善悪
世の中、それが「善悪」のどちらかなんて分からないことばっかりだ。
例えば「励まし」
ある頃までは、「勝つことこそ正義」、とか「負けるな」、「上(前)を向け」なんて考えのもとに、歌でもなんでも、いわば「強い」ものが良いというのが多かった。
それが悪いわけではない。決して。
今は、「負けてもいいんだ」、「無理に前を向くことない」、「急がなくていい」
なんて考え方も、それなりに一般的になっている。
なぜ、そんな対極の考えがあるのか。
私が考えるに、一つ。
「時代」、「お国柄」
これが、とても関係していると思う。
日本人がごみ拾いする姿を、外国人が見て
「さすが日本人! マナーが良い」
と、思われることもあるだろう。
でも、どこかの公園のごみ箱には、空き缶も、たばこの吸いがらも、コンビニの弁当も、無造作に詰められている。
そしてそれを、一定の期間で掃除する人がいるのも事実。
「みんな」がそうではないし、そうでなくてはいけないともない。でも。
「善悪」とは、単純なようで、とても複雑だと、私は思う。
流れ星に願いを
おばあちゃんは、よく言ってた。
「流れ星に願いを託すとね、きっとその人には、幸福が訪れるんだよ」
嘘ばっかり。
だって、私は「お父さん」を知らない。お母さんも、病気で、もう長くないって。
お母さんの病気を治して
お父さんがほしい
私の、昔からの願い。でも叶ってなんていない。
それにまた、願いごとが増えた。
おばあちゃんを生き返らして
これも、叶うわけはない。わかってる。私も、子どもじゃないんだから。
私たちは、生きている。
星は、ずっと、ずぅっと遠い存在で、なにもしてはくれない。
私に幸福が訪れなくてもいい。
お父さんには、会わないほうがきっといい。
お母さんの、残りの時間は、一緒にいたい。
おばあちゃんは、こうも言ってた。
「あなたは、周りのことよりも、自分の幸せをちゃんと考えたらいいの。あなたは、もっとわがままを出していいんだよ」
その声を思いだしながら、夜空を見上げて、驚く。
――流れ星だ。
でも。もう願わない。
私はちゃんと、自分の足で生きていくんだ。
だから。
――悲しいって、言っていいんだよね? おばあちゃん。
雫
今日、私は飛び降りをした。
頭が痛い。リストラに、子どもの死。もう、嫌になった。
うっすらと思う。
(二階からの飛び降りでも、人って死ねるんだなあ、あっけないもんだ)
もう、疲れた。
ぽた、ぽた。ぽた。頬に水滴が落ちる。
(雨、か)
最初はそう思った。でもなにか違う。
(……? なんだ? 冷たくないし、雨にしてはあまり降ってこない)
ゆっくりと眼を開けた。
「……! ……っ!!」
それは、妻だった。
苦しげに、妻の涙が自分の頬に落ちる。
なんで、そんな顔するんだろうか。
……もしかしたら、でもなく。
――そうか。
苦しいのは、なにも自分だけなわけはないんだ。
自分のリストラに、妻は泣かなかった。騒がなかった。
子どもの死に、私は泣けなかった。
ああ、どうして。
「すまな……った……」
「すまないと思うなら、……生きてよ、この大馬鹿もの! 私をひとりにして、そのままあの子のところへ逝くなんて、許さないんですからね……!!」
妻の涙には、心を苦しくさせる作用がある、不思議だ。
そうして自分は、まだ「今」も、子どものところには逝かず、妻とともに歩いているのは、どんな奇跡なのか。
沈む夕日
「よーし、お前ら! あの夕日に向かって走るぞー!」
教え子たちと、夕日に向かって走る。教師になったら、一度はやってみたかったことの一つだ。
「えー」
「はあ?」
「またかよ、センセの無茶振り……」
「ドラマの見すぎだろ」
とは言いつつ、なんだかんだのってくれるのが、こいつらの良いところだ。
しかし。忘れていた。「若い」とはなんたるかを。
それは、数分もしないうちに。
「センセー? はやくー!」
「言い出しっぺが、一番遅いじゃんかー」
「ぜぇ、はぁ、……ぜぇ……。お前ら、速いなあ……!」
「陸上部なら、当然っしょ」
「吹奏楽部も、よく体力づくりに走りますし」
「サッカーは、速さがなんぼだろ」
そう。彼らはみんな、日頃から鍛えているのだ。
それに比べて、自分は37歳の、ややわがままボディ。
かなうはずはなかった。
そんなもので。夕日が沈むまでには、とてもじゃないがもう走れなかった。ありがたくも解散だ。
とはいえ。数分だが、やってみたいことの一つが叶ったのだ。
生徒に置いていかれながらだが、まんざらでもない気分で、沈む夕日を見つめる。
残り21コの「やってみたいこと」も、また今度トライだ。
まだ、自分は頑張れる!
星空の下で
そこには、確かに一軒の家があった。暮らしていた家族は父、母、兄、姉、弟。
姉弟はなにかと喧嘩が多く、それをなだめるのは決まって兄で。
両親は呆れつつも、穏やかな眼差しでその一連のやり取りを見守っている。
――なんの変哲もない、ただの一家だった。その時までは。
ある年の初め、強烈な災害の多い春だった。天候の荒い日が何日も続いた。
そんな、春の嵐の日、雷がその家に落ちたのだ。
生存したのは、その日たまたま、友人宅に泊まっていた弟だけ。
【これ】が、彼の生い立ちだ。
周りは、腫れ物に触れるような扱いをしてくる。それこそ特に、大人たちは。
たくさん、想いを馳せる。
「姉さんとは、前の日は喧嘩しかしてなくて、仲直りもまだだったのに」
「兄さんに勉強教えてもらうの、けっきょく一度もなかったじゃないか」
「もう、母さんの焦げたオムレツ、食べれないんだな」
「父さんの、タバコ臭い匂い、きっとそのうち思い出せなくなる」
――でも。
「あの日、自分も家にいたら」
とは、思いたくなかった。だって。そう考えてしまったら。
親友との語らいが、悪かったようになってしまう。それは、ダメだ。
だって。
自分の誕生日に、大切な友達が死んだ、なんて。相当な悪夢以外のなにものでもない。
だから、彼は今日。春休みの星空の下で。親友の誕生日に。友の家で家族の弔いをする。燃えてしまった家に想いを馳せながら。
そしてあの日から。何度だって立ち上がらせてくれた唯一無二の親友の誕生を、こうして毎年、祝うのだ。
「おめでとう、と素直にはちょっと言えないけどさ。ありがとうな、親友」