「やるせない、遣る瀬無い。去年は『自分の名字のルーツになっている花が、一部の無思慮のせいで悪役認定されてる人の気持ち』みたいなネタ書いた」
去年も難産だったお題だわな。某所在住物書きは今年も相変わらず、この難題にため息を吐いた。
言葉の意味を辿れば、「渡れる(川や海等の)浅瀬が無い」が文字通りの意味と思われる今回のお題。
転じてどうしようも無いこと、思いを晴らす術が無いこと、気持ちに余裕が無いことを言うようだ。
「転売ヤーへの恨みでも書くか? やだよ俺、日曜の真っ昼間からそんなモンと向き合いたかねぇよ」
ある意味、今のこのどうしようも無い状況こそ、「やるせない気持ち」とも言えるか。
再度ため息――で、今回の物語のネタは?
――――――
最近最近のおはなし。都内某所での一幕。
静かな小さい書店で、ひとりの雪国出身者が、近所の稲荷神社の子供とその友達の手を引き、スイーツ本の棚を目指している。雪の人は名前を藤森といった。
「昨日たべたお菓子、おいしかったの」
コンコン。稲荷神社の子が言う。
「作ってあげたいけど、おとなの本は、難しい漢字ばっかりだから分からないよ」
ポンポコ。神社の子の友達が(彼は和菓子屋の子であった。ともかくその子が)言う。
間に挟まれている藤森はつまり彼等の翻訳家。
目当ての菓子のレシピが書かれた本を探し、それを購入して、材料と分量と作り方を子供にも分かるよう解読するために呼ばれた。
自室に難しい本を収蔵する藤森は、神社の子と和菓子屋の子に「本に詳しい人」と認識されていたのだ。
私にも用事があったのだが。藤森は胸中で抗議。
誠実でお人好しで根が優しい藤森は、ご近所さんのコンコンポンポコからの要請を断れなかった。
仕方がない。どうしようもない。
「やるせない気持ち」とはこのことかもしれない。
とてとてとて、とてとてとて。
おてて繋いで料理本コーナーに到着した御一行。
「よぉし!さがせー!」
「新しいお菓子だ。やさしい甘さだけどお肉の味もするってことは、きっと伝統菓子じゃないよ」
子供たちは、片や宝物を探すように、片や手がかりを探すように、それぞれ棚から本を引っこ抜く。
藤森は書店の奥、医療や脳科学等々のコーナーに己の友人を見つけた――菓子作りが趣味の付烏月だ。
『同じ書店に居る。ちょっと助けてくれないか』
スマホでメッセージを送ると、数秒してきょろきょろ周囲を見渡した付烏月と目が合った。
『肉の味がして砂糖不使用、子狐でも食べられる甘い菓子を探している。付烏月さん、心当たりは?』
ここでネタばらし。非現実的で非科学的だが、稲荷神社の子と和菓子屋の子は化け子狐と化け子狸。
人に化ける妙技を持つ一族の末裔なのだ。
神社の子狐は「昨日」、メタいハナシをすると前回投稿分で、それはそれは美味な「菓子」を堪能した。
和菓子の見た目をしたそれの素晴らしさを子狸に共有したところ、「作ってやりたいが肉入り和菓子を知らぬ」、「自分の知らない創作和菓子に違いない」と力説。真相を突き止めるべく、藤森を呼び出した。
『子狐でも食べられて、甘くて、お肉?』
床に座ってお菓子の本を見るコンコンとポンポコを尻目に、藤森のスマホに返信が届く。
これが美味そう、それが美しいと、目を輝かせている子供2名は幸福の真っ只中だ。
『ペット用のお菓子じゃない?』
それならお前の居るそこじゃなくて、隣の棚だよ。
付烏月は藤森を見ながら、つんつんつん。
右隣へ移動するように、人差し指で示した。
藤森は情報の礼に頭を下げ、小さく右手を振る。
そりゃペット用スイーツなら肉を使うだろうなと。
「お肉をお菓子に使うなんて、おもしろい」
「おいしかった。すごく、すごくおいしかった」
「それの作り方をおぼえれば、僕も、いいシュギョーになる。ぜったい見つけたい」
