私は寝る前、毎日していることがある。物心ついた頃からの習慣。
ベッドに入った私は枕元の間接照明だけを照らした寝室の中、慣れた手付きで目の前の何も無い空間に電子パネルを浮かび上がらせる。電子パネルの背景は無色透明で、一見すると突然文字だけが空間に現れたかのよう。一昔前の人類にはなかった技術だそうだが、今を生きる私にとってこれはあって当然のもので、これが無ければ少なからず生活に支障をきたすのでは? と思えるほどにライフワークと直結している。それは私だけに限らず、今を生きる人類ほぼ全てに対して言えることだろう。なんせ、これ一つで何でも出来る時代だ。買い物も、勉強も、仕事も、食事の手配も。娯楽だって、このパネルがあれば十分過ぎるほどに事足りる。
私はパネルに指を滑らせ、「書籍」の項目を選択し、続けてお気に入り登録の一覧を開く。ズラリと、私が今まで生きてきた中で一度でも「読む」という行為に着手し、その中でも特に気に入った作品のタイトルが並んでいる。新しく話が追加された作品は「NEW」というマークと共に一覧の上部に自動的に移動するシステムとなっており、今日は三件の新着作品が最上部から順に並んでいる。その中の一つを選び、私は電子の仮想空間の中に置かれた本を開いた。これまた自動的に前回読んだ最後のページが開き、その先に新たな文字列が整然と並んでいた。続きの段落から、私は静かに目を通していく。
······昔は職業として「作家」「小説家」「児童作家」「漫画家」など、物語を執筆、描画などをし、他者へ提供をする者達が存在していたらしい。それは当時の人類にとっても娯楽の一つであったらしく、人気作と呼べるようなものを生み出し発表することが出来ればある程度の地位を確立出来ていたと聞く。
しかし、そんな彼らに対し、世の人々は次第に何とも傲慢な感想を抱くようになる。それは、「終わってしまうのが寂しい」というものだったそうだ。
かつて、それらの職業に就き物語を提供していた者達の間には、「いつか終わること」を前提として話を考え、構成し、当初の予定通りいったかどうかはさておいて、きっちりと物語を「完結」させることが良しとされる風潮にあったそうだ。作者が亡くなったり、色々な理由で続きを書けなくなった際には「未完」として処理され、書き手の居なくなった物語はそれ以上続きが綴られることはなかったそうだが、そういった特例を除けばどの作品も様々な展開を経て終わりを迎え、「完結」となっていたそうだ。
それがいつからか、世論が徐々に変化していった。人々は彼らに、「終わらない物語」を求め始めたのである。しかし、書き手達は反対した。人間に寿命というものがある限り、書き手達は皆いつか死ぬ運命に置かれている。書き手が死ねば、必然的に物語はそこで終わってしまい、しかも「未完」の扱いを受けてしまうのだ。「未完」の作品を世に残すことを、彼らのプライドは許さなかったそうだ。
そうして起きた様々な論争の果て······時の政府はある決断を下した。当時急激な勢いで上昇傾向にあったAI技術を駆使し、国民が求める「終わらない物語」を書かせることにしたのだ。メンテナンスさえ怠らなければAIには寿命などないし、人間と同程度の語学力や知識、想像力などをオプションとして備えることが可能であった。こうして、世界の「書き手」は消滅し、その座はAI群が取って代わることとなった。
そのような経緯で現在、小説、エッセイ、児童書、漫画に至るまで、かつて「本」だったあらゆるものがAIにより不死性を与えられた。好きな作品が、読めども読めども新たな展開を迎え、それを乗り越え、そしてまた新たな展開へ発展し······といった具合に、いつまでも終わりを迎えることなく続いていく。それはとても嬉しいことだし、幸せなことだ。今私が読み耽っている作品も、現在のページ数などもはやわからないし、そもそも「何ページ」という概念そのものが消えつつあった。永遠に終わらず続いていくのだから、そんなものにページ数を記録する意味などないのでは? という論調が最近では主流となってきているのだ。ちなみに私としては、それに関しては完全なる中立の立場だ。あってもいいし、なくてもいい。言ってしまえば「どうでもいい」。生憎、そんなどうでもいいことに関心など微塵もない。
