アシロ

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1/8/2025, 1:23:42 PM

 ──リンリン リンリン 輪となり踊れ
 ──リンリン リンリン 輪となり歌え
 ──鐘の音八つ 鳴ったらば
 ──輪廻の内へ 永久(とこしへ)に

 私の住む町は、所謂「ド田舎」だ。地名にはお情け程度に「町」などと付けられてはいるが、「町」などとは程遠くむしろ「村」と表現したって何の違和感もない程度には程よく寂れている。
 背後に大きな山、周辺を細い川でぐるりと囲まれており、その川の内側が私達町民の住む居住地だ。川には数箇所に小さな橋が架けられていて、その橋を超えた先を私達は「外」と呼んでいる。
 住民の数は、このそう広くもない面積にしてみればそれなりに居る方だと思う。昨今では田舎の若者離れ、過疎化などといったことが問題となっているようだが、幸いこの町はそんな話題とは無縁で、とてもいい場所だと思う。
 町民のほとんどは農業や家畜の世話などで生計を立てていて、平和でのどかな田舎町そのもの、といったところだ。もしも気になるならば気軽に田舎ライフを満喫しに············と、お誘いしたい気持ちはやまやまなのだが、田舎というものは大抵の場合は内の結束力が強く、新参者・余所者を嫌う傾向にある。例に漏れず、この町にもそういった側面が勿論ある。
 この町には、幾つかの重要な「掟」が定められている。
 一つ。外から来た者を内に入れるべからず。
 一つ。「掟」は勿論のこと、町の内情を外に漏らすべからず。
 一つ。「わらべうた」を外で歌うべからず。内容を町民以外の者に語ることも固く禁ず。
 ······とまぁこんな感じに、良くも悪くも閉鎖的な場所なのだ、この町は。しかしそれだからこそ、この町の平穏は保たれているとも言える。とにもかくにも、外との繋がりを避け、外からの干渉を極力減らしたいのだ。長年この体制で続いてきた町だ、たった一人でも外の者を内に招いてしまえば、思わぬ所でトラブルの元となるかもしれない。だからこの町の内情も、古くから伝わり歌われ続けてきた「わらべうた」の存在も、その意味も、内部で共有するに留めておきたいのだ。今日に至るまでこの「掟」が守られてきたからこそ、贅沢は出来ずとも平和な暮らしを謳歌する「今」がある。
 それに、厳しいのは外の人達に関することだけで、外の者を内に招くのはご法度であるが、逆に内の者が外へ出ることに対してはある程度融通が利くようになっている。とは言っても、それは月に二度程度であれば外の大きなスーパーへ買い出しに出掛けても良い、というレベルのもので、例えば町から出て遠くの大学に進学するだとか、この町を離れ外へ引っ越すだとか、そういった長い期間、または永久にこの町を出る行為に関しては、何となく「やってはいけないこと」として暗黙の了解となりつつある。
 ······ここまで徹底して外との関わりを避け、内情をひた隠し、見知った顔同士のみで平和を築き上げた我が町であるが。外に知られたくない理由が、内輪のみで話を留めておかなければならない理由が、ちゃんと、しっかり存在している。

