デートの時、別れ際に手話で「楽しかった、ありがとう、またね」と言う君。
駅のホームで、君を電車に乗せて見送る僕に、何度もその手話をするから、僕が初めに憶えたのは、その手話だった。
「素敵なお話ね、パパ」
「だろう?」
「パパがドヤ顔なの、珍しいね」
「ママが褒められるの、嬉しいんだよ」
特に娘にねと微笑む。
優しい、自慢のパパ。
「ーーねね、どうやってパパはママとお付き合いするようになったの? 耳が聞こえるパパと、聞こえないママと」
「ん。それはね、筆談」
「ひつだん?」
「パパとママは毎日すれ違う電車の中で出会ったんだ。お互い、名前も知らない頃からドアの窓越しに会うのを楽しみにしてた。ドキドキ、意識してた。
ひょんなことからパパはママが音のない世界で生きてることを知って、ーーどうしても好きで諦められなくて、ある日、いつもの停車する駅で、紙に書いてママに見せた」
ノート一面に、ペンででっかく「好きだ」って書いて、ビタっとママの方に見えるように窓に貼ってーー
娘は目を見開いた。
「素敵〜、ろまんちっくだね、パパ!」
手放しで褒める。周りの乗客にも見られたでしょ、恥ずかしくなかったのと尋ねる。
「あの時はとにかく必死でさ。そんなこと気にする余裕、なかったよ」
そう言って照れ臭そうに笑うパパ。今度、ママにも聞いてみよう。どんな風に好きになったの、どんな風にして付き合うことになったの、と。
きっと若い頃の素敵なパパに会えるはず。
#別れ際に
「声が聞こえる3」
ランチを終えて会社に戻ろうと店を出ると、雨が降っていた。
ついてない。会社まで急いでも10分はかかる。傘を用意すればよかった。いや、降るとわかっていたら、もう少し近くの店にすれば良かった。
雨の中に飛び出す踏ん切りがつかないでいると、背後から声を掛けられた。
「柴田さん、傘入りますか、良かったら」
同じ課に最近異動してきた水無月さんだった。
ぽん、と折りたたみじゃない、しっかりした造りの赤い傘を開いて俺を見る。
「あ、ーーああ、店に居たんだ。気づかなかったよ」
女性社員とつるんで来ているわけではなさそうだ。まぁ着任して日も浅い。
しかし、あまり接点のない女性と一つ傘の下に入るとなると、ためらいが先に立つ。
「奥の方にいましたので」
入りません?昼、終わっちゃいますよと目で促す。
「あー、じゃお言葉に甘えようかな」
俺は水無月さんの傘に入らせてもらった。店先でうだうだしてたら店に迷惑だ。俺は柄を彼女の手から受け取った。
「俺の方が大きいから、差しやすいし、歩きやすい」
「ありがとうございます」
すぐに止む通り雨ですけど。水無月さんは朗らかに言った。
「分かるんだ、へぇ」
「まぁ雨が降る、上がるのことなら、大概。じつは私、妖怪アメフラシの子孫なんです」
俺はまじまじと水無月さんを見つめ返した。
軽い感じでいるけど、目がまじだ。こういう冗談を言う子なんだ、意外だな。
「奇遇だね、俺、雪女の子孫」
「……へぇ、そうなんですか」
「うん」
「そういえば柴田さん、時々親父ギャグで場を凍らせてますもんね」
「え、そお? そうかな」
軽ーく傷ついたぞ、おじさん。
結構毒舌。顔に似合わず。俺は水無月さんに雨がかからないように、傘の角度を気遣いながら、会社への道を歩いた。
ーー、ひと雨来そうだったから、傘を持ってランチに出たんですよ。柴田さんの選ぶお店に…
相合い傘のチャンス、だからーー
「え、何か言った?いま」
雨音に紛れ、よく聞こえなかった。そう言うと、
「ううん、何も」
ふふふ。雨がざあっと強まった。
#通り雨
「いよいよあなたの時代が来たわね、待ちかねたわ」
「何か、肩身が狭いよ。すぐにクールな彼が控えてるからね」
「最近、四季がないって言われてるものね、夏か冬かだとか聞くと悲しくなっちゃう」
「僕は君の季節、好きだよ。雪が溶けて桜が咲いて、人々の顔がぽおっと明るくなるのがわかる。素敵だよ」