「しさくひん、たべる!作るときは呼んでっ」
コンコンコン、ぽんぽこぽん。
藤森と付烏月のやり取りも知らず、稲荷神社の子供と和菓子屋の子供は「肉を使った和菓子っぽいスイーツ」を探すべく、大きな本のページをめくる。
(事実を教えてやるべきだろうか)
彼等の感動を壊さず情報を伝える手段が無い、方法を知らない、どうしようもない。
かりかりかり。やるせない気持ちの遣り場に困った藤森は、唇をキュっと結んで、首筋を掻いた。
結果として30分ほど粘ったものの、案の定、神社の子と和菓子屋の子は、目当てのレシピが掲載された文献を見つけられなかった。
藤森はこっそり「それっぽい書籍」を購入したが、彼等に公開すべきか否か、数時間悩み続けたとさ。
「先週15日あたりのお題が『夜の海』だった」
前回のお題もお題だったが、今回のお題も相変わらず、手強いわな。某所在住物書きは己の記憶を辿りながら、困り果てて頭をガリガリ掻いた。
これといって海の思い出が無いのである。
「海へ行ったらイルカ注意の看板発見、
台風接近中や津波警報発令中は海へ行くな、
フェリーは港を出発して日本海へ出発、
山に降った雨は川から海へ流れる、
課長の鳴海へお繋ぎします。 ……他は?」
そういや、「海」で終わる言葉には「樹海」とか「雲海」とか、「星の海」とかあるが、海が付く名字と川が付く名字ってどっちが多いんだろうな。
物書きはふと気になり、ネット検索を始めた。
――――――
8月下旬だ。8月31日までもう少しの東京だ。
今年も猛暑と酷暑一歩手前の暑さのせいで、1回も海へ行ってない――いや海へ「は」行ったけど海の中に入ってない。海の家の美味も食べてない。
海浜公園近くの木の下を散歩して歩いて、遠目に潮干狩り中の親子連れとかを見ただけ。
いつかの夕暮れ、近所の稲荷神社の人に頼まれて子狐コンくんをお散歩させてる藤森先輩を見た。
私の職場の、長い長い仕事上の付き合いな先輩だ。
コンくんが日除けポンチョに「夏季限定茶葉お試しセット配布中」みたいな広告付けてたのは、
稲荷神社の奥さんが、神社の近くでお茶っ葉屋さんの店主をしてるから。
お人好しで根は優しくてお茶好きで、奥さんのお茶っ葉屋さんのお得意様な先輩のことだから、
多分、お茶っ葉屋さんの商品券とか高級茶葉とかで、店主さんに釣られちゃったんだろう。
で、そんなこんなの東京。8月下旬の午前中。
とあるペット同伴可能なカフェで高コスパ美味ランチもとい、昼食に関わる諸用がありまして、
江東区の青海へ、行こうとした途中の出来事。
ショルダーバッグさげてハンディーファン回して、駅で列車を待ってたら、
今年の3月から一緒の支店で仕事してる付烏月さん、ツウキさんってひとから、メッセが届いた。
『【情報求む】
例の稲荷神社の子狐ちゃん、突如行方不明
奥様「今頃お得意様のお連れ様の近くに居ます」
ノД`)どゆこと』
「いや、どゆことって、……どゆこと?」
メッセの内容が内容で、私は二度見してから、その短文を3回くらい読み直した。
先輩がいつかの夕暮れに散歩させてた稲荷神社の子狐くんが、行方不明になったらしい。 分かる。
情報求む。 そりゃそうだと思うけど知らない。
「お得意様のお連れ様」とは、多分、
稲荷神社の奥様が店主をしてるお茶っ葉屋さんのお得意様が藤森先輩のことで、お連れ様が私や付烏月さん、それから先輩の親友の宇曽野主任のこと。
『そっちに居ないの?宇曽野主任のとこは?』
『ノД`) おらぬ』
『藤森先輩は?』
『ノД`) 藤森のとこにもおらぬ』
『なんで』
『コンちゃんに聞いて』
私のとこにも神社の子狐くん、いないよ。
返信をフリックしてタップして、一瞬誤字って少し戻って、それを送信しようとした矢先、
