楽園
俺は、殺し屋だ。
この手で、何千の人を殺した。きっと怨念はその分だけ抱かれているはずだ。
だからせめて、死は自分の手で、と。
そんな、雨の日の夜。
この、「楽園」と謳われる聖地にて。
きっと俺は、こんなところで生きてはいけない、異物だったんだ。
――なぜ、人を殺してきたのか。
殺しをしすぎたせいなのか、怪我のせいなのか。なんだかもう、全部わからない。疲れた。
朦朧とする頭を動かし、眼で、何かを見つめた。
「――だいじょうぶ?」
眠りにつく寸前に、なにかを視て、なにかを聴いた気がしたが、よくわからない。
――あたたかい。
「……………………?」
なぜ、暖かいのか。それは、眼を開けてすぐわかった。
「……? あ! 起きた?」
そこには、子どもがいた。それも、何人も。
「…………ここ、は?」
「楽園の下の町の、せんせいの診療所だよ。お兄さん、熱でぐったりしてたから、ここまで運ぶの、とってもたいへんだったんだからね」
つまり、ここは俺の知らない場所なのか。でも、そういえば。最期の記憶が朧げだ。いつの間にか下町にまで、歩いていたのか。
「お兄さん、死のうとしてた?」
子どもは遠慮がない。だというのに。
「……楽園で、殺し屋をしていた」
「そっか、殺し屋かあ。……たいへん、だったね」
「? 何故そう思う」
「だって楽園は、変なことだらけのところだから。そこで「殺し屋」なんて、たいへんなお仕事してたんだなあって」
だというのに、変なところで配慮してくる。
生きるために、殺し屋をしてきた。それは、「殺し」たくてしてきたのとは違う。
「……」
その時。
「あ、せんせい! 変なひと起きたよ!」
「そうか」
短く言葉を発しながら現れた「先生」は、おそらく子どもとの会話は聞いていた。
「って、こら。「変なひと」は本人を目の前には言うなって、いつも言ってるだろう。ちょっと診察するから、あっちで飯の準備しておいてくれ」
「はーい!」
「……」
なにかちょっと、引っ掛かる言い方だったが、それはそれとして。
「……なんで、助けた」
子どももいなくなってから、当たり前の文句を言えば。
「そりゃ、うちは「医者」だからだ。どんな命でも、連れてこられたら、救うのが、うちの仕事だ」
相手も、医者としての当たり前を言ってきた。
「……殺し屋、でも?」
「ああ、そうだ。もし、死のうとしてたなら、そんな甘いことは考えるな」
甘い、だって?
「――ほとんどの「罪」は、その命で祓えるなんてことはねえよ。罪は、背負って生きるもんだ。それに、例えなにをして死のうとしても、うちが医者であるうちは、死なせはしてやらないからな」
それが、先生との出逢いだった。
――時は流れる。
俺は先生の助手として、医者になった。
そうして、かなりの時が経ってから先生は寿命を全うして、安らかに眠った。
その魂は、果たして「天国」へ逝くのか。又は「楽園」で生まれ変わりをするのか。
先生からの言葉を。
「罪は背負って生きるもの」
その言葉を胸に。
今日も俺は、人を殺した罪を忘れずに、人を生かす仕事をしていく。
こんな、傲慢なことを、よく先生や子どもたち、患者は許してくれたことだ。つくづく、よくわからない。
善悪
世の中、それが「善悪」のどちらかなんて分からないことばっかりだ。
例えば「励まし」
ある頃までは、「勝つことこそ正義」、とか「負けるな」、「上(前)を向け」なんて考えのもとに、歌でもなんでも、いわば「強い」ものが良いというのが多かった。
それが悪いわけではない。決して。
今は、「負けてもいいんだ」、「無理に前を向くことない」、「急がなくていい」
なんて考え方も、それなりに一般的になっている。
なぜ、そんな対極の考えがあるのか。
私が考えるに、一つ。
「時代」、「お国柄」
これが、とても関係していると思う。
日本人がごみ拾いする姿を、外国人が見て
「さすが日本人! マナーが良い」
