ハッピーエンド
コンビニで買った酒が入ったレジ袋を提げてあいつの家に入ると、あいつの体が宙に浮いていた。
まず最初に驚いて声をあげる。
次にドッキリかなにかだろうと疑ってみる。
そしてジョークでもなんでもないと気づき、また馬鹿みたいに声を上げて取り乱して泣いて救急車か警察を呼ぶ。
【友達が首吊り自殺していた時のマニュアル】でもあればそんな手順が書いていたかもしれない。
おれは声も出なかったし、驚きもできなかった。
ただ漠然と、ああ、今日だったんだなって思った。
クラスメイトと肩を組んで笑うその顔にはいつも陰があったし、夏でも長袖のシャツを着て暑そうにしていて、それなのにプールには1度も入らず見学席で水をかけられて陰のある顔で笑っていた。
ずっとみていれば嫌でもわかる。
極めつけにはいつ家に遊びに行ってもあいつ以外誰もいない酒とタバコの臭いのする家。いつから使われていないのかも分からないキッチン。
きっとあいつもおれに隠す気なんてさらさらなかったんだろう。
だから、いつ限界が来てしまうのだろうとたまに思っていた。
でもあいつはいつもへらへらしているし、陰のある笑顔からは何を考えているのか全然感じ取れなかったから、きっとまだ当分は大丈夫なんだろうと。
まあその結果がこれだけど。
短い時間に色んなことを考えながら、身体はぼーっと突っ立って、目は宙に浮くあいつの足を見つめていた。
救急車を、と一瞬よぎったけれどもうとっくに取り返しがつく状態じゃないことくらいなんの知識もないガキのおれでもわかる。
しばらくそのまま突っ立っていると、ふと近くの机の上に白い封筒が2つ置いてあるのに気づいた。
雑なシャーペンの字で遺書と書かれたそれ。
1つは両親宛。
もう1つはおれ宛。
このまま置いておいて両親の方に見つかったら、どうせおれのとこには届かない。
自分宛のものだけ読もうとしたけど、何となくもう1つに何が書いてあるのか気になって、どっちも取り出した。
両親宛の方には、たった一言、
すいません。
とだけ書いてあった。
まあそりゃそうだろうな。あんなゴミクズ両親宛に書いてやれることなんて何一つないだろ。
そんでおれ宛の方には...
ごめん。
そうだよな。割と長く一緒に過ごしてきたしな。今まで楽しかったこととかどこいって遊んだとか、書ききれないほどあるよな...。
は?ごめんだけ?
本当に意味がわからない。遺書からも何も読み取れないのかこいつの考えは。
溜息をつきながら、あいつの顔を見た。
ただでさえ白かった顔はさらに青白くなって、外国の人形みたいだった。
最近はいつもにもましてへらへらとしていて、表情のない顔を見るのは久しぶりだ。それが死に顔だなんて笑えないけど。
色んなことを考えながら、死んだ親友の顔を眺めていると、思い出した。
中学の頃、どうでもいい話の中のひとつとして、「すいません」と「ごめんなさい」って何で使い分けるんだろうななんて話をした。
ごめんなさいって言うと子供っぽいから、中学からは謝る時はすいませんを使いましょう。なんて先生の話の後だったと思う。
ほかのやつとふざけた答えを出しながら笑ってたら、あいつが急に真面目な声で、「子供っぽいけど、ごめんなさいっていう方が本当に申し訳ないって感じがするから、本当に謝りたい時はごめんって言うかな。先生に謝る時とかはすいませんでいいけど」なんて答えた。
いつもへらへら笑ってみんなに合わせて、空気を読むことが趣味みたいなやつだったから、みんなびっくりしていたのを覚えてる。
改めてじっとあいつの顔を見つめた。
毒親宛の遺書にはすいません。
おれ宛にはごめん。
きっとこの一言が、いつも笑って空気に流されてたあいつが精一杯考えた、おれへの最後に伝えたかった言葉。
ふざけてばかなことをして、いつも先生に叱られていた。
運動はまあまあできたけど、学業は全然だめでいつも補習を受けていた。勉強しないんだから当然だけど。
へらへらしてて、みんなに合わせるばっかで自分の意見のない何を考えてるか分からないやつ。
あいつの頬に手を添えた。
みんなと笑うその笑顔にいつも陰がかかっていた。
でも、だけど。
おれといる時は、陰なんてない楽しそうな顔で笑っていた。
いつもへらへらしてるから大丈夫だなんて思ってなかった。
だけどおれさえあいつを心の底からの笑顔にできていればって思ってた。
でもそれじゃだめだったらしい。
気づいていたのに、何もしなかった。何も出来なかった。
おれもその他大勢と同じだ。親友だなんて抜かすなよ卑怯者。この顔から笑顔が消えてるのはお前のせいなんだ。
まだ大丈夫だって言い聞かせて、あいつをたすけなかった。あいつに謝らせた。
ごめん。
顔に添えていた手を下ろして、床を見つめた。ぼやけて視界に入る浮いた足。
そして、その下に置いてあるロープ。
…なんでこんな所に?と、一瞬思った。
でもすぐに理解した。おれはあいつの親友だから。
ああおれ、まだ親友なんだな。
親友でいられるんだな。
ごめんなんて言わないでいいのに。
まっててくれ、すぐにまたおまえを笑わせてみせるから。
陰のない本当の笑顔に。
ハッピーエンド!