そんなことよりも、最近私が密かに恐れていることの方がよほど問題だと思うのだ。私はこれに気が付いた時、えも言われぬ焦燥感に駆られた。
物語が永遠に続いていくのはよいことだ。好きなものが自分の手から離れてしまうのは誰だって寂しいし嫌だと思うだろう。私だってそう考え、生きてきた。しかし齢も四十を超えた今、物語の永続性だけでは人類の本当の幸せには一歩届いていないという事実に気付いてしまった。それは、完璧とも思えたこのシステムの唯一の欠陥とも言えた。
人類には寿命がある。然るべき時が来たら、然るべき方法で命が失われる。それが果たしていつになるのか、それは誰にも、AIにすらわからない。
例えば。例えば私が今日、この話の続きを全て読み終わってから眠りに就き、明日の朝にはとっくに体が冷たくなってしまっていたとしよう。そう、この場合私は寿命を迎えたわけだ。だが、私が愛読していた物語は、私の死があろうがなかろうが関係なく、またいつも通りに続きを綴っていく。それを、死んでしまった私はもう読むことが出来ない。次の展開に心を踊らせながら眠り、続きはちゃんと更新されるのに、死を迎えた私はもう、その物語を読む資格を取り上げられてしまうのだ。いつか来るその時が、既に怖くて怖くて堪らない。
「終わらない物語」は作れても、「終わらない生命」を作るための技術力には未だ全然到達には至っていない、というのが、残念なことではあるが今この時代におけるリアルな現状だ。
昔の人類が愛した「終わりのある物語」は、現在では影も形もなくなってしまった“失われた文化”だと思っていたけれど。まだ一つ、残っていた。とんでもなく身近な場所に、常に潜んでいた。いつだって私達を、見つめていた。
人類の“人生”と言う名の“物語”が永遠に紡がれ続ける世界は、一体いつになれば訪れるというのだろうか。
◇◇◇◇◇◇
実は十代の頃、星新一先生の作品を数冊ほど読み、心惹かれていた時期がありました。(父親の本棚にあったのを拝借した)
そんなことを思い出したので、ほんの少し星先生リスペクトな雰囲気で書かせて頂きました。全然リスペクト出来てなかったらすみません······。
高校一年生の時、好きな子が出来た。ずっと「可愛いな」と思いながら目で追ってしまいつつも、自分から話しかけたりなんて出来ずにいた。だけど二学期に入った直後の席替えで、なんと彼女の隣の席になれたのだ。彼女は話し上手かつ聞き上手で、その上に褒め上手。口下手な僕にも自主的に話し掛けてくれて、生物──特に人体に関する知識──を授業中にこっそり教えてあげたら、彼女は俺の話にただでさえくりくりとした目を更に丸くして、「すごいね、物知りなんだね!」と、小動物みたいな小さな掌をパチパチ叩いて笑ってくれた。
次第に彼女からの視線を時折感じるようになりだし、振り向いた先で彼女が慌てたように不自然に視線を逸らし歩いて去っていく姿はとても愛嬌に溢れていた。ああ、可愛い。そんなに照れなくたっていいのに。本当に可愛い。そんな気持ちを抑えることが徐々に難しくなっていき、多分、彼女に僕の好意はダダ漏れだったのではないかと思う。お互い言葉にこそしなかったものの、僕たちの心は通じ合っていた。両思いって、こんなにも照れ臭くて、心臓がドクドク煩くて、脳みそが幸せに塗れて痺れるものなんだ。初めての恋は僕に色々な感情を運んでくれて、大人の階段を一段だけ登れたような気がして、僕はだれかれ構わずに大声で自慢して回りたい気分になったりもした。でもこれは二人だけの秘密。僕らは秘密の関係なのだ。そう考えることで、何とかそのような奇行に走ることは避けられた。毎日が幸せで幸せでたまらなかった。
