KAORU

Open App
10/25/2024, 4:47:43 PM

「遠山さん、こんにちは」
「あ、西門さん。こんにちは、偶然ね。バイト?」
 姉が、ドアにカギを掛けながら隣のアパートの部屋から出てきた男に気軽に声をかけた。
 パーカーを羽織った、長身の男。少し猫背。さいもん?
「うんーーあの、」
 そっちは、と男が俺を目でうかがう。俺は一応会釈した。
 姉の隣人だから。
「マサムネ、あたしの弟なの。田舎から今日出てきたんだ」
「ああ……高校生?」
「はい。姉がお世話になってます」
 さいもんと呼ばれた男は目を細めた。
「しっかりしてるね」
「そうでもないよ」
「姉よりはしっかりしてるはずです」
「ちょっと、マサムネ」
 俺たちは軽口をききながら、どちらからともなく並んで歩き出す。
 外階段を姉とさいもんと呼ばれた男は並んで降りた。カンカンカン、と足音が響く。
「ほら、この前大きな地震があったでしょう。停電したとき、隣のひとが助けてくれて助かったって。あの時の、西門さん」
 俺は思い出した。ああ……あの時の。男はいやそんな、と謙遜して見せる。西門って珍しいですね。そう? 俺の出身地には結構ある苗字だけど。俺たちは初対面同士、当たり障りのないやりとりをした。
 姉は気安く話し続ける。大分気ごころを許してるようだ。
「マサムネは受験生なの。こっちの大学を受けるから、うちに泊まることになったの」
「へえ……そうなんだ」
 俺は違和感を覚えた。男ーー西門って人の声音が変わったような気がした。
「泊まるんだ。仲、いいんだね。お姉さんと」
 肩越しに俺を見るでもなく、話してくる。
「まあ、普通です」
「じゃあ、あたしたち買い出し、こっちだから」
 階段を降りたところで、姉が手を上げた。俺たちは二手に分かれた。
「あの人大学生?」
「みたいね。バイトばっかりで単位危ないって言ってる」
「ふうん」
「友達だよ、結構頼りにしてる。あの地震以来」
 姉は言った。
 俺は何気なく後ろを見た。ーーと、西門って人がおなじ所に立って、じっとまだこちらを見ているのが見えた。
 ……なんだろう。俺は姉の隣を歩きながら思う。
 さっき、俺と姉が部屋から出た同じタイミングで、隣から出てきたな。
 まるで、ドアが開いて現れるのを待っていたかのようだったーー

 なんだか、心がざわついた。

#友達
「柔らかい光3」

10/24/2024, 2:42:30 PM

「率直にお聞きします。柴田さんは、どういう気持ちで雫と付き合ってるんですか」
「……どういう?とは、」

 水無月から、「すみません、柴田さん。ともだちと会ってほしいんです」と言われたのが、一週間前。
 切り出しづらそうに、目を合わせずに彼女は言った。
「ともだち?」
「幼馴染っていうか、古い付き合い。もう親戚みたいな腐れ縁、みたいな」
 説明が難しいのか、考え考え、彼女は言う。
 娘の深雪を交えて、あちこちに出歩くようになった頃だった。会社ではもちろん、一線を引いている。上司と部下として。
 でも、プライヴェートではゆるゆるだった。
 そんな中、突然ぶっこまれた事案。「ともだちと会ってほしい」=(イコール)「親友による、悪い虫かどうかあたしが確かめてやろうじゃないかチェック」が来た!と俺は察した。

