「誰にも言えない『けど言いたくなる』秘密、
誰にも言えない『けどガッツリバレてる』秘密、
言えない『けど君には暴露する』秘密。
言えない『まま時間が過ぎて時効になった』秘密ってのも、まぁ、あるだろうな」
拝啓✕✕様。アンタが俺の◯◯◯をバチクソにディスってもう△年ですが、俺はアンタの知らねぇ場所で、幸せに□□しています。ざまぁみろ。
ひとつ「誰にも言えない秘密」に思い当たるところのある某所在住物書きである。
「相変わらずネタは浮かべど文章にならねぇ」
ひとしきり自己中心的に勝ち誇った後、物書きは毎度恒例にため息をつき、物語組立の困難さと己の固い頭の岩石っぷりを嘆いた。
「そもそも日頃、小説も漫画も読んでねぇから文章のストックが無いとか、さすがに誰にも、な……」
――――――
6月6日はアンガーマネジメントの日で、かつロールケーキの日とらっきょうの日と、麻婆豆腐の日でもあるそうですね。不機嫌になったら少しギルティーな美味を食べて自分の機嫌をとる物書きです。
ローカロリーな食生活の日?いや知りませんね。ところで今回はこんなおはなしをご用意しました。
最近最近の都内某所、某稲荷神社敷地内の一軒家に、人間に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりまして、
なんと、その内母狐と父狐は、それぞれ茶っ葉屋さんの女店主と某病院の漢方医。戸籍もあって労働もして、きちんと納税までしておるのでした。
今日は父狐の仕事風景を、少し覗いてみましょう。
平日もそこそこ賑わう某病院の漢方内科、朝から患者さんがいっぱいです。
『受付番号55番でお待ちの方、55番でお待ちの方。診察室5番へどうぞ』
患者さんのプライバシーを守るため、名前ではなく番号でお呼び出し。父狐のお部屋はコンコン5番。
最初の人間は55番、中性的でパッと見では女性とも男性とも分からないひとでした。
「最近、倦怠感と肩こりが酷くて」
加元という55番さん、席につくなり言いまして、
「最初の病院では、何も異常は無いと言われて」
小さな小さなため息を、ひとつ吐きました。
「そうですか。つらかったですね」
舌診と触診をするフリをして、母狐の茶っ葉屋さんの薬茶ティーバッグにお湯を注ぎ、それを飲むよう差し出して、コンコン父狐言いました。
「たしかに目立った悪い特徴は特に無さそうです」
実は父狐、患者さんの不調の理由が、ガッツリばっちり見えていました。
55番さんの不調の理由は、55番さんが今まで付き合って理想に合わなくてディスって捨ててきた、誰かと誰かの恨みや悲しみや未練でした。
55番さんは恋に恋するタイプの厳選厨で、
見た目に惚れてあの人この人アクセサリーよろしく手にとっては、中身が地雷だの解釈違いだのと、ポイちょポイちょ捨てておったのでした。
その数人分の負の感情が、55番さんの肩と魂に食い込んで、悪さをしておったのです。
食い物にした10人のうち、厳選厨の55番さんに悪さをしているのは計9人分。
足りない1人は母狐の茶っ葉屋のお得意様。魂清く心優しい人間でした。
なんて、さすがに言えません。
科学の発達した現代社会です。おまじないも魔法も非現実的と笑われる昨今です。
「あなたの不調の原因は日頃の行いです」なんて、
誰にも、一言も、言えない秘密なのです。
「血の巡りや気の停滞を整える漢方で、ゆっくり症状を改善させることはできるかもしれません」
「確実に、すぐ治す方法は無いんですか」
「漢方にはその方との相性がありますので」
「頂いた薬茶、飲んでから結構楽になったし、効いてると思うんです。コレを処方してもらうことは?」
「それは私の妻の茶っ葉屋で出しているお茶なので、それそのものを処方することはできないんです」
「じゃあいりません。診察だけで結構です」
「そうですか。分かりました」
そりゃ効くよ。効くと思うよ。
コンコン父狐、漢方の処方箋も何も受け取らず帰っていく55番さんを見送りながら、思いました。
だってそのお茶は不思議なお茶、稲荷のご利益と狐のおまじないが少しずつ入った魔法のお茶。
少しだけ、ちょっとだけ、心と魂を優しく包んで、悪いものを追い払ってくれるのです。
なんて、さすがに言えません。
令和の現代、そんなこと誰にも、言えないのです。
『受付番号58番でお待ちの方、58番でお待ちの方。診察室5番へどうぞ』
