月凪あゆむ

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5/8/2023, 11:23:58 AM

一年後

 それは、とある住宅地で巻き起こった出来事。

 1頭の、薄汚れた毛並みの犬が、ゆっくりと歩いていた。首輪はない。
「あ、ママ! ワンワンがいるよー」
「そうね。……でも、危ないから近づいちゃダメよ」
「どこからきたのかねえ」
「迷い犬か……?」

 周囲の声に、耳をピクピクとさせながら、その犬は歩く。
 一体、なにがあったのか。


 やや時間が経ち、近所の大人達はその犬を「保護」することに決めた。
 なにを隠そう、この近所には保護犬が多いので、そこはスムーズに受け入れられた。
 問題は、「誰が」保護するのかだ。

「うちはもう、いまの子たち以上はちょっと……」
「うちは、1歳の子どもがいるから、難しい」

「…………」

 大人達の輪に、長い沈黙が落ちる。
 ──その時。
「……おや? ぽんた?」
 大人達が一斉に振り返ると。
 一人の老いた女性が、杖を突きながら犬に近づいていく。
 女性の杖は、白杖ではない。が、もうそろそろ眼が見えなくなってきた、と周囲にこぼしていた。加えて、認知症になりつつある。
「ちょっ、ばあさん!」
 周りが止めようとした、その時。
 保護犬の家族がいる女性は気づいた。

 ──あの犬、喜んでる。

 ほんのわずか、尻尾が揺れているのだ。風のせいでもなく、犬の意思で。
 それを聞いたほかの大人達が、つい手も声も止まる。
 そして。

 ──クゥーン、ウォン! ウォン!

犬が、老婦人の手を舐めた。そして、甘えた声で鳴く。尻尾もぶんぶんに振っている。
「よしよし。どうしたんだい」
 「ぽんた」と呼び、老婦人は愛おしそうに、犬の背を撫でていたのだった。



 そんな出来事があった日から、一年後。
「おばあちゃん! ぽんた! 会いにきたよー!」
「おやまあ、そっちにいるのかい?」
 あれから、目が完全に見えなくなった老婦人。しかし彼女には、白杖よりももっと頼もしい相棒がいる。
「ねえ、ぽんたって本当に、迷い犬だったの?」
 孫の問いに、老婦人は頷く。
「そうさ。わたしが、昔飼ってた犬にあんまりにもそっくりだから、つい呼んじゃったのよ」
 そんなぽんたのおかげもあり、認知症はかなり軽度で留まっている。

「ぽんた。まっしろでキレイだよね」
「ばあちゃんが初めて遭ったときは、すんごい疲れた感じで、毛も白だなんて思わなかったんだけどねえ」
 それだけ、この子は過酷な過去があったのかもしれない。
 でも、人に怯えはしないから、もしかしたら飼い犬で、何らかの理由で迷ってきてしまったのかもしれない。
 
 しかし全ては、「かもしれない」に過ぎない。
 
 だから、「今」のこの子は此処にいて、今の主人である老婦人を大切にし、又大切にされている。
 そして彼女とともに、これからもこの家で、生きていくのだ。きっと、出来うる限りのさいごまで。

5/8/2023, 12:41:27 AM

初恋の日

 それは、まだ幼き頃に。
「大きくなったら、ずーっといっしょにいようね!」
「ん? いまは一緒にはいないの?」
「え!? そ、そんなことはないよ!?」

 なんて、笑いながらした、帰りの幼稚園バスの中での会話。
 楽しかった。嬉しかった。

 なのに、今は。


 学年も、性別も違う彼とは、大きくなるにつれて、一緒にいることも減った。
 加えて彼には、「ファンクラブ」なるものが存在する。
 そのわりに、誰かと付き合ってるだとか、そんな浮いた話は一つも聞いたことはない。
 さすがに、幼い頃のことを覚えているとは思わないけれど。
 しかし。よく眼は合うのはどうしてだろうか。
「……?」
「……!」
 ほら、また。
 ちょっと彼の背中を見ていたら、振り返られた。
 なんとなく、眼を逸らすが時は遅し。一瞬たが、バッチリ眼が合っていた。
 彼はくすりと笑みを浮かべながら、前を向いた。
「…………」