 何から説明すればよいのやら······ではあるが、まずは簡単な話から。この町の住人の最大寿命は、八十八歳だ。必ず、八十八歳まで生きたら八十九歳を迎えることなく死ぬ。勿論、病や怪我、事故などで八十八歳に満たない年齢で死ぬ者も中には居る。しかし、どう頑張って健康に気を遣い、長生きを心掛けたところで、その努力は八十八歳を迎えれば全て水泡と帰す。科学では証明出来ないものを人はオカルトと呼ぶそうだが、その説に則れば、これは正しくオカルトに寄った現象なのであろう。私達町民は、既に「そういうもの」として何の疑問も抱くことなく受け入れているのだけれど。
 オカルト、という単語が出てきたことであるし、次の話に移ろうと思う。八十八歳を迎え、死んだ者たちのその後のことだ。先に言っておくが、きちんと葬儀はするし、墓も用意し、仏壇も飾り、しっかり弔う。死者を無碍に扱うようなことはしない。ただ一つ、この町特有の現象がここでも起こる。例えば誰かの葬儀を終え、数日でも数ヶ月でも数年でもいいが、日が経ち何処かの家に赤ん坊が産まれたとする。その赤ん坊のことを私達は、直近に葬儀をした者の生まれ変わりだとしている。いや、しているという言葉は正しくない。実際、生まれ変わりなのだ。流石に喃語しか話すことの出来ない赤ん坊時代は特に何事もなく過ぎていくのだが、ある程度言葉を喋れるような人間になると、ふとした時に突然、前世に関することを口にする。前世で「最後に大福が食べたかったなぁ」と思いながら死んだとしたら、子供らしからぬ口調で「今すぐ大福が食べたいのう」と言いながら家の戸棚を開け大福がないか探し出す、とか、ざっくり説明すればそんなことが日常的に、そこかしこで当たり前のように起こる。みんな誰かの生まれ変わりで、その前世も誰かの生まれ変わり、そしてその前世も······といった具合で、一つの魂に数多の人生の記憶を宿しながら延々とこの町で生きていく。そういう人間なのだ、私達は。
 ······まぁ、信じられないのも無理はない。しかし、それがこの町で、それが私達で、それ故に外の者を招いてはならず、外にこの話を持ち出してもいけない。こんな話が世に出回りでもすれば、私達の平穏な暮らしは泥団子をぐしゃりと踏み潰すようにしてあっという間に瓦解してしまうことだろう。

 最後に、私が実際にこの町で体験したことを少しばかり。
 五歳の時に、曽祖父が亡くなった。八十八歳だった。
 それから四年後、曾祖母が亡くなった。八十八歳だった。
 それから三年後、祖父が亡くなった。六十五歳だった。死因は癌だった。
 そして、それから五年後。町内に唯一ある木造校舎の古い高校に当然のように私は入学し、勉学に励みながら日々の生活を送っていた。そんなある日、学校からの帰り道。幼稚園児ぐらいの年頃の男の子と、我が家の近くでバッタリ鉢合わせた。その子は私をジーッと見つめたあと、口を開いた。
「よう制服が似合うとる」
 やはりか、と私は思った。この子のことを私は一方的に知っていた。だってこの子は、祖父の葬儀の後に最初に産まれた子だったから。
 私は何の躊躇いもなく会話に応じた。
「久しぶり。最後、だいぶ苦しかったんじゃない?」
「まぁ、それなりになぁ。仕方あるまいて」
「可哀想だからさ、出来ることなら殺してあげたかったよ」
 すると目の前の男児は、下卑た表情で口元を吊り上げ笑った。
「俺を川に突き落として殺しておいて、殺してあげたかっただぁ? 地獄の閻魔も聞いて呆れるだろうよ!」
「何世紀も前のことをまだ根に持っているのか? あの頃はまだ殺生も自害も禁止なんてお触れは出ていなかったが、今は違う。だって、気に入らない“生”を授けられたからって理由でホイホイ自殺を繰り返されたんじゃあ、流石に人口の均衡が保てない。殺人も同じ理由で今じゃご法度だ。お前ならよく知っているだろう?」
 私ではない私がそう問えば、男児は実に愉快げにほくそ笑んだ。
「山の神を前に“お前”とな? 口の利き方がなっておらぬなぁ」
 それを聞き、私は恐怖に身を震え上がらせ······る、真似だけをして。負けじと不敵な笑みを拵え、男児の形をした“何か”を見下ろすようにし、真っ直ぐ視線で射抜く。
「口の利き方がなっておらぬのははたしてどちらか。我を川の神と知っての愚行か?」
 男児はその場でケラケラと笑う。それに釣られて、私······いや、“我”も笑った。
「いやはや······久しいのう、川の。いや······こうして外に出ることすら随分と久しい。どうだ、その後は? 仔細、滞りなく、川の流れのように順調であるか?」
「ふむ、以前直接会話をしたのは······ああ、そうか。自害者が増え始めた頃のことであったか? 先にも申した通り、その件はとうに型が付いておる。我らの願い通り、我が子らはこの土地にて平穏無事な暮らしを営んでおるわ。まこと、愛いことよ」
「山の神である儂と、川の神である主。二柱の神より寵愛を賜るこの地の民達のなんと幸福なことよ」
「我らが創りし“まじない”が、よほど馴染んだのであろうよ。いくら我が子らのためとはいえ、我ら二柱揃いも揃って一体幾つの昼と夜とを無駄にした? あの時のこちらを嘲り笑うかのような月の神の態度、今思い出しても腹の臓物が煮えかえる。······が、我が子らの幸福を確たるものとするためだ、何の苦にもならなかった」
 我は、小さな山の神の両手を取る。そのまま己の腕ごと横に開き、歪ながらも円を描く。
「折角の再会であるぞ? さあ、今一度」
「······我が子らへ“まじない”を」