と、思われることもあるだろう。
でも、どこかの公園のごみ箱には、空き缶も、たばこの吸いがらも、コンビニの弁当も、無造作に詰められている。
そしてそれを、一定の期間で掃除する人がいるのも事実。
「みんな」がそうではないし、そうでなくてはいけないともない。でも。
「善悪」とは、単純なようで、とても複雑だと、私は思う。
流れ星に願いを
おばあちゃんは、よく言ってた。
「流れ星に願いを託すとね、きっとその人には、幸福が訪れるんだよ」
嘘ばっかり。
だって、私は「お父さん」を知らない。お母さんも、病気で、もう長くないって。
お母さんの病気を治して
お父さんがほしい
私の、昔からの願い。でも叶ってなんていない。
それにまた、願いごとが増えた。
おばあちゃんを生き返らして
これも、叶うわけはない。わかってる。私も、子どもじゃないんだから。
私たちは、生きている。
星は、ずっと、ずぅっと遠い存在で、なにもしてはくれない。
私に幸福が訪れなくてもいい。
お父さんには、会わないほうがきっといい。
お母さんの、残りの時間は、一緒にいたい。
おばあちゃんは、こうも言ってた。
「あなたは、周りのことよりも、自分の幸せをちゃんと考えたらいいの。あなたは、もっとわがままを出していいんだよ」
その声を思いだしながら、夜空を見上げて、驚く。
――流れ星だ。
でも。もう願わない。
私はちゃんと、自分の足で生きていくんだ。
だから。
――悲しいって、言っていいんだよね? おばあちゃん。
雫
今日、私は飛び降りをした。
頭が痛い。リストラに、子どもの死。もう、嫌になった。
うっすらと思う。
(二階からの飛び降りでも、人って死ねるんだなあ、あっけないもんだ)
もう、疲れた。
ぽた、ぽた。ぽた。頬に水滴が落ちる。
(雨、か)
最初はそう思った。でもなにか違う。
(……? なんだ? 冷たくないし、雨にしてはあまり降ってこない)
ゆっくりと眼を開けた。
「……! ……っ!!」
それは、妻だった。
苦しげに、妻の涙が自分の頬に落ちる。
なんで、そんな顔するんだろうか。
……もしかしたら、でもなく。
――そうか。
苦しいのは、なにも自分だけなわけはないんだ。
自分のリストラに、妻は泣かなかった。騒がなかった。
子どもの死に、私は泣けなかった。
ああ、どうして。
「すまな……った……」
「すまないと思うなら、……生きてよ、この大馬鹿もの! 私をひとりにして、そのままあの子のところへ逝くなんて、許さないんですからね……!!」
妻の涙には、心を苦しくさせる作用がある、不思議だ。
そうして自分は、まだ「今」も、子どものところには逝かず、妻とともに歩いているのは、どんな奇跡なのか。
沈む夕日
「よーし、お前ら! あの夕日に向かって走るぞー!」
教え子たちと、夕日に向かって走る。教師になったら、一度はやってみたかったことの一つだ。
「えー」
「はあ?」
「またかよ、センセの無茶振り……」
「ドラマの見すぎだろ」
とは言いつつ、なんだかんだのってくれるのが、こいつらの良いところだ。
しかし。忘れていた。「若い」とはなんたるかを。
それは、数分もしないうちに。
「センセー? はやくー!」
「言い出しっぺが、一番遅いじゃんかー」
「ぜぇ、はぁ、……ぜぇ……。お前ら、速いなあ……!」
「陸上部なら、当然っしょ」
「吹奏楽部も、よく体力づくりに走りますし」
「サッカーは、速さがなんぼだろ」
そう。彼らはみんな、日頃から鍛えているのだ。
それに比べて、自分は37歳の、ややわがままボディ。
かなうはずはなかった。
そんなもので。夕日が沈むまでには、とてもじゃないがもう走れなかった。ありがたくも解散だ。
とはいえ。数分だが、やってみたいことの一つが叶ったのだ。
生徒に置いていかれながらだが、まんざらでもない気分で、沈む夕日を見つめる。
残り21コの「やってみたいこと」も、また今度トライだ。
まだ、自分は頑張れる!