丁度電車が駅に入ってきて、
もぞもぞ、私のショルダーバッグが動く。
「へっ?!」
気が動転した私は、バッグのファスナー開けようとして手が震えて、もたついてスマホ落としかけて、
その間に、後ろの利用客に押されて列車の中へ。
「ちょっ、え、ぇえ??」
ドアが閉まって、一路、江東区青海へ。
おそるおそる、車内で改めてバッグのファスナーを開けて、小さく開いて中を見ると、
キラリ、バッグの中の暗闇から、まんまるおめめが私をガッツリ見上げてる。
『食べ物の うらみ葛の葉 ホトケノザ
狐の顔は一度一生』
前足を器用に使って私に見せてきたのは、大人の文字で知らない和歌っぽい文章が書かれた看板。
くるり、板が裏返る。
『ところで、ペット同伴可能なレストランで、高コスパ美味ランチの予定だそうですね』
子狐くんの目が、キラキラ輝いてる。
昨晩(メタいハナシをすると「前回」)の小魚の素揚げのことを、バチクソに根に持ってるように見える。
「……一緒にごはん食べたいの?」
説明不能な手段でいつの間にかバッグの中に潜入してた子狐くんに、小さな声で聞いた。
子狐くんは狐だから、そりゃ当たり前なハナシだろうけど、なんにも答えない。
ただまんまるおめめを輝かせて、幸せそうに、「これで許してあげる」って雰囲気。
一路、青海へ。 他の利用客さんにバレないようにバッグのファスナーをそっと閉めた。
「俺の投稿スタイルなら簡単なお題だと思ったんよ」
それがまさか、15時近辺までかかるとはな。某所在住物書きはため息をつき、スマホを見つめた。
「俺は前半の『ここ』で300字程度の無難な話題入れて、『――――――』の下に連載風の小話書いてるからさ。これを単純に裏返しにすりゃ良いと。
つまり前半でバチクソ短い小話書いて、後半で長々『ここ』で書いてる話を約1200字程度」
試した結果が酷くてさ。 物書きは再度息を吐く。
「300字程度の小話は普通に読めるが、後半で長々校長のスピーチレベルのハナシされるとか」
な。分かるだろ。 三度目のため息。
裏返し、裏返し。ところで古典に目を向けると、「うらみ葛の葉」という文章がある。
葉がひらり「裏見せる」葛の葉と、自分を「恨まないで」ほしい気持ちを重ねた言葉らしい。
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室、夜。
部屋の主は名前を藤森といい、雪国の出身。
穏やかなため息ひとつ吐き、油を使った料理をしている。すなわち天ぷらである。
実家から田舎規模の量で送られてきたトウモロコシをメインに、季節の食材を静かに揚げている。
クリーム色の衣にくぐらせ、薄琥珀色の油の中へ。
くるり、裏返し。そして油を切る。
客人からは葛の葉も食べてみたいと、珍しく面白いリクエストもチラリ。食材は客自身が持参した。
『ならば葛の豆も素揚げしようか』とは藤森の提案。実は食えるし美味らしいと、風の噂で聞いたのだ。
裏返し、裏返し。 油の中は葛の葉と豆とトウモロコシと、ともかく美味でいっぱい。
1匹小魚が片栗粉と泡をまとって油中遊泳している。あまり気にしてはいけない。
「先輩ってさ、」
客であるところの職場の後輩が、リビングから藤森に声を投げてきた。
「ご近所さんの稲荷神社と、どういう関係?」
自律神経等々の理不尽でどうにもならぬ不調により、体がバチクソにダルいと言っていた後輩。
彼女を藤森が夕食に連れてきたのだ――近所の稲荷神社から頼まれた子狐の散歩の途中で。
稲荷の狐に不思議な力でもあったのか、藤森の部屋で子狐をモッフモフのコンコンこやこやしていた後輩は、たちどころに不調が回復。
細かいことは気にしてはいけない。
「私と稲荷神社との関係?」