 ──リンリン リンリン 輪となり踊れ
 ──リンリン リンリン 輪となり歌え
 ──鐘の音八つ 鳴ったらば
 ──輪廻の内へ 永久(とこしへ)に




◇◇◇◇◇◇
Ring,Ring
リンリン リングリング ○○ ∞ 8
という連想ゲーム的なところから因習村っぽい話に着地しました。
神様は気まぐれで戯れで身勝手。よほどこの土地の人の子らを気に入ったんでしょうね。

1/8/2025, 12:26:25 AM

 昨日はちょっと時間がなかったので、テーマとは全く違うことを書いてしまうのですが。
 前作、前々作とだいぶ読む人を選ぶような内容だったにも関わらず、思っていたよりもたくさんのご反応を頂けてとても有難かったです。上記以外の作品でも、私はどうにも不穏な要素を入れないと死んでしまう病ゆえに何処か漠然と死を連想させるものだとか倫理観ぶっ壊れたものを書きがちなのですが、作品を上げる度に都度反応を頂いていたので、本当に有り難いことですし感謝の気持ちでいっぱいです。どうも有難うございます。

 ここからは余談となるのですが、私は文字書きのくせに普段全然読書をしないダメな奴なのですが。
 中学生の頃からほぼリアルタイムで追っていた、西尾維新先生の『戯言シリーズ』『人間シリーズ』が大好きでして、文章の書き方は西尾先生に教わったと言っても過言ではないと思っておりますし、唯一尊敬している作家様だったりします。今でこそだいぶ薄れたとは思っておりますが、学生時代の頃とかに書いたものはめっちゃ西尾節っぽい何かが炸裂しまくってました。
 そして私、基本的にはずっと二次創作の畑で生きてきた人間でして、自分で一から設定など考え、そして文章を通して自分の頭の中の風景を読んでくださる方に伝えなくてはならない一次創作なんてとてもじゃないけど私には書けないと思ってましたし、実際ずっと書いたこともなかったです。でもいつまでもそれじゃいけないな、と一念発起して初めて書いてみた一次創作が、年末にこちらにも投稿させて頂いた『死で繋がる百合』シリーズ(?)でした。なので、本当に一次創作に関してはひよっこもいいところでして。
 そんな自分がこのアプリを友人から教えてもらい、毎日お題を確認してこんなにも一次創作を量産出来ていることが信じられないです。ビックリです。
 本当に、このアプリを使い始めてよかった。そういうお話でした。

1/6/2025, 1:51:05 PM

※昨日書いた話との繋がり有りなので、お手数ですがそちらに記載してあります注意事項をお読みになって頂き、大丈夫そうであれば是非こちらもお読み頂ければと思います。特技は地獄を作ることと地雷原を作ることです、よろしくお願いします。



 久しぶりに、幼い娘と二人で遠方へドライブに向かった。遠方とは言っても、車で片道二、三時間程度の場所ではあるが。狭い世界で生きている······いや、生かされているこの娘にとっては、その程度の遠出すら珍しいものらしく、また、特別なイベントの一種であるようだった。早朝、娘の現在の居住地の前へ車を停車させた途端、待ってましたとばかりに何が入っているのかよくわからない小さなリュックを背負い、水筒を肩から斜めに掛けた娘が玄関から飛び出してきたのを見て、あまりの気合いの入りように思わず小さな笑いが零れてしまった。

