我が家のルール、それは「誕生日は家族で過ごす」こと。
娘が生まれた時に、今は亡き夫が決めたルール。
今日は娘の誕生日。遠方に住んでいる娘が、ルールに則って弾丸日帰り帰省の予定だ。
仕事が忙しいだろうから無理して帰ってくることはないのよと伝えてはいるのだが、毎回律儀に帰ってきてくれる。どうも、このルールがお気に入りらしい。
ルールを決めた夫は、彼岸で喜んでいるに違いない。
今回も無事帰宅。バタバタと慌ただしく入って来た娘は開口一番「ママ!ありがとう!四半世紀を無事に過ごすことが出来ました!」と言いながら抱きついてきた。
ああ、なんということでしょう。こんなに幸せなことがあるだろうか。返事をすることも溢れる涙を止めることも出来ず、ただただ娘を抱きしめた。
娘と一緒に夫のお墓参りへ行く。
あなた、見てた?と語りかける。わたし、この子に抱きしめてもらったのよ。羨ましいでしょ?わたしたちを置いて、早々と逝ってしまうからよ。残念ね。彼岸で悔しがるあなたの顔が目に浮かぶわ。ねぇ、あなた。わたしたちの娘は、本当に本当に素敵な子になったわね。
―――ワタシの誕生日[母]
#44【誇らしさ】
頭上を光が通り過ぎる。左から右へと光が動き、暗い海をすうっと照らす。光を目で追うがそこには何もいない。暗い海がただ照らされるだけ。
日中はまだ暑いというのに、夜の海辺は思いのほか寒い。薄着のせいか、海風のせいか、はたまた季節外れの寒気のせいか。
ただそれでも、この景色を目に焼き付けたかった。
突然会社から有給休暇を消費するように厳命されたのは先週のこと。何がどうあっても今月中に5日は消費してくれと泣きつかれたので、閑散期で少々暇な今の時期ならと致し方なく休むことにした。
仕事をしていることでようやく人としての形を保っていられる私のような人間にとって、連休ほど困ることはない。それなのに、3連休と土日に挟まれて10日間の大型連休となってしまったのだから、泣きたいのはこっちだと不満を漏らす。
降って湧いた10連休。旅にでも出てみようかと旅行雑誌を購入したものの、いまいちどこもピンとこない。どうしたものかと思案していると、ふと思い出したのが灯台だった。
子どもの頃、父の書斎。所狭しと本が積み上げられていたのに、本棚の1ヶ所だけぽっかりと空いていて、そこにあったのが灯台の模型だった。
これは何かと問うた私に父は「これは今も動いている世界で一番古い灯台だよ」と笑顔で答えた。そのあと続けて色々と説明をしてくれたように思うが、聞き慣れない単語だらけで、幼い私には理解できなかった。ただ、その模型の美しさと父の嬉しそうな顔だけは、今でもはっきりと思い出せた。
良い思い付きのように思えた。旅支度を整え、オンボロ愛車に乗り、そうしてやって来たのが海沿いのこの町だった。
日頃趣味もなく慎ましやかに暮らしてきたおかげで、こういう時の軍資金はある。少し贅沢な宿を取り、宿を拠点としてあちこち行ってみるプランにした。
と言ってもやはり根がインドア派なので、そうアクティブに動ける訳でもなく、1日に1ヶ所訪れるくらいで十二分に満足だった。
1日は有名なお寺を参拝し、1日は専門的な博物館を訪れ、1日は苔むす庭園を散策し、大いに旅気分を味わった。
最終日、ゆっくり支度を済ませ宿を後にした。当初の目的、灯台へ向かう。外観を眺めるだけなので、2〜3ヶ所回ってみるつもりにしていた。
朝、最初の灯台は山の上に建っていた。鬱蒼と生い茂る木々の中に建つ白い灯台。地図上では海に近いのでこういう立地もあるのかと驚いた。昼、2つ目の灯台は堤防の先に建っていた。赤い灯台。湾の入口は右と左で色が違うらしい。夕方、3つ目の灯台は岬の先に建っていた。空と海と灯台。思い描いていた灯台はこれだった。ただ、なにか物足りない気がした。
ここで最後にしようと思い、しばらく海を眺めていた。夕焼け色に空が染まり、宵闇が迫りつつあった。刻一刻と変化していくグラデーション。自然の見せる圧倒的な美しさに見蕩れていると、不意に頭上が明るくなった。灯台が点灯したのだ。
光が遠方まで照らす。左から右へと移動する。光を目で追う。振り返り、灯台を見上げた。ああ、そうだ、灯台の本当の姿はこれだ。暗闇の中、海を照らし船人を導く、これぞまさに灯台の真骨頂ではないか。
あの日、父の書斎で見たあの灯台は、本棚の暗がりの中にいた。光りこそしていなかったが、暗い中でも凛と立つあの姿が、私が求めていた物だったのだ。こんなに当たり前のことに気付かないとは、正に"灯台下暗し"だ。
震えているのは海風の冷たさのせいか、はたまた寒い冗談のせいか。独りくすりと笑いながら、満たされた気持ちで帰路に着いた。
―――灯台の思い出
#43【夜の海】
子どもの頃、自転車でどこへでも行った
隣町の古本屋
祖父の家
海
花火大会
自転車さえあれば、どこまでも行ける気がした
自転車に乗って遠出する自分と
自分を乗せて遠出する自転車を
誇らしくさえ思った
今、自転車に乗るのは駅と家の往復だけ
自転車に申し訳ないような気持ちになってきた
こんなもんじゃないだろって言われている気がした
次の休み、久しぶりに自転車で遠出してみようかな
きちんとメンテナンスもしよう
どこへ行こう
どこまでも行こう
なぁ、相棒
―――自転車に乗って
#42【自転車に乗って】
[基本]
良質な睡眠✕7時間
美味しいごはん✕3食
おやつorお酒✕時々
筋トレ&ストレッチ✕毎日適宜
お風呂✕ゆっくり長め
[必要とあらば追加]
1日1大笑い
早起きして朝日を浴びる
良い音楽を聴く
[緊急時]
猫を愛でる
猫をモフる
猫を吸う
―――私の心の処方箋
#41【心の健康】
小さな赤いピアノ。いわゆる"おもちゃのピアノ"。
30年前、私が生まれた日に父が買ってきたらしい。
「気が早いのよ、昔っから。赤ちゃんが弾ける訳ないのに、ねえ」と母が苦笑いしながら教えてくれた。
鍵盤に触れてみる。チンとズレた音がする。
幼稚園から小学校低学年くらいまではよく弾いていたように思う。しかし他に夢中になることが増えると、すっかり見向きもしなくなっていた。
弾かなくなってからは、納戸にずっとしまい込んでいたのに、最近父が引っ張り出してきたらしい。
「昔を懐かしんでいるのかしらね」と母が言うから、しみじみ感傷に浸っていたら、玄関が開く音がした。
一緒に出かけていた父と夫が帰って来たようだ。
「ただいま!」とリビングに入って来た2人。夫の手には大きな箱。いそいそと箱を開け始める夫とその横でニコニコしている父。箱から中から出てきたのは小さなグランドピアノ…。
「これは?」驚きながら聞く私に、夫は満面の笑みで「もうすぐ生まれてくる我が子に!」と答えた。
母を見ると「お父さんより気が早いわね」と苦笑いしている。父を見ると「いやー、彼に我が娘への初めてのプレゼントの話をしたらな…」と意気揚々と語り出した。
私は大きくなったお腹を撫でながら、困ったパパとジイジね…と我が子に心の中で語りかけた。
―――贈り物
#40【君が奏でる音楽】