「新田さんは、何で冬のはじまりを感じるタイプ?」
高校からの帰り道、俺が訊くと、
「え、と。私は……」
真剣に考える。うーんと、悩んでいるから、
「俺はね、コンビニの井村●の肉まん機のメニューが増えるのと、おでんが出ると冬だなアって思う。コロナで、おでん置いてるの減っちゃったけど」
そう言うと、あ、そうだねと微笑む。
「昔はレジ脇にあったね。ちょっと食べたいとき、買うの。好きだった」
「タネはなにが好き?」
「たまご」
可愛い。もー何を言っても可愛いぞ。委員長は。
「俺はこんにゃく」
「ふふ。美味しいよね」
放課後セーター事件で、俺たちはお近づきになった。告白はしていないけれど、休み時間とか何となく話すようになって、帰りも一緒にと俺が誘っている。新田さんは断らない。家が同じ方向なのをいいことに、うちまで送っている。
新田さんは、気取ってると思わないでねと慎重に前置きをしてから、
「空が澄んで星がきれいに見えだすと、冬が来たなって感じる」
暮れなずむ夕空を見上げて言った。横顔が薄紫の西日に照らされて、きれいだなと思う。
「そうだね」
あ、一番星、と俺が指差すと、自分の息が白いことに改めて気づいた。
「間宮くん、あの」
ややあって、新田さんが切り出した。おそるおそる。
「あの、いつも送ってくれてありがとう。……あのね、お礼したいんだけど、今度手袋とか編んだらもらってくれる……?」
「手袋」
手編み? ってことは、手作り?
「そんな、お礼とか気にしないでいいけど。でも、いいの?」
「手編みとか重いかなって思うんだけど、私、それぐらいしか特技なくて。しかも五本指のじゃなくてミトンだけど」
あわあわと、早口になる。ミトンってなんだ? 新田さんは宙に指でシルエットをなぞった。
「こういう、なべつかみみたいな」
「あー、あれか。もちろん、嬉しい。すげえ嬉しいよ。新田さんからもらえるなら」
「ほんと……よかった。引かれたらどうしよって思ってずっと訊けなかったの。じゃあできたら渡すね」
ほっとした様子で歩く足取りも軽くなる。俺はそんな彼女を見て「楽しみだな」と言った。
「あまり期待しないでね。編み目とかがたがたかも」
「うん」
「間宮くん、何色が好き?」
「うーん、青か紺かな」
今年の冬は、彼女の手編みの手袋ではじまり。そう思うと今から子どもみたいにわくわくした。
#冬のはじまり
「セーター3」
「だめ、殿山くん、終わらせないで」
「え? え?」
受話器を置こうとしていた俺は、フリーズした。上司の佐久さんが待って待って待って待って、と鬼気迫る顔でストップをかけている。
「その電話、終わらせちゃダメ。〇〇商事さんの前山課長でしょう?ごめん、ちよっと代わってくれる? 急ぎなの」
「あ、はい」
慌てて俺は手にしていた受話器を差し出す。佐久さんは目顔でごめんと謝って、俺からそれを受け取り「もしもし、前山さんですか、急に申し訳ありません。佐久ですが」と流れるように仕事内容を切り出す。
仕事ができる人だ。なのに、全然偉ぶらないし、たおやかさも失わない。男性社員の中、絶大の人気を誇る。
自慢の上司。そして同時にーー
「なぁに? どうかした?」
電話を終えてホッとした様子の佐久さんが、俺を見て表情を変えた。
「いえ、別に。ちよっと……」
俺は言い淀む。ダメだ、口が緩む。自然、手で押さえた。
佐久さんは怪訝そうに俺を見上げた。
「何なの? ちゃんと言って。電話途中で奪っちゃったから気を悪くした?」
「まさか、そんなんじゃないですよ。ーーそのう、色っぽかったな、と思って。さっき」
「色っぽい……?」
目をぱちくりさせる。美しくカールさせてマスカラが塗られたまつ毛。
見惚れながら俺は言った。
「終わらせないで、ってやつ。終わらせちゃダメって、ーーあれちよっと、キました」
「〜〜、な何言って……!」
ようやく理解が追いついたか、ドカンと佐久さんの頬が火を噴く。真っ赤になって棒立ちのまま、口だけパクパクと動かし、声にならない。
そして、ハッと我に返り「あなたはもう〜! ちゃんと仕事しなさい」と捲し立てて部屋から出ていった。
俺と佐久さんが付き合い出したことは、会社ではまだ秘密だ。
俺が口説き落としたことも、まだ。今はナイショ。
#終わらせないで
「紅茶の香り5」
私の両親はともに文化人類学者で、双子を身ごもったと分かった時点である実験を思いついた。
それは、「愛情」に関する実験。
99.9%同一のDNAを保有する一対の人間どうしに、同じ環境下で違った刺激を常時与えていくと、どのような影響が及ぶか。
わが子をもって、解明しようとした。
姉には愛情をふんだんに注ぎ、妹の私にはそれを削いだ。もちろん、ネグレクトやDVとまではいかない。必要最低限の声がけやケアはしてくれた。でも、あきらかに、親の無償の愛というようなものを、私には一度も見せなかった。冷たい言葉、素っ気ない反応。病気になっても病院に連れて行ってもらったことはない。薬を与えられるのがよいところ。それが15年、継続された。
--実験結果は、火を見るより明らかだった。はじめから。
私は高校受験に失敗した日の夜、家に火を放って両親を殺した。姉は、寄宿舎のついた有名私立中学へ行っていたので助かった。
いや、私が助けた。
姉にはこのまま一流の高校、大学へ進学してもらう。有能な姉のことだ、できるなら法曹の道に進み、司法試験を突破してもらおう。
