アシロ

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 生憎と、キザったらしい言動は板に着かない。歯が浮くような台詞も何も用意していないし、候補すら浮かばない。ロマンティックな演出に凝ることも出来ない。これで元・演劇部員だなんて、自分でも失笑してしまう。これに関しては、一つだけ言わせて頂きたい。“舞台上”と“リアル”は違うのだ。連続ドラマと現実に差異があるように。小説の内容と己を取り巻く環境が違うように。
 演劇部に入った理由は「何となく」だった。強いて言うなら、大道具や小道具の製作が楽しそうだなぁ、ぐらい。それなのに、気付いた時にはあれよあれよと演者側に回されていた。芝居なんてしたこともなければ、舞台に立った経験だって文化祭の合唱コンクールぐらいのものだった。
 そんな俺に到底、演者なんて務まるわけがない──そう何度も訴え続けていたのに、当時の部長······光道心(こうどうこころ)先輩は、どんな根拠か、胸を張って断言するのだ。
「君なら出来る! あの舞台の上で、自分とは違う別の人間の人生を、輝かしく描くことが出来る!」
 ······本当に、俺の何を見て、何処を見てその確信に至ったのか。当時のことを聞いてみても「直感」としか言われないので、もはや聞くことすらも諦めたわけなのだが。
 しかし、部長の見る目······訂正。直感は、まさにドンピシャで当たっていたことになる。練習を重ねていくうちに、役になりきる感覚というのが徐々に理解出来てきた。そうすると、台本に書いていない些細な部分──この人物はこういう時どんな表情をするんだろう、きっとこんな心境で、もしかしたらこんな癖があって、などなど──までどんどん表現したくなっていった。その役を、別の人間の人生を、考えて、想像して。その全てを台詞や身振り手振りで伝えることに、やり甲斐を感じてしまうようになった。
 そうして俺はいつしか「演劇部のエース」と呼ばれるようになり、最終的には部長という立場にも就くこととなった。
 精力的に活動している部活だったので、校内での出し物以外にも、例えば地域の団体から声を掛けてもらったらボランティアとして劇を披露することもあったし、学生コンクールなんかにも参加したり、本当に充実した高校生活だったと思う。そしてそんな場には、いつだってお客さんとして心先輩が居た。OGとして、たまに部活へ顔を出し差し入れをくれる時などもあった。なので、先輩が卒業した後に入ってきた後輩達からも彼女はとても慕われていた。
 ······今にして思えば、同期含め真実を話していなかったことに少し申し訳なさを覚える。でも、どうにも照れ臭くて報告なんて出来たもんじゃなかったし。彼女も彼女で普段から天真爛漫なタイプだから、隠すのがとても上手くて。結局今に至るまで、俺達のことを知っている部員はついぞ現れなかった······と、思う。まぁ、もう少ししたらグループLINEがその話題で持ちきりになることは目に見えているので、その時になってから皆には盛大に驚いてもらおうと思う。どんな苦情も罵詈雑言も祝いの言葉も受け入れる所存だ。
「なぁに? なんか一人で楽しそうな表情してる」
 ある有名な劇団の舞台を観終わった、その帰り道。自販機で買った飲み物を飲みながら、夜の街が電光で夜空の星のように輝いている様を二人並んで見ていた所に、ツッコミの声が飛んでくる。
「いや、別に。ただ、ちょっと高校の頃のこと思い出してた」
「高校ね〜! 日昏(ひぐれ)くんとは一年しか被ってなかったけど、でもその最後の一年がめーーーっちゃ楽しかったなぁー!」
「俺のこと、無理矢理裏方から演者に引きずり出したことまだ許してないから」
「いやいや! それむしろ感謝してほしいぐらいなんだけど! いち早く日昏くんの才能に気付いた優秀な元部長だよ〜? ほらほら、褒めて褒めて!」