こやーん、こやぁぁーん。
次の患者さんも、診察して説明して、処方して。
日がとっぷり暮れるまで、今日もコンコン父狐、きっちり労働しましたとさ。
「どんな言葉を足したり挟んだりするかで、なんか色々書けそうよな」
たとえば「狭い『とは決して言えない』部屋」なら、少々強引だがデカい部屋の話もできるし。なんなら「絶対『狭い』と発言できない部屋」の話も組める。
某所在住物書きは今日も今日とて、スマホを見ながらうんうん悩み、天井を見上げている。
問題は頭の固さである。「書けそう」から「書ける」にさっぱり移行せぬ。
「……一般に『狭い部屋』と言われているアパートも、実際住んでみるとむしろ狭い方が住みやすいとか、落ち着くとかってハナシ、あるよな」
しまいには、共感者の多そうな一般論をポツリ呟いてお題回収に逃げた。
――――――
最近最近の都内某所、夜。
雪国出身者の、名前を藤森というが、職場の後輩のアパートの比較的狭いキッチンで腕を組み、
額にシワを寄せ、半額シール付きのヒラメの切り身の大容量パックを見つめている。
「ヒラメ、……ヒラメか……」
右手を上げ、口に触れ、唇を隠す。
スン、と短く鼻で息を吸うのは熟考の癖。
消費期限残り数時間の切り身を大量消費する方法を緊急考察しているのだ。
部屋の中の狭い区画、キッチンをひととおり見渡して、藤森は小さく数度頷いた。
塩と、天ぷらの素と麺つゆと、それからレモン果汁に手を伸ばし、手繰る。
切り身パックの内容量は驚愕の320グラム。
刺し身一択では後輩が飽きる。
他が必要だ――最低でもあと2品。
「にしても、よくまぁこの量を、この値段で」
後輩いわく、前日の午後に研修生価格で鮮魚コーナーに出て、酷い豪雨によって今日まで売れ残り、
客のパック配置荒らしで埋もれ忘れ去られていた。
その幸運を、タッチの差で入手したという。
お得感満載の金額につい手が出たものの、
アパートに帰還して、ようやく我に返った。
この量をどうやって数時間で食えというのだ。
『せんぱい たすけて』
「なぜ私なんかを頼った?」
「先輩、低糖質低塩分メニュー得意だもん」
「そうじゃなくて。お前の親友なり同僚なり、もっと別の、相応しい誰かが居ただろう。なぜ私など」
「あのね先輩。その親友なり同僚なりに、肉とかマグロとか、うなぎならまだしも、ヒラメだよ」
「ヒラメだな」
「どう思う?」
「……だいたい言わんとしていることは把握した。
了解。分かった。善処する」
刺し身はコリコリ、熱を通せばフワフワ。
部位によっては脂の含みも良いから、別に私としては構わないがな。確実にそういう問題ではないな。
他者を呼んで大量に食うようなものでもないし。
藤森は深く納得。切り身を4等分し、卓上フライヤーを引っ張り出し、油を入れて天ぷらの用意。
ガスコンロのフライパンにはマーガリンが落とされ、藤森が自室から持ち出してきた調味料たる山椒の葉が数枚、パチパチ香りを生産している。
油物は厳しくても、焼き物であれば、後輩の明日の朝食用にも耐え得るかもしれない。
藤森は途中で閃き、フライパン投入分を増やした。
「主食は。パンか、白米か、麺?」
「はくまーい。昨日のお茶漬け美味しかった」
「漬け丼風と、出汁茶漬け風の選択肢を用意できると思う。どちらが良い?」
「どっちも」
「塩分過多になる。どちらかにした方が良い」
「漬け風出汁茶漬け。出汁茶漬け漬け丼風」
「天ぷら諦めるか?それとも塩レモン焼き?」
「ごめんなさい漬け丼諦めます天ぷらください」
要望聞き入れて頂けたようで、なにより。
小さく笑う藤森は、熱した山椒マーガリン入りのフライパンでくるりくるり、ヒラメをさっと熱して、
色が変わり次第、順次大皿に落としていく。
少しの塩とレモン果汁を振って、ヒラメの塩レモン焼きはこれで完成。
あとは薄めた麺つゆを温めて、出汁茶漬け風と天ぷらのためのつゆを作れば良い。
「まず一品」
「はやっ?!」
「すまないが、飯をよそっておいてくれ。切り身をのせて茶漬け風にするから」
「ごはんリョーカイ!」
刺し身と、茶漬けと、天ぷらと塩レモン焼き。
だいたいの準備が完了したので、少し狭い感のあるキッチンから離れて、後輩の待つリビングへ。
「飲み物は……」
飲み物は、インスタントの味噌汁か吸い物か、ほうじ茶、何が良い?