 娘は先日の誕生日で八歳になった。まさに育ち盛りな年頃だというのに、その成長を毎日傍で見守ることが出来ない現状が歯痒くて仕方がない。
 それには深い訳があり、有り体な言葉で済ますとするならば所謂「家庭環境の問題」という奴だ。更に詳しく付け加えるならば、娘の母親に当たる人物とは既に離婚が成立しており、娘の親権を母親が獲得したから、といった理由になる。
 当時の私は恥ずかしいことに、仕事こそきちんとこなしてはいたが、職場で溜まったストレスを妻にぶつけることでしか生きていけない情けない人間だった。溜まるストレス、増える煙草。時には妻に手を上げたことすらあった。
 そんな駄目な夫だったが、娘のことは心の底から愛していたし、なるべくそういった「悪い父親」の側面を娘の前では見せないよう努めていた。妻に対しての感情は、もうよくわからなかった。妻も妻でそれなりに気の強い女で、ただやられてばかりで泣き寝入りするような人間性ではない。本人はバレていないと思っていたのか、それともバレたところでどうでもいいと思っていたのかは知らないが、いつ頃からか他所で他の男と遊び始めたことに私は気付いていた。気付いていたが、あえてそれを指摘するようなことはしなかった。だって、もうどうでもよかったから。
 かくして「離婚」というものが現実味を帯びてきた頃、妻が出掛けている時に私は娘の前でしゃがんで、目を合わせ、聞いたのだ。
「百合は、お母さんのこと好きか?」
「? うん! 好きだよ!」
「じゃあ······お父さんのことは、どうだ?」
「お父さんも好き! もーっと好き!」
「もっ、と······?」
 まさかそのような回答を返されるとは思いもしていなかったので、俺は事態を飲み込めずにポカン、と大口を開けて呆けた顔をしてしまった。
 すると、娘は······百合は、こう続けたのだ。
「んっとね、ケンカしてるときの二人は、あんまり好きじゃないの。でもそれ以外の時は好き! お父さんもお母さんもやさしいから! でもお母さんはたまにね? こわいお顔で私のこと見てくる時があるの。お父さんはそんなことなくって、いーっつもやさしいから、だからもーっと好き!」
「そう、か······そうだったんだな······」
 百合の言葉に衝撃を受け、鈍器で頭を殴られたような心地になりながら、必死で目の前の愛しい娘を掻き抱いた。涙が幾筋か、頬を伝った。
「ごめん、ごめんなぁ······お父さん、気付いてあげられなくて······本当に、悪かった······!」
「お父さん? どうしたの? 何であやまってるのー? ねえ、お父さんってばー!」
 娘が私の背中を両手でポコポコと叩いてくる。とても、とてもか弱い力だった。か弱くて、無知で、無力な、守らなければならない私の娘。そう、再確認したのだ。
 だから勿論、親権については元妻と争った。しかし、私が妻に暴力を振るっていたこと、そして妻が浮気をしていたという決定的な証拠がなかったことにより、私は百合の親権を獲得することが出来なかった。自業自得だ。そう割り切ろうと思ったが、そんなこと到底無理な話だった。だから私は元妻に頭を下げ、一ヶ月に一度でいいから百合と会うことを許してほしい、と懇願した。元妻は何の躊躇いもなくすんなり了承した。思えば、元妻はあの時には既に百合への関心を何もかも失っていたのかもしれない。それなのに親権は譲らず、こちらに養育費の支払いを要求し、シングルマザーとして生きていこうとしていたのだ、あの女は。
 しっかりと百合の面倒を見、真っ当に育てていってくれるのならば私だってきっと納得した。なのにあの女は、その責任すら放棄した。いつのことだったか、百合と会った時に学校の話を振ったことがあった。楽しいか? 友達とは上手くやれているか? 確か、そんなようなことを聞いたのだったと思う。それに対する百合の答えに、私は驚愕するしかなかった。
「あのね、学校には行ってないの。お母さんがね、行かなくていい、って。お母さんがおしごとに行ってるあいだ、家をまもるのがゆりのしごとだよ、って」
 だから私、まいにちおうちをまもってるの!
 ······そう、屈託無く笑ったのだ、百合は。それが当然のことだとでも言うように。正しいことをしているのだと誇るかのように。
 なんて、なんて可哀想な子なのかと。百合をこんな目に遭わせている神を恨み、自分を恨み、元妻を恨んだ。
 比べる対象が居ないのだから、百合が自身で自身の置かれている状況が異常なものだと気付くことは出来ないだろう。そして何より、この子はとても素直な子なのだ。素直すぎて、無垢すぎる。それだから、母親から言われたことに対して疑問を持つことなどない。全て母親の言いつけ通りに行動するのだろう。そうやって、この先も生き続けていくのだろう。
 ああ、やっぱり。
 哀れで、痛ましくて、可哀想が過ぎる。本人には何の自覚も無く、この世界の誰よりも幸せだとでも言うかのような顔で笑っているのだ。今置かれている状況が世界の全てだと信じきって、自分が「可哀想」なのだということもわからずに。ただ、ただ、笑う。笑っている。ずっと、ずっと。
 ······そんな娘を見るのは、もう限界だった。