なのに······運命は残酷だった。ある朝、担任の先生が教室中を見回し、淡々と告げた。彼女が、両親の仕事の都合で引っ越すことになったと。皆と一緒に授業を受けることが出来るのは今週いっぱいだと。僕の頭は、真っ白になった。
彼女は、前みたいに僕に話し掛けて来なくなった。僕も、何を言えばいいのかわからなくて話し掛けることが出来なかった。だって、こんな状況で彼女になんて声を掛けたらいい? 何を言っても傷付けるだけな気がして、それなのに我慢していつものように笑う姿が鮮明に想像出来て······歯痒い気持ちを抱えたまま時は刻々と過ぎていき、遂に彼女の最後の登校日が来てしまった。
友達の多い彼女なので、最後のホームルームが終わるとクラスメイト達にワッと群がられていた。違うクラスからも彼女との別れを惜しむ友人達がたくさん来ていた。「また遊ぼうね」だとか「こっちに来ることがあれば連絡してね」だとか言いながら、女友達連中はギューッと彼女のことを抱き締めていた。男友達連中は「向こうでも元気でな」など、あくまでも短い挨拶に留める奴らが多かったが、皆揃って悲しげな、切なげな空気を醸し出していた気がする。もしかしたらあの中の何人かは、彼女に想いを寄せているような奴も居たのかもしれない。ああ、可哀想に。その光景を教室の外から眺めながら、他人事のように哀れんだ。だって事実、僕にとっては他人事だ。なんせ、僕らの想いは通じ合っていたのだから。あんなにも人気者な彼女は、人よりちょっと人体について詳しいだけの、こんな面白みも何もない僕なんて男を選んでくれたのだ。その点に関してだけは、彼らを見下すに値する十分な理由があった······と、誰にともなく言い訳じみたことを考えていた。そうして僕は静かに、未だに喧騒に包まれ続ける教室前から立ち去った。
「ねえ」
友人達から解放され、一度職員室に寄ったあと、彼女は漸く下駄箱が立ち並ぶ校舎の入り口へと一人でやってきた。下駄箱の陰にずっと潜んでいた僕は、彼女の姿を確認すると同時に彼女の側へ寄り、勇気を振り絞って話し掛けた。気まずいままお別れだなんて、それだけは絶対に嫌だったんだ。
僕が姿を現すと彼女は相当ビックリしたようで、思わず、といった感じで二、三歩ほど後ろに後退し僕から距離を取る。「ビックリした······」と、胸に手を当て深い息を吐く姿すらも愛らしい。
「僕ら······また、会える?」
僕の問いに彼女は瞠目し、唇をキュッと引き結んだ。ああ、これは聞いちゃいけなかっただろうか。彼女のことを傷付けたいわけじゃないのに。ただ、僕の大好きなあの笑顔を見たいだけなのに。こういう時、口下手な自分に嫌気がさす。
俯きながらそんな反省をしつつ、僕は彼女の言葉を待った。体中に突き刺さる沈黙が痛い。今まで彼女としてきた会話が走馬灯のように流れては消えていく。彼女は話し上手だったから。だから、彼女との間にこんな居た堪れないような沈黙が流れるのは初めてだった。それぐらい、彼女にとって答えにくい、もしくは言いたくない質問を投げ掛けてしまったのかもしれない。今からでも前言撤回をするべきだろうか、なんて考えていたら、それまで沈痛な面持ちで黙っていた彼女が······笑った。
「うん!」
いつも見ていた、太陽みたいに明るい笑顔。目を細めて目尻を下げる子犬みたいな、庇護欲に駆り立てられる愛くるしい笑顔。それが見たかった。それをもう一度見たかった、はずなのに。
「こっちにお爺ちゃんお婆ちゃん住んでるし、また帰ってくるからさ! だから、心配しなくてもだいじょーぶだよ!」
そこまで言うと彼女は靴を履き替え、トントン、とローファーの爪先を何回か床に打ち付けて。
「じゃあ、またね!」
笑いながら手を振り、僕の横を走ってすり抜け、そのまま振り返ることもなく駆けてゆき······そして、僕の視界から姿を消した。僕の前から、呆気なく居なくなってしまった。
残された僕は······下駄箱に背中を預け、ズルズルとその場に座り込む。
