「北海道に梅雨入り発表が無いってのは、そこそこ有名なハナシよな」
ようやくエモネタ以外のお題が来た。某所在住物書きはため息を吐き、椅子に深く体重を預けた。
「あと梅雨といえば、何だ。アジサイ?てるてる坊主?ちょっと前バズった『カエル』?」
なんだかんだで自然系天候系の連想が多いけど、なんか変わり種になりそうな発想無いもんかな。
物書きはあれこれ考え、うんうん唸って、
「『つゆ』違いで『麺つゆ』……いや書けねぇ」
ひとりで勝手に飯テロを妄想し、勝手に自爆してグーと腹を鳴らした。
「明日の昼メシ、そうめんにでもするか……」
――――――
6月になった。
去年度まで部署内で猛威を振るってたオツボネ係長が去年度いっぱいで左遷になって、
かわりに来た新係長は課長にゴマスリして部下に大量に仕事を丸投げするようなゴマスリ係長で、
上記オツボネにいじめられた新人ちゃんが、5月いっぱいで辞めてった。
そんな私のとこの職場だ。新しい年度が始まって、やっと2ヶ月過ぎて、そして6月になった。
つまり梅雨だ。
東京はザ・6月、ザ・梅雨なスタートをきった。
「無事か」
梅雨シーズンは大嫌いで、ちょっと好き。
「無理をするな。つらいなら、少し私に回せ」
湿気で髪型がヤバくなるし、なにより雨で服が汚れる。それから気のせいかもしれないけど、気分がバチクソ沈む日が多くなる。大っ嫌いだ。
「私が手を付けても良い作業は?ソレとコレか?」
でも大抵この梅雨シーズンから、暑さ対策と称して、雪国の田舎出身という先輩が職場に水出しのお茶を持ってくる。それを私にシェアしてくれる。
「勝手に持っていくぞ。ミスが出たら私を恨め」
今日も休憩室のプラスチックグラスに氷を入れて、おやつの低糖質クッキーと一緒に差し入れしてくれた。
だから、梅雨シーズンはちょっと好きだ。
「今日のお茶なに?」
「あさつゆの、……緑茶のただの水出しだが」
「『あさつゆ』っていう品種?」
「そう。深蒸しだ。鹿児島産だったかな」
「この『つゆ』は好き。『梅雨』は嫌いだけど」
「お気に召して頂けて、何より」
気分が上がるまで、少しそれで休め。
付け足して私の仕事ちょっと取って、自分の席に戻る先輩。自分の水筒のフタを開けて、自分用の氷入りマグカップに、緑色の「つゆ」をとくとく注いでいく。
「お茶ありがと。飲んだら仕事戻るね」
ペットボトルのお茶と少し違う、先輩からシェアしてもらったお茶を、そのグラスの中の氷を少し揺らしてカラリ鳴らすと、
先輩は別段こっちを見ることなく、多分お礼不要の意図で、私に右手を小さくプラプラ振り返した。
国内某所、住所不詳。とあるぼっちな一室で、事実と空想が半々なワンシーン。
架空の先輩後輩と、不思議な餅売る子狐と、元物書き乙女の日常を主に持ちネタとする物書きの、以下はいわゆる三度目の執筆裏話。
「エモが……エモが多過ぎる……!」
今日も難易度エクストリームハードの題目である。
某所在住物書きはこの手のジャンルが不得意であるがゆえに、この頃は物語を少し書いて消してまた書いて消してを数時間繰り返している。
「まずキャラAとBを用意します、Aが『天気』の話題をBに提示します、しかしBにとってこの話題は重要ではありません。さぁBが『僕が話したいのは』と突き付けてくる話題Cは何でしょう」
アレか?「てんき」違いで「転記」の話でもすりゃ良いのか?
