「だめ、殿山くん、終わらせないで」
「え? え?」
受話器を置こうとしていた俺は、フリーズした。上司の佐久さんが待って待って待って待って、と鬼気迫る顔でストップをかけている。
「その電話、終わらせちゃダメ。〇〇商事さんの前山課長でしょう?ごめん、ちよっと代わってくれる? 急ぎなの」
「あ、はい」
慌てて俺は手にしていた受話器を差し出す。佐久さんは目顔でごめんと謝って、俺からそれを受け取り「もしもし、前山さんですか、急に申し訳ありません。佐久ですが」と流れるように仕事内容を切り出す。
仕事ができる人だ。なのに、全然偉ぶらないし、たおやかさも失わない。男性社員の中、絶大の人気を誇る。
自慢の上司。そして同時にーー
「なぁに? どうかした?」
電話を終えてホッとした様子の佐久さんが、俺を見て表情を変えた。
「いえ、別に。ちよっと……」
俺は言い淀む。ダメだ、口が緩む。自然、手で押さえた。
佐久さんは怪訝そうに俺を見上げた。
「何なの? ちゃんと言って。電話途中で奪っちゃったから気を悪くした?」
「まさか、そんなんじゃないですよ。ーーそのう、色っぽかったな、と思って。さっき」
「色っぽい……?」
目をぱちくりさせる。美しくカールさせてマスカラが塗られたまつ毛。
見惚れながら俺は言った。
「終わらせないで、ってやつ。終わらせちゃダメって、ーーあれちよっと、キました」
「〜〜、な何言って……!」
ようやく理解が追いついたか、ドカンと佐久さんの頬が火を噴く。真っ赤になって棒立ちのまま、口だけパクパクと動かし、声にならない。
そして、ハッと我に返り「あなたはもう〜! ちゃんと仕事しなさい」と捲し立てて部屋から出ていった。
俺と佐久さんが付き合い出したことは、会社ではまだ秘密だ。
俺が口説き落としたことも、まだ。今はナイショ。
#終わらせないで
「紅茶の香り5」
11/28/2024, 10:49:18 AM