熱い鼓動
脇腹が痛い。
やられすぎてもうどこが痛いのかってのも分からなくなってるけれど、群を抜いて痛いのはここだな。
たぶん形的に一番蹴りやすいんだなきっと。
昔からずっとそうだ。
おれは嫌な知識だけがついていく。
そのせいで完全に慣れてしまって、どんなに身体が痛んでも真っ先に浮かぶのはどうやって傷を隠すかということになってしまった。
習慣というのはつくづくすごいものだなあと思う。
そんな日々の中で、生というのを実感できなくなることなんかもある。
だが伊達に何年もこんな道の上歩いてきてない。
そんな時はひゅーひゅー鳴っている呼吸を沈めて胸に手を当てる。
そうするとどくどく心臓の鼓動が伝わってきて、俺は生きてるんだなって、おれはまだ生きていけるんだって、生を実感できる。希望が生まれる。
それと同時に、ここが止まるまではまだ生きているんだなって小さな失望も出てくるけれど。
それでもおれは、救いのない日々の中で、
それでも希望を見つけないといけないから。
生きていくために。動くために。
熱い鼓動
半袖
「冬ってきらい。」
ニュースで何十年ぶりかの大寒波、
なんて言われていた中学二年の冬。
ワイシャツに学ラン一枚着たあいつが言った。
周りは勿論おれも、マフラーとか上着とかの防寒着でもこもこに膨れ上がってたのに。
何の話だ急になんて思いながら、特に話題もないので「なんで?」と返す。
おれは普段、放っておくと一生喋り続けているあいつの話に「ふーん」だの「へー」だのしか返さないから、あいつは少し驚いた顔でこっちを見た。
「なんだよ」
「お前って会話繋げたりできるんだなって」
「はー?」
「ごめんって」
正直なとこがこいつの取り柄であり短所だ。
変わったことはするもんじゃないなと考えているうちにもあいつは隣で喋り続けている。うるさいな。
そうこうしているうちにあいつと分かれる道が近づいてきて、そこでなんとなく「なんで?」に対する答えが返ってきていないことに気づいて、なんとなく「結局なんで冬がきらいなんだっけ」って聞いてみた。
「あー...」
「なんだったかな、もう忘れたわ」
「はー?記憶力よ」
「ははっじゃあまた明日」
誤魔化された感じもしたけど、そんなのどうでもいいだろと思って、あいつに手を振り返して一人の帰路に着いた。
中三の秋、あいつの葬式に参列した。
放課後校舎から飛び降りたらしい。
通夜の時に大人たちがもう冬が来ますねなんてテンプレートのような世間話をしているのを聞いて、
あの冬のことを思い出した。
学校のやつらが全員上着を着始めても頑なに半袖のシャツを着て登校してきたあいつが、珍しく学ランを着ていたこと。
あいつは死ぬほど寒がりだってこと。
あの時少し驚いた顔でこっちを見たあいつの表情に少しの焦りと期待が混ざっていたこと。
その後誤魔化すようにいつもより口数が多くなっていたこと。
あいつは頭がよくて、常に考えてて、どうでもいいようなことおれに話さなかったってこと。
あいつはすごく記憶力が良かったこと。
あいつがいつも着ていた半袖の裾から見えていたもののこと。
あいつが頑なに長袖を着なかったのは、それに気づいて助けて欲しかったからだったってこと。
半袖。
夏
蒸しかえるような暑さ。
とめどなく溢れてくる汗でベタつく肌。
ギラギラ照りつける太陽。
どこから聞こえてくるのかも分からない蝉の声。
夏ってのはいつもそうだ。
クソ暑いし汗はベタベタくそほど気持ち悪いし太陽クソ眩しいし蝉の声もくそうるせえ。
詩的に書いたところで少しもマシにはならない。
なんて馬鹿な試みだ。なんだって一年に二、三ヶ月もこんな思いで生活しなきゃなんねえんだよ。
まだ一生冬の方がマシだ。
田舎すぎて帰り道に駄菓子屋すらねえし。
見渡す限り溢れんばかりの自然じゃねえかクソ。
風流の塊かちくしょう。
八月三十一日、夏休み最終日の定番だ。
だが今の時代温暖化だのが進んで気温が上がり続けたところでクーラーだとか扇風機だとかの冷房器具が散々でてきたし、夏休みが三十一日まであるなんてどこのどの学校ならあるんだと思うほどだ。
かくいう俺の通う高校はもちろん24日で終了。
ここ四年は変わらないなんとも悲しい事実だ。
それもこれも駄菓子屋すらねぇド田舎のくせして高校にクーラーなんてのがつけられたから。
朝クソ暑い中登校して教室に入った時には給料を出してやりたいほど感謝するものの、八月のことを思い出すと消しゴムをぶん投げてやりたくなる。
そんな日を続けたが夏休みに入り、大都会東京にあるばあちゃん家に行った頃には全ての恨みが消え去っていた。それでめいっぱい楽しみ満喫し帰ってきたらまたこれだ。
クソ暑い中登下校を繰り返す。
夏なんてクソくらえだ!滅びちまえ!って。
俺のきらいな夏っていうのはそんな季節だった。
六年前の一日までは。
小学四年生の七月十七日。
学校の帰り道にある空き家に人が入った。