 いいよと返事をして、待ち合わせたのはちょっとだけランクのいい居酒屋。仕切りじゃなく、ちゃんと個室を予約してきた。
 そこでお目にかかったのが、大日向晴子さんだった。水無月が紹介するに、「晴れ女」の末裔だという。
 たしかにそれっぽい名前。しかし、当の本人といえば、醸し出す雰囲気が何とも暗いというか、じめっとした質感の女の人。
 前髪が、目にかかるほど長いのがそう見せるのかもしれない。表情がよく見えないから。あと、鼻の付近に散ったそばかす。
 度の強い眼鏡をかけているのも、目が見えずに心もとなくさせた。
「初めまして、柴田です」
 俺は営業スマイルを浮かべて、当たりさわりのない挨拶をした。
「……ども」
 大日向さんは、ぼそっと言ったきり、タブレットでメニューを操作する。
 自分が食べたいものをタップしていくつか注文をした。それきり、じっと手を膝に置いて俺を伺っている。
 ……気まずい。
 場を取りなすように水無月が「柴田さん、これ美味しそうですよ。注文しません?」と声をかけてくれたが。何を選んでも味がしないような気がする。俺は無理に笑って「いいね、あ、飲み物も適当に頼む」と言った。
「わかりました」
 タブレット画面を水無月が操作する。それきり沈黙。き、気まずい。
 と、思っていたらおもむろに水無月がバッグを片手に立ち上がり、「すみません、お手洗いに行ってきます」と席を外した。
 行かないで、と咄嗟に思った俺はヘタレだ。でも、大日向さんと二人きりにしないでほしい。本音だった。
 これから、俺への取り調べが始まるんだ。
 その予感は、的中した。

#行かないで
「通り雨6」

10/23/2024, 10:40:57 AM

 俺は埠頭で釣り糸を垂らしていた。

 今日は仕事は休み。晴れた青い空がどこまでも続いている。
 水平線との境目が怪しくなるほどのまばゆい青に包まれ、時間の感覚を忘れる。
 のどかだった。
 この町で、除染作業員として暮らしてはや5年。少し、こちらの土地の方言にも慣れた。
 でもまぁ、そろそろ。
 潮時だろう。
 なんの潮時か、自分でもよくわらかなかったが、それでも俺は思った。そろそろこの町から動いた方がいいかも知れない。
 もっと、北へーー
 ぴくりとも動かない釣り糸を眺めて、そんなことをつらつら考えていた時、背後から声をかけられた。
「釣れますか」
 俺は前を見据えたまま、答えた。
「全くだめですね」
「……お魚、釣れないとドラ猫を追いかけられないね」
 風に攫われそうな声。微かに震えていた。
 それでも俺は振り向かなかった。
 怖いーー再会が怖かった。この5年あまりで俺は変わった。見かけも、中身も。もう教師じゃないし、前科もついた。
 君が好きだった俺じゃない俺を、見せるのが怖いと思った。
 ああ、でも懐かしい。ずっと聞きたかった君の声だ。
「まだ見てるのかい、サザエさん」
「うん、オープニングでね、みんなが笑ってる〜、お日様も笑ってる〜、のところになると毎回泣きたくなる、先生を思い出して、堪らなくなってたよ」
「……もう先生じゃない。失職した」
「教師じゃなくてもいいよ、あなたがあなたなら、それで」
 埠頭に腰を下ろした俺の背に、ふわっと暖かいものが触れた。
 彼女の額だと気づくのに時間がかかった。
「会いたかった。ずっと」
 探していたのと囁いた。
 その一言にどれだけの覚悟と、辛い思いを押し隠していたのか、どれだけの涙を重ねてきたのか、5年以上の歳月を思うと、胸が塞がれそうになった。
「まだーー」
 君が好きだよ、ずっと君だけを想ってる。
 言おうとして、言葉にならない。
 でも、今俺がここに、この町にいることが、全部の答えであるような気がした。
 彼女は頷いた。うん、と。
 大人になったーー成人した、というのではなく、俺に言葉での気持ちの開示を迫らなくなった。ただ受け止められる、女の人になった。
 俺は俺の腰のあたりのシャツを握る彼女の手に、自分の手を重ねた。ぐ、と、彼女の喉が鳴った。
 俺の目にも青が滲んだ。
 君が泣き止んだら、釣りを辞めて埠頭から離れよう。そして、二人でゆっくり話せる場所へ移るんだ。
 それまではもう少し、青に浸っていたい。そう思った。
 
