たとえ間違いだったとしても:
絶対に許さないと決めた。
それはいつか過去になり、生傷が瘡蓋になって消えていくように、ゆくゆくは忘れてしまうのかもしれない。それでも絶対に許さないと決めた。
一度でも起きたことをなかったことにはできない。少なくとも今の私には、許すと言って不問にするほどの気概はない。
許したいけど忘れられないから、許されたと安堵して晴れ晴れ生きられたら恨めしいから、いっそ許さないでいるほうがいい。
つけられた傷を毎日かきむしって一生血を流していてあげる。私のいないところでも同じだけの罪悪感を背負って、一生背中を丸めていてよ。そうしている間ならまだ愛せそうだから。
世界中に非難されようと、ずっと互いに傷つけあって、地獄の底で一緒になろうね。
何もいらない:
久々に体調を崩した。たまの不調こそ日常的にあれど、きちんと休養が必要になったのはいつぶりだろう。
体が弱ると心も弱って感じるもの。自分しかいない閑静なこの部屋が、今日はいやに落ち着かなくて意味もなくスマホを見てしまう。
寝ているしかできないくせ寝付けないなら、いっそ何か勉強でもしようか。長らく興味を放置している言語に触れるでも、新しく取得したい資格の試験対策でも、スキマ時間に少しずつ進めている読書に没頭するでも、この場所から動かずにできることなどごまんとある。
何かしているほうが、言い知れぬ寂寥感も薄れるというもの。不調時の学習がどれほど身になるかは知らないが、ここまでまとまった時間はなかなか得られない。
そうと決まれば善は急げ、何をするにも準備からだ。まずは体にエネルギーを入れねばと、弱った体にもやさしい程度のあたたかい食事とたっぷりの水分を摂り、薬を服用したところで急激に体が重くなりはたと気づく。いや休めよ。
体は正直なんて言葉が不意に脳を掠める。体を回復させるのに必要な栄養と水分が入ってきて、他に必要なのは休むことくらいなのだろう。とにもかくにも横になりたい衝動めいた感覚にしたがって布団にくるまると一気に体の力が抜ける。
アレだな、きっと。なんとかハイみたいなヤツだったんだ。
色んなものが一気に低下して、布団のぬくもりとやわらかさ以外がどんどん遠くに流れていく。心細さは正直まだ残っているが、さっきより随分とマシだ。
体調不良そのものはまったく良いものでないが、たしかに何もしない時間なんてずっとなかった。何もかも手放して自分にだけ寄り添うこと以外、今は何もいらないってことなんだろう。
ずっと気にかけてこなくてごめん、自分。これからはもう少しちゃんと目を向けるよ。そんな気持ちで重いまぶたを閉じた。回復したら、このことを忘れないうちに趣味でも再開してみようかな。
届かぬ想い:
心が家出してしまえば良い。何度そう思っただろうか。
実際問題、心というのが自分自身とは別物の存在であったなら、今頃こんな容れ物は御免だと飛び出しているに違いない。
しかしこれは自分自身に他ならず、足元から生えた影と同じく切っても切れないものである。いかに傷まみれになり、膿があふれて腐り果て、目も当てられないほど汚れていようが他と換えることさえ叶わない。
容れ物たる私がなければ存在さえできないくせ、事あるごとに私を苦しめるこれが憎たらしくて仕方がない。汝、隣人を愛せよ。自分の中身すら愛せないというのに隣人など愛せるものか。否、隣人とはもしやこの憎き中身を言うのかもしれない。
色も形も知らないのに、ぎしぎしと軋むように痛む。その痛みが、出来の悪い肉の体には有り余るので、やはり早く出ていってくれはしないかと思う。
さもなくば、お前から私を愛してくれよ。
言葉にできない:
あなたの魅力を、素晴らしさを、ずっと見ていたいところを、両腕でも抱えきれないほど知っている。
だというのにポンコツな脳みそが、怠惰な声帯が、心臓の隙間からまろびでた臆病さが伝える術を一つずつ取り除いてしまう。
取り残されたものをどうにか継ぎ接ぎに組み立てた不格好なものでも、あなたは大輪の花束でも受け取ったかのようにしてくれる。そして本当に渡したかった思いもきっと汲んでくれている。それも分かっているけれど、だからいいやとはなれないのだ。
どうか、自分の口から出せるなかで一等美しいのをあなたに受け取ってほしい。届けることも未だできていないが、どうかそうあってほしい。
そんなささやかな苦悶にああでもないこうでもないと手を焼く私すらも、あなたは愛してくれていると知っている。
それがこんなにも嬉しいというのに、愛おしいのに、今日も何一つ言葉にならない。
どうして:
最近になって、ふと考えたことがある。
人生で最初に「しにたい」と思ったのはいつだろうって。
それがいつであっても、その人にとって大きな感情の動きがあったことは間違いないだろう。そしてそれには優劣だとか大小だとかをつけるべきではないのに、どうしてもそうしたい人が一定数いるらしい。
「しにたい」とこぼしたのが中高生なら、自分の親なら、男なら、女なら、小さい子どもなら、老人なら。
なあ、いま脳内で勝手に背景を補完しなかったかい?「老人が言うならきっと闘病に疲れての発言だろう」とか「中高生が言うなら多感な時期のそれだろう」とか、そういうのがほぼ自動的に起こらなかったかい?
いわくこれは脳の仕組みだそうだから、それを咎めるようなことはないよ。だけどここでそれに気がついたなら、意識してみてほしい。誰がどんな理由でその発言に至ったとしても、それなりの理由があるんだろうって思うことを。
僕の大事な人は、弱音ひとつ吐かず、気丈な様子のまま虹の向こうに行ってしまったよ。SOSを出してくれてるってことをもっと大事にしたほうがいい。
言葉が言葉だし、タイミングや頻度によってはうんざりするかもしれない。それでも何も言わないままいなくなってしまわれるよりずっと良いんだ。
こんなことをどれだけ熱弁したって、ヒトは実際にその痛みを経験するまで学習できない生き物だけど。
死にたがりは煙たがられるのに、どうして死にたがるような世の中になっちまうんだろうな。アンタが生きててホントに良かったよ。ありがとう。