「今日は、キラキラがいっぱいだ」
ひょんなことから知り合った、非科学的で二足歩行の意思疎通可能な子狐。
初めて会ったのは数日前。餅を売っていると言い、このご時世誰も買ってくれず、家のドアすら開けてくれないと、コンコン嘆いていた。
私が生まれて初めての客だという。
「このまえは、ノグチサンだった。今日のは、ノグチサンよりキラキラしてて、キレイ」
試食に渡された草餅の味が、何故か心にしみて、つい2000円分購入してしまったのが、良かったのか、悪かったのか。
「おとくいさん、ありがと。おとくいさんにも、ウカノミタマのオオカミサマが、何か良いこと授けてくださいますように」
数日経過した今日小さなカゴいっぱいに餅を入れて、またアパートに来た。
「おとくいさんこんばんは」とぺっこり頭を下げて。
「500円玉1枚と、100円玉3枚。800円だ」
金銭的価値を、理解できているのか、いないのか。
前回より少ない金額であることを強調して、代金と引き換えに餅の包みを手渡す子狐に、伝えた筈だった。
「前回の半分も買ってないが。良いのか」
「いいの!」
コンコンコン。子狐はそれでも嬉しいらしい。
「キラキラ、ととさんとかかさんに、あげるの!キレイだから、ととさんもかかさんも、よろこぶの」
どれだけの量、どれだけの額を売ったかは、ハナから気にしていなかったらしい。
「おとくいさん、また、ごひーきに、ごひーきに」
小さな手をぶんぶん振り、キツネノチョウチンの明かりを担ぎ直し、幸福至極な笑顔を咲かせて、子狐はぴょこぴょこ帰っていった。
「喜ぶから、キラキラを父さんと母さんに、か」
さっそくひとつ包みを開けて、あんころ餅をかじる。
「……久しぶりに茶でも淹れるかな」
気のせいか餅は、優しく、懐しく、心の毒を抜く魔法でもかかっているような味がした。
リアルからかけ離れたおはなしです。童話テイストバンザイなおはなしです。
「ぺったん、ぺったん!もひとつ、ぺったん!」
最近最近の、都内某所。稲荷神社のど真ん中で、二足歩行の子狐が、深夜にお餅をついておりました。
「このもち、こぎつねつくもちにあらず、ぺったん!みけのかみ、とこよにいますウカサマの、ぺったん!かむほき、ほきくるほし、とよほきもとほし!」
母狐から教わった難しい言葉を、ぺったんぺったん歌いながら、由緒正しいらしい臼と杵で、お供物として貰ったお米をつきます。
今夜は明るい、まんまる満月。狐火や、鬼灯や、キツネノチョウチンを焚かなくても、餅の状態がよく見えます。いっそう美味しく出来上がることでしょう。
「いんや。夜で暗いから、おもちがよく見えないや」
たまに歌を止めて、つまみ食いするのはご愛嬌。
売り物と、神様への捧げ物に、きつね餅5個、草餅5個、揚げ餅5個にみたらし5個と、あんころ5個分の量さえあれば、子狐はギリギリ叱られないのです。
なにより今日のもち米は、ブランド米3種の共演。特製母狐ブレンドなのです。
「見えないから、上手にできてるか、確認しなきゃ」
にんまりイタズラな食欲を隠さず、子狐がおもちをちぎります。でも暗いはずがありません。なんてったって、満月に加えてこのご時世。道の街灯もビルの照明も、みんな明るいLEDです。
光で夜の犯罪を払うように、あるいは社会の闇を包み隠すように、あっちこっち、輝いているのですから。
「だって、見えないよ。お天道様ないから暗いもん」
確認しなきゃ。確認しなきゃ。ああ、おいしい。
湯気たつツルツルまんまるお餅を、ちぎり、ちぎり。不都合な明かりは知らんぷり。小さなおくちで、幸せいっぱい頬張ります。
「あれ。どこまで歌ったっけ」
もっちゃもっちゃ。
何度目かの味見を丹念に丹念に終えた子狐。母狐から教わった餅つき歌を、どこまで歌ったかド忘れです。
「いいや。もっかい最初から、歌えばいいや」
ぺったんぺったん、もひとつぺったん。
満月見守る稲荷神社には、まだもう少しだけ、餅つきの音が広がるのでした。
ようやく午前の部が終了した、本日の職場。つかの間の休息、折り返し地点である。
今日も今日とて定位置で、先輩と後輩のペアがふたり、弁当を広げ中身をつついている。
昼食用に開放されている、自販機併設の休憩所では、備え付けのモニターから、正午のニュースが云々。
3月某日に向けて、各地で開催されている、絆を再確認するイベントの映像が、食欲そそる肉と魚と味噌汁と、湯気のアップにのせて流れてくる。
絆だって。
かつて連呼され続けたスローガンが、限りなくブラックに近いグレー企業在職のシチュエーションに、それに揉まれる自身の心に近づいて、跳ね除けられる。
絆だってさ。なにそれ。仕入れ値いくら。
人と人の、美しい繋がりを示す漢字一文字が、遠い遠い山里の、あるいは寂れた漁村あたりの、コンビニも無いような土地にのみ潜む、絶滅危惧1A類の何かに感じられた。
「絆って何だろ」
「オキシトシンのいち側面。心の免疫だの抗体だの」
「めんえき、」