#どこまでも続く青い空
「空が泣く 完結」
もっと読みたい500❤︎ありがとうございます

10/22/2024, 3:21:48 PM

「お疲れさん」
「お疲れした」
 俺は、更衣室で除染服を脱いで、私服に着替えた。
 今日の勤めを終える。
 これから、宿に戻り、風呂に入って簡単に飯を済ませる。テレビは持っていないから見ない。図書館から借りた本を読んで、眠くなったら眠る。
 眠れない夜はまんじりともしない。


 刑期を終えて、出所した俺は全てを失っていた。
 元の仕事に戻れるはずがなかった。高校教師の俺は懲戒免職になった。
 教え子に手を出した淫行教師。ロリコンエロ野郎。人でなし。
 ネットが俺に与えた罪状だ。
 俺は街を離れた。食い詰めてたどり着いた先は、原発事故の深手が残る海沿いの場所だった。
 日雇い労働者として、除染作業を行うことで、食い扶持を稼いだ。
 ここでは誰も、俺が教師だったと知らない。なんでここで働きだしたのか、理由を追及する者もいない。気楽だった。
 犯罪者は北へ向かう。どこかで読んだ一文を思い出す。
 ーーああ、でも俺はやはり無意識に、彼女のことを追いかけているのかも知れない。
 刑務所に送られてくる彼女からの手紙を、俺は読まなかった。封を開けて中を見るのが怖かったのだ。
 裏面の差出人の住所が北の、原発事故の起こった地になっていたのだけは、確認していた。お母さんが福島の生まれだといつか聞いたことがある。たぶんそちらへ身を寄せているのだろう。
 針の筵にいる訳ではないと思うとほっとした。

 彼女の人生に関わってはいけない。これ以上。
 でも俺の記憶は蘇る。ベッドで、俺の背をなぞりながら、先生の背中に星座があると囁いた甘い声が。
 擬人法を教えてくれたねと、サザエさんの歌を口ずさむ彼女が、海浜に寄せる波のように繰り返し、繰り返し。
 俺を狂おしく揺さぶるのだ。

#衣替え
「空が泣く5」

10/21/2024, 10:36:58 AM

 先生が、未成年に対する淫行で捕まった。

 私が高校生で、先生の教え子だったから。先生のアパートに出入りしていたのを、同じ高校の生徒に見咎められて、SNSに晒された。
 日常の崩壊は、あっという間だった。本名を、現住所を、職場をネット警察に公開されて、私たちはまともに外に出られなくなった。
 先生は交際を認め、逮捕された。父親は激怒し、母親は悲嘆に暮れた。
「転校させよう。お前の実家に預けて、苗字も変えさせるんだ」
 父親は策を弄した。泣きくれる母親に手続きを取るように命じた。
 私は反発した。断固拒否したけど、携帯も解約され、先生と連絡も取れず二進も三進も行かなくなった。
 ーーどうして? 好きな人と一緒にいたかっただけよ。それがたまたま高校の先生だっただけ。
 世の中には10も歳が離れた人たちが沢山お付き合いしてるのに、どうしてだめなの?
 声が枯れるまで、両親と何度もやり合った。でも誰も答えを私に差し出してくれなかった。
 そんなのおかしい。絶対に、私は諦めない。
 先生を待つ。刑期を終えて、出所する彼を待つの。
 その頃には、私はもう高校を卒業してるはず。
 誰にも、邪魔されることはないはずよ。

 強制的に転校させられ、預けられた母親の実家から、先生の元へ私は手紙を書いた。それしか手段がなかったから。
 でも、一度も先生からの返信はなかった。

#声が枯れるまで
「空が泣く4」つづく

Next