「帰りはちょっと遠回りしてみたけど、あそこなんて良さそうじゃないか? 百合も気に入りそうだ」
「············」
「······ハハッ。ぐっすり寝てるな。きっと疲れたもんな?」
「············」
「お父さんもな、百合。······もう、疲れたんだ」
「············」
「だからさ、百合。一人で寝てないで、お父さんと二人で一緒に寝よう? 誰にも邪魔されないように、いつまでも······いつまでも······」
 河川敷横の道路を走る、その車中。
 私は、助手席で死んだように眠る百合の顔をこれでもかと目に焼き付けて。
 ──川を目指してガードレールの方へと思いっきりハンドルを切り、アクセルを全力で踏み抜いた。

1/5/2025, 2:38:32 PM

※ほんのりですが児童●待と取れるような描写があり、捉え方によっては酷いバッドエンドとも言えます。苦手な方、地雷の気配を感じた方はご注意ください。



 ある満月の晩。
 リビングの窓越しに見える月があまりにも綺麗だったので、そんなガラではないのに深夜の散歩と洒落こんでみた。
 スマホと鍵、煙草とライターと携帯灰皿をスウェットのポケットに雑に突め込み、玄関を出て施錠をしアパートを出る。
 目的地も定めずに家を出てきてしまったが、ふと、十五分ほど歩いた所に小さな公園があったことを思い出した。大学生にもなれば流石に公園なんて場所には縁がなく、その公園には一度も足を踏み入れたことがなかった。成人した男が一人で深夜に公園って······と、想像した景色は怪しさ満点ではあったが、もう日付も変わりそうな時間帯である。人目にはつかないだろうし、万が一通報されたとしても身分証出して深夜ウォーキングしてました〜で何とか······あ、そういえば財布置いてきたんだった。手元に身分証ねぇわ。
 ······そんなくだらないことをつらつら考えつつ、見慣れたようで見慣れない道をキョロキョロと物珍しげに眺めながら歩いていれば、十五分なんて距離はあっという間だった。夜の空気は冷たく、だからこそ澄んでいて、悪いもんでもないな、なんて思った。
 辿り着いた公園。入口のタイルみたいになってるコンクリートを踏み越え、敷地の中へと歩を進めた。
 ぐるりと見渡せば、滑り台に鉄棒、砂場、ブランコといったド定番中のド定番な遊具しかないものの、小さいしショボイとはいえここは確かに公園だった。きっと昼間だとか夕方前頃には、この近隣に住む子供たちが我が物顔で占領しあちらこちらへと走り回り、活気に溢れていることだろう。
 しかしまぁ、公園で遊ぶのは子供の特権。この歳にもなって、例え深夜で人目が無いと言えども、一人でこれらの遊具を使い遊ぶつもりなどさらさらない。それこそ不審者として通報されかねない。
 入口に突っ立ったままだった俺は、少し離れた右手側にベンチがあるのを確認し、そこを目掛けて歩き出す。じゃり、じゃり、とクロックスが細かな砂を踏みつける音が、静かな世界に響き渡る。
 そうしてベンチに辿り着いた俺は腰を下ろし、ポケットをまさぐって煙草を取り出し、一本口に咥えてライターで火を灯した。煙草を摘んでいる反対側の手でポケットの中の携帯灰皿を出しがてら、煙草を口元から外し夜空へ向けて「ふぅー」と煙を吐き出す。公園は外周を何本もの木に覆われてはいたが、それぞれの枝の先で枯葉が生い茂りあうその中央にはぽっかりと穴が開いていて、そこからあの綺麗な月が顔を覗かせていた。
「うーん、絶景」
 そう独り言ち、再び煙草を咥え直した時······さっき俺が響かせたのより随分と小さかったが、じゃり、じゃり、という他人の足音を耳が拾った。
 こんな時間に誰だ? 不審者か? と自分のことを棚に上げて暫しそのまま上を見上げながら硬直していると、音の出処はどんどん近付いてきて、俺の座っているベンチのすぐ右側辺りで止まった。