「失敗して俺が舞台上で大恥かいたらどうするつもりだったんですかー。どう責任取るつもりだったんですかー」
「日昏くんが失敗なんてするわけない! って、練習風景見てる時から確信してたからね、私は! そんな“もしも”も“たられば”もありませぇーん!」
 ケラケラ笑う彼女──心を見遣り、少しだけ、ほんの少しだけ、「俺ではない誰か」に擬態をする。
「······“もしも”も“たられば”もないってことは、俺達がこうなるのも必然だったってこと?」
 一瞬だけ途切れる笑い声。心の顔を覗き込めば、耳まで真っ赤に染まりきった顔で硬直していた。
「······ねぇ? 心せーんぱい?」
「あ、アッハハハッアハッ! もう! 日昏くんはそうやってすーぐ年上を揶揄って遊んで〜!」
 心は俺の背中をバシバシと叩きながら笑う。明らかにこの場の雰囲気に呑まれないようにするための空元気だとわかったが、とりあえず放っておくことにした。そして、心はひとしきり笑い終えた後。
「······わ、私が赤面症なの、知ってるでしょ······日昏くんの、バカ」
 無意味に前髪を弄り、視線を逸らしながら、恥ずかしそうに口を尖らせた。
 俺の胸に、愛しさという名の花がブワァッと一気に咲き誇る。知ってる。全部知ってるんだ。ほんの些細なことですぐ顔が真っ赤になってしまうこと。そのせいで部活動では演者になど到底なれなかったこと。それでも確かな観察眼と適切な指摘、客観的なアドバイスなどによって部長にまで上り詰めたこと。何の取り柄もない、ただの平凡な男だと思っていた俺に所謂一目惚れをして、同時にその経験則で俺の中で僅かに光る才能を感じ取り、演者に猛プッシュしたこと。卒業後も、外から演劇部を応援し続けてくれたこと。ずっと、ずっと、俺に温かな感情を分け与え続けてくれたこと。全部、全部、知ってるよ。もう何年一緒に居ると思ってるんだか。
「うん、知ってる。知ってるから、過去最大級に顔面真っ赤にさせてやる」
「へ? はぁ? 過去最大級って何事? ちょっと、こわいんですけどー!?」
 こわい! やだ! と喚く心を無視して、鞄の中から綺麗にラッピングされた小さな四角い包みを取り出す。
「はい、これあげる」
 そう言い、半ば無理矢理心にそれを持たせ、「開けてみ?」という意を込めて顎でそれを指し示す。
「え? ······え?」
 戸惑いながらも、心はゆっくりラッピングを外していき······そうして現れた手のひらサイズのリングケースを見た心は。
「〜〜ッひぐれくぅん······!」
 赤面するより先に、涙腺がやられてしまったらしい。手のひらにリングケースをちょこんと置いたまま、俺の顔を見るなりボロボロと泣き出した。
「あーーーーもう、何泣いてんの」
「だってッ······だってぇ〜······!」
「だってもクソもないでしょ」
「クソなんて言ってないぃぃ〜······!」
 泣き止まない彼女を見かねて、一瞬リングケースを彼女の手から拝借し、蓋を開けた状態にして、彼女が中身を見やすい角度で再びその手のひらへとケースを戻す。中には、小さな粒みたいな宝石が一つだけ煌めきを放つ、シンプルな造りの指輪。
「これ。今までの······えー······何年だっけ?」
「七年んん〜〜!」
「そうそう。七年分の感謝の気持ちと、この先の時間全部に対してよろしくねって、そういうアレ」
「アレってなんだよぉ〜〜! そこまで言ったんならもう潔く言えよぉ〜〜!!」
 泣きながら野次を飛ばしてくる心に苦笑いを一つ向けて······誰でもない“俺”として、言葉を贈った。
「結婚して下さい」
 泣きながら、しかし満面の笑みで照れ臭そうに微笑む彼女は、この世の誰よりも愛らしかった。

1/22/2025, 4:18:42 PM