沈む夕日
一人、海に向かう。
夕日が、そろそろ沈む頃だ。
カモメか? なにかが鳴いている。
妻は、海が好きだった。
私も妻の元へいこう。
それしか考えず、歩いて、歩いて。
ちょうど半分海に飲まれたあたり。
「──パパ!!」
溺れそうになりながら、小さな体が張り付いてきた。
ふと、我にかえる。
それは娘だった。
カモメではなく、娘の叫び声だった。
泣いているのは、私と妻の、たったひとりの娘だった。
小さな手で、一生懸命私にしがみついている。
ぶるぶると震えながら、私を死の海から取り戻さんと叫び、泣いていた。
──ああ、私は馬鹿だ。大馬鹿だ。
妻の遺した。いや。
私は、この子を遺して、妻のもとへ逝こうなんて。
なんてことをしようとしていたんだろう。
「──悪かった。家に帰って、風呂に入って。それからご飯にしよう」
娘の手を、握った。
ずぶ濡れの娘と、同じくずぶ濡れの自分の手を繋ぎ、家路へと道を歩いた。
──もう、大丈夫だ。
星空の下で
「……約束、したもんね」
どこか悲しげな笑みとともに、少女は呟く。
「ごめんね。でも、ありがとう」
少年は、生気のない顔色で、しかし満足げに言葉を紡ぐ。
──この世界からサヨナラのときは、星空の下がいい。
それは、二人が出逢ったときに交した約束。
その時すぐ、死への道を進もうとした少年に、少女は言ったのだ。
──いつか満点の星空の下、貴方にとっての最高のサヨナラをしよう。
本当は、もっと生きてほしかった。
しかし、世界は無情だ。
少年が、ゆっくりと眼を閉じる。
そのまま彼は、世界で一番満足な「死」を迎えた。
少女の涙は。
星空だけが、見ていたのだった。
それでいい
なあ、どうしてなんだろう。
「なんで、あんたが泣くんだよ」
そう言いながら、俺は彼女の涙を拭う。
「だって! ……あんなに馬鹿にされてんのよ! あなたこそ、なんでそんなに平然としていられるの!?」
まあ、こちらの落ち度でなくて、逆恨みみたいなもんだ。自分はなにもしていない。
つまり、ただの濡れ衣だ。それ以外の何ものでもない。
しかし俺はいかんせん、感情が出にくい。
「あんたが、そこまで泣くことか?」
「悪い!?」
どうしてなんだろう。
彼女の泣く姿を見ていると、それだけでもう、充分に思える。
俺とは正反対の、とても、涙脆い小娘。
だから、なぜだか。
「……あんたは、それでいいよ」
ふと、怒られると思うのに、笑みがこぼれる。
俺の分まで、あんたは泣いてくれる。
そしてきっと、それを見て、その涙に触れて、俺は救われる。
今は、それで充分だ。
1つだけ
「あの世へ逝く前に、1つだけ願いを叶えて差し上げましょう」
そう言い、黒い髪の、白い翼を持つ彼は、笑った。
この部屋にしか居場所のない、友もいない私は、願った。
「──なら、私と遊んで?」
「……は?」
彼は心底驚いたような顔をした、気がする。まあ、そうだろう。
「だって私、足がないでしょう? だから、この部屋からほとんど出たことがないの。誰かと遊んだことも、記憶にないんだもの」
「…………」
たぶん、こういうのを「絶句している」と表現するのだろう、たぶん。分からないけど。
……ところで、このひとは誰だろう?
とても長い間のあと、彼は言った。
「それは、僕にも分からないんだ」
「え?」
「僕は天使と悪魔の間の子、つまり禁忌の子だ。だから、誰かと遊んだこともない」
天使と悪魔。禁忌。
イマイチよく分からないけど。このひとは、自分と似ている、ということ?
だったら。
「あなたの名前、おしえて?」
「は?」
「こんなに長く、誰かと話したのはずいぶん久しぶりなの。だからもう、私は満足してるから。あなたの名前は、『あの世』でも忘れないから」
本心を言い、心からの笑みを浮かべた。なのに。
「…………」
あ、また絶句された?
「……僕は」
また、長い間のあとに、彼は言った。
「名乗るべき名前は、僕には与えられていない」
なら。
「だったら、一緒につくりましょう。あなたの名前を。──これが、私の願い」
そう言うと、彼はなんだか変な笑い方をした。こう、顔をクシャっと歪めて。
「どうして、そんなに優しいの」
だって、こんなにたくさんの顔を見せてくれたのはあなたが初めてだから。
悲しい顔より、笑った顔を見てから、サヨナラしたいじゃない。
そうして、創った彼の名を抱えて、私は眠りについた。
不思議なふしぎな、彼の名は──。
ハッピーエンド
あごに髭を生やした男は問う。
「なあ、役聞いたか?」
それに、白髪混じりの髪の、小太りの男は頷いた。
「おう。なんでも、俺らは盗賊役して、王子様に成敗されなけりゃならないらしいな」
「ったくよぅ。いっつも俺らみたいな中年は、なんでこうも悪役やらにゃあいけねえんだよ」
二人とも、大きなため息をしながら、ガクッと肩を落とした。
「まあ、次はもっといい役だといいな」
かたや、別のところでは。
「あ、ここ。盗賊から逃げるのに、走るシーンがあるわ」
きらびやかやドレスを纏った姫役の少女と、お付きの侍女役の少女。
「よく見て。ここ、演出で転ばないといけないって書かれてるわ」
「いいわよねえ王子は。成敗するだけで」
その会話に、不服げな王子役の青年が割り込む。
「むしろ、僕はそこしかやる事ないっていうのは、つまらないんだけど」
「え、姫とのロマンスは?」
「僕は、せっかくなら剣と魔法を扱いたいよ。こう、ババーンと! 今は恋愛の気分じゃないのになあ」
「自分勝手! ……って言いたいけど、分かるかも」
「ドレスにヒールで走るなんて、絶対靴擦れしそうよね」
「まあ、それがみんなの好きな、紆余曲折ありの、ハッピーエンドなんだよね」
ハッピーエンドも、楽じゃない。