「······何で嘘、ついたんだよ······」
頭を両手で抱えながら、思わず口をついて出た言葉。そう、僕は先程の会話から、彼女の“嘘”を見抜いていた。だって、笑顔のはずの彼女の瞳は······ほんの僅かだが、水分で揺らいでいるように見えたから。
······察するに。彼女は何らかの事情で、二度とこの地に帰ってこれないことを知っていた。だから他の奴ら含め、僕とはこれが永遠の別れになるとわかっていた。でも、その残酷な現実を彼女は僕に伝えることが出来なかった。口にしてしまったら、本当にそんな未来が確定してしまう気がして。それゆえに彼女は、「また帰ってくる」と嘘をついたのだろう。自分の心と、そして僕の心を守るために。二度と消えないような傷を付けたりなどしないように。何処までも優しい彼女が口にした“優しい嘘”が、その気遣いが、僕には逆に痛かった。そんなことを彼女に言わせてしまった自分の軽率さを呪った。
この“優しい嘘”を鵜呑みにした振りをして、いつまでもこの地で彼女の帰りを待つことは簡単だ。甘い幻想に浸って、一生そんな日など来ないという事実から目を背けて、思い出の中の彼女と永遠に生きる。嘘をつかざるをえなかった彼女の心情、決意や覚悟を慮り尊重するのならば、このまま騙された振りを続けることこそが彼女のためになるのかもしれない。
しかし僕は、どうしても······どうしても、諦めきれなかった。“彼女”という存在を、諦めることが出来なかった。だから。だから──。
「やあ、久しぶり。僕のこと、覚えてくれてるかな?」
あれから何年もの月日が流れ。僕はもうすぐ大学を卒業するような年齢になっていた。
大学生になるまでの間はとにかく大変だった。あまりにも調べ物が多すぎて。それでも、自分の将来に関わることだ。投げ出すわけにはいかなかった。
大学在学中もそれはそれで大変だった。相変わらず調べ物が膨大な量、存在していた。しかしやはり、投げ出すことなど出来なかった。もう少し。あと少し。そう自分を叱咤激励し、諦めることなく頑張り続けた。
そして、遂に今日。僕の頑張りは神様に認められたのだ。
「な、ッなんで······どうして······」
一人暮らしをしている部屋の玄関を開けた彼女は、あまりのことに動揺してしまったのか足から力が抜けてしまったようで、その場にペタンと尻餅をついた。そうだよね、ビックリしたよね。ドアを開けたら突然僕が居るんだもの。でも、どうしてもサプライズにしておきたかったんだ。だって、その方が君も嬉しいでしょ?
「ずっと、ずっと、ずーーーーーーっと探してた。やっと見つけた。やっぱり僕ら、運命の赤い糸で繋がってるんだ」
「ぃや······やだ······」
「どうしたの? 怯えることなんてないよ。だって僕、全然怒ってなんていないよ?」
ゆっくりと玄関に足を踏み入れ、後ろ手で扉と鍵を閉める。ガチャリ、と鳴ったのは、チェックメイトを告げるもの。
「君が嘘をついたことも、いつも僕に怯えていたことも、なんにも怒ってない。僕から逃げたことだって、全然、ぜ〜〜んぜん、怒ってないよ? だって僕、君のことが大好きだから」
「お、願······こ、来ないで······」
「だからさ、ほら、怖がらないでよ。久しぶりの再会をさ、二人でお祝いしよう。僕、色々と用意してきたから」
「ごめんな、さ······ご、めッ······ごめんッなさい······ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい······」
「それじゃあ、二人の再会を祝して!」
僕は鞄の中から密かに取りだしそぅっと背中に隠し続けていたサバイバルナイフを構え、愛しい彼女に突き立てた。
僕のついた“優しい嘘”も、君には気付かれちゃってたのかな? ずっと怯えて······ああ、可哀想に。
何度も何度もナイフを振り上げ、振り下ろしながら、やはり僕は他人事のようにそう思った。だって他人事だもん。ね?