うんうん唸り、悩み、苦しんで悶えた末に、物書きはため息をついていわく、
「……知らん」
もういい。今日はパス。
天気の話も転記ミスのエピソード披露もせず今日は寝る。『僕が話したいのは、何もない』。
匙を投げた医者、筆を放った物書き。
5月も残り1時間半を切ったところでアプリを閉じ、ベッドに乗って布団に潜り、部屋の照明を消す。
スマホで天気予報と地震発生履歴、それから僅かに夜のニュース等々を確認して、
「そもそも『天気の話なんてどうだっていい』ってセリフがでてくるシチュってどんなシチュ?」
結局、パスを決め込んだ筈の題目を引きずり、ダラダラ考察などを始めた。
悶々モヤモヤ。
今日も相変わらず、某所在住物書きは題目の高難度っぷりに頭を抱え、途方に暮れる。
「何かから逃げる、『ように』、なんだな」
またまた今日も難問難題が飛んできた。某所在住物書きは恒例のごとく天井を見上げ、ため息を吐き、途方に暮れている。この頃のアプリの題目は難易度がエクストリームハードである。
「つまり、何かから逃げるように、『あるいは何かを追い立てるように』、みたいに逆のシチュエーションも執筆可能ってワケだ」
まぁ逃げるにせよ追うにせよ、遅刻に慌てて走るにせよ。物語の組み立てが至極面倒、もとい、困難であることに変わりは無いわけであるが。
物書きは首筋をガリガリ掻き、再度息を吐いた。
――――――
「ただ必死に走る」。これまた難しいお題ですね。
エモめに気取ったこういう物語はどうでしょう。
昔々のおはなしです。約8年前のおはなしです。
年号が平成だった頃の、夜の東京。終電間近の地下鉄目指し、大きなキャリートランクひとつを持ち、とある雪国出身の若者が、街を駆け抜けてゆきました。
目指すはその区の外の外。若者は5年ほど住み慣れた、ようやく慣れてきた土地に、その日限りで別れを告げるのです。
職場は今日で離職済み。
スマホはキャリアから電話番号まで総入れ替え。
今まで大事にしてきた食器も家電はすべて売却。
借りていたアパートも引き払い、若者が残したのは最低限の荷物と小さな花の鉢植えだけ。
トランクに収まるたったそれだけの荷物を持って、慣れぬ長距離を全速力で。
まるで、何かから逃げているようです。
事実として、実際に逃げているのです。
若者は魂の恩人と思っていたひとに、遅い遅い初恋を自覚した筈のひとに、心も魂も徹底的に打ち壊されて、底深い悲痛と苦しみを振り切るために、今日までのほぼ一切を捨てて離れるのです。
同い年。地方出身。転職を繰り返した寂しがり屋同士。都会の悪意と荒波に揉まれて擦り切れた若者に、そのひとは先に一目惚れして、その明るさで若者の傷を、少しずつ、確実に癒やしてくれた、筈でした。
人一倍真面目で誠実だった若者はある日見つけてしまったのです。そのひとの呟きアプリのアカウントを、いわゆる「裏垢」というものを。
「面白くない」、「解釈不一致」、「地雷」、「あいつ頭おかしい」。若者に対する本心からの評価を。
そのひとは若者に表で善良な明るい笑顔を咲かせながら、隠れて舌打ち毒を吐いていたのです。
(さようなら)
必死に走って走って、間に合った地下鉄に飛び乗り、若者は上がった息を整えて、夜逃げの相棒であるところのキャリートランクを抱きしめました。
もう恋などしない。もう、人の心など信じない。
それは雪国出身の若者が、心を氷点下に凍らせて、
人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者となった瞬間でした。
そんな人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者が、8年後の現在、どんな職場の後輩を持ちどんな暑さにでろんでろん溶けているかは、メタい話をすると「過去投稿分参照」となるわけですが、
ぶっちゃけ辿るだけ面倒なので、「それはまた、別のおはなし」ということにしておくのです。
おしまい、おしまい。
「丁度ひとつ、ごめんねエピソードが有るわ」
数週間前の話だけどな。某所在住物書きは前置いて、椅子に腰掛け話し始めた。
「車運転してたら、対向車がパッシングしてきたの。進行方向確認したら、『あっ、察し』よな。
で、いつも以上に安全運転してたら、ガンガン飛ばして俺に追いついてきた後続車両がバチクソ危険な運転で、詰めて追い越して急ブレーキして、急発進な。
……全〜部見られてたのよ。おまわりさんに。見晴らしの良いゆるやかなカーブだったから……」
ごめんねナラズモノ中年さん。アンタを煽りたくて安全運転してたんじゃねえの。「ネズミ捕り」がその先で臨時のサイン会開催してたのよ。
物書きはため息を吐き当時を懐かしみ、ぽつり。
「あおり運転ダメ絶対」
――――――