夢が醒める前に
それは、すぐに夢だと理解できた。
転校する前の学校から、友達とおしゃべりしながら下校する。
引っ越す前のお家に帰る。
帰ったら優しいお母さんがおかえりって笑ってくれて、ランドセルを置いて着替えて、友達と遊びに行く。
遊んで帰ってきたら、お父さんが居て、みんなで笑いながら美味しい夜ご飯を食べる。
沸かされていたお風呂に入って、長い髪を乾かして、暖かい布団で寝る。
夢。
これは、わたしが歩くはずだった時間の夢。
あの時ああならなければ、こうなっていたはずだった、わたしの道。
夢を夢だと理解出来た時、夢の中で自我を持って動けるようになる。明晰夢というやつだ。
動けるようになっていてもなお、しばらく呆然とそのあるはずのない時間を眺めていた。
そしてしばらくみて、ようやく動こうと思った。
気持ちの整理が着いた気がしたから。
足を、時間の方向に進めようとした瞬間、その時、
目が覚めた。
目にうつるのは天井。
さっきみていた家とは違う天井。
ああ、覚めてしまった。
せっかく良い夢を見れたのに、チャンスだったのに。
夢の中でさえわたしは、あいつらを殺せなかった。
こっちではヒステリックに怒鳴り散らして全部子供に押し付けて働きもせず旅行に行ったりして笑っている母親も、借金をして家を売り払って母親と一緒にわたしを残して逝った父親も、首を絞め殺そうとしてきた兄も、わたしが歩けなかった時間の中で幸せそうに笑っているわたしも。
こっちで何度殺してしまうかと思って、その度持ち直して生きてきた。
夢の中でくらい、気兼ねなく殺してしまえていれば、少しは楽になったのかもしれなかったのに。
夢を夢だと理解した。その瞬間。
直ぐに思った。殺してしまおうと思った。
右手には包丁が握られていた。あとは前に進んで、それを振り下ろすだけだった。
それなのにわたしは、しばらく動けなかった。
殺せなかった。
こっちでは心の底から憎み、たしかに憎悪しているはずなのに。
あのあたたかい時間を壊せなかった。
壊したって何も変わらないのも分かっていたから。
こっちの時間の中で、死ぬ勇気すらないわたしはただ進み続けないといけないんだって、改めて絶望したから。
わたしはただ、こっちの時間を歩いていくよ。
夢から醒める前に。
太陽のような
彼女は太陽。
明るく輝いて、みんなを照らして、
人に暖かさを与えられる。
そんな太陽に惹かれた。
異常な程に眩く光って人の目を奪う。そんな太陽。
けれどもその太陽は人の身を滅ぼす太陽だった。
人に受け入れられないほどの純真、という明るさ。
人を焦がしてしまうほどの熱、暖かさ。
誰にも受け入れられなくなってしまった太陽。
でもわたしはそんなの気にしないもの。
その光度も、熱も、全部。
誰にも受け入れられなくたって、
何十年何百年何十億年かかろうと、
わたしがあなたを吸い込んで食べちゃって、
それで、ひとりにしないであげるから。
だから、だから人に愛されたいからなんて、
薄っぺらな理由であなたを捨てないで。
あなたは太陽。
太陽のような。
10年後の私から届いた手紙
拝啓、10年前のわたしへ。
お久しぶりです。というのも変ですが。
2026年2月15日、あなたは今何をしていますか。
どんな悩みを抱えて、何を楽しみにしていますか。
といっても自分の事なので聞かなくてもわかる事なのですが。
あなたは今、ちょうど10年前に─
2016年くらいかな、に戻りたいと思っていると思います。
それか4年前かな。
だってそうすれば全て元通りにできるかもしれないから。苦しみの元をすべて絶てるかもしれないから。
引っ越さなくて良くなって、
転校もしなくて良くなって、
いじめられることもなくなって、
兄に首を絞められることもなくなって、
父さんが死ぬこともなくて、