「あら、嬉しいわ。ありがとう。私もあなたの季節、好きよ。葉っぱが赤や黄色に色づいて、世界が万華鏡みたいになる。空気も美味しいし、空も綺麗だわ」
「……春ちゃん」
「秋くん。私たち、なんだか似たもの同士ね。夏と冬に挟まれて、どっちつかずで曖昧で」
「そうだね。ーーでもまぁ、それもいいかな」
「うん。私たちはこのままでいいのよね、きっと」
まだまだ残暑が厳しい中
ちょっと肩身が狭そうな秋と春
ひっそり労りあってるのかなー、なんて…
#秋🍂
「ずうっと同じ景色だねえ」
「ほんとだね」
「真っ暗」
「うん、真っ暗だ」
「ずうっと続くんだね、これ。目的地に着くまで」
「そうだね」
「飽きるね」
「しようがないよ。景色は変えられないもん」
「片道、何カ月かかるんだっけ。2週間?」
「2週間と3日、かな」
「長い新婚旅行だねえ」
「……後悔してる? 僕と結婚したこと」
「なんで? するわけないでしょ」
「でもさっきから飽きるとか、長いとか」
「そりゃ長いよ。だって2週間と3日だよ? 月まで到着するの」
「地球に居たかった? あのままずっと」
「居られないじゃん。人口爆発で食べ物作る農耕地が足りなくなったんだから。月のコロニーに行くしかないんだよ。政府の言うとおり」
「ーー僕にもっとお金があれば、残れた。土地、持てなかったから。地価が高騰した地球に。だから」
「ねえ、辛気臭い話は止めよ? あたしたち新婚旅行なんだよ? たとえ窓から見える景色が真っ暗で果てしない漆黒の世界でも、死ぬほど退屈でも、あたしはあなたと一緒ならそれで幸せなんだから」
「……僕だって、君となら、月のコロニーだってパラダイスさ」
「……ふふ、キザなセリフ、似合わなーい」
「いいじゃん、言ってみたかっただけだよ」
「照れ隠しめ。……あーあ、それにしてもずうっと同じ景色だねえ」
「ほんとだね」
地球発の宇宙船。3等客室の船窓にて。
#窓から見える景色
僕は、声をかけてみたかった、君に。
この駅での停車中、向かいのホームに入ってくる電車。いつも同じ車両、同じドアのところに立って本を読んでいる君。
可愛いな、どんな本読むのかなって、気になってたーーずっと。
こないだゲリラ豪雨に見舞われて、駅で足止めを食った時。君と目が合った。ドア窓越しに。
チャンス! 思い切って、ジェスチャーで聞いた。
何の本?て。
君は慌ててカバーを外して、表紙と作者名が分かるようにドア窓に押し当てた。びたっと。
リアクションが嬉しかった。めっちゃ可愛いと思った。
その数日後、タワレコで偶然君を見かけて、僕はとっさに声を掛けた。ねえ、君。僕、こないだ電車ですれ違った……、ミセス、聴いてた。覚えてる?
君は目を丸くした。笑顔を見せて、すぐにそれが凍った。
困ったように、躊躇うように僕を見て、ごめん、と顔の前で手を合わせた。
そして、口をゆっくり動かして、声には出さずにこう言った。
私 耳 聞こえない。ごめんね。
泣き笑いみたいな、顔をした。
ーーえ。
ポカンとしたと思う。だって、君いま、タワレコ来てるじゃん。視聴ブースにいるじゃん。でもって、ミセスのアルバム、手にしてるじゃーー
持っては、いる。でも聴いてはいない。
ジャケットを眺めている、だけーー
僕の目線に気づいて、君は恥ずかしそうにそれをラックに戻した。そして逃げるみたいに、店を出て行った。
友達は、やめとけよと忠告した。耳が聞こえないのは、気の毒だとは思うよ。でも、お前が付き合うことはないだろ。縁がなかったんだよ。お前ならもっといい子、すぐに見つかるよと。
……そうだろうか。
僕は君の、電車のドアの近くの手すりにもたれて本を読む姿が好きなんだ。世界がしんと澄んで、雑音が周りから消えていくような気がする。どんな音楽よりもきれいな音が奏でられて気がするんだ。
透明な何かが君を包んでいる。
あんな子、他にいないーー
僕は君が好き。君のことを想うと胸が満たされる。僕は君からもう、形のない大切なものをきっとたくさんもらっているんだ。
#形のないもの
「声が聞こえる2」