 
 そして、それは起こった。
 放課後。とある教室にて呼び出しをくらった。と言っても教師にではない。
 3対1で、彼のギャラリーと見られる女子達に、囲まれる。
 その目のギラつき具合は、さながら野生の肉食動物のようだ。
 と。なんとなく思っていたら。
「あんた、何様のつもり? 彼のこと、チラチラ見て。キモいんだけど」
「え……? いえ、何様もなにも」
 眼が合うのは、そんなにもいけないことか。
 どうも、この女子達は自分の事が目障りらしい。なんとなく不本意だが。
「……すみません。もう、見ないので」
 俯き、つぶやく。
 ああ、言ってしまった。どうしてこんなに、悲しいのだろう。

 そして、満足げな女子達が教室から去ろうとして。なぜか固まっている。
 目線を上げてみると。
 ドアに、「彼」がいた。

 サァーっと、女子達は顔を青ざめる。
 彼はわらっていた。怖い笑い方だ。

「それ、止めてくんない? 俺言ったよね、ファンクラブなんて要らないって」
「や。それは……」
「それに」

「俺の恋路を、邪魔すんな」

 真顔の彼は恐い。なんてぼんやりと考えている間に、女子が逃げていった。
「……真顔は怖い。とか思ってんだろ」
「え……!」
 はぁぁ、と大きなため息をつかれながら、一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。
 つい、こちらも一歩と下り、結局壁に当たる。もう、下がれない。

「ねえ、覚えてる? 俺の告白」
「こく、はく……?」
 いつにない、真剣な眼で、告げられた。

「ずーっと、一緒」


 それは、幼い頃の言葉よりも、ずっとずーっと甘い響きで。
 ああ、やっぱりズルいな。
 
 はたして私の初恋は、彼に奪われたのか、否か。
 ──なんて。言うまでもないことだろう。

5/4/2023, 10:48:33 AM

大地に寝転び雲が流れる

 自分たちは、一体何をしているのだろう。
 そう思うと、聞かずにはいられない。
「……なあ、弟よ」
「なあに~、お兄ちゃん」
 あくびでもしてそうな、能天気な声が返ってくる。

「なんで俺たち、こんな芝生で寝転んでるんだ?」

「……えへへ」
「えへへ、じゃねえよ。ちゃんと答えれ。なんで、このためだけに、病院からの外出許可もらってんだよ」
 本当に、苦労したのだ。
 弟は、難病だ。治療法がない。
 主治医や看護師も、この外出はなかなか首を縦には振ってくれなかった。
 しかし。
 弟が、なにかを伝えた。
 その「なにか」を聞いて、やっと外出許可を得て、何故か河川敷の、芝生の上という今に至る。
 兄には、理由を教えてはくれていない。
 そこが、少々不服だ。

「──ねえ、お兄ちゃん」
 なんだ、と返そうとして、兄は息が一瞬止まった。
空を見上げる弟の目から、涙が頬につたっていた。
 とても静かに、泣いていたのだ。
 

「ねえ、ぼくはいつ、病院から外に出られるのかなあ」


 それは、日々難病と闘う弟の、紛れもない本音だった。
「…………」
「あ、ごめんね。泣いてるんじゃないからね! 心拍数は上がってないよ」
 何の言葉も返せない兄に、弟は努めて明るい声で、続けた。

「もしかしたら明日とか、ぼくの息止まったりするのかなあ、とか思うとね」
 兄はまだ、言葉がでてこない。

「そしたらその前には、ちょっとでも外に出て走ったり、叫んだり、こうしてねっ転んで空を見上げたいなあ、って思うんだ」

「…………」

 沈黙が、二人の間に流れる。
 まだ、兄は言葉を探していた。


 どのくらい、そうしていたのだろうか。
 それは、雲が流れ、晴れ間が顔を出したその瞬間に。
 兄は言葉を紡いだ。

「……また、来れるさ」
「別に、気休めなんていらな──」

 その時に初めて、弟は横にいる兄の顔を見た。
 弟と同じくらい、否。それ以上に、兄の目には、涙が溢れていた。
しかし、目一杯に涙をためてなお、目からは落ちない。落とさないようにと、頑張って堪えていた。

 いつどうなるのか。
 回復するのか。急変するのか。
 そんなの、二人にも、ほかの者にも分からない。
 ただ。

「──ぜっったいに、また、来よう!!」

 兄の眼には、「決意」が宿っていた。


 また、この空の下で、一緒に芝生の上にでも寝転んで。
 たくさん、話をしよう。
 ──その時には、きっと違う感情の涙で。

5/3/2023, 11:10:26 AM

ありがとう

 お前たちは何度、絶望を味わえば足掻くことを止める?
 お前たちは幾度、自分の無力さを味わえば、手を止める?

