「運命の人に巡り逢えたら、その瞬間にわかるのかなぁ」
結婚相談所で、そんな泣き言を漏らしたら、説教を食らった。
「何を寝ぼけたことを。そんなご都合主義、あるわけ無いじゃないですか。運命の人には会えません。地球上に一体どれだけ人間が暮らしてると思ってるんですか」
えらい剣幕。俺は思わず怯んだ。
担当の人は言った。
「出会った相手を運命の人にするのです。時間と手間をかけて、自分の無二の相手に育てていくのですよ。結婚ってそういうものです。出会って、結婚してからの方がずっと、ずーっと長いのですよ」
「はーー、はい…」
気を呑まれた。すっかり。ごもっとも。
はあ……。
「ところで、あなたは薬指に指輪をしてないけど、その、独身?」
「え、あーーこれは、はい」
担当の人は左手をとっさに右手で覆った。
「私は、一度結婚で失敗しておりまして…。すみません、縁起悪いですよね」
でも仕事はきっちりさせてもらいますのでご安心を!と拳を握る。
俺はへぇと、まじまじと担当の人を見た。
改めて見ると、これは……。
「何です?」
「いえ……。さっき言いましたよね、出会った人を運命の人にするのが結婚だ、って」
「い、言いましたけど……」
何か、と上目で俺を見る。その視線が、結構可愛らしいことに、気づいているのかいないのか。
俺は言った。
「それを実践してみたい。あなた、俺と結婚を前提にお付き合いしませんか。会った人を運命の人に育てるっていうあなたの御説を、リアルに体験してみよう、俺と」
「ーーは?」
俺たちの結婚ラプソディは、こんな風にして始まった。
#巡り会えたら
「嘘だろ……、ほんとかよ」
唖然として、彼は高層マンションがある方を見上げた。
「どうしたの?」
「いや、ーーいま、あのベランダに干してた布団が吹っ飛んだ」
空っ風に煽られて、と答える。
彼女は彼の視線を追った。
でも、そこには青空が広がるばかり。目に眩しい秋晴れ。
「何それ、冗談? 大真面目な顔して」
笑顔になってそう言うと、
「いや、まじだって。ほんとに今布団が飛んだの、ふわぁって」
身振り手振りを加えて、あっちでこうぶわって魔法の絨毯みたいに、と食ってかかる。
「はいはい、面白い面白い」
いなす彼女にムキになった。
「信じてないだろ、俺が嘘ついてると思ってる?」
「だって、どこにも布団なんかないじゃん」
「ううう」
「君がそんな冗談、真顔で言うタイプだとは知らなかっよ、ささ、行こ行こ」
「うー。ホントなのに〜」
彼は、話を信じてもらえない悔しさに地団駄を踏む。
二人はちょうど信号待ちに差し掛かった。
すると、「ああああっ」と彼が声を上げて前方を指差した。信号の向こう。植え込みの辺りを。
「うっわ、びっくりしたア、……今度は何?」
彼女が身をすくませる。
彼は目を見開き、指をブルブルと震わせて言った。
「いま、犬が犬が、歩いてて、棒に当たった!」
#奇跡をもう一度
たそがれどき、君は悲しげな顔になる。
「どうして?」
と訊くと、
「あたしは耳が聞こえないから、あなたの口の動きや表情を見て何が言いたいのかを知れる。でも、この時間帯になると、暗く翳って見えなくなる。それがなんだか切ないの」
ゆっくり、僕にわかるように大きく口を動かして伝える君。声にならない声で。
手話を覚えようと懸命に頑張っていた僕だけど、たそがれには勝てないのか。
悔しいなぁ。僕たちは太陽の光が失われると、気持ちのやりとり自体が危うい。
でもね、と僕は思いなおし、君の肩を抱きしめる。そっと。
そして、
「暗くなったら、こうやって話をしよう。こうすればからだを通じて僕の声が響くだろう?」
微かな震えが届くといい。君に。
すると君はいったん身を離して「何を言ってるか、わからないよ」と首をかしげた。
でもどこか、嬉しそうに目を細めて。
僕は言う。宵闇を背負いながら。
「わかるよ、何をどう言ってても、基本、僕が君に伝えたいことは一つだから」
もう一度君を抱き締めて、
好きだよ。
そう言うと、僕の背に腕をギュッと回して君は泣いた。声を殺して。
