俺には幽霊が取り憑いている。
顔をはっきり見たことはないが、長い髪、少し小柄な体型からして、女の幽霊だろう。
特に何か悪さをしてくるわけではない。
ただ、急に暗闇から現れたり、ふと顔を上げると離れたところからこちらを見つめていることがあったり、夜目が覚めるとじっと枕元に立っていることがあるくらいだ。
最近は慣れてしまって、髪に隠れた顔が可愛いといいなぁなんてことを思っていたりする。
そんな幽霊の声を、今日初めて聞いた。
何かぶつぶつと呟いている。
俺のすぐ背後で、今も。
今までただ見てくるだけだった幽霊が何か言っている。さすがに少し怖くなった。
何だ。こいつは何を伝えようとしているんだ。
声はただずっとぼそぼそしていて、はっきりと聞こえない。言いたいことがあるならはっきり言え。きっと、こんなぼそぼそした小声だから怖いんだ。
出先の、一人になったタイミングで、俺は背後にいるであろうその幽霊にとうとう告げた。
「何が言いたいんだ! はっきり言えよ!」
すると、さっきまで薄らぼんやりしていたその存在が、はっきりと背中から右肩に頭を乗せているように感じた。いつもより高い位置にいるから、少し浮いているのかもしれない。
幽霊の頭がすぐ右にある。
思わずひゅっと喉が鳴った。
そして、幽霊は口を開いた。
「チャック開いてますよ……」
も、もっと早く、はっきり教えてくれ――!
『声が聞こえる』
「秋は恋の季節だねぇ」
友達がそんなことを言い出した。
「読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋……とかは聞いたことあるけど、恋の秋?」
綺麗に色付いた紅葉の樹の下。
さっきまでお菓子片手に本を読んでいた私は、ちょっと身体を動かそうとストレッチしていた。そんなところに、友達が突拍子もないことを言い出した。
「全て制覇する勢いの君に! 恋の秋もいかがですか?」
「制覇するなら次は芸術の秋とかやりたいけどねぇ」
全く興味が湧かず、再び本へと手を伸ばす。
「オススメの物件がありまして」
「いやぁ……私は今やってる秋で十分だよ」
それでも尚諦めようとしない友達に、私はやんわりとお断りの言葉を伝える。
「じゃあ、花は? 園芸の秋!」
突然の方向転換。
必死な友達に、思わず怪訝な顔をしてしまう。
「何? 私にいろんな秋をやらせたいの? 園芸の秋って、何の花を育てるの?」
友達はこっちを真っ直ぐ見つめると、真剣な顔で言った。
「私と一緒に百合の花を育てよう!」
「百合……って」
紅葉に負けないくらい、顔を真っ赤にして伝えてくる。
百合は通年で出回るが、旬は今じゃない。初夏だ。
恋を勧めてきた友達が、いきなり今度は園芸? しかも百合?
恋、そして、百合……?
そして、全てを理解した私も、紅葉のように真っ赤になってしまい、さてどう返したものかと、本を閉じて考えるのだった。
『秋恋』
それはある雨の夜のことだった。
近くのコンビニに用事があり、玄関を開けると、そこに君がいた。
小さくうずくまっていた君は、僕の顔を見上げると消え入りそうな声で鳴いた。
その時から家族になった君。
これが目に入れても痛くないというやつかと、初めて知った。何よりも大事にしたいもの。かけがえのない大切な命。
足に寄ってきた君を抱え上げ、ぎゅっと抱き締める。
君はとても嫌そうに僕の腕の中から逃げ出そうとする。
絶対に君を手放さない。大事にしたい。幸せにしたい。
僕は君と逢えた。それだけで幸せになれたから。
『大事にしたい』
これは小さい頃のお話。
こっくりさんって知ってる?
そう。紙に五十音を書いて、十円玉で行うあの、いわゆる降霊術ってやつ。
なんで小学生の頃って、あれ流行るんだろうね? 手軽な遊びというか占いみたいなものなのかな。
でも、私達がやっていたのはこっくりさんじゃなくて、その派生系。やってることはほぼ同じだけどね。こっくりさんじゃないから危なくないと思ったんだろう。
ある日、体育館の裏でそれをやっていたんだけど、どういう話の流れだったか、そのこっくりさん――正確にはキューピッドさんが、時間を止めると言い出した。キューピッドさんって、名前だけ聞くと恋愛関係のことを話しそうなのに、なんでそんなことになったんだろうね。
しかし、私達は大いに盛り上がった。それはそう。本当にそんなことができるのかと。止まったらどんな感じなのだろうと。
目を閉じて祈るように言われ、私達は目を閉じた。
時間よ止まれ。
時間よ止まれ。
時間よ――
さっきまで、遠くで誰かが誰かを呼ぶ声がしていた。「お――――い」と、大きな声を長く響かせていた。
その声が、突然ぴたりと止まった。
声だけじゃない。風が木々を揺らす音も、生命を感じさせる全ての音、時間が流れていることを感じさせる全ての音が、聞こえなくなった。
それはどれくらいの間だったか。
ほんの一瞬だったような、長い間だったような。
気付けば木々のざわめきも、誰かを呼んでいる声も、また戻ってきていた。
まるで、時間の流れに空白を差し込んだかのようだった。
キューピッドさんにあなだがやったのかと聞く。鉛筆(キューピッドさんは十円玉じゃなく鉛筆でやる)は「はい」へとゆっくり移動した。
この出来事で怖くなり、キューピッドさんをやることはなくなった――なんてことはなく、むしろ本物だ! と余計に盛り上がってしまい、それからもたびたび行っていた。大人になっていくにつれ、やらなくなってしまったが……。
それにしても、もしこれが本当にキューピッドさんの力で、もっともっと長い間時間を止められるとしたら。もしキューピッドさんがとても悪い存在で、時が止まった世界に閉じ込められてしまったら。私達はどうなっていたんだろう?
やっぱり危険なことはやらない方がいいね。
もし、これを読んで興味を持ってやってみたいと思ってしまった人。
私は一切責任を持ちません。やるなら自己責任でお願いします。
『時間よ止まれ』
高層マンションの高い高い一室から見下ろす夜景は格別である。
建物がひしめき合うこの狭い街で、様々な明かりが煌めくのは、たくさんの人が生活しているからだ。生きている証だ。輝く命がこの美しい夜景を作り上げている。
部屋を振り返る。
暗い闇に、窓から入る月の光と、眼下の街のたくさんの明かりで、少しだけ浮かび上がる姿。
横たわるその姿を見て、溜息を吐いた。
街の光はあんなにたくさん輝いているのに、どうしてこの部屋はこんなに暗いのか。実に困った。
この部屋に明かりを灯す方法を考えている。
『夜景』