友達が言うにはチュウガクセイのやつがいるんだと。同い年のやつだったら遊んでやってもいいかもな、なんて考えていた矢先のことだった。
それが年上!絶対関わることはないんだろうと思った。
夏休みに入った七月二十五日の昼間。
今までが比べ物にならないほどに太陽が照っていた。
友達と遊んで、昼を食べに帰っていた途中だった。
気まぐれに少し見上げた先に、黄色い光が見えた。
太陽みたいに光って、でも太陽よりずっと綺麗で、太陽に照らされるために太陽の方を向いている。
見入っていた。
漫画とかによくある目を見開いて、瞬きもせずに見つめている嘘くさいと思っていた描写のように。
思わず見入っていたそれは、あの空き家だった家の庭に生えていた、たくさんの向日葵だった。
雑草とその近くに生えている小さな花はあるものの、実物の向日葵を、それも規格外の大きさのものなんて見たことがないものだから、それはそれは珍しくて目を見開いて見つめていた。
その目を瞬かせたのは飛び込んできた水だった。
「うわっ」
思わず声を上げて、飛んできた水の先を振り返ると誰かがいた。
「目が焼けそうだったから冷やしてやったぞ」
そう言い放った背の高いやつを、俺はすぐにこの空き家に越してきた中学生だと察した。
顔の特徴とか、どんな服を着てたかだとか、そんなのは覚えていない。けれどその後その中学生とした会話が今までにしたどんなことより面白かったのだけは覚えている。
いや、仕方がないだろう六年も前でしかも小学生だったんだから。小説の主人公じゃあるまいし。
それからたまに世間話をした中学生の子は、その夏の終わりに引っ越して行った。びっくりするほど短いと驚いたが、そいつにしてみれば良くあることなんだと、
……言っていた気が、しなくも、ない……
人が消えた家はがらんとしていたけれど、あの向日葵は今でもまだ残っている。
近所のおばちゃんが水をやっているんだと。
夏じゃないと見られないわけじゃないけど、俺の出会った時のあの花は夏にしか居ない。
ライトノベルの様に引っ越してきてすぐ消えていったあの子の記憶がくっきりと残っていたりはしないけれど、夏になるとあの花がまた見える。
そこだけで、それだけで、俺の1番好きな季節だ。
夏
隠された真実
あの子が、意地悪する人はきらいと言った。
ひとつめ
あの子が騒がしい人はきらいと言った。
ふたつめ
あの子が頭が良くない人はきらいと言った。
みっつめ
あの子が運動できない人はきらいと言った。
よっつめ
あの子が人と仲良く出来ない人はきらいと言った。
いつつめ
あの子が、あの子が、あの子が。
むっつめ、ななつめ、やっつめ。
あの子のきらいな人になりたくない。
だから僕は全部隠す。
あの子が私を幸せにしてくれない人はきらいと言った。あの子が私を愛せない人はきらいと言った。
あの子が、あの子が、あの子が。
あの子がそう、言った。
あの子のきらいな人にはなりたくない。
だから、とっくに数えられなくなった隠し事の数。
俺も君も、一生気づかなくていい。なんにも。
見えなくなった僕のことも。
隠された真実
願い事
消して、消して消して消して消して
消して消して消して、
酷く感情が昂った時、
どうにもできないことになった時、
頭の中でずっと唱える
どうにかして、助けて、気づいて、
声に出さないと、声をあげないとどうにかしてもらえることも助けてもらえることも気づいてもらえることもないのに
なにかに願うようにずっと、ずっとずっと。
頭の中で飽和している願い事が叶ったことは一度もないのに
願い事の対象はいつだって人だ。ものじゃない
これだと主語が大きく思えるかな、あくまで私はそうだと言える。
現代社会の中で未成年が苦しみ、自ら命を絶つまで思い詰める理由の多くを占めているだろう。
頭の中で飽和されるそれの対象が自然だの宇宙だのだとしたらなかなか自らが叶えられるような範疇には留まらないが、大多数の人間のそれの対象は人。
多少なりとも自らの手でどうにか手を加えて行動できる余地があることも、全くそんなものはなく自分以外に手を伸ばされないとどうにもできないこともある。
前者はともかく後者は助けを乞い差し伸べてもらうために手を伸ばすことから始まる。無論気づいては貰えなかったなんて事が多いのも事実だろうけれど。
それでも結局願い事なんて言うのは眉唾で自分で行動しないと叶わないものだ。
助けて欲しくて、
気づいて欲しくて、
どうにかして欲しくて、
だったら声をあげて辛いですって手を挙げなきゃいけない。最後は全部自分が動かなきゃどうにもしてはくれないってことだ。
そんなことは分かっているけど、
分かっていても、追い詰められた時、
今の世界に存在する言葉では到底言い表すことが出来ないほどの思いが生まれた時、大きくなった時、開いた口からは声が出なくて、
あげようとした手は震えて、降ろされて、
そんな時、願わずにはいられないから。
今日も僕は頭の中で、願い事を飽和させる。
願い事