母親が彼氏を作ることもなくなって、
その彼氏に癇癪を起こされて怒鳴られることもなくて、母親が人間じゃなくなることもなくなって。
他にもいろいろあるけれど、そういうものを全部、無かったことにして、そういうものが起こらない世界で生きれるかもしれないから。
苦しくて、苦しくて、苦しくて。
辛くて、辛くて、辛くて。
悲しくて、悲しくて、悲しくて。
悔しくて、悔しくて、悔しくて。
死にたくて、死にたくて、死にたくて仕方ない。
でも怖くて死ねないから、
生きたくて、生きたくて、生きたくて仕方ない。
だけどかわいくも面白くもなくて、
なんの取り柄もなくて、人から愛されなくて、
なんで生きてるのかわからなくて。
楽しくもなんにもなくて。
ただただ死ねないから生きているだけで。
誰かの足枷にしかなれない、迷惑にしかなれないいらないものだから、死ねなくてもどうにか死んだ方がいいのかもしれないと思っているでしょう。
でも、10年後のあなた─わたしは今、楽しいです。
人と喋るのが楽しい。
働くのが楽しい。
本を読むのが楽しい。
映画を観るのが楽しい。
バドミントンをするのが楽しい。
絵を描くのが楽しい。
色んなことが楽しくて仕方なくて、生きるのが楽しくて、生きたくて仕方がないです。
あなたが生きるという選択をしてくれたから。
どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、辛くても、もうだめだと思っても、刃物を身体に突きつけそうになってしまっても、何も楽しくなくても。
それでもあなたが生きてくれたから。
最低でもあと5年、耐えないといけないでしょう。
寮付きの高校は高くて入れないし、一人暮らしなんてもってのほかだし、高校を出るまで家から逃げられないから。
多分、人生で1番長い5年間だと思います。
それでも耐えてください。生きてください。死なないでください。
その先はきっと、あなたが楽しいと思える未来だから。
耐えられなくなったら、もうだめだと思ったら、この手紙を読み返して、どうにか耐えてください。
わたしはあなたを必要としているから。
あなたには生きている価値があるから。
生きてください。
10年後のあなたより。
安心と不安
君はいつも、ほんとうは私は君を愛していないんじゃないかなんて言う。
心外だなぁと思う。
私はこんなに君を愛しているというのに。
たしかに少し言葉に出すことは苦手だけれど。
…………。
でもしょうがないじゃないか。恥ずかしいものは恥ずかしい。
いつも言葉に、態度に、私への思いを滲ませてくれる君を愛おしく思う。
そのおかげで私は不安なんて感じたこともなく、毎分毎秒君に愛されていることを自覚して安心している。
だけどきっと君は違うのだろう。
言葉にも、態度にも、あまり出さない私を見る度不安になってしまうのかもしれない。
でも、私だって何もしてないわけでもない。
私が買う本は大抵スピンが着いているけれど、君から貰ったからしおりを使っている。
私はネクタイをつけてはいなかったけれど、君から貰ったタイピンをつけるために付け始めた。
今まで辛口だったカレーは、君が甘口が好きだと言っているのを聞いてからずっと甘口で作ってる。
好きでも嫌いでもないけれど、いつ来てもいいように君が好きだと言っていたから同じアイスを常備するようにしてる。
私の趣味じゃない置物も、アクセサリーも、ストラップも、料理も、何もかも。
私の生活が、少しずつ君に傾いていて。
必要ではないのに無駄なことだってしてしまう。
君に合わない日も、毎日私のどこかに君がいる。
でもやっぱりそれで満足してくれとは言えないから、君をちゃんと安心させられるよう、君にちゃんと言えるよう、練習しておくよ。
安心と不安。