そして、法廷で私の弁護をしてもらうのだ。
肉親の弁護って、確かできたはずよね? 今からその日が楽しみだわ……。ねえ、父さん、母さん。
#愛情
「間宮くん、大丈夫?……」
声をかけられて、俺は机に伏せていた身を起こした。がばっと。
「新田さん」
委員長が眉をひそめて俺を覗き込んでいる。幾分、心配そうに。
「あ、ああ。俺、うたたねしてた?」
やべ。なんか、ぼうっと頭が重い。なのに汗ばんで、気分が悪い。
俺は制服の襟元を知らず、緩める。ネクタイが、苦しい。
「顔色、悪いわ。保健室に行った方がよくない?」
「そうかな。いや、大丈夫。ちょっと熱っぽいだけだよ」
俺は前髪を掻き上げた。突っ伏していたから、でこに変な痕とかついていないといい。けど。
新田さんはなお、表情を強張らせたまま「熱」と言った。
「うん。風邪かな」
「……それって。その、薄着したせいじゃないかしら。こないだ。ブレザーだけで帰ったでしょう」
新田さんが切り出しにくそうに話し出す。俺はそれが、「あの日」だということを悟る。
忘れたセーターを取りに戻った、放課後のこと。ここで俺は新田さん――委員長に会った。
一人残っていた彼女は、この教室で、俺の。
「あの、ーー今更だけど私、あなたに謝らないといけないことがあって」
そこで意を決した様子で新田さんがぐ、と身を乗り出した。
お。
「私、間宮くんのセーター、持って帰ってしまって。ずっと言い出せなくて。返そうと思ってたんだけど、タイミングが……」
これ、と言ってバッグからファッションブランドの可愛い袋を取り出す。
「ごめんなさい、黙って持ってて。風邪を引かせてしまって、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げる。
俺は反射で突き出された袋を受け取り、中を見ると俺の学校指定のベージュのセーターが入っていた。
きちんとクリーニングされているようだった。きっちり畳んである。
「いや風邪は新田さんのせいじゃないし。でも、そっか、新田さんが持っててくれたんだ。よかった。見当たらないなと思ってて」
こうやって出てきたんならいいいよ、と笑って見せた。うまく誤魔化せたらいい。俺があの時見たことを、新田さんが気づかないといい。
なのに馬鹿正直に新田さんは続けた。
「私、き、着ちゃったけど、しっかりお洗濯したから汚くないよ。気持ち悪くないから」
「気持ち悪いとか、そんなこと思うわけないでしょ」
「そ、そう?」
「当たり前。ーーてか、き、着たの。これ。俺の」
スルーしようと思ってなのに、なんで言うんだよー。俺は内心トホホだった。言われたら、訊くしかないじゃないか。
俺が突っ込むと、新田さんはう、うんと詰まった。
「な……何でか、訊いていい?かなあ」
「……」
新田さんは真っ赤になって俯いた。それは、と蚊の鳴くような声で呟いた。
「き、着てみたかった、から……」
「~~」
も、だめ。もう限界。俺は緩む口もとを手で押さえる。新田さん、これってもう既に恋の告白だよ? 気づいてる?
優秀な君なら、分かってるんだよね。俺はじりじりと首周りの熱が上がる心地がした。
あついーー顔がぼおぼおする。これは風邪のせいか、それとも、恋の微熱のせいか。
俺はぐらっと視界が揺らいでまた机に撃沈した。
「ま、間宮くん? しっかりして」
新田さんの慌てる声が遠くに聞こえる。そのまま俺は保健室に担ぎ込まれ、有無を言わさず病院送りとなった。
#微熱
「セーター2」
老夫婦、思うところがあって北国に移住しました2
「何を見てるんだい?」
こたつに入ったばーさんが、にこにこして手にしているものを見ていた。
「ああ、これ? お隣さんからいただいたんだよねえ。孫が、二人学校でもらってきたから、一つどうですかって」
下敷きのようなものをぺらりと見せる。
「学校で?」
「りんご下敷きだって」
見ると、黄色、赤、赤黄混じったやつ、3×5=15個のリンゴの写真と品種名が載ったカラー下敷きだった。
「へええ」
こんなに種類があるのかということに驚く。ばーさんは老眼鏡の奥の目を細めて、
「ふじ、つがるは有名だよねえ。最近、若い女の子のタレントさんの、なんだっけ」
「王林?かい」
「そうそう、これも聞いたことあるわ。黄色い品種なんだねえ」
ほかにも、世界一とか金星とか、聞き慣れないものもある。あ、これは知っとるぞ……紅玉。アップルパイとかで使われるやつじゃな。
「ぐんま名月なんてのもあるな。群馬産かな?」
「たくさんあるんですねえ、りんごって」
見ているだけで、楽しい。そうか、こっちの小学校の子どもたちは年に一回りんご下敷きをもらうのか。
これをノートに敷いて勉強するところを思い浮かべると、なんだかほのぼのした。
勉強に飽きたころ、ぺらんとノートをめくってこの色とりどりのりんごたちを見たら……。ちょっとほっとするんじゃろうな。
「明日、スーパーでりんご買って来ようか。びっくりするぐらい安いからな、東京に比べると」
「いいですね。私、この【トキ】って食べてみたい。由来は国鳥のあの鳥かしら?」
「さあて」
どんな味がするんじゃろうな。日にいっこずつ、ばーさんと食べ比べするのも楽しそうだ。
太陽の下、光を集めてすくすくと育った赤黄の果実がにっこりと微笑んだ気がした。
#太陽の下で
実話のみを更新していきます。