かつて物書きであった社会人、元薔薇物語作家で現在概念アクセサリー職人の彼女は、今日も昔の同志と共に束の間のボイスチャットを楽しんでいた。
「スマホの画像整理してたら昔の絵が出てきたの」
『昔って?』
「呟きに創作垢作ってた頃。まだカイシャクガー爆撃食らってなかった頃」
『わぁ。懐かし』
いわゆる「作業通話」の様相。1円玉ほどの小さな円に、デフォルメしたブタクサやらイネやらヨモギやらを描き、花粉っぽく金のパウダーを散らす。
それを駐車禁止の標識よろしく赤い円と斜線で縁取り、裏にスナップボタンの凸パーツを接着剤で貼り付け、レジンで補強してできあがり。
花粉症アイコンなマスクピアスである。
ピアスには別途、カニカンで好きなチャームを噛ませられるよう、丸カンが付けられた。
「丁度さ。爆撃の前の日に完成した絵だったの」
スナップボタンの接着具合、丸カンの強度を念入りに確認して、元物書き乙女は懐かしげに語った。
「それから芋づるで、呟きに上げてなかった絵と小説が出てきてさ。懐かしくなっちゃって」
すごいよね。何年前の遺物っていう。
付け足す乙女は丸カンに、テストとして己の推しカプカラーである、黒と白のビーズをぶら下げた。
「バチクソ黒歴史だけどさ。それでもごめんねって」
『「ごめんね」って?』
「呟きにもサイトにも載せられなくてって。どこにも出してあげられなくて、ごめんねって」
『でも仕方ないよ。過激派はどこまでいっても過激派だもん。目をつけられたら、そりゃ、ああなるよ。垢消してトンズラ以外、方法無いよ』
「それね。ホントそれね」
『多分過激派はさ。自分の解釈以外全部アレルギーなんだよ。重篤なやつ。自衛すりゃ良いのにさ』
「それねー……」
解釈違いも、花粉症とマスクとか、アレルギーと舌下療法とかみたいに、予防だの何だのできれば良いのにね。難しいね。
かつて互いに推しとセンシティブを語り合った物書き乙女ふたりは、その後も懐かしく1時間程度、昔々の二次創作を、その思い出を語り合った。
「物語のネタが浮かばないときは、その日のトレンドワードとか、時事ネタとか絡めてるわな」
これまた随分と、ピンポイントな。某所在住物書きはスマホの画面を見てため息を吐き、この難題をどう組み立てるか頭をフル稼働させていた。
「たとえば25年以上前の映画。『そんなの許さないわ!』のネットミーム。……懐かしいが無理。
あるいは今日の気温。東京は最高21度予報らしい。……ザ・半袖って気温でもねぇ。単独では無理。
もしくは今日はクレープの日でシリアルの日で肉の日らしい。……飯テロ万歳だが全部は無理」
あれ、今日、マジでネタがムズい。物書きは天井を見上げ、ガリガリ頭をかき、ぽつり。
「半袖で何を書けと」
――――――
今の時期に「半袖」といえば、衣替えとか春の猛暑日とか。夏の入口を感じる次第です。バチクソフィクションのこんなおはなしはどうでしょう。
最近最近の都内某所、某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が暮らしており、その家では今初夏への準備の真っ最中。
夏用タオルケットを引っ張り出して、一旦乾燥機付き洗濯機へ。一家の末っ子子狐のお気に入り毛布も、これを機会にお洗濯です。
じゃぶじゃぶウィンウィン、洗濯機が動いている間に、母狐は今朝届いたばかりの小さな段ボールを開けて、中身を取り出し微笑みました。
「じんべーだ!」
母狐が持つそれを見て、末っ子子狐が叫びました。
「新しいじんべーだ!」
それは今月の最初の頃、メタい話をするなら5月7日。人がひしめき物の怪にとって住みづらくなった東京から、静かで僅かに神秘と秘匿の残る福島へ引っ越していった、大化け猫からの荷物でした。
木綿で丁寧に織られた半袖の甚平は、落ち着いたシックでダークな色合いで、子狐の目にはどこか大人っぽく、カッコよく見えました。
「着てごらんなさい」
段ボールの中から小さな甚平を探し出して、母狐が言いました。
「写真を撮って、お返しと一緒に送りましょう」
新しい甚平を受け取ったときの、子狐の目のキラキラした輝きといったら。
「着る!写真とる!」
コンコン子狐、甚平の香りを鼻いっぱいに吸い込んで、びゅんびゅん自分の部屋へ跳んでいきました。
あの調子だと、当分甚平を愛でて抱きしめてクシクシ自分の香りを擦りつけて、
写真のことなど忘れたまま、フサフサしっぽで甚平を大事に大事に囲い込み、幸せにお昼寝などしてしまうことでしょう。
お腹が空いた頃に、起きてくるかしら。
母狐は部屋の時計の、もうすぐ正午になるのをチラリ確認して、愛おしくため息を吐いてから、
夏の準備の作業を止めて、お昼ごはんを作っているであろうおばあちゃん狐の手伝いをしに、台所へ向かうのでした。
おしまい、おしまい。