空恋:
新しく始まったドラマのタイトルはどこか既視感があって、学生のころ親が毎週欠かさず観ていた恋愛ドラマを思い出した。
とはいえこの現代で既視感がないものを生み出すことのほうがよっぽど難しいのは身に染みた事実だ。今この瞬間を生きている自分の人生でさえも、人類の歴史の中では何番目かのよく似た物語かもしれないのだから。
そこまで考えて、さすがにそれは病的な思考だろうかと手を止めた。少し疲れてきているかもしれないな、今日はここまでにしよう。
書きかけのデータが保存されたのを注意深く確認して席を立つ。久々に広くなった視界に飛び込んできた窓の外は気後れしそうなほどの快晴で、眩しさもあいまって無意識に目が細くなってしまう。
空調管理が行き届いているにも関わらずじわりとにじむ夏の温度を感じていたところで「からん」と氷の音がした。そういえば麦茶を出していたんだったか。すっかり汗をかいたグラスはまだ冷たいが、わずかに透明な上澄みが見える。
「……夏だなあ」
飲み干したグラスから滴る水の冷たさと少し遠くに感じる夏空の青を眺める気持ちは、手の届かない存在に恋をするそれとよく似ているような、そんな気がした。
どこにも行かないで:
まさに今、口をついて出ようとした言葉を噛み潰して飲み込む。
何もないような顔で笑ってみせる。
今しがた飲み込んだ言葉の切っ先が喉の裏を、腹の奥底を刺し貫いてしまいそうだ。
あなたは優しいから、この痛みに気が付けばきっと足を止めてくれる。ここへ踵を返してくれる。
だから気取られるわけにはいかない。これが今生の別れでもあるまいに。否、絶対とは言えないけれど。
「それじゃあ、またね」
見えない未来に希望の橋をかける約束を、どうか信じさせてほしい。
美しい:
それは紛れもなく君のことだ。
どうしてこの世界は:
朝焼けを連れて陽が昇る。
夢の景色が溶け出したような色の空が少しずつ目を覚まして、どこまでも続く青に変わっていく。
白い雲が揺蕩い、時には雨を呼び、脳裏に焼き付く夕焼けのあとには夜が訪れる。
星の瞬きのなか日ごと満ちては欠ける月を追いかけて、また朝焼けとともに陽が昇る。
世界はただそれだけのはずなのに、僕らはいつも何かに追われるようにあくせくと生きて、勝手に疲れて、気が付けば世界を恨んでいる。
本当に恨めしいものは他にあるはずだけれど、途方もなく大きなもののせいにしないとやっていられない気持ちになってしまって仕方ない。
そんな僕らだというのに、どうしてこの世界はただひたすらに愛を注ぐように回るのか。
頼むから、あんまり綺麗なものを見せないでくれ。汚れた自分に耐えられないじゃないか。
何もできずに空だけ見ていた視界が溶けていくのをあくびのせいにして、未だ来ない眠気を待って目を閉じた。
水たまりに映る空:
今日は良いことがなかった。
嘘だ。本当を言うと、今日も良いことがなかった。せめて通り過ぎた昨日を良い日だったことにしたくて、誰に話すでもなく背伸びをしたのがいやにみじめになってくる。
うつむいて歩くことを悪し様に言う人はよくいるけど、実際そんなに咎めることでもないだろう。足元に注意が向いているから小石や道路の窪みで躓くことがない。ひどく落ち込んでいるように見えるかもしれないが、存外なんともないんだぜ。
……これはこれで、なかなかどうしてみじめだな。
そんなことを思って顔を上げた途端、スピードを落とさない乗用車が踏み潰した水たまりの中身を思い切り被らされた。ああもう、本当に。
今しがた荒らされたばかりの泥水を睨み付けてやって、驚いた。面白いほど透明で、黒々と透けるアスファルトが青い空の鏡になっている。
あっけにとられるような思いで振り返った先では、あれだけ急いでいた乗用車が信号で捕まっていた。