 ゆっくりと、そちらへ首を向ける。そこにはなんと不審者が······なんてことはなく──いや、不審という点では間違ってはいないのだが──小学校の低学年ぐらいだろうか? 十歳に到達しているかしていないか、それぐらいの年齢に見える女の子が立っていた。
 それを確認した俺は、そこでまた暫し硬直する。こんな日付けが変わりそうな深夜の時間帯に、公園で一人佇む小さな女の子。明らかに異質だった。俺が異質だと感じたのはそれだけではなく、女の子は異様なまでにニコニコとした笑みを崩さない。逆に無表情だったり、怯えた様子だったりしたならば、何かワケありの子なのかな? というような憶測も立てられようものだが、しかしその子は笑顔なのだ。こんな時間の、男子大学生が一人で煙草を吸っているだけの、そんな地味でつまらない空間に居ながら、ニコニコと嬉しそうに笑っているのだ。
 あんまり関わり合いにならない方がいいかな······なんて考えながら、特にこちらから話し掛けるようなことはせずに煙草の煙を吐き出すと。
「それ!」
 突然上がった幼く高い声に、ビクリと肩を跳ね上げて女の子の方を見る。「それ」が何を指しているのかわからなかったが、女の子は俺の顔目掛けて人差し指を一本、地面と水平になるように伸ばしていた。
「······それ?」
 聞き返してみれば、「うん! それ!」と、よくよく見れば俺の顔ではなく、俺が指に挟んだ煙草を指さしていることに気が付く。
「あのね! それ、お父さんも吸ってた!」
 その子供特有の曖昧な指示語では、「それ」が煙草全般という大きな括りを示しているのか、はたまた銘柄まで絞って「それ」と言っているのかはわからなかったが、あえてここで話を深掘りさせる必要もないだろうと判断し、「へぇ、そうなんだ」と当たり障りない返事を返すに留める。
 そうして訪れる沈黙。俺からは話しかけないぞ、の気持ちをアピールするつもりで、子供の横で悪いとは思いつつひたすら煙草を吸っては煙を吐く。その間に女の子は何を思ったのか、間に人一人分ぐらいの距離を開けてベンチに座ってきていた。別に子供が嫌いなわけではないが、そんな年代の子と接するような機会なんてないし、何を喋ればいいのか全く分からない。いや、わからないぐらいで丁度いい。変に話し掛けたら不審者通報待ったナシかもしれないのだ。世知辛い世の中である。
 そしてまた、沈黙が訪れる。俺は煙草を吸い、女の子はベンチに座ったまま両足をプラプラと揺らしている。ただそれだけの時間。
 ······一本煙草を吸い終わり、携帯灰皿に吸殻を押し付けた俺は、観念したように深い溜息を吐きながら女の子に尋ねた。
「······あの、さ。家。帰らなくていいの?」
 女の子は相変わらずニコニコと口角を上げたまま、両足のプラプラもそのままに、視線を己の爪先辺りに固定して「うん!」と。
「お母さんがね、ちょっとでかけてくるからって! たまにね、ここでしばらく待っててねって言われるときもあってね! 今日は家にいてもお母さんいないから、だからかえらなくてもだいじょうぶなの!」
 子供の話すことは支離滅裂だ。俺の顔を見て必死に言葉を紡いではいるが、きっと俺にはこの子の言っていることの半分も理解出来ていない気しかしない。
 いや、それ以前にだ。何となく今の会話から察するに、この子のお母さんとやらは割とろくでもないのでは? 恐らくこの子は、この時間にこの公園に来ることが初めてなわけではないのだ。むしろ逆に、頻繁に居る確率の方が高いのでは、と感じる。こんな時間に子供を放ったらかしにして、そのお母さんとやらは何処へ行っているのか。自分の子供の安否・生死にすら勝る大事な用があるとでも?
 俺が言葉に詰まり、口ごもっている間も、少女は嬉しそうに俺に向け話し続ける。両の手をちっちゃなグーにして、それを時たま上下に振りつつ、身振り手振りをつけて、必死に。
「あのね! ここでわたしいがいの人と会ったの、はじめてなの! おにいさんがはじめて! とってもうれしい! わたしのお庭にようこそ、おにいさん!」
