かたいなか

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「何かから逃げる、『ように』、なんだな」
またまた今日も難問難題が飛んできた。某所在住物書きは恒例のごとく天井を見上げ、ため息を吐き、途方に暮れている。この頃のアプリの題目は難易度がエクストリームハードである。
「つまり、何かから逃げるように、『あるいは何かを追い立てるように』、みたいに逆のシチュエーションも執筆可能ってワケだ」
まぁ逃げるにせよ追うにせよ、遅刻に慌てて走るにせよ。物語の組み立てが至極面倒、もとい、困難であることに変わりは無いわけであるが。
物書きは首筋をガリガリ掻き、再度息を吐いた。

――――――

「ただ必死に走る」。これまた難しいお題ですね。
エモめに気取ったこういう物語はどうでしょう。
昔々のおはなしです。約8年前のおはなしです。
年号が平成だった頃の、夜の東京。終電間近の地下鉄目指し、大きなキャリートランクひとつを持ち、とある雪国出身の若者が、街を駆け抜けてゆきました。
目指すはその区の外の外。若者は5年ほど住み慣れた、ようやく慣れてきた土地に、その日限りで別れを告げるのです。

職場は今日で離職済み。
スマホはキャリアから電話番号まで総入れ替え。
今まで大事にしてきた食器も家電はすべて売却。
借りていたアパートも引き払い、若者が残したのは最低限の荷物と小さな花の鉢植えだけ。
トランクに収まるたったそれだけの荷物を持って、慣れぬ長距離を全速力で。

まるで、何かから逃げているようです。
事実として、実際に逃げているのです。
若者は魂の恩人と思っていたひとに、遅い遅い初恋を自覚した筈のひとに、心も魂も徹底的に打ち壊されて、底深い悲痛と苦しみを振り切るために、今日までのほぼ一切を捨てて離れるのです。

同い年。地方出身。転職を繰り返した寂しがり屋同士。都会の悪意と荒波に揉まれて擦り切れた若者に、そのひとは先に一目惚れして、その明るさで若者の傷を、少しずつ、確実に癒やしてくれた、筈でした。
人一倍真面目で誠実だった若者はある日見つけてしまったのです。そのひとの呟きアプリのアカウントを、いわゆる「裏垢」というものを。
「面白くない」、「解釈不一致」、「地雷」、「あいつ頭おかしい」。若者に対する本心からの評価を。
そのひとは若者に表で善良な明るい笑顔を咲かせながら、隠れて舌打ち毒を吐いていたのです。

(さようなら)
必死に走って走って、間に合った地下鉄に飛び乗り、若者は上がった息を整えて、夜逃げの相棒であるところのキャリートランクを抱きしめました。
もう恋などしない。もう、人の心など信じない。
それは雪国出身の若者が、心を氷点下に凍らせて、
人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者となった瞬間でした。

そんな人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者が、8年後の現在、どんな職場の後輩を持ちどんな暑さにでろんでろん溶けているかは、メタい話をすると「過去投稿分参照」となるわけですが、
ぶっちゃけ辿るだけ面倒なので、「それはまた、別のおはなし」ということにしておくのです。
おしまい、おしまい。

5/30/2023, 1:47:44 PM