会社のエレベーターに、薮さんとふたりきり閉じ込められ、すでに25分経過している。
「花畑、お前が変なボタン押したからじゃないのか?停止なんて」
うんざりした様子で薮さんが言う。圧迫感があるのか、ネクタイを緩めながら。
「ただフロアのボタンしか押してませんよー。言いがかりです」
「じゃあ力入れ過ぎだ。お前けっこう馬鹿力だからなあ」
「ひっど」
……と言いつつ、あたしは結構いまのシチュエーションをラッキーと思っている。
薮さんと密室に閉じ込められるなんて、なんだか出来過ぎじゃないか? 上司で、派遣の身に余るほどの質の仕事を与えてくれ、うちに招いて手料理まで振舞ってくれる、この人と、いま、ふたりきりーー
自分の気持ちを見極めるチャンスかもしれない。
あたしは薮さんのことが好きなのかな。面倒見が良くて、ルックスもいい。もちろん仕事ができる、しかも料理までなんて、まるでマンガだ。
薮さんはどうなんだろう。あたしのこと、好きなのかな。他の人に比べて、目をかけてもらっているのは明らかだけれど、それは男女のそういう好意ではない気がする。どっちかっていうと、ペットを可愛がるような、そっちに近いのかも。
「……何考えてる? 黙るなよ」
薮さんが外部とやりとりしたインターフォンを見ながら言った。
「別に何もーーこの高さから落ちたら即死かな、とか」
「止めろよそーゆーこと冗談でも言うのは」
心底嫌そうに彼は顔を顰めた。
「あはは」
ねえ薮さん、あたしのこと好き?
さっきみたいに、警備会社を呼び出して助けてって言って、わかった、あと30分で着きますっていう返事をもらえる、そんな分かりやすいボタンがあればいいのにね。薮さんにも。
それがあったらあたしは押すかな、それとも押さないかな。どっちだろう。
そんなことをつらつら思っていたら、「……おい、なんの真似だ?」と聞かれた。
あ、と思わず手元を見る。あたしはいつのまにか、緊急呼び出しボタンを人差し指で押していた。ギュッギュッとわりと力を込めて。
ーーお し え て ほ し い。あ な た のき も ちーー
#力を込めて
「やぶと花畑4」
「美味しいですねえ、薮さんこれ、この栗の炊き込みご飯、絶品〜」
そうだろうそうだろう。
「ナラタケのお味噌汁も、ご飯に合う!ほっぺた、落ちます!美味しい〜」
当然だ、俺の料理の腕をもってすれば。これぐらいどうってことない。
「天才ですねえ、秋の季節の食材の良さをふんだんに引き出せますね、薮さんなら」
まーな! と内心では鼻たかだかだが、俺は平静を装って「いいから黙って食べなさい」とクールにあしらう。
部下の花畑に、ひょんなことから手弁当を食わせたことで、懐かれてしまった。お給料日前はカップ麺ばかりですと打ち明けられ、勢いで「そんな食生活はダメだ。うちに飯を食いに来るか?」と言ってしまった。
やばい、パワハラ兼セクハラで訴えられる!と思いきや、「良いんですか?薮さん、神!救世主!」と崇め奉られる始末。
そんなわけで、花畑を家に呼んで手料理でもてなすのが月末の習慣になってしまった。
「今日も大変ご馳走さまでした。美味しゅうございました」
手を合わせて花畑は頭を下げる。
「お粗末さま。たくさん食ってくれて、ありがとうな、作り甲斐あるよ」
「食べ甲斐があるお味だからですよー。ほんと、薮さんの料理、私いくらでも入りますもん」
なんでだろー、あ、私食器洗いますねーとシンクに立つ。俺はその姿をしげしげと見つめ、こいつ変わったなと思う。こんなに笑うやつじゃなかった。いつも面白くなさそうに仕事をこなしてた。そつなく立ち回り、周りの正社員のプライドに触らない程度に手を抜いて、ほどほどの仕事量を捌いていた。
もっとできるやつなのに、勿体ねえな。俺はそう思っていた。
料理を食わせてやる代わりと言ってはなんだが、花畑に俺の直属で働いてみろと水を向けた。コピー取りとかじゃない、創造性のある仕事を任せてみたくなった。
今、花畑はおはなばたけとは呼ばれなくなってきた。職場で。
しめしめ。
……でもまぁ、ふにゃふにゃと適当に手を抜いて、学生バイトみたいにサボることを考えてる頃のこいつも懐かしい気もするな。
俺の視線に気づいたか、花畑は「なんです?」と聞いた。
「いやーー、冷やしておいたプリン、食べるか?」
「手作りの?食べますっ」
諸手をあげてはいはいっと花畑は飛び上がった。
俺は笑って一個だけだぞと釘を刺した。
「やぶと花畑3」
#過ぎた日を思う
「先生の背中に、星座があるわ」
彼女が僕の裸の背を指でなぞった。
「え、本当かい」
「うん、ここと、ここにホクロがあるから、繋げると……白鳥座に似てるね」
くすぐったい。思わず身をすくめて、
「詳しいんだね、天文、好きなの?」
と聞くと
「まさか……適当に言っただけ。先生、信じやすいのね」
彼女は笑った。
ちえ、と舌を鳴らす。彼女とは10も歳が離れているのに、一緒にいると僕の方が年下みたいだ。いつも。
ベッドにうつ伏せになって彼女は言う。微睡の中にいるみたいに、優しい声で。
「でも星が好きなのは本当。星座早見盤とか見るの、好きだった。昔から」
「じゃあ今度、天文台に行こうか、一緒に」