「あ〜······どうも、お邪魔してます······」
 とりあえず適当に返事をしてやったら、「えへへー」と女の子は照れ臭そうにはにかんだ。
「ねえねえ、おにいさん! 明日、晴れるかなあ?」
 女の子は星空に浮かぶ月を眺めながら、俺に問う。
「明日······?」
 俺は夕方にニュース番組で見た天気予報を脳内で思い返す。確か「明日は全国的に晴れ、温かな冬晴れになるでしょう」なんて言っていたっけ。
「明日は晴れだと思うよ。今日は月もこんなに綺麗に見えてるし」
 女の子は「ほんとー!?」と喜んだかと思えば、次の瞬間には首を傾げて。「お月さまがきれいだと晴れるの?」と疑問を口にする。
「······もし曇ってたら、お月様見えないだろ? 曇ってると雨が降る確率が上がるんだ。だから夜に空を確認して、曇ってなければ大抵次の日は晴れになる」
 今の説明でわかったのかわからなかったのかは不明だが、女の子は難しそうな顔をし、続ける。
「······でもでも、今はくもってないけど、このあとブワァー! ってとつぜんくもってきちゃったらどうしよう······そうしたら、明日雨ふっちゃう······?」
 不安そうな顔を俯かせ、女の子はキュッと両手でワンピースの裾を握り締めた。明日何があるのか知らないが、よほど大事な予定でもあるのだろうか。
 ふと、自分が女の子ぐらいの年齢だった頃を思い出す。ああそうだ、そんなこともしてたっけ。
 俺はベンチから立ち上がり、二歩ほど前に進んで止まる。片方のクロックスを、甲と指の間ぐらいに引っ掛けてプランと浮かせる。
「あーしたてんきになーぁれ」
 そうして控え目に、あくまでも控え目に口ずさんでから、宙ぶらりんだったクロックスを前方へと向けて勢いよく飛ばした。
 片足でケンケンしながら移動し、落下したクロックスを見下ろす。気付けば女の子もベンチから駆けてきたようで、一緒になってクロックス──上を向いて落下したらしいそれ──を見つめていた。
「ん、上向いてる。これが横向いてたら曇りで、裏側だったら雨。だから明日は、やっぱり晴れ」
「そう、なんだ······。ッそうなんだ······!」
 女の子は嬉しさを抑えきれない様子で、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねながら二周半ほどくるくると回った。
「あのね、あのね! 明日晴れたらね! お父さんがどっか遠いところまで遊びにつれていってくれるって! やくそくしたんだよ! ゆびきりげんまん、したの!」
 飛び跳ね回りながら、女の子はそう言い嬉しそうにはしゃいだ。
「お父さんおむかえ早いから、わたし、もうおうち帰ってねるね!」
 女の子はタタタッと一瞬小走りに駆けたあと、一度立ち止まってこちらを振り返り。
「またね! おにいさん!」
 最後まで嬉しそうに、楽しそうにニコニコしながら、走って公園から出ていった。
「······またね、か」
 そう言われても、今日だって本当にただの気まぐれで足を運んだだけだ。それに、俺はよくても、やっぱりあんなに小さい子がこんな時間に外を出歩いているのはおかしいし、あまりにも危なっかしいが過ぎる。でもあの子は、まるでまたここで俺と会えることを信じて疑っていないような口振りだった。そう、まるで······「私はいつでも居るから」と言外に告げているようにも感じられた。
 やはり俺は、あの子と関わらない方がいいと思った。この場所に立ち寄ることもしない方がいい。もしも再びこの時間にこの場所へ訪れる日が来るとしたら、それは······今日みたいに変なきまぐれを起こすか、よほどの何かがあった時ぐらいだろう。
 そう決意し、俺は公園を後にした。その時はまだ、考えもしていなかったのだ。そう遠くない未来に、もう一度この場所を訪れることになるだなんて。