料理を並べた大皿を手にした藤森が、後輩に最後の質問をしようと口を開いたが、
「飲み物おかまいなく。もう飲んでるから」
目の前に居たのは、ポップな缶に口をつける、既に上機嫌な後輩そのひと。
「先輩こそ、どうする?何飲む?」
「……おかまいなく」
そうだ。こいつは食いしん坊の呑んべぇだった。
藤森は静かにため息を吐き、テーブルに夕食もとい晩酌用のつまみを置いて、
ぎこちなくも、優しく穏やかに笑った。
「刺し身、少し塩振るか?」
「振る!うぇーい!」
「『何』に対する失恋か、失恋に至る『前』を書くのか失恋したその『後』を書くのか。いっそ失恋『した際に役立つかも知れない情報』でも公開するのか。今回もアレンジ要素豊富よな。ありがてぇ」
まぁぶっちゃけ俺ぼっちなので。恋とはちょっと縁遠いので。某所在住物書きは自慢でも自虐でもない、フラットなため息を吐き、長考に天井を見上げた。
チラリ見たのは己の財布。じっと見つめ、息を吐く。
「諭吉さんに熱烈ラブコール送ってるが、物価高でフられ続けて全然貯まりゃしねぇ、ってのはベタ?」
物書きは呟いた。
「あ、来月から渋沢さんだっけ。
……まてよ。1万円札にラブコール?」
――――――
最近最近の都内某所、某支店の昼休憩。
東京にありながら連日の来客者数が大抵一桁から20人未満のそこで、今日は常連客のマダム数人と従業員2名が、食後のアフタヌーンティーを楽しんでいる。
「面白い」
どこぞの有名店から本格的なスコーンを調達してきたマダムが穏やかに笑った。
「今の子って、お札を名前で呼んだりするのね」
それで言うなら、私の初恋は聖徳太子様だったのかしら。マダムは付け足すと、従業員の中の最年少、新卒の女性に手招きチョイチョイ。
財布の中から昔々の「壱万円」を取り出した。
人付き合いの酷く苦手な新卒。おそるおそる紙幣を覗き込み、数秒で興味津々。
撮って良いですか。 小さな声で許可を求めた。
「私、ずーっと諭吉さんでした」
別のマダムからジャムとクロテッドクリームの小ネタを受け取っていた従業員その2が言った。
「バチクソ昔のハナシになりますけど、『新札のデザイン、日本に生息してる動物の絵柄にしようぜ』っていう投稿がバズったこともありましたね。お札にキタキツネ入れちゃおう、とか」
ティータイムの話題の提供者が、まさにこの従業員。『ずっと諭吉さんにラブコール送ってたのに、来月から渋沢さんだから、実質失恋だ』と。
現代人特有の紙幣の呼び方に、淑女が食いついた。
「私それなら、お札のデザイン全部お花にしたいわ。1万円札が藤の花とか、綺麗だと思うの」
「色々絵柄があるのも面白いんじゃなくて?3枚あるとして、1枚は狐、1枚は藤、1枚は、って」
「ガチャみたいね」
「がちゃ?」
「ガチャよ。あたし知ってるの」
「ラブコール送ってるんです。送ってたんですよ」
話題提供の従業員が呟いた。
「恋叶わないまま、ぜーんぜんお金貯まらないまま、来月で諭吉さんと失恋しちゃうんですよ……」
税金、円安、物価高。世知辛いですよねぇ。
彼女は渋い顔で茶を飲み、香りの余韻に善良なため息をゆっくり吐き、新卒者と顔を見合わせて互いに頷く――好景気を知らぬ者同士なのだ。
「渋沢さんとは、良いお付き合いしたいですね」
あ、付烏月さんのレモンケーキ、来ました。
新卒が途中参戦の男性従業員からプチケーキの皿を受け取り、常連客のマダムにまず差し出した。
私達に自分のとこの従業員を言うときは、「さん」付けは不要なのよ。是非覚えて。
隣に座る常連が孫を見る優しさで新卒に諭す。
新札旧札の失恋話は一旦お開き。
「レモンねぇ……」
今まで黙っていた最後のマダムが、ひとり店内の掃除をしている支店長をニヨニヨ見つめ、呟いた。
「私、このレモンピールくらいに渋甘酸っぱい失恋話、丁〜度持ち合わせてるの」
対する支店長は気付かないフリ。
「そこの殿方の、お父様のハナシなんだけどね?」
どう?茶飲み話に昭和の失恋話、いかが?