それ以来僕は、たそがれどきは、そんなに嫌いじゃない。
#たそがれ
「声が聞こえる4」
「柴田さん、きっと明日も雨ですよ」
俺の下についた、部下の水無月が空を見上げて言う。
今ようやく晴れ間が見えたところなのに。俺は内心気落ちしながら
「ほんとかー、お前の予報、当たるからなあ」
と頭を掻いた。まいったな。
水無月は薄く微笑んで、
「空気に雨の匂いが混じるんですよ、ほんの少し。
でも、明日の土曜日、降るとそんなにまずいんですか」
と訊いた。
「明日、保育園の運動会なんだよ。楽しみにしてるからさー」
水無月は書類を仕分けていた手を止めた。
まじまじと俺を見る。
「なんだ?」
「……柴田さん、お子さんいるの?ご結婚なさってるんですか」
「あ、ああ。言わなかったっけ? 俺、バツイチ。シングルファーザーなんだよ」
けっこ、社内じゃ有名な話だぞと自分で言ってみる。
「全然知りませんでした。ーー私、てっきり」
「てっきり、なんだよ」
「……なんでもないです。じゃあ、お子さんのために明日晴れた方がいいですね」
「そりゃあ、出来るなら」
「じゃあ私、これから有給取ります。ちょっと遠出するんで、多分明日は晴れになりますよ」
俺は呆気に取られた。
「ちょっと待て、お前何言ってんだ」
「言ったでしょう、私アメフラシの子孫なんですって。雨の匂いがしないところまで離れないと、天気崩れちゃうから」
そういや確かにそんなことを言った。結構前に。言ったけれどもーー
まさかの有給? アメフラシの子孫、て。
サボるにしてもひどい口実じゃないか?
結局、水無月はその日午後から休みをほんとに取って退勤した。
次の日、空は持ち直し保育園の運動会はなんとか外で開催できた。子どもは大喜び。
「水無月さ、土曜日ほんとに遠出したの?どこまで行ってたんだよ」
週明け水無月にそう尋ねると、あ、北海道まで出掛けてましたと答えた。白い恋人を課に配りながら。さらっと。
「北海道オ? 嘘だろう」
「ほんとですよ。代わりに、友達の晴れ女をこっちに数人呼びましたから。ちゃんと晴れたでしょ?良かったですね」
……この子の話はどこまでがほんとなんだか分からん。
困惑した顔があからさまだったのか、水無月は面白がるように目を細めて言った。
「お子さんの運動会じゃなく、柴田さんが女の人とデートとかだったら、お家から出る気もなくなるくらいの土砂降りにしてやってましたけどねー。まあ、お子さんと楽しんだのなら良かったです」
少し焼けましたね柴田さん、と笑う。
ーーーええええ? それってどう言う意味??
#きっと明日も
「通り雨2」
夜。私の部屋から見えるのは、月ばかり。
しじまの中、私は便箋に筆を走らせる。
元気ですか 風邪など引いていませんか
ひと目あなたに会いたいです
どうか許してくださいとは書かない。許してもらえるはずがないから。
返事をくださいとも書かない。そもそも、この手紙が読まれるとは限らない。いつものように、あてどころ不明で戻ってくることだろう。
それでも私は、ここで手紙をしたためるしかできない。
読まれることのない手紙を、書く。
私の罪は、家族の人生をも狂わせた。
彼を刺したのも、こんな月だけが浮かぶ夜のこと。
息子の同級生に言い寄られ、付き合うようになり、密会はホテルで重ねた。不義の恋に私は溺れ、息子の同級生は初めての女の体に溺れた。
愛欲だけの関係だった。わかっていたのに、別れを切り出され目の前が真っ暗になった。
付き纏い、LINEを立て続けに送りつけて、鬱陶しがられた。挙げ句、いい加減警察呼ぶぞおばさんと罵られ、私は逆上した。
部活帰りの彼を、駅で待ち構えて包丁で刺したーー
息子はどうしているだろう。収監されている部屋で、私は毎日我が子を想う。
母親が殺人者になったあの子のこの先の人生を思う。刺した相手の顔は、もう思い出せないというのに。
私はただペンを動かす。その音だけが部屋にひっそりと立ち上る。
息を詰めてひと文字ずつ便箋を埋めてゆく。
#静寂に包まれた部屋