瞳の裏側、黒色の世界。
とめどなく流れる、今日に至るまでの軌跡。
みんな、私を笑っていた。嗤っていた。
「をおおお」とその嘲笑が集まり、渦を巻き、台風のような暴風となって私の体を、心を、痛めつけた。
とても、とても、残酷な災害。私だけを的確に襲う、逃れる術などない自然災害のようなものだった。
人生とはかくも恐ろしいもの。悍ましいもの。私はもう二度と、人間になんてなりたくない。
天を仰ぎ、真っ青な空に向かって呟き、一歩を踏み出し飛び降りた。「さようなら」
◇◇◇◇◇◇
頭文字縦読みシリーズ第二弾。
一番困ったのは、「を」。
あと、本編が短かったので追記をば。本当にいつもいつも反応を頂いていて有り難い限りです。これからも定期的に言いそうですが、改めてお礼を言わせて下さい。私の拙い作品を読んで下さった方々、もっと見たいと反応を下さった方々、本当にどうも有難うございます。
結構な数を書いてきているので、いつかぴくしぶ辺りにガーッとまとめ的な感じで投稿しておきたい願望。
生憎と、キザったらしい言動は板に着かない。歯が浮くような台詞も何も用意していないし、候補すら浮かばない。ロマンティックな演出に凝ることも出来ない。これで元・演劇部員だなんて、自分でも失笑してしまう。これに関しては、一つだけ言わせて頂きたい。“舞台上”と“リアル”は違うのだ。連続ドラマと現実に差異があるように。小説の内容と己を取り巻く環境が違うように。
演劇部に入った理由は「何となく」だった。強いて言うなら、大道具や小道具の製作が楽しそうだなぁ、ぐらい。それなのに、気付いた時にはあれよあれよと演者側に回されていた。芝居なんてしたこともなければ、舞台に立った経験だって文化祭の合唱コンクールぐらいのものだった。
そんな俺に到底、演者なんて務まるわけがない──そう何度も訴え続けていたのに、当時の部長······光道心(こうどうこころ)先輩は、どんな根拠か、胸を張って断言するのだ。
「君なら出来る! あの舞台の上で、自分とは違う別の人間の人生を、輝かしく描くことが出来る!」
······本当に、俺の何を見て、何処を見てその確信に至ったのか。当時のことを聞いてみても「直感」としか言われないので、もはや聞くことすらも諦めたわけなのだが。
しかし、部長の見る目······訂正。直感は、まさにドンピシャで当たっていたことになる。練習を重ねていくうちに、役になりきる感覚というのが徐々に理解出来てきた。そうすると、台本に書いていない些細な部分──この人物はこういう時どんな表情をするんだろう、きっとこんな心境で、もしかしたらこんな癖があって、などなど──までどんどん表現したくなっていった。その役を、別の人間の人生を、考えて、想像して。その全てを台詞や身振り手振りで伝えることに、やり甲斐を感じてしまうようになった。
そうして俺はいつしか「演劇部のエース」と呼ばれるようになり、最終的には部長という立場にも就くこととなった。
精力的に活動している部活だったので、校内での出し物以外にも、例えば地域の団体から声を掛けてもらったらボランティアとして劇を披露することもあったし、学生コンクールなんかにも参加したり、本当に充実した高校生活だったと思う。そしてそんな場には、いつだってお客さんとして心先輩が居た。OGとして、たまに部活へ顔を出し差し入れをくれる時などもあった。なので、先輩が卒業した後に入ってきた後輩達からも彼女はとても慕われていた。
······今にして思えば、同期含め真実を話していなかったことに少し申し訳なさを覚える。でも、どうにも照れ臭くて報告なんて出来たもんじゃなかったし。彼女も彼女で普段から天真爛漫なタイプだから、隠すのがとても上手くて。結局今に至るまで、俺達のことを知っている部員はついぞ現れなかった······と、思う。まぁ、もう少ししたらグループLINEがその話題で持ちきりになることは目に見えているので、その時になってから皆には盛大に驚いてもらおうと思う。どんな苦情も罵詈雑言も祝いの言葉も受け入れる所存だ。
「なぁに? なんか一人で楽しそうな表情してる」
ある有名な劇団の舞台を観終わった、その帰り道。自販機で買った飲み物を飲みながら、夜の街が電光で夜空の星のように輝いている様を二人並んで見ていた所に、ツッコミの声が飛んでくる。
「いや、別に。ただ、ちょっと高校の頃のこと思い出してた」
「高校ね〜! 日昏(ひぐれ)くんとは一年しか被ってなかったけど、でもその最後の一年がめーーーっちゃ楽しかったなぁー!」