「よくコンちゃんのお世話とお散歩頼まれてる」
「そうだな」
「あと神社の奥さんが店主してるお茶っ葉屋さんの、お得意様専用食事スペース使える」
「一応常連だからな」
「ナンデ?」
「何故と言われても」
裏返し、裏返し。 油をよく切られた天ぷらと素揚げが、最後のひと切りを経て皿に盛り付けられる。
「で、小魚の素揚げは、どうするか決まったのか」
リビングのテーブルには、既に塩とマヨネーズとポン酢と麺つゆ、すなわち味変可能な調味料の数々。
後輩がサクリ、真っ先に小魚の素揚げを箸でつまみ上げると、子狐コンコン尻尾を振り叩き、けたたましく抗議。明らかに所有権を吠え訴えている。
後輩は小魚つまむ箸を掲げて言った。
「コンちゃん、小魚食べないってさ」
「魚1匹くらい、子狐にくれてやったらどうだ」
「大丈夫だもん。コンちゃん要らないらしいもん」
「狐の恨みは深いぞ。特に執着の恨みは」
「そーなんだ頂きます」
「とり天食うか」
「とり天食べる。とり天待ちます」
ぎゃん!ぎゃぎゃん!
後輩が天ぷらの話題に気を取られているスキに、子狐は後輩の箸から器用に小魚をパクリ。
できたての温かさに苦戦しながら、しかし幸福そうに、素揚げに牙を突き立て噛んでいる。
「あ。コンちゃん私の素揚げ食べた」
「だから。魚1匹くらい食わせてやれ」
そーだそーだ!
賛同するように尻尾を振って美味を腹に収め終えると、子狐後輩を見つめ、コンコン歌い出した。
『食べ物の、うらみ葛の葉ホトケノザ、仏は三、
狐の顔は一度一生、狐ノ顔ハ一度一生。』
葛の葉の天ぷらを甘噛みして、裏返し、裏返し。
後輩に子狐の「言葉」は届かない。
藤森だけは去年の「9月11日」ゆえに、子狐の主張と挙動の意味を理解していたが、
過去投稿分の細かいことは、気にしてはいけない。
「基本、生き物系のお題、少ない気がする」
猫だの犬だの兎だの、これまで1年と5ヶ月このアプリに潜って、お題で見た記憶無いもんな。
某所在住物書きは今回配信分の題目の、ちょっとした珍しさに数度小さく頷いた。
鳥かごは出題された記憶があった。先月である。
蝶はモンシロチョウと「蝶よ花よ」の2例。
「そうだ。このアプリ、動物より植物が多いんだ」
そちらは桜にススキに勿忘草と少し豊富。
「ペンギンを空飛ぶ鳥のように見せる水槽、
鳥のように海に飛び出す毎年恒例鳥人間大会、
『スズメ』バチと言うが別に鳥のようには見えぬ、
焼き鳥のように、蒸し鶏のように、以下略。
……意外と余った冷やし中華のタレで半額鶏肉とか炒めるの酸味がきいて個人的に美味い」
いつの間にか食い物の話題になっている。
物書きは時計を確認した。 昼である。
――――――
今日も相変わらず東京は残暑が酷い。
「晩夏」っていつだっけ、どんな気温の頃のことだっけって、思う程度には暑さがバグってる。
大雨、道路冠水、駅の浸水に台風10号。雨降って冷涼ってワケもなく、ただジメジメで暑い。
ウチの支店長は独断で支店に小型冷凍庫を増設した。外回りから帰ってきた従業員がアイスですぐ体を冷やせるように。それから熱中症間近の通行人がウチをクーラースポットとして利用できるように。
そんな今日の、私の職場の昼休憩少し前は本店から、ひとり外回りの寄り道で休みに来た。
宇曽野主任だ。私と長い長い仕事の付き合いであるところの藤森先輩の、親友さんだ。
余ってる従業員用デスクに座るなり、まるで真夏の路上で暑さに弱ってる小鳥のように、グデっと。
吐いたため息は結構重くて深そうだった。
「中途採用の、若いのが居たんだがな」
ぐでぐで小鳥のような宇曽野先輩が言った。
朝職場に来たら、主任の隣の隣の部署が、朝から少しだけ慌ただしくて、
係長も課長補佐も、数人が課長の席に集まってて、他の人はスマホで連絡取ったりしてたと。