常連マダムはティータイム参加者をゆっくり、酷く焦らすようにゆっくり、見渡した。
「教授支店長の、お父様?」
「あら。『教授』なんて呼ばれてるの?
あらあらまあ。ふーん。そう。『教授』なのね」
「え?」
「どうしようかしら。『どこ』から話そうかしら。『教授』なら丁度『教授』なのよねぇ」
「え……?」
「『お金に』正直。正直『に試験の赤点申告』。
『怒らないから』正直『に挙手しなさい』。
正直『早朝に突然叩き起こされるのはキツイ』。
アレンジし放題よな。シンプル万歳」
アレンジが容易であることと、物語を簡単に書けることとは、全然イコールじゃねぇけどな。某所在住物書きはため息を吐き、頭をガリガリ掻いた。
正直なところ、現実時間軸風の連載モドキを投稿し続けているので、今朝の地震に関する話題は折り込みたい物書きである。
書きたいものと書けるもの、書いて大丈夫なものをそれぞれ全部満たすのは難しい。
防災小ネタ集は、また今度かな。物書きは「書きたいもの」を保留とした。
「……そもそも俺の執筆スキルとレベルがレベルだから、『書きたいもの』より『書けるもの』最優先で行かねぇと投稿に24時間以上かかるんだわ」
しゃーない、しゃーない。
――――――
「正直」と聞いて、思い浮かぶひとがいる。
正直者という正直者ではない。でも確実に、誠実ではあるし、他者に優しさを持てるひと。
雪国の田舎出身だという職場の先輩だ。
「おい。起きろ。寝坊助」
今年の2月まで、本店の同じ部署で働いてた。
自分のことを「人間嫌いの捻くれ者」って言う、真面目で優しい先輩で、初恋さんに長いこと酷く悩まされてた諸事情持ちだ。
「朝メシの準備ができた。まだ体調がすぐれないようなら、例の茶っ葉屋に寄れ。店主が二日酔いと体調不良に効く薬茶を無料で調合してくれるそうだ」
私が梅雨シーズンでメンタルダウンしてる時に、差し入れで、水出しのお茶をサッと出してくれる。
昨日みたいに雨が酷くて、気温と気圧とホルモンバランスだか自律神経だかの不調が悪く重なった時は、体にやさしくて食べやすい料理も作ってくれる。
「こんなカタブツの部屋に、長時間居たくもないだろう。道中気をつけて帰れよ」
そんな、正直私のライフラインのひとつと化してるくらい、ありがたい先輩だ。
「……なんでわたし、先輩の家で寝てるの」
「昨日、帰宅する私にくっついて部屋まで来た」
「なんで」
「分からない。昨日のお前に聞いてくれ」
「お昼に缶チューとホロヨイしこたま飲んで、レモンケーキたらふく食べてからの記憶が無い」
「だろうな」
面倒見が良くて、仕事もできる。なんならごはんも美味しいやつ作ってくれる。「人間嫌い」と言ってるくせに、やってることが真逆なひと。
こんな先輩の心を「解釈違い」だ「地雷」だってズッタズタにした贅沢な初恋さんがいたけど、
きっとその初恋さんのズッタズタが深過ぎて、先輩自身、自分の優しさに正直になり切れないんだろうなと、個人的に推理してる。
根は善い人なんです(事実)
心の傷のせいで正直が怖いだけなんです(推測)
最近この初恋さんと、やっと完全に縁が切れたから、先輩の心の傷は多分これから順次、癒えていくものと思われるのです(善良な願望)
「朝ごはん何?」
「海苔茶漬けとシジミの味噌汁、それから果物と野菜のサラダを。必要なら梅干しも出すが」
「わお。和洋折衷」
「パンの方が良かったか。悪かったな」
「逆にぶっちゃけお茶漬け助かります」
着替えて諸々整えて、座って、お茶漬けの静かな湯気を心の美顔スチーマーよろしくいっぱいに吸い込む。
自分の温かさに正直になれない、「自称」人間嫌いの捻くれ者な先輩が作ってくれたごはんは、舌にのせて喉に通すと、優しい味がした。
「おいしい。普通におかわりできる」
「当店味変の追加オプションとして、チーズ卵胡椒に山椒の葉等々、各種ご用意しております」
「お茶漬けの味変……?」
「豚バラとかカツオの刺し身の炙りとか?」
「豚バラ茶漬け、食欲に正直、最高かな……?」