 ──ガードレールに突っ込んだ車、河川へ転落。引き上げられた車内からは男性と少女の遺体発見。無理心中か。

「······やあ」
 月のように白いシラユリの花束を持ち、俺は事故が起こった河川敷······ではなく、あの夜女の子と遭遇した深夜の公園へと足を運んでいた。
 まさか、こんなにあっさり再会することになるだなんて思いもしていなかった。どうしてだろう。本当に、どうしてだろうね。
 俺は、あの日あの子が座っていたベンチ、まさにその場所にそっと花束を置く。好きな花のことなんて聞いてなかったけど、少しでも気に入ってくれればいいのだが。
 ······もしもあの日、雨が降っていたなら。晴れていなければ。クロックスが裏側を向いていたならば。
 あの子は今も、この場所に居たのだろうか?
 そんな「もしも」を打ち消すように首を振る。そうして花束と人一人分ぐらい空けた隣に腰を下ろし、煙草の煙を燻らせる。あの子の存在が、あの夜の思い出が、煙と一緒に溶けてなくなってしまいそうだ、と思った。それが何だか無性に腹が立って、泣きそうになった。
 煙草を吸い終わるとベンチから立ち上がり、隣の花束へと声を掛ける。
「またね」
 そうして俺は公園から出て、自宅への道を歩く。
 冬晴れは、まだ暫く続くそうだ。

1/4/2025, 1:00:19 PM

 幸せとは何だろう。
 それはきっと一人一人違う形をしていて、一言で「幸せ」を説明出来るような言葉なんてないと思うのだが。
 金が「幸せ」の人も居れば、愛が「幸せ」の人も居て、生が「幸せ」の人も居れば、死が「幸せ」の人も居るはずだ。
 なのでこれはあくまでも、重ねて書くがあくまでも、私個人の所見となってしまうのだが。
 人波に上手く乗れることが「幸せ」だと私は思っている。それは言い換えれば、大多数派の無個性とも称されてしまうものかもしれないが、その波に上手く乗れない人間は一人孤独に海の波間に沈んでいくしかない。
 昔の私は「個性」が欲しかった。他人とは違う何かを欲していた。好む音楽、好む服装、好む趣味、意図的ではなかったが私は大多数からは逸脱していた。それはきっと今でもそうで、流行りものには飛びつかないし流行を追うことなく自分の好きなものだけを愛で続けているが。
 果たしてこれが私が望んだ「幸せ」だったのだろうか? 一般人、大多数の人間が持つ感性を、私はいつ、何処で捨ててきてしまったのだろうか。
 そう考えることが度々ある。「幸せ」とは、本当に難しいものだ。

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