「同族意識で繋がっちゃいるが、少しでも型から外れれば異物認定される。あとは攻撃排除でサヨナラだ」
「あっ。ちょっと分かる」
「調べれば出てくるぞ。『愛情ホルモン』の負の側面。絆の裏の顔」
乾いた微笑とは、まさしくこの表情であろう。口角上がらず細められただけの目で、コーヒーから唇を離す先輩が僅かに補足した。
「意外と、日常的に接するレベルでは、助けず関わらず共感せず、仲間意識を一切持たずが、実は無難なのかもしれないな」
まぁ、それを本当の意味で徹底しては、社会生活が少し難しいワケだが。
言葉を付け足しコーヒーのカップを上げる先輩の視線は、後輩から離れ、どこか遠い範囲に置かれていた。
「……先輩何かあった?」
「私はいつも平坦だ」
「初恋のひととでもバッタリ会った?」
「その話題からそろそろ離れてくれないか」
「じゃあズタズタにされた心の古傷が」
「来週の低糖質スイーツバイキングでのランチミーティング取り下げるぞ」
「失言大変失礼しました撤回して謝罪致します」
職場の本日午前の部は、私の胸くそレベルが最大値手前まで急上昇して終了した。
上司から回された仕事を、片付けて、別の上司に提出して、私の手掛けた分は問題無かったものの、最初の上司の手付け分で酷いミスが発覚。
チクチクされたのは私の方だった。「彼のミスに気付けなかったあなたが悪い」との「ご指摘」だった。
世の中って理不尽(真理)。
「宇曽野から聞いた。災難だったな」
昼の休憩時間。煮えくり返るハラのまま、自炊のお弁当にがっついていると、
「丁度、良い物を持ってきている。食わないか」
同じくこれから昼ごはん、と思しき先輩が、テーブル挟んで向かい側の席に腰掛け、笹の葉で丁寧に包まれた大きめのヨモギ餅を差し出してきた。
「珍しい。いつもは『糖質なら間に合ってる』って、低糖質以外はスイーツのスの字も出てこないのに」
「たまには良いさ。……ほら」
受け取って、結びを解いて、葉っぱを開く。
昔々食べたっきりの薄緑色は、別にベタつきもせず、素直に葉っぱから外れて、お行儀よく顔を出した。
「おっきい」
くちゃり。ひと噛みすると、ヨモギより笹の方の香りが、お餅の甘さと一緒に鼻に抜けた。
「おいしい。何個でもいけちゃう」
後から追ってくるこしあんが、ただ懐かしくて、今までのイライラが少しずつ溶けていく。まるでお餅自体に、心の毒抜きの魔法でもかかってるみたいに。
捨てる神あれば拾う神あり(これもまた真理)。
「お気に召して頂けたようで。何よりだ」
先輩が自分の弁当を広げながら言った。
「で、己の都合に後輩を利用するようで、非常に心苦しいのは山々なんだが」
ランチポーチの結びを解いて、弁当箱の蓋を開ける。
「……食うの手伝ってくれないか」
中には数種類のお餅がガッツリ敷き詰められていた。
「どしたの、それ」
「いや、1個のつもりだったんだ。1個だけ買うつもりだったんだが。妙に美味くて、懐かしくて。つい」
「何個?」
「合計10個」
「そのデカさで」
「そう。このデカさで」
「はぁ……」
都内の地理ガン無視のおはなしです。非現実バンザイのおはなしです。
最近最近都内某所の稲荷神社に、化け狐の末裔、人を真似る妙技を持つ、狐の一家がおりました。
ちょっと化ければ呟きで拡散され、少し術を唱えればティックに晒される。肩身の狭い都会から、僅かでも神秘と秘密の残る過疎地へ、逃れていく物の怪の多い中。それでも一家はこの地に残り、人間の祈りを願いを苦しみを、見守り続けておりました。
そんな3月3日の、寅四つ時がそろそろ終わる頃。
「ただいまもどりました!」
一家の末っ子、二足歩行の子狐が、右手にキツネノチョウチンの明かりと葛のカゴ、左手に野口英世2枚を持って、神社敷地内の一軒家に帰ってきました。
「ととさん、ととさん、おもち売れたよ、ほら!」
大好きな大好きな両親に、生まれて初めて得た労働の対価を――売ったお餅の代金を、真っ先に見せます。
「2枚貰ったから、ととさんとかかさん、あげる!」
「おや。おまえ、化けの皮剥がれてるじゃないか」
元気に帰ってきた子狐を父狐が優しく抱きしめます。
「何事も、無事だったのか?悪い人間に絡まれたり、しなかったかい?」
丁度父狐は、勤務先の早朝帯への出勤準備中。
なんということでしょう。子狐のお父さんは都内の某病院の漢方医として、労働して納税して昨今の悪しき感染症に立ち向かう、既婚の40代男性(戸籍上)だったのです。
「だいじょぶだった!ほら、ととさん、ほら!」
父親の心配も、どこ吹く風。ただただ自分の成果を、喜びを共有したくて、おみみをペコリ、しっぽをブンブン。野口さん1枚を差し出します。
「うん、うん。素晴らしい。さすが、私達の子だ」
きっとかかさんも、おじじもおばばも喜ぶよ。
大事な大事な、愛しい我が子の成長が嬉しい父狐は、お弁当用に焼いていた鶏もも肉がお焦げの煙と香りを吹くまで、子狐の頭を撫で、背中をさすり、労をねぎらってやりました。