「無断欠勤のうえ、電話もグループチャットも、全部連絡つかずの既読無視、だとさ」
ははぁ。「脱走」ですな。
職場の鳥かごから勝手に扉開けて出てったと。
「始業時刻丁度にダイレクトメッセージで、『辞めます』の4文字だけ、送ってきたそうだ」
パリパリアイスを受け取って、またため息。
「俺も手伝ってそいつの捜索中なんだが、部署内は『例の突然解雇された青鳥のようだ』と騒動さ」
突然辞めるのはどうかと思うけど、そうしたくなった理由は、宇曽野主任も把握してたらしい。
中途採用君は最近、書類をファイルから抜いて整理する仕事を任されてたんだけど、
中途採用君の上司が「この書類は抜かないで」って、伝えるべき「例外」を伝えなかったせいで、
抜いちゃいけない書類まで抜いちゃったと。
情報伝達の不備。それによる仕事のミス。なのに責任は全部自分が被るっていう理不尽。
私にも経験があった。去年の3月18日頃だ。
似た状況で、現在は左遷制裁済のオツボネ上司から責任を押し付けられて、心をちょっと病んだ。
私には藤森先輩がいて、先輩が私の話を聞いて寄り添ってくれたから、乗り越えられた。
中途採用君には誰も居なかったのかもしれない。
「鳥なら鳥として、鳥のように、今頃自由に次の就職先でも探してるんじゃないか?」
運が悪かった、場所が良くなかった。それだけさ。
宇曽野主任はそう付け足して、アイスをぱくり。
「次の鳥かごではルールとモラルをもって、飛ぶなり騒ぐなり、再度脱走するなりしてほしいもんだ」
まぁ、そうだよね。
場所が悪かったら、鳥もうまく、飛べないもんね。
私は本店の騒動の酷さをちょっと想像してから、
今頃どこで何してるとも知れない中途採用君が、なるべく早く職場に帰ってきて謝罪の一言くらい……
いや、逃げるなら逃げるで、早めに退職代行の誰かと連絡とった方が、互いのためかなぁ……。
「似たお題は、5月23日の『また明日』、それから5月19日の『突然の別れ』が該当するのかな」
前者は去年、「昨日へのさよなら、明日との出会い」
ってお題だったけど、後者は何書いたっけな。
某所在住物書きは遠い遠い過去作を辿り、スワイプに疲れてため息を吐いた。
「過去作辿るの本当にダルいから、個人サイトに一括でまとめてやろうかと思った矢先に『8月下旬で森頁サ終します!』。もう来週のハナシだろ」
まとめ作っても、そのまとめのプラットフォームがサ終しちまったら、もう元も子も、ねぇ。
物書きは再度ため息を吐き、ぽつり。
「さよならを言われる前に、個人サイトの方、バックアップ保存しねぇとな……」
結局保管にはオフラインが最適なのかもしれない。
――――――
さよならを言う前に「帰りの会」、
さよならを言う前に「貴方をフる理由の陳述」、
さよならを言う前に「必要な物は何でしょう」。
個人的には、想像力と構成力と執筆力が加齢でサヨナラを言う前に、その手のスキルのバックアップとか新規摂取とかがガチで欲しい物書きです。
苦しまぎれに、こんなおはなしをご用意しました。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。深めの森の中に不思議な不思議な稲荷神社がありまして、敷地内の一軒家には、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が家族で仲良く暮らしております。
そこに住まう末っ子の子狐が現在絶賛爆食中。
雪国出身で近所に住まう参拝客さんが、実家から田舎クォンティティーで届いた甘い甘いトウモロコシを、いっぱいおすそ分けしてくれたのです。
「おいしい、おいしい!」
むしゃむしゃむしゃ、むしゃむしゃむしゃ!
