱりヤマノさんに任せて正解だったわ。来年もよろしくね」
「あ、はい」
あれ? いつの間に来年もいることになってる。ま、いっか。
人間以外の生き物の感情がわからない。そんなの当たり前だって言われるかもしれないけど、僕の先輩たちはみんなわかるって言う。
水族館で働きはじめて三ヶ月。僕はリクガメの飼育を担当している。名前は「くーちゃん」だ。
「ちゃんと愛情を注いでいれば、みんな反応してくれるよ」
毎日、愛を注いでいるのに、くーちゃんからはなんの反応も見られない。僕の愛が足りないのか、あるいは先輩たちより想像力が足りないのか。くーちゃんの感情は読めないままだった。
「まだ動物たちの感情が読めないんだよね。人間と違って、難しいよ」
彼女といるときに、そんなふうに話した。すると彼女は
「あんた、人の感情はわかると思ってんの?」
「え?」
それからも、僕はくーちゃんのお世話を続けた。最近は僕が来ると首を出してくれるようになった。それでも何を考えているかはわからない。
そんな変化が嬉しくて、それも彼女に報告した。
「人間みたいに言葉がない分、細かい動きとか、体の変化で読み取るしかないんだよね。それが難しくて、でもそれがやりがい?になってるのかな」
「・・・」
ほどなくして彼女は僕の元から去っていった。結局、人の感情もわからなかったみたいだ。
今日も僕はくーちゃんのお世話をする。ケージの中をキレイに掃除したあと、くーちゃんの顔を見ると、くーちゃんはゆっくりと目を閉じて、またゆっくりと目を開けて僕を見た。
12/10「仲間」の続編として
「ちょっと先輩、ちゃんと説明してくださいよ。なんであの女性客に執着するんですか?」
後ろで束ねた長髪をなびかせながら前を走る先輩に必死で追いすがりながら問いただす。
「達彦くん、いま説明してる時間はない。そもそも君が一緒に来るってきかないからお店を閉めるのに時間がかかったんだよ」
この人はホントに、あー言えばこーゆーを地でいく人だ。頭の回転が早くてどんどん先にいく。いつも余裕があるように振る舞っていながら、組でのノルマも軽々こなしている。こっちも必死で走ってるのに先輩の背中はどんどん遠くなっていく。・・・物理的に。
「てかなんで先輩、電動キックボード乗ってるんですか!?」
自力で走っている僕は坂道で大きく離された。
「この乗り物は現代において最もスマートで坂の多いこの街に適した移動手段だ。レンタルなら費用も抑えられて好きな時に使える・・・」
「だからそういうこと聞いてるんじゃなくて〜!」
◆◆◆
両手に提げたエコバッグを左手に持ち替え、鍵を開けて部屋に入った。すぐに鍵をかけるとどっしり重いエコバッグをテーブルの上に置く。元は部屋の片隅に置いていた神雅嶺輝羅丸こうがみねきらまる様の主祭壇は、元々テレビが置かれていた部屋の中央に移され、キラ様の推し活グッズも部屋中にびっしりと飾られていた。今日買ってきた分も早く飾りつけなければ。
「ぉぃ響!ぃつまでこんな狭ぃところに・・・」
あ、いけない。キラ様を出してあげなきゃ。私は肩から提げたポーチに入れたアクスタケースを取り出した。中にはキラ様の御神体アクリルスタンド、というより御神体に顕現したキラ様が入っている。ケース越しに見るとキラ様が「早く出せ」と中で暴れているのが見える。尊い。
ケースのジッパーを開けると、ものすごい勢いで小さなキラ様が飛び出してきた。
「まったく、なんでこんなに狭いところに閉じ込められなきゃいけないんだ。それもこれも、お前がこんな小さなアクリルスタンドで私を呼んだからだ」
「だって、アクスタって手に入りやすいし、肌身離さず持ち歩くには一番便利だし、それに写真とか撮るのにも最適で、SNSでもみんなそうやって共有してるし・・・」
「口答えをするな。まあ、お前の信仰心のおかげで、こうして私が顕現できたんだがな」
命令口調なのにお優しい。このギャップ萌えが正まさしくキラ様だ。
◆◆◆
あの生誕祭の日。私の前に現れたキラ様は、私がお供えしたマロンショートを平らげると、祭壇から私を見下ろした。
「お前が私を呼び出したのだな。褒めて遣わす。名を名乗れ」
ポカンとしつつも解釈一致すぎるC.V.キャラクターボイスとオレ様口調に魅了され、私はすぐに居住まいを正して名乗った。
「水沢響と申します」
「いいだろう。水沢響。今日からお前が私の世話係であり、ご主人様だ。・・・ん? ご、しゅ、じん、さま?」
なんだろう。混乱してるみたいだ。尊とうとかわいい。
「あ、えっと、輝羅丸様は作品の設定上執事になりますので、関係性で言うと、まあこの場合、私がご主人様、で、いいのかなー、あはは」
神雅嶺輝羅丸(こうがみねきらまる)は『イケメン執事が多すぎる』という作品のキャラクターなので、主人公いづみの執事という設定だ。私から見ると推しであり神なんだけど、物語の設定に縛られるならこの部屋の主人である私の執事ということになる。
「まあいい。引き続き私を崇めなさい」
それからキラ様はあらゆるグッズを買い漁らせた。グッズが多ければ多いほど顕現する時間が長くなると言って。私は推しとの暮らしが楽しすぎて、生活の中心がどんどんキラ様になっていった。気づいたらネットで10万円のプレミアアイテムをポチっていたし、限定グッズを買いに行くために会社を休むことも厭わなくなった。
「なんでキラ様は、私の元に顕現してくださったんですか? もっと立派な祭壇を作っているファンも山ほどいるんじゃないんですか?」
「ふん。推しだの神だの言ってても、結局は安物ばかり買っている者も多い。ファイルもケースも100均製、そんなもので祀られても居心地が悪いだけだ。お前は量は少なくても質を選んで買っていた。上質なものにこそ宿る価値はある」
そう言われると鼻が高い。私はキラ様に選ばれたんだ。心と心が通じた気がしてファン冥利に尽きる。にやにやが止まらない。私はキラ様にどんどんお金を注ぎ込んだ。