僕が言うと、
「本当? 嬉しい、先生と出かけられるの」
教師と教え子という僕らの関係では、外にデートにも出られない。こうして人目を忍んで僕のアパートで会うだけで精一杯。
彼女はむくりと上体を起こした。
「そうだな、君が成人したら、きっと」
僕がそう答えると、彼女はまたがくりとうなだれる。
「何年も先の話をしないで。ぬか喜びさせて、嫌いよ」
「そうかな。星座は昔の人が気の遠くなるほど長い年月をかけて、地表に届く星の光を繋いでできたものだ。僕も君とこの先何年も、何十年も、長いお付き合いをしたいっていう気持ちの裏返しなんだけどな」
「……」
彼女は押し黙った。そしておもむろに身を起こし、ベッドサイドのテーブルに転がっていたペンを取り上げた。
きゅっとキャップを開け、ペン先を僕の背中に走らせる。
「うわ?何をするんだ」
「うまいこと言って。ズルい、先生。大人の男ぶって何よ、やっぱり嫌いよ」
「こら、く、くすぐったい。止めろよ」
わちゃわちゃと揉み合い、僕たちはベッドの上抱き合って笑った。
「ーーあ」
洗面台の鏡で何気なく確認したとき、裸の背中に黒いペンで書かれていたのは、白鳥座の星の位置ではなく、
ダイスキ の文字だった。
#星座
「空が泣く3」
太りづらい体質のシュウが、頑張って頑張って食べて体重を増やしてでっぷり重くなったのとは対照的に、小さい頃からふっくらテプテプしていたレンがダイエットを強行。
努力が実り、スラリとスレンダーなスタイルに変貌した。
痩せたらすんごくきれいになる、そんな典型的な子だったんだ。レンは。
学校いちのモテ男だったシュウの周りからは、女の子が水が引いたようにいなくなり、代わってレンに男子が群がり始めた。
でもレンは、袖にするばかり。相手にしない。
なんで?もったいない、よりどりみどりなのに、と友達が口を揃えて言うものの、フン、と鼻を鳴らすだけ。
「あたしの見かけだけ見て、好きだなんだって騒いでる連中にキョーミない。どうせまた太ったら、目もくれなくなるんだよきっと」
昼休み。屋上でランチタイムに入っていたレンが口にすると、
「レンちゃんのそーゆーとこ、好きだっ」
物陰から急に現れたのはシュウ。ボイーンと豊満になったボディを持て余し気味にレンに近寄る。
「わ、びっくりしたあ」
「約束通り僕、太ったよ! 付き合ってよレンちゃん」
「シュウくんはいくらなんでも太りすぎだよー。身体に悪いから少し絞ったら?」
「他の子みたいに、痩せて元に戻って、元のルックスがいいとか、言わないんだね」
「まあ別に。中身はシュウくんだから同じでしょ。変わんないよ」
シュウはニコッと笑った。そして、
「……ねえレンちゃん、踊らない?」
と誘った。
「え。何急に、突然」
「ほら、放送で流れてくる曲。昔、小学校の時踊ったフォークダンスの曲だよ。男女で輪になって踊って、レンちゃんと手を繋いで踊れる、と思った矢先、曲が終わっちゃって、すんごくがっかりしたんだよー」
レンは呆れ顔をした。
「よく憶えてるね、そんな前のこと」
「そりゃあ、ね」
ふくよかな顎をたわんと揺らして、得意げにシュウはウインク。
「踊ろう、レンちゃん」
太っても痩せても、お互いスタンスが全然変わらない二人って、そういないと思わない?
特別なんだよ、僕らはやっぱり。
だから踊ろう。恋愛っていうダンスフロアで、手を繋いでさ。
シュウはレンに手を差し出す。恭しく。
レンはしょうがないなぁと笑顔になって、「一曲だけだよ?」とその手に手を重ねた。
#踊りませんか
「秋恋3」
「運命の人に巡り逢えたら、その瞬間にわかるのかなぁ」
結婚相談所で、そんな泣き言を漏らしたら、説教を食らった。
「何を寝ぼけたことを。そんなご都合主義、あるわけ無いじゃないですか。運命の人には会えません。地球上に一体どれだけ人間が暮らしてると思ってるんですか」
えらい剣幕。俺は思わず怯んだ。
担当の人は言った。
「出会った相手を運命の人にするのです。時間と手間をかけて、自分の無二の相手に育てていくのですよ。結婚ってそういうものです。出会って、結婚してからの方がずっと、ずーっと長いのですよ」
「はーー、はい…」
気を呑まれた。すっかり。ごもっとも。
はあ……。
「ところで、あなたは薬指に指輪をしてないけど、その、独身?」
「え、あーーこれは、はい」
担当の人は左手をとっさに右手で覆った。
「私は、一度結婚で失敗しておりまして…。すみません、縁起悪いですよね」
でも仕事はきっちりさせてもらいますのでご安心を!と拳を握る。
俺はへぇと、まじまじと担当の人を見た。
改めて見ると、これは……。
「何です?」
「いえ……。さっき言いましたよね、出会った人を運命の人にするのが結婚だ、って」
「い、言いましたけど……」
何か、と上目で俺を見る。その視線が、結構可愛らしいことに、気づいているのかいないのか。
俺は言った。
「それを実践してみたい。あなた、俺と結婚を前提にお付き合いしませんか。会った人を運命の人に育てるっていうあなたの御説を、リアルに体験してみよう、俺と」
「ーーは?」
俺たちの結婚ラプソディは、こんな風にして始まった。
#巡り会えたら