「俺のこと、無理矢理裏方から演者に引きずり出したことまだ許してないから」
「いやいや! それむしろ感謝してほしいぐらいなんだけど! いち早く日昏くんの才能に気付いた優秀な元部長だよ〜? ほらほら、褒めて褒めて!」
「失敗して俺が舞台上で大恥かいたらどうするつもりだったんですかー。どう責任取るつもりだったんですかー」
「日昏くんが失敗なんてするわけない! って、練習風景見てる時から確信してたからね、私は! そんな“もしも”も“たられば”もありませぇーん!」
ケラケラ笑う彼女──心を見遣り、少しだけ、ほんの少しだけ、「俺ではない誰か」に擬態をする。
「······“もしも”も“たられば”もないってことは、俺達がこうなるのも必然だったってこと?」
一瞬だけ途切れる笑い声。心の顔を覗き込めば、耳まで真っ赤に染まりきった顔で硬直していた。
「······ねぇ? 心せーんぱい?」
「あ、アッハハハッアハッ! もう! 日昏くんはそうやってすーぐ年上を揶揄って遊んで〜!」
心は俺の背中をバシバシと叩きながら笑う。明らかにこの場の雰囲気に呑まれないようにするための空元気だとわかったが、とりあえず放っておくことにした。そして、心はひとしきり笑い終えた後。
「······わ、私が赤面症なの、知ってるでしょ······日昏くんの、バカ」
無意味に前髪を弄り、視線を逸らしながら、恥ずかしそうに口を尖らせた。
俺の胸に、愛しさという名の花がブワァッと一気に咲き誇る。知ってる。全部知ってるんだ。ほんの些細なことですぐ顔が真っ赤になってしまうこと。そのせいで部活動では演者になど到底なれなかったこと。それでも確かな観察眼と適切な指摘、客観的なアドバイスなどによって部長にまで上り詰めたこと。何の取り柄もない、ただの平凡な男だと思っていた俺に所謂一目惚れをして、同時にその経験則で俺の中で僅かに光る才能を感じ取り、演者に猛プッシュしたこと。卒業後も、外から演劇部を応援し続けてくれたこと。ずっと、ずっと、俺に温かな感情を分け与え続けてくれたこと。全部、全部、知ってるよ。もう何年一緒に居ると思ってるんだか。
「うん、知ってる。知ってるから、過去最大級に顔面真っ赤にさせてやる」
「へ? はぁ? 過去最大級って何事? ちょっと、こわいんですけどー!?」
こわい! やだ! と喚く心を無視して、鞄の中から綺麗にラッピングされた小さな四角い包みを取り出す。
「はい、これあげる」
そう言い、半ば無理矢理心にそれを持たせ、「開けてみ?」という意を込めて顎でそれを指し示す。
「え? ······え?」
戸惑いながらも、心はゆっくりラッピングを外していき······そうして現れた手のひらサイズのリングケースを見た心は。
「〜〜ッひぐれくぅん······!」
赤面するより先に、涙腺がやられてしまったらしい。手のひらにリングケースをちょこんと置いたまま、俺の顔を見るなりボロボロと泣き出した。
「あーーーーもう、何泣いてんの」
「だってッ······だってぇ〜······!」
「だってもクソもないでしょ」
「クソなんて言ってないぃぃ〜······!」
泣き止まない彼女を見かねて、一瞬リングケースを彼女の手から拝借し、蓋を開けた状態にして、彼女が中身を見やすい角度で再びその手のひらへとケースを戻す。中には、小さな粒みたいな宝石が一つだけ煌めきを放つ、シンプルな造りの指輪。
「これ。今までの······えー······何年だっけ?」
「七年んん〜〜!」
「そうそう。七年分の感謝の気持ちと、この先の時間全部に対してよろしくねって、そういうアレ」
「アレってなんだよぉ〜〜! そこまで言ったんならもう潔く言えよぉ〜〜!!」
泣きながら野次を飛ばしてくる心に苦笑いを一つ向けて······誰でもない“俺”として、言葉を贈った。
「結婚して下さい」
泣きながら、しかし満面の笑みで照れ臭そうに微笑む彼女は、この世の誰よりも愛らしかった。
※天体観測部の二人の話。その後。
なんかだいぶベーコンレタスっぽくなってきてしまった気がするので、苦手な方はご注意ください。
「部長って進路どうするんすか」
夏休みが終わり、残暑が続きつつもほんの少しずつ秋の訪れを感じられるようになった今日この頃。
部員達が帰ったあと、机に座り部誌を書いている俺を特に頼んでもいないのに待ち続け、前の座席を引っ張ってきてそこに後ろ向きで跨り、肘をつき、何が楽しいのやら鼻歌を歌っている部長へ、俺は特に深い理由もなく雑に問い掛けた。