 そんな、科学者の問いかけに、私は答えた。
「ねえ。私たちはただ、幸せになりたい。そのために足掻いて、手を動かして、自分の道を切り開くの」
 馬鹿馬鹿しい、と科学者は嘲笑う。
「まるで、蟻だな。悪魔よ」
 ふと、私は笑む。
「……そう、だよね。私たちは、人間にはなれない。……でも!」
 その、刹那。

 パァッと、何かが弾けた。
 それは、目を殺られるような、眩しい光だった。
 その音と光に、科学者たちが怯むその時に。
「私たち」小さな悪魔は飛びだす。

 ──外を、目指して。

「待て! お前たちだけで、どうこの世界を生きれるというのだ!」

 そんなの、わからない。
 けれど、進まなければ私たちに待ち受けるのは「只の死」だ。なら、1歩だとしても。
 自分の道を、私たちは歩きたい!
 それがたとえ、ありのような1歩でも。
 自分で、この眼で、この足で。
 この、大きな世界を、見たかったんだ。


 ──本当に、大きな世界だ。
 私は初めてのはずの太陽の光を、この目に写そうとした。けれど。
「太陽を直接見るのは、危険だってさ」
 先ほどの、弾けたはずの光が、ひとの形でとなりにいた。
 
 ──それは、世界のなかの、不思議の存在。人間はそれを「天使」と呼んでいるらしい。
 対して私は誰か。
 
 ──真っ黒の翼の、ひとの形の体。
 
 科学者たちは「悪魔」と呼んできていた。
 近くには、この天使以外の影がない。仲間たちはみんな、散り散りになったのかもしれない。
  
 さて、と。
「仲間を探さなくては」
そこまで考えて、ふと思う。
「なぜ、あなたは協力してくれたの?」
「……うん。なんでだと思う?」
 キョトンとした顔ののち、質問に質問で返され、言葉に迷う。
 ──?

『どうして、君は助けてくれたの?』
『だって、私は』
 ──?

 なにか、私は「忘れている」気がする。
 この天使に関する、何かを。

「いいんだ。忘れていても」
「え?」
「本来、悪魔が天使を助けるのも、天使が悪魔を助けるのも、この世界にとっては【タブー】に近い。だから君は、記憶を封印されたんだ」
「……?」
 ますます、分からない。
 困惑している私に、天使は言う。
「これは、ずーっと前の、恩返しだから」
 そう言い、「彼」は微笑んだ。
 なにか、見たことがあるような、柔らかな笑顔で。
 その時、一陣の風のなか、彼は言った。


 ──ありがとう。あの日あの時、僕らを助けてくれて。


 ほんの一瞬、私が瞬きしたその一瞬で、彼は消えた。
 痕になったのは、意味の分からない涙と、忘れていたはずの、あの少年の微笑みの記憶。



 ──これは、悪魔の少女が天使たちを助け、天使の青年が人間から悪魔たちを助けたという、なんてことのない、おとぎ話。

4/29/2023, 10:38:59 AM

風に乗って

 ねえ、ひとは死んだら風になる。
 そう言ったひとの言葉は、本当かな。

 今はただ、「君の死」が恐いんだ。
 風に乗って、それか風に成って、僕のところへ来てくれる?
 そんなの。全然嬉しくない。

 もっと、一緒に色んなものを見て、知って、聞いて。
 もっと。君ともっと、一緒に在りたいんだよ。
 だって、僕が「風に成ろう」とした、あの日。
 君は現れた。
 そして、僕の生を、求めてくれた。
 
 だから、ねえ。
 なんで、君に先を越されなくちゃいけないかな。
 そして、君は言った。
「追いかけたら、追い返すから」
 なんで、苦しいはずの君に見破られちゃうかな。
 やっぱり僕は、まだまだだ。

 せめて、君が「風に成る」までの少ない時を。僕だけが、独占できたらいいのに。
 君って、いつもずるいよね。
 でも、やっぱりね。そんな君が。

「大好きなんだ」

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