コンコン子狐、母狐が茹でてくれたゆでもろこしを、両前あんよで器用に掴み怒涛の勢いで牙を突き立て実を剥がして、ハゲもろこしにしていきます。
肉食寄りの雑食性な狐は意外と野菜も大好き。熟したトウモロコシの甘さをよく知っています。
それは稲荷の狐たちにも当てはまり、人間が丁寧に育てた作物、人間が心を込めて捧げた供物を、稲荷の狐はコンコン、よく好むのです。
「ゆでもろこし、甘い、おいしい!」
むしゃむしゃむしゃ、むしゃむしゃむしゃ!
母狐が適切な量の塩と一緒に茹でてくれたトウモロコシを、子狐コンコン、尻尾をバチクソに振り倒し、次々とハゲもろこしにしてゆきました。
今年は去年に似て、高温障害の影響が出ている。
雪国出身の参拝者さん、段ボールに詰めたおすそ分けを持ってきたとき、美女に化けた母狐に言いました。
例年ならばそろそろ1日の寒暖差が開いてきて、日中はそこそこ暑く、夜はしっかり涼しくなる頃。
それが今年は夜も例年より暖かく、トウモロコシが甘さを貯め込むよりグングン大きくなる方に舵を切っちゃうとのこと。
8月最終週から9月初週には、もう少し甘くて美味いトウモロコシをおすそ分けできるかもしれない。
雪国出身の参拝者さん、母狐からお礼の無病息災と運気向上のお札を受け取りながら言いました。
へー、そうなんだ。
コンコン子狐、知ったこっちゃありません。
ゆでもろこしが、美味いのです。
茹でたホクホクの甘味、ちょっといじらしい実の皮、それらに牙を突き立てる前に鼻先で香る微量の塩と凝縮されたトウモロコシ。
美味いのです。 おお、夏の結晶よ、甘き至福よ。
汝、天ぷらや焼き肉のタレ焼きも美味とは事実か。
「ゆでもろこし、最後のひとくちだ」
そんなこんなしているうちに、コンコン子狐はゆでもろこしの、最後の1本をそろそろ食べ終える頃。
幸せな時間はすぐ過ぎます。こと食べ物に至っては、おなかに美味を収めてしまえば終了です。
スーパーむしゃむしゃむしゃタイムはこれで終わり。そろそろ綺麗に食べ尽くされたもろこしと、さよならしなければなりません。
とはいえ参拝者さんが持ってきてくれたトウモロコシ、実はまだまだ十数本残っているのです。
食べても食べても余裕がある。これぞ田舎規模。田舎クォンティティーなのです。
「甘かったなぁ、おいしかったなぁ」
目の前の最後のひとくちに「さよなら」を言う前に、コンコン子狐、念入りに香りを嗅いで、丹念に舌でペロペロして、トウモロコシを堪能します。
「次は、焼きもろこしも食べたいなぁ」
気が済んだら、はい、今度こそさようなら。
稲荷の不思議な子狐は、コンコン5本のゆでもろこしをたった1匹で綺麗に完食。
ポンポンおなかを黄色い幸福で満たしましたとさ。