「少しだけならツナと鮭もある」
「最高だな……?」
「北海道に梅雨入り発表が無いってのは、そこそこ有名なハナシよな」
ようやくエモネタ以外のお題が来た。某所在住物書きはため息を吐き、椅子に深く体重を預けた。
前回はなかなかの難度だった。今回はどうだろう。
「あと梅雨といえば、何だ。アジサイ?てるてる坊主?蒸し暑さを吹き飛ばす冷たい飲み物?」
なんだかんだで自然系と食い物系の連想が多いけど、変わり種になりそうな発想、無いもんかな。
物書きはあれこれ考え、うんうん唸って、
「『つゆ』違いで『麺つゆ』……いや書けねぇ」
ひとりで勝手に飯テロを妄想し、勝手に自爆してグーと腹を鳴らした。
「明日の晩メシ、そうめんにでもするか……?」
――――――
今日の東京は、曇ってるせいか湿度と風のせいか、
それか散々真夏日手前だの夏日だの続いてたのに、突然最高22℃に降下したからかもしれない、
ともかく、私には少し肌寒く感じた。
午後からは本格的に雨が降ってくるらしい。
そろそろ、梅雨だ。
気圧とホルモンバランスと、それから気温の乱高下に冗談抜きでバチクソ弱い私は、
朝から体が本当に動かなくて、空腹だけどキッチンまで行けないし料理用の行動力もAPも無い。
そんな私のバッドステータスを、長年の仕事上の付き合いで理解してる職場の先輩が、
少しの食材と、調味料と、それからお茶っ葉を持って、シェアランチのデリバリーに来てくれた。
あざす先輩(もはやライフライン)
助かります先輩(1家に1人レベル)
「鹿児島産、あさつゆ品種だ」
適度に温かい、ひとくちと半分くらいの翡翠色を、先輩は丸小鉢のお猪口に入れて渡してくれた。
「2杯目以降が必要なら呼べ」
先輩の行きつけの茶っ葉屋さんで、わざわざ私の酷い体調が整うように、いくつか和ハーブをブレンドしてもらってきたらしい。
そういうとこだ。そういうとこだぞ。
お猪口に口をつけて、お茶を胃袋に流し込むと、
ジンジャーか、山椒の葉っぱのおかげか、よく分からないけど、体がぽかぽか温まってきた。
「あさつゆ、去年先輩が飲ませてくれたやつだ」
「『去年』?」
「水出し緑茶。去年の今頃。コップに氷と一緒に入れて、『梅雨は嫌いだけど、このつゆは好き』」
「思い出した。了解。分かった」
「翌日のオートミールポトフ美味しかった」
「それはどうも」
コトコトコト、ことことこと。
多分弱火のガスコンロで、手羽元と薄塩ベースの何かが煮込まれて、部屋の中は食欲の香りがふわり。
……ところで、2人分にしては量が多い気がする。
何故だろう(私はともかく、先輩は少食)
何故だろう(もしかして:夕食用込み)
「鶏肉多めに入れて」
「体調、大丈夫なのか?」
「大丈夫だもん。多分食べれるもん」
お茶のおかわりを貰って、だいぶ体調が落ち着いてきた私は、ベッドから起き上がって背伸びして、
直後、ピンポン、部屋のインターホンを聞いて、
そして、先輩が「2人分にしては量が多い」手羽元の薄塩ベースを煮込んだ理由を知った。
「そうそう。ひとつ、謝るのを忘れていた」
先輩が言った。
「この部屋に来る前に、付烏月に捕まった。
事情を話したら『体調酷いときはホイップレモンケーキに限る』だとさ」
ちょっと髪を整えてドアを開けると、先輩の友人で私の同僚の男性が、
にっこり、100均の少し大きめなクラフトボックスを抱えて、玄関前に立ってた。
「梅雨の時期は、サッパリレモンケーキでしょ」
彼は言った。
「食欲無いって聞いたから、小さめに作ってきた」
クラフトボックスの中には、薄黄色のホイップとレモンピールが飾られた、小さなカップケーキ。
何個かお行儀よく、キレイに整列してた。
「先輩。ごめん。鶏肉ちょっとで良さそう」
「なに?」
「食前スイーツ。レモンケーキ。いやレモンケーキと塩鶏手羽元で優勝できるかも。やっぱ鶏肉多め」
「ゆう、……なんだって?」
「たしか冷蔵庫に缶チューあった」
「待て。昼間から飲むつもりか。やめておけ」
「辛口の方が合うかな」
「や、め、て、お、け!」