「え、進路〜? まぁ、大体決まってるかなぁ〜?」
「そりゃ安心しました」
「ちょっと、ゆーやくーん? もう二学期だよ〜? 流石の俺でもそんな大事なこと、なぁなぁにするわけないじゃ〜ん!」
「部長だったら有り得るかと思って」
「も〜〜! 相変わらず酷いんだぁ、ゆーやくんは〜!」
癇癪を起こした子供のように長い手足をバタバタと出鱈目に動かす部長が邪魔臭いので、机と椅子ごと若干後ろへ移動した。
「あと〜! “部長”じゃなくて“先輩”!」
「部室なんで」
「なんでぇ〜!? もう誰も居ないよ〜!? 俺のこと部長呼びしなくても誰も聞いてないよ〜!?」
「部活中なんで」
適当に部長の文句をやり過ごしつつ、再び部誌に手を付けながら会話の軌道修正を試みる。
「ま、多分ふつーに大学進学っすよね?」
「ん、そうだね〜」
「希望する学部とか学科とか、その辺までもう決めてます?」
「お? おお〜? なになに、ゆーやくん、珍しく俺に対して興味津々じゃ〜ん? えー、嬉しい〜〜〜」
「来年に向けての参考資料です」
「俺、資料なの〜!?」
泣き真似をする先輩(可愛くない)を一瞥し、俺は視線を窓の外へと向ける。日が傾きだし、空は眩しいオレンジ色に輝いている。
「······だって、同じ部活で、同じ趣味持ってる人がどんな進路選ぶのか、気になるじゃないすか」
······あと半年もすれば。この部室からこの人の姿はなくなる。順当に考えれば、その後この人の持つ“部長”というポジションの跡を継ぐのは副部長の俺だろう。今いる後輩、そして新しく入ってくるであろう新一年生に、格好悪いところなんて見せたくないと思うし。やっぱり、「部長って凄い!」と尊敬されるような存在になりたい。俺が、この人に抱いたものと同じような感情を、俺もいつか誰かから向けられたい。「この人みたいになりたい」と、道に迷った時に取り出したコンパスや羅針盤のように、誰かのための指針となれるなら。それだけで、きっと俺は頑張れる。そのためにも、ちゃんとした未来像を思い描きその姿を目標に日々邁進することってとても大事なことだと思うわけだ。俺は誰かさんと違ってふにゃふにゃじゃないので。
「例えばだけど」
そのふにゃふにゃした当人であるところの部長は······望先輩は、たまに見せるようになった射抜くような真剣な眼差しで、俺の顔を真っ直ぐ直視する。ヒュッ、と何故か息が詰まった。
「俺が、この大学のこの学部にするよ〜。······って、事細かに教えたら······ゆーやくんは、俺を追ってきてくれるの?」
「······え、っと······」
一体何を聞かれているのか理解が追いつかず、言葉に詰まる。追いかける? 俺が? 望先輩を? どうして? 何のために?
「お、れは······」
進路なんて人それぞれで、己の将来のことを考えた上でどうするのか決めるべきものであって、決して他の誰かに決定権を委ねていいようなものではない。だが、俺は······先輩に問われたことで、少し。本当に、ほんの少しだけ、考えてしまった。もし仮に、この人を追いかけるために己の進路を決めるのだとしたら、その理由はきっと──。
「······まだまだ、望先輩と一緒に天体観測、したいっす」
俺の発した言葉は、望先輩からしてみれば的を射ない返答であったことは間違いない。だが先輩は、俺のその言葉を聞いて······へにゃり、と笑った。
「俺はね、星のかけらを観るのが好きなだけで、別に天文学自体には一ミリも興味ないのね? そもそも、俺の学力じゃ受かんないと思うし。だから、無難に経済学部辺りを受験しよっかなって考えてる」
「······」
「けど」
先輩は前方に体重を掛け、椅子の脚を半分浮かせたかと思うと俺の机に両腕を組んで置き、ズイッと顔を近付け言った。
「そこね? ······天体観測サークル、あるんだよね〜」
まるで内緒話でもするかのように、片手を口元に添えて、先輩はふわふわ、ふにゃふにゃ、笑っていた。
自分の人生の大事な分岐点。自分自身で考えて決断しなくちゃいけないことは十分わかっている。······わかっては、いるが。
「······へぇ。いい情報を有難うございます、部長。いい参考資料になりました。それで、」
今度は俺が、片方だけ吊り上げた口元に片手を添えてひそひそ話を仕掛ける。
「そこ、なんて名前の大学ですか?」
誰かの“羅針盤”になりたい俺の“羅針盤”は、こんなにもすぐ近くに居たのだと気付かされた──そんな夏の終わりと秋の始まりの間の出来事。